最後の迷い
ジャグリーンの家に泊まること三日目。
オードリックはすっかりここの生活に慣れきっていた。
慣れすぎていて怖いくらいだ。
本人は肩の凝る書類仕事から離れられて快適だと狩りにまで行っている。
体を動かすことのほうが好きみたいだ。
エレオノールは古書を読み漁っていた。
リュシオルから頼まれたので魔術陣の解析を行い、もうほとんど終わっていて、後は彼に渡すようにと文章に纏めているところだ。
書き終えるとオードリックが見たいというので渡し、その間に昼食の準備をする。
朝から狩りに行っていたみたいで、血抜きされた獅子を一頭丸々、肉をきり分けした状態で帰ってきたときには、その手際の良さと手慣れすぎていて疑問に思ったが、幼い頃に直轄領で狩りをしてその当時の代官に教えてもらったそうだ。
昼食はそのお肉を使ってスープに入れたり、厚切りのステーキにして残りは貯蔵室に保管した。
昼食を卓上に並び終えた頃、丁度オードリックが来たので早速昼食をいただく。
「お父様が狩ってくださったので、今日の昼食は豪華になりました。ありがとうございます」
「いや。久々に楽しかったよ。それにしてもエレンは本当に料理上手だな」
美味いと言いながら食べ進める。
オードリックは背が高く一見細身に見えるが、今のようにラフな格好をしていると筋肉質な体型だとよく分かり、そして年齢の割に食欲も旺盛だ。
「お父様」
「どうした?」
「こちらに来てもう三日になりますけど……」
「ここの暮らしは性に合う」
確かに料理や洗濯といった家事は難ありだけど、楽しそうに過ごしているのを見ると性に合っているというのはその通りなのだろう……って、そうじゃない。
「……お父様って皇帝ですよね?」
「そうだな」
「いつまでもここにいていいのですか?」
「流石に一ヶ月もいれば怒鳴り込んできそうだな」
流石にオードリックでないと出来ない仕事もあるだろうに、全く帰る素振りのない姿を見ていると心配になる。
けど、今の言い方ではまだここにいる気満々なのだろうか。
その日の夜、エレオノールは夜の庭に出て草の上にコロンと転がり月明かりの夜空を見上げていた。
夜の森に届く月明かりはどことなく神秘的に見える。
この空間がそうさせているのかもしれない。
この景色は以前と変わらず、心が安らぐ。
すっと目を閉じここしばらくの出来事を思い返す。
大公領へ行ったのがもうだいぶ前のことのように感じるが、まだ帰ってきてほんの数日しか経っていない。
けれど、ここ数日でエレオノールの心は落ち着いていた。
父とこうして過ごすことになるとは思ってもみなかったが、ベルトランとはまた違う頼もしさがある。
父親という存在がどんなものなのか正解が分からない。
ベルトランと数年過ごし、彼が父の見本のような人だ。
離れて過ごしているのでオードリックが父親だと普段どんな感じなのだろうと、今と同じなのか、それとも……。
(……彼奴等と同じじゃない。私を追いかけてこんな所まで来て、出来ない家事を手伝うなんてしない)
心の奥底ではまだ深い闇が残っているのだろうか。
もし、オードリックの元へ戻り、彼奴等みたいに虐げられたら……シルヴァン達に促された時、ベルトランに言われた時、ふと心の奥底であの闇が見えた。
表面上は心配している風でも、心の奥底では本当は嫌っているのではないかと……。
(弱い……弱くて嫌になる)
一度心を許した人から嫌われると立ち直れないだろう。
微かに震える手をギュッと握りしめる。
一度大きくため息をついてそっと目を開ける。
「うわぁ!?」
目を開けるとそこには月夜じゃなくてフィオリトゥーラの顔が近く目一杯にあり、まさか覗き込まれていると思わずに驚きの声を上げた。
「まぁた眉間にシワを寄せて……困った娘ね」
眉間を指でグリグリとされた。
「フィオリトゥーラ様、痛いです……」
「あら、ごめんなさい? けどこんな時間にこーんなところにごろごろして眉間にシワまで寄せて……。どうせろくなこと考えてなかったでしょう?」
「うっ! そ、そんな事ない、です」
「嘘おっしゃい! ダメよ。私はそんな娘に育てた覚えはないわ」
「育てられた覚えもないですけど」
「なんて悲しいことをっ! 酷いわぁ」
泣き真似をするフィオリトゥーラにエレオノールははぁと態とらしいため息をついた。
「それよりも、エレちゃんったら、もう答えは決まっているのでしょう? それなのに何を迷っているのかしら。もしかして、あの愚か者達を思い出しているのかしら?」
「っ!?」
「図星なのね」
少しだけ呆れたようなため息をつかれて、エレオノールはフィオリトゥーラに情けないと思われたのかもと俯いた。
実際に情けないと思うし、それを指摘されたら更に情けない気持ちが溢れてくる。
「バカねぇ。あの皇帝があの連中と同じだと思うの? そうだったらそもそもここには入れないわよ」
「…………あ!」
「気づいてなかったのね……」
「ごめんなさい」
この地はジャグリーンの結界が生きている場所。
家の主に敵対する者、邪な考えを持ち合わせている者、害意ある者は弾かれる。
けれど、ベルトランとオードリックは弾かれず、しかも居心地良さそうに過ごしていると言うことはエレオノールに対してそういった気持ちはないということ。
「エレちゃんてばしっかりしているようで抜けてるわよねぇ」
ころころと楽しそうな笑い声が響く。
その声が周囲に響き呼応して楽しそうに木々達もその音を奏でる。
「エレちゃん、理解したならそろそろ休まないと、心配している誰かさんがここに突撃してくるわよ」
その誰かさんとは今現在一人しかいない。
けどすでに部屋で休んでいるはず……くるりと家の方を見ると、人影が見えた。
「お父様……」
いつからそこにいたのか分からないが、壁に背を当ててエレオノールから見ると彼の背中しか見えないが、きっとこちらを窺っていたのだろう。
さくさくさくと草を踏みしめる音が響かせつつ、オードリックの元まで行くと、くいっと袖を引っ張る。
「うん? おや、エレン。こんな時間にこんな所で何をしているんだ?」
態とらしい。
その表情もいかにもって感じだが、じとりと父親を睨むとこれもまた態とらしく咳払いをする。
「中々寝付けなくてな。空を見上げていたんだ」
「そっちは鬱蒼と生い茂っている木々があるので、あまり空は見えないですけど……」
「そうか?」
「私は先に戻ります」
すっとぼける父を無視して家の中へと入ると、その後ろをついてきた。
そして部屋の前で「おやすみなさい」と挨拶をしてそれぞれ部屋へと入っていく。
寝付けないかとも思っていたが、案外スッキリしたためか直ぐに眠りについた。
「お父様、質問してもいいですか?」
翌日の昼過ぎ、オードリックの淹れたお茶を飲みつつ、エレオノールは自分で作ったお菓子を楽しんだ後、真面目な顔でオードリックを見つめた。
「勿論だよ」
「もし、もしも……ですが、私が戻ったとして、受け入れられるのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
エレオノールの言葉の意味を測りかねて眉を顰める。
「いきなりお父様の子が現れたら、変な勘繰りされますよ」
「そんなことか」
そんなことって、まるでなんてことの無いように肩をすくめた。
「エレオノールがこの世に産まれた事は国の慶事として公表している。皇族のお披露目は七歳で行うがそれとは別だが、エレンの誕生は皆が知っている事だ」
「ですが、急に戻ってきたら偽物とか色々と疑われると思うんですけど……それに、私は拐われたんでしょう? 他の貴族も知ってますよね? 拐われた皇女が戻っても、偽物だとか言われると思うんですけど」
「それこそこの間話した通り、噂は所詮噂に過ぎない。エレンは気にせず堂々としていればいい。ごく一部の者はエレンが拐われた事は知っているが、それに関しても同様だ。言いたい奴には言わせとけばいい」
「……戻っても、大叔父様や大叔母様に会うことはできますか?」
「会いたければいつでも会える」
「シオルお兄様達にも?」
「皇宮で会うこともあるだろう」
一度口を閉ざす。
今迄のような迷いは無くなっているようで、その瞳には何かを決断したような、澄んだ瞳をしていた。
「お父様。私、お父様の元に帰ります。けど、その前に大叔父様と話がたいです」
「あぁ。エレンの気が済むまで沢山話したらいい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは私の方だ。エレン、私達の元へ戻る決断をしてくれてありがとう。嬉しいよ」
初めて見る泣きそうな顔、けれどそれは嬉しさからくるもので、そこまで想ってくれていたことに何だかむず痒く、エレオノールも控えめながら笑みを返した。
それから帰る支度をしようと思ったが、オードリックに止められた。
何故なら「後三日は滞在する」と言い張ったからだ。
どうしてなのか聞くと「後少しゆっくり娘と楽しみたい」とのことだった。
本音は戻ったら忙しくなるからだろうと、何となく思う。
だけど、結局苦労するのは本人なのだから、その本人がいいならいいかとあっさり納得した。
そしてその日の午後は二人で狩りに出かけた。
どちらが大物を狩るか勝負をしたり、一緒に捌いてまた料理を手伝うと言うので夕食を一緒に作った。
ここでの滞在をめいいっぱい楽しんだオードリックは本当に噂されている姿とは全く違い、少年のようにはしゃいでいた。
どちらかというと、エレオノールが落ち着いているので、年齢が逆なのではという感じだ。
エレオノールはといえば、オードリックに渡した書類の質問を受け、それに対して説明をし、彼にこれを持っていっていいか聞かれたので、一応シルヴァンからの依頼を伝えたうえで渡した。
これと同じものを念のために作成し、この家の書庫にも置いておく。
エクラタンに帰る前日、エレオノールとオードリックは森を散策していた。
今日は狩りではなくてただの散歩だ。
エレオノールは隣を歩く父をちらりと見上げる。
そして握られた手を見てずっと前を向く。
(大きい手……)
こうして手を繋いて歩くことはベルトランとはしたことがない。
オードリックが初めてで、繋がれた手が温かくて不思議な感じがする。
「どうした?」
「え、いえ、なんでもないです」
「気になることがあったら何でも聞いていい。遠慮することはない」
そう言われてまた見上げると、優しい眼差しでエレオノール見つめる瞳に何だか照れくさくてすっと目を逸らす。
「お父様と手を繋いで歩くなんて想像してませんでした」
「ずっとこうして娘と歩きたかったんだ。本当は小さい頃にもっとエレンと一緒にしたいことがあったんだが、これから少しずつ付き合ってくれるか?」
そこには後悔の念がこもった言葉があり、本当に娘をみすみす攫われてしまったことへの自責の念に囚われているようだった。
エレオノールはぎゅっと繋ぐ手に力を込めた。
「お父様、私は家族がどのように過ごすのが正解なのか分かりません。けど、こうして手を繋いで歩くだけでも嬉しいです。だから、お父様がこれから沢山私に教えてください」
「……っ! あぁ、私が、いや、私だけではない。サンドラとノル、そしてジュリを忘れたらまたヘソを曲げるな。家族皆の時間を沢山作るから、エレンも嫌がらずに参加してくれるかい?」
「はい、楽しみにしています。けど、お仕事を優先させてください。私のせいで皆さんに迷惑をかけたくないです」
そういうと手を繋いでない方の手でワシャワシャと頭を撫でられた。
「お、お父様! 髪の毛が乱れてしまうので優しくしてくださいっ」
「ははっ! 皆が優秀だから任せられるんだ。まぁけど、エレンに嫌われたくないから程々にしておこう」
この瞬間、この時間がエレオノールだけではなくオードリックにとってもとても大切で、今まで離れていた時間を埋める様に沢山言葉を交わした。
ご覧いただきありがとうございます。
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