文字教育
さて、教育には準備が必要だ。
と言っても、学校を建設しようとか、そういう話ではない。
箱モノを作っても中身がなければ価値はないのだ。
まず準備すべきは教育の中身。
何を、どう教えるのか、そこを固めなければ先へは進めない。
まず教えようとしているのは読み書き。
だがこの時代、日本にはまだ文字が存在しない。
まだ漢字は入ってきていないし、それどころか中国にも存在していないだろう。
せいぜい中国で、漢字の原型である甲骨文字が使われ始めたくらいだ。
従って学校でどんな文字を教えるか、自分で決めなければならない。
一からオリジナルの文字を作って、この時代の人たちでも覚えやすい、単純で扱いやすい文字体系を開発するのも魅力的だが
そんなことは当然却下だ。
そんな難事業に割く時間はないし、歴史を持たない人工文字は底の浅いものになりがちだ。
いっそのこと英語を教えて、「これで、日本人の英語アレルギーも解消だ」とか考えもしたが、
本来発達するはずの文字体系から大きく外れても定着しにくいだろうから、ここはやはり日本語を教えるべきだろう。
日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがあり、通常は形状が単純なひらがなとカタカナを先に教育されて、
漢字は一番最後に教えられる。
だが、歴史的には漢字が最も古く、ひらがなとカタカナは漢字から派生した文字である。
例えば、「安→あ、ア」「似→い、イ」「宇→う、ウ」といった具合だ。
なぜ、複雑な形状の漢字が最初に生まれたのか。
それは、漢字が意味を形状で表す、いわゆる象形文字だったからだ。
象形文字とは、言うなれば簡略化した絵のことだ。
形から意味が推測できるから、多くの人が理解しやすく、広く使われるようになり、発達したものと思われる。
俺が教えられるのは、2千年後の完成した文字だ。
つまり、絵から文字へと至る途中の過程をすっ飛ばして、結果だけを教えることになる。
そこに一抹の不安がある。
元の時代、学校で教えられる文字を生徒もその親もスムーズに受け入れるのは、教えているのが国という
権力機関であることと、教えられている文字が世間一般で使われているからだ。
つまり、この時代で権力もなしに、いまだ使われていない文字を教えるのは、とっても難しいということだ。
どうしたものか。。。
「既成事実を作るしかないな。。。」
既成事実なんて言うと空恐ろしい響きがあるが、ビジネス的に表現すれば、デファクトスタンダードのことだ。
すなわち、俺が教えたい文字を、広く世間に広めて溢れさせてしまうのだ。
目につくところに文字を溢れさせる。
そうすれば、「これは何だ?」と興味を持って読み方や意味を知りたくなるだろう。
もちろん、落書きのような価値のないもの思われたら読んでもらえないから工夫が必要だ。
価値あるものと一緒に、文字を流布させるのだ。
幸い、カツ村で作られた農具などは交易を通じて他の村へ運ばれている。
カツ村から外へ向かう物の流れはあるということだ。
この流れに文字を載せて流せば良い。
具体的には、カツ村で生産する道具に文字を刻んでおけば、自然と一帯に広がるだろう。
取り急ぎ、俺は生産する農具、工具、織機すべてに、文字を刻むことにした。
テツに頼んで、新しく作る農具、工具にはすべてそれらの名称を刻んだ。
例えば、鍬には、"くわ"、"クワ"、"鍬"と言うように、その道具の名称をひらがな、カタカナ、漢字で記したのだ。
あまりに地道すぎる一歩だが、大事業のスタートなんてこんなものだろう。
新規生産分だけだとなかなか数が増えないので、すでに村の中で使われている農具にも文字を刻ませてもらった。
身近な物に文字があれば、自然と学ぶ機会となるだろう。
どういうわけか、カツ村の人たちはやけに協力的で、自分たちから文字を刻んでくれと持ってきてくれた。
別にブランドロゴを刻んでいるわけではないのだが、どういう心境だろうか?
まぁ、捗るから良いんだけど。
道具に文字を刻むだけではなく、短冊状に切った木の板(木簡)に道具の名前とその使い方などを記した。
例えば、
"鍬・くわ・クワ 土を掘り起こす道具。雑草取り、畝作りに使う。刃は鉄製。柄は檜。"
といった具合だ。
これを道具の種類分だけ作り、束ねて、ヤメ村へ持って行ってもらう。
これが何かと言うと、カタログだ。
世界初のカタログ通販、と言うには写真も価格情報も不足しているわけだが、その端緒とは呼べるだろう。
これが読めれば、その場に現物がなくても、他にどんな物があるかわかるから商談ができる。
カタログを読めることが、有益な道具の情報を入手し、現物を得る近道となるのだ。
このように、現物とカタログを作り、村を超えて流通させることで、カタログを読みたい、
そのために文字を勉強したい、と考える人が増やそうというのが俺の企みだ。
こうして、俺の文字教育がじんわりとスタートした。




