金髪美女、帝都を観光する
触れると滑ってしまいそうなくらい綺麗に塗られた壁。
煌びやかな装飾を着けた家具や道具。
床に敷かれた緑の絨毯はまるで草原のように爽やかな色艶だった。
マーシャはそこにあるベッドで起きた。
夢うつつで自分を包んでいた布団に触れる。気持ちいい触り心地で実は今はまだ寝ていて夢の中にいるのではないかという気持ちになった。
そんな彼女の眠気を、まるで笛を通したように無機質で澄んだ声が起こした。
「……起きたな」
窓際に置かれた椅子。
そこでマーシャたちを助けてくれたあの女が本を読んでいた。
鎧は着けていなく、軽そうな布地の服を身に纏っている。
飾りが少な目で派手さはないが、遠くから見ただけでも自分が普段着ているものとは素材が全く違っていて、その服がとても高価なものであるということが分かった。
そしてそれが落ち着いた色の茶髪と氷の彫像のように整った顔とも似合っていて、童話に書いてあった城の舞踏会に出ているお姫様のようであった。
初めて見るほどの美人に、マーシャは緊張しつつもお礼をすることにした。
「あの、ありがとうございます。助けてもらって」
「体の調子はどうだ?」
「はい。それは大丈夫そうです。こんないいベッドで寝させてもらって、元気にならないはずがありません」
「そうか……」
「そ、それでですね。ここってどこですか?」
「私の家だ……」
「……」
「……」
会話が続かない。
興味を示さない声が、こちらの話そうとする意志を容赦なく削ぐ。
部屋の中で、マーシャはどこか重苦しい雰囲気を感じた。今まで見たことないほど綺麗なだけでなく、初めて話す性格の持ち主でもあった。
「はあ~」
「……」
「あっ、グリゴリー」
粛然とした空気が部屋を占有していた部屋で、隣のベッドで眠っていたグリゴリーが起きた。
無事だったことにほっとするマーシャ。
すぐに駆け寄ろうとしたが、先に本を閉じた女がグリゴリーへ声をかけた。
「グリゴリー立ち上がれ」
「おはよう。俺疲れてるんだけど」
「立ち上がれ」
「……分かった」
女は席を立って、グリゴリーの元へ歩いていった。
そして体が触れそうなぐらい近くで止まった。
感情が読み取れない冷たい目で睨みつける。
大きいあくびなどの無遠慮な行いがそこまで不愉快だったのか、マーシャは二人の間に漂う一触即発の雰囲気にどうしようかと怯える。
少しして、女が口を開いた。
「……私の勝ちだな」
「ちくしょう!」
「え?」
動かないかと思えていたその唇が角度を上げて、女は薄く笑っていた。
先程までの無表情が嘘のような人間味のある顔だった。
グリゴリーと女は興奮した様子で会話を始める。
「ちび。ちび」
「うるせえエヴァ。一年半前は俺のほうが大きかったろうが」
「今は私より貴様が小さい。ちびだ」
「そういえばお前、靴履いてるじゃねえか。それ脱げよ。俺は裸足だぞ」
「はあ……見苦しいぞ。ちびは心まで小さいのか」
「いいから脱げよ。その靴実は上げ底なんじゃねえのか?」
「その程度のことをして、上下が変わる差ではないだろう」
エヴァと呼ばれた女は靴を脱ぐと、またお互いのおでこが触れるぐらい接近して、頭上で手を振る。
結果を告げるとまた口論になって、今度は背中を合わせてまで身長比べをやり始めた。
「どっちもぼくからしてみると大きいんだけどね。これじゃモミの木の背比べだよ」
重苦しい空気が軽くなったことで、マーシャはいつものように振る舞うことにした。
「ちび。不細工」
「お前こそ、ちびだろうが。それと愛嬌無しのお前の面構えに比べればまだましだ」
数分ほど、口喧嘩をしてお互いを罵り合う二人。
ギギー……
部屋の扉が開いてミハイルが入ってきたところで、そちらに目を向けた。
「二人とも元気か? エヴァ、ちゃんと見守ることは出来たか?」
「はい」
頷くエヴァ。
マーシャとグリゴリーの状態は、既に把握していたようだ。
いくつか質問をして、本当に大丈夫だと判断したミハイルはマーシャへ話しかける。
「マーシャくん。君の記憶喪失についてはグリゴリーから聞いたよ。大変だっただろう今まで」
「……はい。でもグリゴリーや村の人たちがいてくれたから平気でした。そういえばあのときも助けてくれてありがとうございました」
「なに気にすることはない。あのときは時期が噛み合わず、たとえ知っていてもここに連れてきて助けられなかったことは悪いと思っている」
「いえそんなことは気にしなくても……そういえばミハイルさんとエヴァさんって、グリゴリーとどういう関係なんです?」
「君はグリゴリーの両親のことを知っているのかね?」
「はい。知っています。関係あるんですか?」
負の感情がどこにもない返事に、ミハイルは安心して口を開いた。
「知っているのならば話そう。わたしはグリゴリーの父――すなわち氷国の英雄の友人さ。彼が帝都から離れてあそこに過ごし始めてからも何度か出会っていてね。そのとき息子であるグリゴリーと知り合った。それ以来、彼がある風土病で倒れてからも交流があったのさ」
グリゴリーが大将軍の一人娘のエヴァとの出会ったのも、父の付き添いで小屋まで訪れたことによるものだった。
「といってもエヴァとは一年半、叔父貴とは三年も会ってなかったけどな」
「大将軍という任を承って、慣れてきた頃に戦争だったからな。エヴァはちょうど帰ってきた頃に、皇帝陛下の近衛隊長に任命された」
二人が装着していた鎧が、素材や形も違っていたがどちらも派手で綺麗だったのをマーシャは思い出した。
ミハイルは別方向へ送っていた目線を元へ戻した。
少しだけ様子が変わった気がマーシャにはした。その勘は当たっていて、ミハイルは今から胸に秘めていたことを教えようとしていた。
「それで話だが、どうやら君の記憶喪失を氷神様が治してくれるらしい。実はさっきまで神殿に呼ばれていて、そこで氷神様直々に君へ伝えるよう頼まれた」
「……」
「嘘だろ!?」
沈黙しているエヴァの横で、大声で驚くグリゴリー。慌てて尋ねる。
「氷神様。いや、神様たちは人間の出来事に干渉しないのが決められているだろ?」
「それは違う。正確には人間の力だけで収められる出来事には、何も干渉しないというだけだ。つまり本当に大陸の人間たちだけでは、どうしようもないことが起こってしまった時には助けてくれる。マーシャくんの記憶喪失はその条件にあてはまるということだ」
「そうなのか……マーシャ。よかったな」
「うん」
グリゴリーはそのことを飛び切りの笑顔で喜んだ。
マーシャはいまいち言われたことを呑み込めなかったが、その笑みで自分はこれから幸せになるということが分かった。嬉しい気持ちが徐々に湧いてきた。
喜び合う二人へ、ミハイルは声をかけた。
「氷神様への訪問は明日だ。ここで今日一日を寝るだけで潰すもの何だし、夕食まで帝都を見学しよう。エヴァ、お前もついてこい」
「分かった」
「帝都見学か。実は俺もないんだよな」
「じゃあ一緒なんだぼくと」
「ああ一緒だ」
「わーいわーい。久しぶりにグリゴリーと一緒のところあったー」
マーシャとグリゴリーの二人はまた喜び合ってはしゃいでいた。
準備を終えて、四人は家の外へ出た。ミハイルとエヴァの親子はマントで体全体と顔を隠している。普段もそうだが、特に戦争中のときはすぐ民衆に見つかって騒がれるらしい。
「二つの意味であまり嬉しくないことだ」
エヴァはそう語った。
街路に出ると、普段着の二人は楽し気に騒ぎ出す。
「すごいぞマーシャ。地面が見える。しかも何かの石で舗装されてる」
「建物がいっぱいあるよ。みんな大きい。何あれ、岩の木が村内に生えてるよ。これと同じ素材みたい」
はしゃぐグリゴリーとマーシャを遠目に、エヴァは頭を抑えていた。
「うるさい」
「いいことだ。子供は元気があるのが一番だ。エヴァお前も混ざってきたらどうだ?」
「私たちはもう大人だ……いやあいつらは子供か」
すぐ後ろにある家へエヴァは帰りたくなっていた。
帝都の見学は続いた。
見たことも聞いたこともない建物や都の仕組みを見て、マーシャとグリゴリーの二人は目を輝かせた。
人ごみに入った。
「マーシャ。はぐれたら困るから手貸してくれ」
「いいよー」
出された手を掴むマーシャ。隣にいたエヴァがまた頭を抑えていた。
「貴様ら。いつもそうやって年頃の男女で気軽に手を繋いでいるのか?」
「え? いや、その」
何かあったら大変だから。とマーシャは答えようとしたが、そこまで道が混んでないことに気付いた。少なくとも、ちょっと離れたところですぐに見つかる程度のものだ。
グリゴリーもそれに気づいたのか手を放そうとする。完全に離れようとしたところで、マーシャは提案してみた。
「指同士でしてみる? それならほら手ほど大事ではないだろうし」
「あ、ああ」
一度離れたところで、小指が片方から伸びた。
反対側からもそれに合わせて小指が出て、指同士を絡ませる。力の入る位置に調節して、しっかり握り合う。思ったよりも硬く、これなら混雑に巻き込まれても離さない自信があった。
二人は歩く前に顔を見合わせると、赤に染まった。意識し始めたせいか、なぜかこれだけでも気恥ずかしくなっていた。
「さっさと行くぞ貴様ら! 父上も待っているぞ!」
「わ、分かった!」「わ、分かりました!」
エヴァは叫ぶと、ミハイルのいる先へ急いでいく。グリゴリーとマーシャは指を繋いだまま、慌ててついていった。
時間が過ぎ、夜になったところで家についた。玄関の前で四人は話す。
「さて食事にしよう。従者に準備させているから、帰ったらすぐに出る」
「グリンピースは食えるようになったかグリゴリー?」
「四カ月前に克服したよ。そういうお前はアライムギのパンが食えるようになったか? 前にトランプで勝って食べさせようとした時は、家から出て夜中ずっと逃げていたよな」
そこから二人は口喧嘩を始めた。
その隣で、マーシャは気になったことをミハイルへ言ってみた。
「そういえばお二人とも全然気づかれませんでしたね?」
「当然だろ? 顔を隠しているのだから」
「いやその大きい身体は顔が見えなくても誰だか分かると思いますけど?」
わずかにミハイルが小さいが、マーシャ以外の三人はともかく身長が高かった。
帝都の人はこんなに大きいのが普通なのかと思っていたが、見学中にいた他に帝都に住む人たちと比べてもこの三人は特殊であった。
それを聞いて、ミハイルは少し黙ってから答えた。
「まずは貴女自身の治療をと、あまりこういうことは言いたくなかったが――」
言葉の途中だった。
パシッ。
マーシャのポケットのあたりで音がしたかと思うと、彼女の背後を突然現れた帝都住民らしき少年が駆け抜けていった。
すぐにポケットをまさぐる。
「あれ、お金を入れた袋が……」
「スリか!」
周囲を首を回して探すが、既に少年はいなくなっていた。




