皇宮へ
時間が過ぎるのは早く一ヶ月はあっという間だった。
今日は初対面の時以来、二度目の皇宮へ、厳密に言えば三度目だが、皇帝一族が住まう場所へと足を踏み入れた。
今はまだルヴェリエ公女としての姿で、ベルトランとフェリシエンヌの二人も一緒で、少しばかり緊張しているものの穏やかな気持ちで馬車から降りる。
この一ヶ月は皇宮での振る舞い、貴族の呼び方等復習をし、公に戻ればガラリと振る舞いを変えなければならないことが苦戦しそうだと、ベルトランから更に学んだ。
これからはその学んだことをこの皇宮で実践していかなければならず、失敗は許されないと思い挑もうと強く胸に刻んでいる。
ベルトランから披露目までは多少の失敗は挽回できるが、披露目が済んだ後はそうもいかないと、揚げ足をとる貴族がいるので注意するようにと言われた。
だからこそ今からそのように振る舞おうと決めたのだった。
迎えに出てきたのは皇宮の侍従長に案内されたのは家族が寛げる談話室だ。
部屋の中には皇帝一家が揃っていた。
中へ招かれると中には侍女頭と思しき人物がいるのみで他の使用人は見当たらなかった。
部屋が閉まるとようやくオードリックが口を開く。
「お帰り、エレン」
オードリックがリディアーヌの前に来て言葉短に告げた。
言葉は少ないがその言葉に乗せた感情とその穏やかな父親を見上げて自然と笑顔になる。
「た、ただいま……お父様」
少しだけ「ただいま」という挨拶を言うのが気恥ずかしくて詰まってしまったが、優しく抱きしめられた。
そしてそっとリディアーヌが着けている魔術具を外す。
元の姿に戻ると、オードリックの後ろに控えているカサンドラ、ノルベール、ジュリエットの三人はエレオノールの姿を見て嬉しさでいっぱいだというのが全身に表れていた。
「今日から披露目の前週まで、週末の二日間は元の姿で過ごすことになるから、少しずつその姿とここでの生活に慣れていってほしい」
「はい」
「何か分からないことや聞きたいことがあるなら遠慮なく言いなさい」
簡単にオードリックから言葉があった後、そっと背中を押される。
一歩前へ行くと今度はカサンドラが娘の前で少し腰を落としエレオノールと目線を合わせる。
「エレオノール、エレン。おかえりなさい。貴女が帰ってくるのを心待ちにしていたわ。私たちの可愛い娘」
カサンドラに優しく抱きしめられる。
まだオードリックほど慣れていない母親の温もりに緊張しながらもそっと抱きしめ返し、そっと「ただいま」と呟くとカサンドラは嬉しそうに微笑んだ。
「エレン、お帰り。ずっと待っていたよ。これからうんと甘やかすからね。覚悟してね」
「え……?」
「わ、私もお兄様と一緒にエレンを可愛がりますわ!」
「…………」
エレオノールは二人の言葉と勢いに若干引き気味だ。
しかもそんな様子をお構いなしに便乗してきたのはカサンドラとオードリックだ。
「私達も今まで近くで愛せなかった分、エレンを愛するわ」
「私も一緒だ。この間みたいに沢山共に過ごそう」
エレオノールはちょっと後退りしてベルトランの服をギュッと掴む。
「帰りたい……」
思わず呟いてしまったが、しっかりとベルトランの耳には届いていた。
「ダメに決まってるだろう。エレン、リュシオルとシルヴァンのような奴が二人ずついると思えばいい」
「……それはちょっと」
かなり濃すぎて相手にするのが疲れそうだと心底普通でいいと思うエレオノールだったが、目の前の四人はいい笑顔で戻ってきた娘、妹をキラキラとした目で見つめている。
その様子を見兼ねたベルトランははぁと大きなため息をついた。
「お前達、そろそろその辺で止めておけ。エレンに本気で嫌われるぞ」
「……嫌いませんけど、シオルお兄様達が四人はちょっと……」
案に愛が強すぎて捌ききれない、と言ったところか。
ポツリと呟いたため、オードリック達までは届かなかったがベルトランには聞こえていて可笑しそうにふっと笑った。
「んんっ。遅くなりましたが、エレンを連れてきてくださってありがとうございます。こちらへどうぞ」
ようやく落ち着いたのかオードリックに席を勧められソファに落ち着いた。
今まで優しい微笑みを絶やさずに見守ったていたのはカサンドラとフェリシエンヌの間ぐらいの年齢の侍女が手際よくお茶の準備をし、皆のお茶を淹れ終わるとそっと扉側へ侍従長の隣へと移動した。
「エレン、先に紹介しておこう。皇宮の侍従長のモイーズと侍女長のユゲットだ。使用人に問題があれば二人に話すといい」
オードリックに紹介された二人はエレオノールに頭を下げたのを見て「挨拶を許す」と一言言った。
「お初にお目にかかります。皇宮の侍従長を任されておりますモイーズと申します。御用の際は何なりとお申し付けください」
「お初にお目にかかります。皇宮の侍女長を任されておりますユゲットと申します。穏やかにお過ごしいただけるよう尽力いたしますので、遠慮なくお申し付けください」
「エレオノールです。よろしくお願いします」
挨拶は大事だと、エレオノールは二人に簡単に挨拶をすると、二人はさっと合わせたように頭を下げ「こちらこそよろしくお願いいたします」と挨拶を返してくれた。
オードリックの話ではこの二人に関してはエレオノールの事情を深く知る者なので遠慮はいらないということだった。
この後カサンドラ、フェリシエンヌ、ノルベールとジュリエットに連れられてエレオノールの宮へ行くことになった。
オードリックとベルトランは二人で話があるようで一旦ここでお別れだ。
皇宮内を案内してくれるけれど、とても広くて迷いそうだ。
大公邸も広すぎると思ったがやはり皇宮はその比ではなかった。
行きすがら皇帝と皇后の宮、ノルベールの宮と順番に案内され、最後に行き着いたのがエレオノールの住まいとなる宮だ。
兄姉の宮も広かったがエレオノールの宮も相当だった。
「ここがエレンの宮だよ。中を案内するね」
扉を開けるとまずは広いエントランスホールだった。
驚くのもそうだけど、エレオノールは呆れた。
何故一人でこんな広い屋敷と呼べるような、いや、皇女宮というべきだろうけど、流石に一人でこんな広々としたところに住むなんて思いもよらなかった。
「広すぎませんか?」
そう口に出してしまっても仕方がないと思う。
「普通だよ。先ずは一階からだね」
ノルベールに左手を、何故かおずおずとエレオノールの右手を取るのはジュリエットだったが、驚いて思わず手を引っ込めそうになったけど、思いの外強い力でぎゅっとされ、懇願するように目をうるうるさせながら見つめてくる。
そんな目で見られたら否とは言えず、少し息をついてされるがままで連れて行かれた。
扉を入ってエントランスホールの正面中央に二階へ続く階段があり、左右に応接室とサロン、厨房に貯蔵室、奥側に近衛や侍女の待機部屋基休憩室があり、二階が主にエレオノールの居住地となる。
居室とは別で書斎もあり、ドレッシングルーム、寝室に浴室、食堂に談話室、そして使用人の待機室からバルコニーまでありかなり広い造りとなっている。
(こんなに使う?)
部屋の多さと広さに圧倒されぽかーんとしているエレオノールを見てノルベールはくすくすと笑う。
「エレン、気に入ったかしら? 居室と寝室は大公邸とそれほど変わらずに整えたのよ。あまり雰囲気を変えすぎては貴女が落ち着かないと思ったのだけれど、どうかしら?」
「そうですね。大公邸のお部屋と変わらないので、落ち着けそうです」
「良かったわ。叔母上様の助言通りですわね。ありがとうございます」
「ふふ。いいのですよ。私もエレンが憂いなく過ごせる場所にしたかったの。お力になれてよかったですわ」
どうやらフェリシエンヌが主となり部屋を整えてくれたようだ。
ドレッシングルームを覗くと初めて見るドレスや騎士服に訓練用の服まで新しく誂えたようで、広い部屋に沢山埋まっていた。
「やりすぎ……」
ボソリと呟くのはエレオノールだ。
その声を拾ったのはノルベールで、エレオノールがまさかそのような事を言うとは思わず声を出して笑った。
「あら? ノルったらそんなに笑ってどうしたのかしら」
「あっはははは! 母上! エ、エレンが可愛くてつい……」
「エレンが可愛いのは分かっているわ」
「ふ、ふふふふ……あ、あんなに冷静に呟くからっ!」
はぁーと息を整えてようやく笑いを収めて「笑ってごめんね」とあまり謝罪になっていない謝罪を受ける。
「エレン部屋の案内はこれくらいにしましょう」
可愛らしく手を合わせたカサンドラはエレオノールに微笑んだ。
一体次は何をするのか。
「貴女の侍女と近衛騎士を紹介するわ」
皇女に戻るわけだから仕方ないのかもしれないが、憂鬱な気分になる。
こっそりとため息をつきカサンドラについていく。
二階の踊り場に出ると、一階のエントランスホールにこの宮の侍従と侍女、近衛騎士が皇族の姿が見えた途端にさっと頭を下げた。
「こんなにいるの?」
「エレン、慣れようね。これでも精査した結果の人選だから安心して。因みに精査したのはシオル叔父上だよ」
「シオルお兄様が……」
(だったら安心かな)
リュシオルが選んだという一言でエレオノールは安心した。
侍女に関してはカサンドラが選びリュシオルがこちらも精査している。
「あの……お母様?」
エレオノールはおずおずと呼びかける。
まだぎこちなさはあるものの、母と呼ばれたカサンドラは嬉しさを隠しきれないほど美しく微笑んだ。
「まぁ! 何かしら? 何でも聞いていょうだい」
「その、彼女達は私の事情は知っているのですか?」
「彼等が知っているのは貴女が私達の所に帰って来たという事実のみよ。他のことを知る必要はないわ」
「分かりました」
そして視線を前に移す。
いつまで頭を避けてるんだろうと疑問に思っていると、カサンドラが階下に向かって言葉を発する。
「皆頭を上げなさい。ようやくセイリオスの宮に主が戻りました。今日から貴方達が仕えるのは我が娘、エレオノール・ソフィ・エクラタン第二皇女です。皆、誠心誠意皇女に仕えなさい」
「「「はっ! 我等が主、第二皇女殿下に誠心誠意仕えることを誓います」」」
この光景に圧倒されるけれど、見知った顔を見つけて驚きに目を見張る。
「さぁ、エレン。彼等に言葉を」
まさかそんな事を言われるとは思わずに内心大慌てだ。
「大丈夫よ。貴女ならね」
フェリシエンヌが後ろからそっと励ましの声があり、エレオノールはその声で落ち着きを取り戻した。
すっと一度息を整える。
顎を引き下にいる者達を見つめる。
「今日からこの宮の主になりました、エレオノールです。皆の良き主になれるよう努めてまいりますので、皆さんの力を貸してください。よろしくお願いします」
皇女としての振る舞いは、ベルトランから合格をもらっているとはいえ、慣れていないのは皆が知るところ。
だからといって彼等に遜ることはせず、この場にいる皇后で母であるカサンドラと、母代わりとなってくれたフェリシエンヌに泥を塗るわけにはいかず、無難にまとめた。
「エレン、其々の長だけ紹介するわ」
その言葉に前へ出たのは四人。
男性三人と女性が一人で、そのうち二人がよく知る人物で、一瞬エレオノールを見て親しみを込めて微笑んだ。
「先ずは貴女の近衛騎士は五名で、その長を務めるのがディオン・グラニエ。次に侍従長のパスカル……」
紹介の度に視線を向けていたが、次は侍女長だ。
「侍女長はエヴァ。そして最後はルヴェリエ殿下からのご提案で貴女の魔術の師兼相談役として仕えることになったローランよ」
(私の師? 相談役?)
何の事か分からずにいたが、取り敢えず頷く。
理由は後で聞けばいいだろう。
それはエヴァも同様で、二人は大公邸の、元々はベルトランとフェリシエンヌに仕えている二人なのだから、エレオノールが皇宮に戻れば自然と二人の元へ戻ると思っていた。
挨拶が終えると二階の談話室へと入りやっと一息つけた。
「ふふ。驚いたようね」
「……本当にいいのですか?」
「何のこと?」
「エヴァとローランです」
「本人に聞いてご覧なさいな」
フェリシエンヌ達がそれでもいいのかを確認したかったのだけれど、ダメならそもそもこの場にいるはずもなく……もし、二人に言われてこの場にいるのだとしたら申し訳ないので、二人が戻りたいと言うならば、ベルトランに言おうと決めた。
軽やかなノックがありエレオノールの返事を待って「失礼します」と部屋の中へと入ってきたのはエヴァだ。
いつもと変わらない、いつもと同じ落ち着いた表情で……違うことといえば、侍女服のデザインが大公邸の時と少し違うだけ。
手際良くお茶と美味しそうなお菓子が並べられた。
その間もエレオノールはじっと彼女を見つめる。
「あらあら。そんなに彼女の事を見つめると穴が空いてしまいますよ」
カサンドラに言われてちょっと慌ててしまった。
エヴァは仕事中のためか表情は動かなかったけれど、少しだけ頬が緩んでいる。
「エレン様、彼女に聞きたいことがあるんでしょう? 今聞いたら?」
「え? 今ですか!?」
「エヴァ、エレンがあなたに聞きたいことがあるそうよ」
「はい、何でしょうか」
エヴァはどことなくいたずらが成功したというような珍しい笑みを浮かべていた。
「エヴァは元々おか、大叔母様の大公家の侍女なのに……その、どうしてここに?」
「はい。殿下のおっしゃる通りです。ですが、私は妃殿下に、この先も皇女殿下にお仕えしたいとお願い申し上げました。妃殿下は快く受け入れてくださり、こうして殿下の元へと参った次第です。もちろん、この後大公邸へと戻られましてもついて参ります」
まさか自ら自分に、付いてきてくれたとは思わずに驚きもあるが嬉しくてつい皆の前でエヴァに抱きついた。
「殿下、皆様の前で侍女に抱きつくのはよくありませんよ」
優しく嗜められて、はっとして離れるけれど、エヴァを見上げて「ありがとう」とお礼を伝えると、エヴァの綺麗な微笑みが広がった。
「エレンの新しい一面を見たな」
「羨ましい! エレンに抱きしめてもらえるなんて……」
ノルベールとジュリエットは驚き羨ましそうに、悔しそうにしていた。
それをエレオノールはいつものクールさを取り戻し何を言ってるんだろうと首を傾げる。
「大体案内は終わったわね。そうだわ! この宮にも庭園があるのよ。空いた時間にでも散策してご覧なさい。後は皇宮の庭園も自慢なのよ。エレンは本が好きだったわね。今度図書館にはノルとジュリに案内してもらいなさい」
「はい、楽しみにしています」
皇宮内を全て見て回るには何日かかるやらと改めて貴族家の屋敷とは異なるのだと、違う意味でほんの少し不安を抱くのだった。
ご覧いただきありがとうございます。
次回も楽しんていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします(ꈍᴗꈍ)




