持て余す感情
よく晴れた日の本日は、ようやく許可が下りたので大公領から皇都へ出発する。
シルヴァンには最後の最後までぎゅーと抱きしめられ別れを惜しむのだけど、見兼ねたフォルスが引き剥がしてくれた。
(冬ならまだしも夏は暑い……けど嬉しい)
嬉しいけれど暑すぎる抱擁にタジタジになるも、シルヴァンに別れの挨拶をして馬車に乗りこんだ。
本当はキラに乗って一緒に帰りたかったが、ノアゼットにダメ出しされたので帰りは馬車となった為、キラはローランに連れられて帰ってくることになった。
道中は穏やかで問題もなく、予定通りに皇都の大公邸へと帰ってきた。
帰宅するとベルトランとフェリシエンヌに出迎えられようやく一息つく。
「リディ、疲れただろう? しばらくはゆっくりと過ごしなさい」
「ありがとうございます」
リディアーヌはベルトランに叱られると思い、少し様子を窺っていたのだけれど、予想に反して何も言われない。
ベルトランはそんな娘の様子を見て少しだけ厳しい目を向けた。
「何も言わないのはリュシオルとシルヴァンに既に言われているだろうからだ」
「はい、気を付けます」
「お前の気を付けるは当てにならん」
すっかり信用を無くしてしまったみたいだ。
自分が悪いのだけど、流石に落ち込む。
難しい顔でリディアーヌを見つめるベルトランとフェリシエンヌ。
(何だか、いつもと様子が違う……)
纏う空気が違い何故かとても息苦しい。
それだけリディアーヌに失望したのか、それとも呆れすぎて幻滅したのか、きっと両方だろう。
(それとも……)
リディアーヌは少し嫌な予感がした。
シルヴァンの話といい、皇女の手紙といい……胸が締め付けられるような、言いようのない不安が心を占める。
もしかしたらベルトランもリディアーヌの事を……やはりそうなのかもしれないと思うと同時にすうっと心が冷えていく感じがする。
これは自己防衛本能が働いたのだ。
それと共に表情がすっと消える。
それを見たベルトランははっとしてリディアーヌへ声を掛けようとしたが、本人は「部屋に戻ります」と二人に頭を下げて部屋を後にした。
その、少し強引ともいえる行動に二人は驚いた。
「あなた。あの子の様子が……」
「向こうで何があったんだ?」
「詳しく報告が来たのではなかったの?」
「報告は受けているが、それだけではないだろう、あの様子では」
今まで何度か叱った事があるが、先程のように表情を消すなんてことはなかった。
自ら率先して危険な事に一番身を置くようなことをする娘が心配で堪らないから叱るのだ。
それをリディアーヌは分かっていてちゃんとベルトラン達の言葉を素直に聞くが、結局自分が動くほうが早いと思っているのか、身体が動いてしまうのか……下手に記憶がある分、身体が動いてしまうのだろうが……、今回のあの様子はまた別物だと感じる。
「また何か思い詰めているのではないかしら。もしかしたら皇女殿下と何かあったのかも」
「いや、それは無いだろう。殿下はリディとの関係改善を望んでいると聞く。だからこそ、そろそろ皇宮にリディを戻す為に動いているのだ」
「けど、あの子の気持ちを無視するのは良くないわ」
「勿論だ。だが、今の様子を見る限りでは、難しいか……いや、何故ああも落ち込んだのか先ずは理由を聞かねばならんな」
部屋の外でリディアーヌは足を止めていた。
ところどころしか聞こえなかったが、ある部分が聞こえてしまい、ぎゅっと手を強く握りしめる。
そしてそっと足音を立てないよう歩き出した。
その様子をエヴァは静かに見守るが、その表情はリディアーヌを案じるも、なんと声を掛けたらいいか迷い、結局静かに付き添った。
部屋へ戻ると、エヴァに「一人にして」と告げ、部屋にはぽつんと一人になった。
いや、厳密には一人ではない。
「ギーいるんでしょ?」
「こちらに」
目の前で膝をつき現れたのは、いつも影ながら見守ってくれている護衛だ。
「ちゃんと休んでる?」
「ご心配なさらず」
「私、暫く部屋にいるからゆっくり休んで来て」
「お側を離れるわけには参りません」
「じゃあこれ、殿下に届けてきてくれる?」
「お手紙でしたら通常にお出しになればよろしいかと」
「ギーに届けてほしいの」
「姫様、私を遠ざけてどちらへ行こうとされているのですか?」
「どこにも行かないけど?」
どちらも淡々としリディアーヌとギーは睨み合う。
どのくらいの間そうしていたか、先に口を開いたのはギーだった。
「私はお側を離れるわけには参りません。どちらかへお出掛けになるならば私も同行いたします」
確信した言葉にギーは着いていくというが、迷惑な話だ。
一人きりになりたいだけなのにさせてくれない。
心の中が黒く染まっていくような感覚に襲われる。
「どうして一人にしてくれないの?」
「私のことはいないものとしてくださって良いのです」
「私は一人にしてって言ってるのに!」
リディアーヌはここにきて初めて声を荒げた。
まさか小さな主のそのような姿を見るとは思わず、ギーは内心狼狽えた。
だが、それが一瞬の隙となりそれを見逃すリディアーヌではなかった。
そう、その一瞬の隙でリディアーヌの姿は消えた。
ギーは反応したが、ほんの僅かに手が届かなかった。
痕跡をたどれないように細工もされており、どこに行ったか分からないが心当たりは一カ所。
ギーはふっと姿を消した。
『ルヴェリエ殿下』
『どうした』
『姫様が姿をくらましました』
『なんだと! お前はなぜ……』
『行き先は例の森かと思われます』
初めてベルトランの言葉を遮って言葉を続けたギーの声にはいつもの違い後悔が滲んでいるような、張りのない声をしていた。
「一体部屋に戻ってから何があったんだ?」
ベルトランはギーから詳細を聞くと驚いた。
まさかリディアーヌが声を荒げるなど、今の今までなかったからだ。
そして自分達の会話を聞かれていたとは思わず、その失態に自身を責める。
今迎えに行ってもリディアーヌはベルトランを受け入れないだろう、それよりも更に逃げられてしまうかもしれない。
ベルトランはエヴァを呼んだ。
彼女なら向こうでの詳細を知っているだろう。
直ぐに彼女は部屋へと入ってきて、ベルトランに問われて大公領での様子を伝えた。
「殿下は頻繁に手紙を送っていたのか」
「頻繁にと言うより毎日です。その手紙にお嬢様は戸惑うほどに、それと、シルヴァン様が少しばかり今後の事を話されておりました。お嬢様が殿下との仲をどうしていいか戸惑っておられましたから」
「その話をしてリディの様子は?」
「その時も悩んでおられましたが、先程の様子程ではありませんでした。ただ……」
エヴァは話すのを躊躇ったが、ベルトランに先を促され口を開く。
「お嬢様は大公家で暮らすことを望んでおられます。迷惑なら直ぐに出ていくと、仰っておられました」
「あの娘はまだ俺達に迷惑をかけていると思っているのか……」
「そうですね。大旦那様方に迷惑がかかると思っているのもあるかと。けれど、それだけではないかと思います」
「どういうことだ?」
「先程も言いましたが、お嬢様は大公家で暮らすことを望んでおられます。ですが、皇女殿下の心変わりに戸惑い、周囲が二人の仲をとりなそうとしている事に不信感を抱き、シルヴァン様からもそれとなく実のご両親の元へとの話を聞き、少しばかり敏感になられているのかと。そして先程、大旦那様の話を扉越しに聞いてしまい、お嬢様は……」
「私達からリディを手放そうとしている、と勘違いしたか」
「はい。お嬢様はお二人を家族と信頼なさっておられるからこそ、そう思ってしまったのかもしれません。本来のご両親との関係も、今のままでよいとお考えなのかもしれません。……ですが、お嬢様はとても悩んでおられるのは確かです」
「そして感情を持て余して消えた、か……」
重い息をつく。
リディアーヌも自分達にその感情を直接ぶつけてくれたらいい、と思う反面、自分達にそれが迷惑になると思って結局また自分がいなくなればいいと思ったのか……。
一人で背負い込むのはリディアーヌの悪い癖だ。
時間をおこうかと思ったが、時間をおけばリディアーヌは本当に戻ってこないかもしれない。
一人で生きていこうと思えば生きていける、彼女が言った言葉は嘘ではない。
「至急、リュシオルを呼べ」
ベルトランはリュシオルを呼び、彼が来るまでの間に自身も動くべく、部屋を後にした。
時は少し遡り、転移したリディアーヌは昔住んでいた森へと帰ってきていた。
青々と生い茂る森の中、夏の景色は木々の隙間から照らされる陽光がキラキラと光ってとてもきれいだ。
家は相変わらずでリディアーヌを拒むことなく中へと入る。
「ただいま」
小さく呟く声に誰も反応もない。
当たり前なのだけれど、それがとても寂しく思うのは如何に大公家で過ごすことが当たり前となり、誰かと過ごす日常が大切なのかを思い起こさせた。
リディアーヌは入った家を出て、その足で家の裏側から森の中へと入る。
少し進めば開けた場所に出た。
そこには錫杖が墓標替わりのお墓がふたつ並んでいた。
ひとつはルーセル・アマドゥールの名が、もうひとつは……
「師匠……ただいま帰りました」
そう、もうひとつはルーセル時代の師匠である、……ジャグリーン・アマドゥールの墓だった。
リディアーヌは墓の前で座り込む。
そしてぽつぽつと今までの出来事をジャグリーンへ報告するように語り始める。
話し終える事にはすっかりと夕暮れだ。
それでもそこから動こうとしないリディアーヌは「師匠、会いたいです」と小さく呟いた。
そして静かに涙を流す。
自分の感情が分からずに、涙となって流れ出た。
自分の事なのにどうしてこうも悲しいのか、感情のまま咄嗟に出てきてしまったのか、声を荒げてしまったのか、心の整理が出来ず涙となって流れた。
一人静かに泣いていると、かさっかさっという草を踏み鳴らし近づいてくる気配がありリディアーヌははっとして臨戦態勢で振り返ると、そこにいたのは見慣れた人だった。
「どうして……」
リディアーヌの問に答えずに近づいてきたと思ったら何も言わずにリディアーヌを抱きしめた。
急なことに驚いて体が硬直するも、その手が緩むことはない。
「すまない」
「……え?」
急に謝罪されて驚いたけれど、何故謝罪されるのか分からずに戸惑うばかりだ。
「あの……どうしてここにいるのですか?」
「叔父上からエレンがいなくなったと話を聞いたからだ。直ぐにでも来たかったのだが遅くなってしまった」
遅くなったと言っても多分三、四時間ほど。
リディアーヌがここに来ることは想定済みだったみたいだが、それはリディアーヌにも分かっていた。
けれど、予想外の人が来て驚きで涙が止まってしまった。
「エレン。一人で思い詰めず、一人で泣かずに言いたいことがあるなら言いなさい。言いたい事はため込まずに吐き出しなさい。遠慮をすることはない。エレンが何を言っても嫌いにならないし見捨てるようなこともしない。お前は私の、大事な娘だ。何があっても決して離さない。大事な娘、エレン。だから胸の内に抱え込まず、一人でどこかに行ってしまうようなことはしないで欲しい。もう、あの時の様な想いはごめんだ……」
そういってオードリックはリディアーヌ、いや、エレオノールを抱きしめて心が引き裂かれるような、聞いたことのない後悔の念で引き裂かれそうな哀しい声音で呟いた。
どのくらいそうしていたか、ぽつりとエレオノールが呟いた。
「分からないんです」
「分からない?」
エレオノールが呟いた言葉にオードリックはようやく娘と顔を合わせた。
その瞳は揺れていて、どこか怒っているような、不安を感じているような、色んな感情を宿していた。
エレオノールが自ら話すまで根気よく待つ。
口を開いてはそのまま閉じ、ぎゅっと口を結ぶ。
どのくらいそうしていたか、今まで俯きオードリックの顔を見なかったが、すっと顔を上げてオードリックと視線を合わせた。
「エレン、今すぐに話さなくてもいい。時間はたっぷりとある」
「え?」
時間があるって、皇帝はとても忙しく、こんな所で娘に時間を割くなんてあり得ないとエレオノールは驚いた。
けれど、じっと見つめてくる父親は嘘を言っているように見えない。
「けど……」
それでも自分のせいで仕事が滞るなんてこと、余計に自分が許せなくなるから早々に帰ってほしくて、自分に構う事がないようにと口を開こうとしたが、オードリックに先を越された。
「心配ない。私の仕事は暫く叔父上が肩代わりしてくださる。何も問題ないから安心しなさい」
それはそれで問題があるのではとエレオノールは思ったが、楽しそうに笑うオードリックを見て何も言えなかった。
「エレン、森の夕刻は体に悪い。そろそろ家に入ろう。あぁ、その前にエレンの師匠に挨拶をしてもいいかな?」
「え? は、はい、いいですけど……」
オードリックはジャグリーンの墓の前で腰を下ろすと、手を合わせすっと目を閉じる。
どれくらいそうしていたか、何を思って手を合わせたのかは分からないが、優しい風が吹いた。
「待たせたな」
少し視線を外していると、いつの間にか祈りが終わりリディアーヌに手を差し出した。
戸惑いつつそっと差し出された手に自分の手を乗せるとぎゅっと優しく手を繋ぎ家へて歩き出す。
その感覚が不思議でそっと隣を歩くオードリックを見上げると、リディアーヌの視線に気が付き優しく笑い返されて、何故か恥ずかしくなりぱっと視線を前に戻す。
心臓がバクバクとして空いている右手で胸をギュッと握りしめる。
ぽかぽかと温かいような、恥ずかしいような、けれどそれよりも何故か嬉しさが込み上げてきて、自然と口角が上がる。
二人を優しく包むような夕暮れの日差しが降り注ぎ、ふわりとリディアーヌの背を押すように風が吹いた。
ご覧いただきありがとうございます。
次話も楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたしますm(__)m




