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彼女の思いを支えるものは

 連なる険しい山々。どこを見渡しても同じ景色が続く。

 誰も足を踏み入れた事が無いような厳しい環境が神秘的な空気を醸成している。

 ティナの目に映る風景である。

 来るときには、こんなの見えなかった。ただただ私を受けて入れてくれるかどうか。そればかりを考えていた。新しく人と出会うときは、いつもそう考えてしまう。

 バナンに戦いに臨む事を請われ、一人で考えを整理したいと部屋に篭っていたが何も導き出せない。だからこうして視界だけでも外へ踏み出してみたのだ。

 正直、帝国だとか、リターナーだとか、そんな事はどうでもいい。私をただの力としてしか見ていない。一体誰が私を私として見てくれているの?そんな風にばかり考えてしまう。

 でも私は私がわからない。記憶が無いから。だから、私は私じゃない誰かに作られる。私じゃない私が作った私を、私は受け入れなければならない。

 そうだったのだ。帝国にいるときまでは、ずっとそうだった。でも。

 必ず守ってやる。

 ロックの言葉が胸に響く。あの言葉を聞いた時の感じたことのない心の響きを、今でも覚えている。

 魔導の力のことは、その次かな。

 エドガーもそう。ロックとはまた違う感じ方だけど、どちらも知らなかった感覚だ。

 でもわかる。みんなは私に手を差し伸べてくれるけれど、歩くのは自分の足で進まなきゃならない。

 陽が陰る。山間の土地は日没が早い。それでもティナは、そこを動けずにいた。

「答えは自分で出すのね」

 呟く。声に出して。そしてため息。思えば、自分で何かを決めたことなどない。

 何だろう、私って。

 知っている。こういう時、涙というものを流すらしい。私はできない。

 知っている。こういう時、誰かに思っていることを話すらしい。私はできない

 知っている。こういう時、ここから飛び降りてしまうらしい。私はできない。

 知っている。こういう時、誰かに助けてもらうらしい。私には…

 思考が途切れ、不意に目を閉じた。

 ティナは踵を返し、隠れ家の入口をくぐる。

 力なく、彷徨うように歩くティナ。歩みの先にいるのはロックだった。今にも消え入りそうな様子にロックは驚きの表情を隠さない。

「どうしたんだ。腹でも減ったのか」

 ティナはゆっくりと首を振る。そうか、飯はちゃんと食えよ。などとズレた会話が展開される。

「ロックは、どうして帝国と戦うの」

 ロックの表情が変わる。力強さの中に、隠しきれない儚さが映っている。

「俺は、大切な人を帝国に奪われたのさ」

 しばしばロックの言う、守ってやる。という言葉。ティナに対しても向けられた言葉ではあるが、どことなく違和感があった。

 そうか、守ってやるのは、私ではなかったのだ。

 表情に出たのか、ロックがばつが悪そうに帽子を取る。

「守ってやる。なんて言ったけどな、あれはほとんど自分に言い聞かせてるみたいなもんなのさ」

 お前は守れなかっただろ、ってな。

 帝国は憎い。大切な人を奪ったから。戦争が、帝国の侵略がなければ、あいつは死ぬことはなかったんだ。

 ロックは唇を噛みしめる。ティナにもロックの感情が伝わる。投げつけるような言葉も、唇を噛む痛みも、全てこの人は自分自身にぶつけている。

「俺のような人を増やしたくない。だから俺はリターナーとして帝国と戦うのさ」

 でもお前を守ってやるって言ったのは嘘じゃないぜ。向けられた笑顔をティナは見ることができずに俯いた。

「だけど、私に大切な人はいない…」

 ティナ。ロックが小さな両肩に触れる。

「俺が守ってやる。何があってもだ」

 ティナは小さく頷いた。


「何をしているの」

 ああ、君か。ティナに問われたエドガーの両手は油まみれで汚れていた。

「機械の整備さ。フィガロ製の兵器は高性能だがその分作りが精密でね。ちょっとの狂いで十分な威力が発揮できなくなる。だからこうして日々の整備をしてやることが、とっても重要なのだよ」

 テーブルの上に敷かれた布にいくつもの鉄の棒や歯車が並んでいる。それがエドガーが駆るオートボウガンの分解された姿であることは、ティナには想像がつかない。

 1000年前、魔大戦が終結して幻獣が姿を消してから、魔法が失われた。人々はそれに変わる力として、産業革命以降、機械の力で復興を遂げていったんだ。機械の力は人間の力。科学は人間の叡智。平和へ導く道標なんだ。

 エドガーのフィガロ王国の主導者としての矜持だろう。語るその目は真剣そのものだ。

「帝国の駆る魔導の力は自分たちの力じゃあない。捕えた幻獣から利用した代物だ。帝国がどうやって幻獣を鹵獲し、魔法の力を得ているのかはわからない。だが、それが忌むべきものだということは判る。そんな事は、一刻も早くやめさせなければならない」

 君の出生とも関係があるのかも知れないな。

「それが、エドガーの戦う理由なの」

 ティナの問いにエドガーは首を傾げる。

 どうだろうね。それも理由の一つには違いないが、一番じゃあない。

「大切なのはレディ。君を幸せにすることさ」

 ティナにはエドガーの言っていることが分からない。エドガーは微笑みの表情の形のまま、腰掛けていた椅子から立ち上がる。

「君は、君の生きたいように生きるべきだと思う」

 確かに今、私たちリターナーは帝国に対抗する戦力として君の持つ魔法を必要としている。

 だけど無理強いはしたくない。それは帝国のやり方と同じだからだ。バナン様もああ言ってはいたが、本心は同じだよ。君に決めてほしいし、君の決断に我々は従う。

「エドガー、ごめんなさい。私、わからないの」

 困り切るティナ。エドガーは両腕を拡げる。

「私はいつまでも待つ。焦ることはない」


 マッシュはエドガーに従うと言う。兄貴の決断はいつだって間違った事はない、というのだ。

 恐らく間違ったかどうかは問題ではない。どんな結果になろうともその決断を受け入れる。つまりはエドガーを心から信頼しているのだ。

 ははははは。快活な笑い声。

「私もあなたのようなれればどんなに良いか」

 思わず考えていたことが口から漏れた。マッシュは笑いを止め、訝しげな顔でこちらを見る。

 ごめんなさい。気を悪くさせるつもりはなかったの。

 取り繕おうとするティナに対し、マッシュは大きな素振りで首を振る。

「俺みたいにならなくていい。いや、違うな。ティナ、別に誰かになろうとなんてしなくて良いんだ」

 迷いの中、答えが見つからない時、誰かに委ねてしまいたくなる事がある。

 別に、答えなんか出さなくてもいい。悩み抜く事が辛いなら、悩むことなんか考えなくていいじゃあねえか。

 おっと、今のお前にこんな事言ったなんて兄貴にバレたら怒られちまう。

 まあ、放っておいたって世界が終わるわけじゃないし。お前が戦わないなら戦わないで、兄貴たちは帝国と何とかやり合うだろうぜ。

 あー、駄目だ。こんなこと言ったらお前が傷ついちまうかー。すまん、許してくれ。

 ティナは思わず吹き出してしまった。大丈夫。やっぱりあなたになんてなりたくないわ。

「ありがとう。熊さん」

 ティナの軽口に対し、マッシュは不意に姿勢を正して起立し、滑らかな所作で王族の敬礼をした。

 君に幸あらんことを。


「ティナ、元気そうだな」

 俺は広間の隅にあるテーブルでパンとスープを食すティナを見かけ声をかけた。

「何だかお腹が空いちゃって」

 そうか。俺もストーブにかけられたヤカンからポットに湯を注ぎ、カップに茶を淹れる。

「表情が明るい。答えでも出たのか」

 二つ持ったカップの一つをティナの前に置き、テーブルの向かいに俺は腰掛ける。ありがとう。ティナは言葉ではそう言うが、首は横に振る。

「もちろん私はこれ以上戦いたく無い。でも私の出す答えはそれだけじゃ無い気がするの。戦いをするしないじゃなくて、その先に何を得るのか。そんな事を考えていたわ」

 みんな帝国は悪だと言う。だけど帝国に関わる人全員が悪だと言ったらそうじゃ無い。帝国と戦うとい事は、戦場で帝国兵と戦うという事だけじゃなくて、帝国という大きなものに立ち向かうという事なのね。

 うまく言えないけれど。と付け加えるティナの表情がやけに眩しく見えた。

「今の言葉、そのままみんなに伝えてやるといい。きっと歓迎してくれるさ」

 そうかしら。ティナは首を傾げる。私、答えを出していないわ。

 人は成長する。ブチ当たる困難に向き合い、真剣に考える事で答えを見つけようとする。君はこれからも、そうやって前に進んでいくんだろうな。

「ロックもエドガーもみんな自分に理由があって帝国と戦っている。あなたはどうして帝国と戦うの?」

 相変わらず澄み切った言葉で質問をしてくる。とてもでは無いがこの眼差しに捉えられてしまうと嘘などつく事は出来ない。

「俺は世界の平和を守る為に戦っている。帝国はいつか世界を滅ぼす。そうなる前に帝国を倒さなきゃならない」

 世界の、平和。ポカンとした顔でティナは俺の言葉を復唱する。だよな、何言ってるか分かんないよな。

 でも、それは俺の本心なんだ。そしてティナと話している中で俺も本来の目的を思い出した。

 そうだ。ここは分岐点だ。世界の平和を守る為、俺にはやらなきゃならない事がある。

 俺はぬるくなったカップの茶を飲み干す。

「少しエドガーと話してくる」

 俺は席を立つ。不思議そうな顔をするティナに早く寝ろよ、何て当たり障りの無い言葉をかける。

 この先、起こる悲劇がある。何としてもそれを阻止しなければならない。

 俺が、この世界を変えてやる。

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