誤った行動
目の前にはあり得ない光景が広がっていた。
床には作ったばかりのサラダが散らばりお皿が割れて破片が飛び散り、リディアーヌは仁王立ちで手を腰に当ててじっと下を見つめる。
そして見つめた先にはオードリックが腰を落として、床に散らばったお皿の破片を哀愁漂わせながら拾っていた。
「……だから私がやりますって言ったのに」
「すまない……」
「皇帝が配膳とかしたことないですよね?」
「お茶くらいなら……」
「気持ちは嬉しいですが、食材が勿体いです」
「返す言葉も無い」
「どうして一度に運ぼうとしたのですか?」
「いや……いけるかと思って……」
「本当ですか?」
「…………エレンに出来る父親の姿を見せたかったんだ」
その言葉に盛大なため息をついた。
手伝ってくれるのは嬉しいし、慣れないことを一生懸命しようとする姿勢は好ましい。
けれど、食材をダメにするのはいただけない。
(まぁ、肥料にすればいいか)
リディアーヌはしゃがんで散らばった野菜を拾い始めると、オードリックに止められた。
「エレン。手が汚れるし、破片で切ったら大変だから掃除は私がするから止めなさい」
「そもそも、掃除をしたことあるのですか?」
「…………いや、初めてだが、出来る、と思う」
語尾は自信無さげに沈んでいく。
皇帝なのに肩を下げしょんぼりする姿はとても一国の皇帝には見えない。
「二人で掃除をしたほうが早いです。落としてしまった野菜類は畑の肥料にします。再利用可能なので、そんなに落ち込まないでください」
「本当にすまない」
「誰にだって失敗はありますし、お父様は料理とかする機会がないのですから、気にしないでくたさい。それに、野菜の皮むきは驚くくらい上手です」
「そうか! エレンに褒めてもらえて嬉しいよ」
本当に嬉しそうに微笑む姿は冷徹なる皇帝と言われる姿からは程遠い。
掃除が終わりサラダをパパっと手早く作って、小さな食卓に料理を並べ終えて早速いただく。
オードリックは美味しそうに食べるけれど、皇宮の料理とは比べ物にならないくらい質素だろうに何とも思ってないように見えるが、エレオノールはあまりの品数の少なさに申し訳なく思う。
「あの、お父様。その……こんな料理しか作れなくてごめんなさい。やっぱり帰ってちゃんと食べたほうが……」
「謝る必要はない。エレンの料理は美味しい。もちろん皇宮の料理が不味いというわけじゃない。エレンの料理は温かいよ。愛情が沢山詰まっている料理だ。とても美味しい。言っとくが無理をして言っているわけじゃない。本当に美味しいよ。ありがとう」
父親の笑顔を素直な感想に恥ずかしくなり、何故か涙が溢れてきたが、気付かれないようにそっと拭う。
それからは何も言わずに食事をした。
後片付けを済ませると、オードリックはお茶を淹れてくれた。
「……美味しい」
「よかった」
(どうしよう、何を話したらいいか分からない)
ちらちらとオードリックの様子を伺いながら何を話そうか迷うエレオノールは可愛らしく唸っていた。
その様子を見ていたオードリックは「娘が可愛すぎる!」と内心悶えていたが、勿論その様子は表に出さない。
「あ、あの、本当に帰らないのですか?」
「あぁ。暫くエレンと一緒にここで過ごすよ」
「何もないですよ」
「エレンがいるだろう?」
「それは、そうですけど……。お仕事はよろしいのですか?」
「叔父上が処理するから問題ない」
「皇帝であるお父様がいなくては……」
「少しくらいいなくても皇国が揺らぐことはない。今はエレンの方が大事だ」
エレオノールはぐっと言葉を詰まらせ俯いた。
何故そこまでするのだろうか。
また、心の中でいろんな感情が渦巻き始めた。
これは一体何なのだろうか。
どうして胸が痛いのだろうか。
どうして、悲しみが広がり涙が出るのだろうか。
(分からない。どうしてこんなに苦しいの……)
いつの間にか側にいたオードリックにすっと目元を拭われぎゅっと抱きしめられた。
「どうして優しくするのですか」
「娘なのだから当たり前だろう?」
「私、我儘なのに?」
「我儘?」
「……よく分からなくなってしまって何も言わずにこっちに来てしまいました」
「叔父上と叔母上の話を聞いたのだろう?」
「はい……あの、私……」
本人を前にして何といえばいいのだろう。
自分でも何でこんなにぐちゃぐちゃな感情でどうしてこんなにもらもやもやしているのか分からないのに、なんて言えばいいか分からない。
そんな娘を見て落ち着かせるように頭を撫でる。
「エレン、気にせずに本音で話してほしい。エレンは、私達と暮らすのは気が進まないか?」
「……そんなことは。けど、皇女様が嫌でしょう?」
「ジュリはエレンとの関係を改善したいと言っている。これは私が言わせたことではないよ。本人が自分の過ちを悔いている。エレンに謝りたいとも、仲良くなりたいとも言っている。手紙の返事が中々こずに落ち込んでいたが、手紙が届いた時のはしゃぎようは幼い子供のようだったよ」
「……毎日は流石にやりすぎ」
ポツリと疲れたように呟くとオードリックは声を上げて笑った。
毎日手紙を送るなんて好きな相手にもしないとオードリックは笑いながら話す。
それだけ妹との関係を修復したいという表れだ。
オードリックの話では、今となってはあの頃の我儘が恥ずかしく思っているらしく、自分のせいで妹の心を傷つけ、更には今まで親に甘えられなかったのに、その機会を奪ってしまったとかなり後悔をしているらしい。
「叔父上達と離れるのは嫌か?」
「嫌というか寂しいです……けど、大叔父様達の方が私と離れたいと思っているのかも……。早く皇宮に戻したいようですから嫌われたのだと思います」
自分で発した言葉にぎゅっと手に力が入る。
「それは叔父上達がそう言ったのか?」
「いえ……直接は言われてません。けど、私を戻すために動いていると言っていたのを聞きました。それに、シルスお兄様にも言われたことですけど、皇宮に戻る事を暗に勧められました。それは大叔父様も一緒です。だから……」
その後に言葉が続かない。
自分で言っておいて悲しくなる。
「エレン、動いているのは私達の方で叔父上達ではない」
「え?」
「ジュリが心を入れ替えたから、そろそろ戻ってきて欲しいと願う私達が動いているんだ。……出来ればエレンが学園に入学する前には、と思っている」
「入学する前……」
来年、もう一年もない。
今年中に皇宮に戻る……?
私が?
何とも言えない感情が爆発しそうで、けど、最初からベルトラン達が言っていたことでもあるので、心の奥底では分かっていたこと。
けど、それが現実味を帯び、シルヴァンやベルトランからそんな話をきり出され、オードリックの口から言われ、何とも言えなくなった。
「そろそろ寝よう。夜更かしはよくない」
「え? あ、はい……」
急に話を終えて寝ようと言い出すオードリックに驚き爆発しそうだった感情がすうーっと収まった。
エレオノールはオードリックを部屋に案内するも、部屋の前でピタリと止まった。
「エレン、今日は父様と一緒に寝るか?」
「……え? えぇ!? さ、流石にそこまで子供じゃないです」
「分かっているよ。父様が少し淋しいと思っただけだ。おやすみ、エレン。また明日」
「おやすみなさい」
就寝の挨拶の後、オードリックが部屋に入ったのを見てエレオノールも自室へと向かった。
パタンと部屋のドアを閉めた後、ずるずるとその場にしゃがみ込み、おでこにそっと手を置いた。
(おやすみの挨拶……あんなに嬉しそうに……。それなのに私は……)
ぎゅっと自分を抱きしめるようにうずくまる。
どうしてこんなにも心が痛いんだろう。
自分がどうしたいのか分からなさ過ぎて、自分の事なのに情けなくて涙があふれてくる。
こんなにも泣くなんて初めてだ。
初めてのことなので何もかもが分からない。
うずくまっているとそっと頭を撫でられてばっと顔を上げるとそこにはフィオリトゥーラが優しい微笑みでエレオノールを見ていた。
「今世のルーちゃんは泣き虫さんねぇ」
「……ルーちゃんじゃないですよ」
「ふふ、そうだったわね」
いつまでも頭を撫出るのか。
じっと彼女を見上げると、ようやく無てるのをやめてエレオノールの前に座り込んだ。
「どうして泣いていたのかしら。あの子に虐められたわけじゃないのでしょう?」
「虐められてないですけど、自分でも分からないんです」
「分からない?」
「何だか心の中がずっともやもやしてて、どうしてか分からなくて……。一人になりたくて、また大叔父様の所から逃げてきてしまいました」
「困ったさんねぇ。エレちゃんは」
困ったさんと言いつつもどこか心配そうに見つめられて、ふいっと視線を外す。
「エレちゃんは自分のことがわからないのね」
うーんと可愛らしい仕草で悩むフィオリトゥーラをそっと見るも直ぐに視線を外して小さく息をつく。
「エレちゃんは記憶がある分、子供らしくないところがあるものね。といっても、ルーちゃんが死んじゃったのは十六歳だから、子供寄りたけれど。それでもルーちゃんのときは血の繋がった家族はいなかったし、ルーちゃんも率先して探そうともしなかったわ」
「師匠がいたから、別に血の繋がった家族なんていらないし、フィオリトゥーラ様もそばにいてくださったし、血の繋がりって必要?」
「人それぞれね。血のつながった両親に会いたいと思う子もいればそうでない子もいる。ルーちゃんがそうだったものね。けど、今は違うでしょう?」
今は一緒に暮らしていないけれど近くにいるし、家族だけでなく親戚もいる。
記憶では考えられない程家族が近い。
だからこそ、血のつながった家族というのが不思議でこうも構われるのが分からないのだ。
ルーセルのときは赤子の時に捨てられたし、周囲は孤児が多く、家族と縁の薄い人達人が多かったから、こんなに家族を大切にするオードリック達は初めてだった。
記憶の中での貴族は家族愛というのはあまり感じられず、陥れ富や権力を手に入れるために画策する者たちが多く、家族を大事にする人は少なかった。
けれど今はエレオノールの周囲にいる人達は皆家族を大切にし、兄弟で争うようなこともない。
と言っても、エレオノールが家族ぐるみで知りうる貴族家は少ないのではっきりとは言えないし、目に見えないだけでもしかしたら……という場合もあるが彼女の周辺に限ってはなさそうだ。
「それに、血の繋がりで悩んでいるわけじゃないわよね。もっと別の事。そうねぇ。エレちゃんは自分のせいで家族に迷惑をかけてしまう事を悩んでいるのよね?」
「……フィオリトゥーラ様の言う通りです」
「うーん、ちょっと違うかしら。あぁ、これね! 家族を悪く言われることが嫌なのね」
「っ!!」
「図星って顔ね」
フィオリトゥーラはエレオノールを見て慈愛に満ちた顔で見つめる。
図星を突かれ悔しそうにしながらも自分は皆の足を引っ張るだけだと、そう思っていそうな表情で俯く。
「それ程あの子達を想っているのに、変な方に心配するのねぇ。可愛いわぁ」
「……可愛くないです。それに、……嫌われてしまったから」
「嫌われたって、誰にかしら?」
「おとう……大叔父様達に……」
「あのしかめっ面なのにエレちゃん溺愛しているあの子達がエレちゃんを嫌ってるって?」
不満そうに言い返すエレオノールに可笑しそうにころころと笑う。
少し意地悪な彼女にムッとしつつも、ふいっと視線を外す。
「信じられない?」
「…………」
「エレちゃんの今世の家族よ。信じられないくらい彼等は弱いのかしら」
こてんと可愛らしく首を傾げ悪気なく言うフィオリトゥーラにエレオノールは素直に「そんな事ないです!」と怒りの声をあげた。
けれど彼女は「そうかしら」と納得していない。
「だって、信じられないからエレちゃんは彼等から逃げたんでしょう? エレちゃんがいなくなれば、嘘ばかりの噂をされることもないし、何よりもその噂に煩わされることもないものね。彼等も面倒なことから解放されるというもの。エレちゃんは優しいわね。ちゃんと家族の事を考えて行動しているのだから」
フィオリトゥーラの言葉に衝撃を受けて言葉を失った。
自身の感情を持て余そうと、逃げ出したのはエレオノールだ。
彼等を信じられないなんてこと決してないけれど、彼女にそう言われて心が締め付けられる。
自分の想いと裏腹にその事を口にされると何とも言えない感情が溢れてきて、フィオリトゥーラの言葉に「そうじゃない」と否定的な想いと「自分の行動がそう思われても仕方がない」という間違った行動を起こしてしまったという事実に打ちひしがれる。
信じられるならば逃げる必要なんてなく、言葉にして彼等に伝えたらいいだけのこと。
逃げるという事は、そういう事なのだ。
その事実を突きつけられてぎゅっと唇を噛む。
「フィオリトゥーラ殿、その辺で止めていただきたい」
部屋のドアが開き聞こえてきた声にビクリとする。
まさかオードリックに話を聞かれていたとは思わず、身を固くする。
「あらぁ。もう来ちゃったの?」
「あまり娘をいじめないでいただきたいですね」
しかめっ面で苦言を呈するオードリックに肩をすくめるフィオリトゥーラ。
そっと肩に手を置かれてエレオノールは更に身を縮こませる。
「ご、ごめんなさい」
「謝罪なんてする必要ない。こんな床に座り込まずちゃんと椅子に掛けなさい」
そう言ったと思ったたら、ふわりと体が浮いた。
「お、お父様!?」
「大人しくしていなさい」
オードリックに抱き上げられたと思ったら、そっと椅子に降ろされた。
そしてそっと頭を撫でられる。
自身も椅子に座るとふわりと浮いているフィオリトゥーラへと厳しい自然に向けた。
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