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金髪美女、逃走

 

「凶暴さも他の比じゃないってことか……マーシャ、退がっていろ」

「う、うん」


 すぐに言われた通り安全な位置へ戻るマーシャ。


 その間にも魔獣はグリゴリーへ迫っていた。


 大砲から撃たれたような突進。


 伸ばした手を背中に置いて、グリゴリーは魔獣の体の上を飛び越えた。


 地面に着いた後、背後から攻めるつもりだ。


 着地する。

 瞬間、魔獣は反転して立ち上がった。


 振り向きざま、グリゴリーはこちらを前を向けている巨大な敵を見上げる。

 そして振り下ろされた一撃を受けた。


 足首が雪に埋まった。


 その腕がどれほど強大な威力を秘めていたのかを伺える。


 このままだとグリゴリーが潰されてしまう。

 マーシャは悲惨な未来を想像して、口元を手で覆った。


「……いくぜ。獣殺しの矢」


 魔獣の腕の下にあるグリゴリーの右拳。


 それが今、変形した。


 角度を変えて、魔獣の腕を強引に跳ね除けた。


 攻撃するために曲げた魔獣の膝に、グリゴリーは足を乗せ、そこから上方向へ跳ぶ。


 跳躍の勢いそのままに、拳から突き出した中指を魔獣の眉間に刺した。


 ――重鋼弓(クリエーストルーク)


 一点への集中攻撃。

 通常よりも密集された威力が、魔獣の肉体を貫いた。


 白眼になる魔獣。

 

 どうやら急所に当たったようで、一発で倒れてくれた。


「俺の勝ちだ。熊……マーシャ、ロープを用意してくれ」

「うん。待ってて」


 マーシャは捕縛用のロープを探しながら、グリゴリーの無事に安心していた。


 やっぱり彼は強い。

 どんな相手でもものともしないし、多分世界で一番強い人だ。


 これからも絶対に誰にも負けることなく、自分では一生及びもしない強敵も、影という男も軽々と倒していくのだとマーシャは思った。


「しかし、こいつ程度で火国の防衛線を突破できるのか……」


 火国の軍隊を想像しながら心配するグリゴリー。


 過去、グリゴリーは火国軍の本隊と接触していた。

 近くの町を侵略しに来たらしく、その途中の防衛に村ごと駆り出されたのだ。

 戦略上、侵略する優先度が低いサニュ村の時と違って、将軍がズラリと横に並び、それぞれが万に近い兵士を引き添っていた。

 いつものポツンポツンと兵士がいる光景とまるで違う。

 恐ろしい数であり、華美な装備が雪原を覆っているところは心が震えた、

 地に積もった雪を見ない日が来るとは思わなかった。


 開始後、すぐに敗戦の結果が出た。


 グリゴリーとサニュ村から出兵してきた面子にも、当然、犠牲者は出ていた。


「……」


 先程の突進を見るかぎり、ここまで高い突破力を持っているのは氷国では他にいない。

 それにあの即座の対応からは、これまたとても高い運動能力を有していることが感じられた。


 けれど、あの程度の一撃で倒れるとは。


 先程の重鋼弓は、グリゴリーにとってもこれまでにない会心の打撃だった。


 だが本隊と接触したとなると、確実に将軍と矛を交えることになる。

 あのグリゴリーと引き分けた第三将軍と同等の実力者が複数出てくることさえ有り得る。


 そう考えると、自分如きに簡単に倒される程度では。


 計画に、不安が募るグリゴリーだった。


「ロープまだか?」


 それはそれとして捕獲は行うグリゴリー。


 近隣の村の住民が避難したことでうやむやになったが、元々、山を荒らすものとして魔獣の討伐を頼まれていたのだ。 村長からも、もし魔獣が計画に使えないとしても、二度と他を襲わないようにさせておけと言われている。


 マーシャから、あったよーと答えが返ってきた。

 グリゴリーは足を逆側に踏み出して、取りに行こうとした。


 そのときだった。


 ――背筋に得体の知れぬ寒気が走った。


 グリゴリーは振り返りつつ、後ろに飛んでいた。


 胸から四つの血飛沫が吹いた。


(こいつ……気絶……してたはずなのに……しかも……さっきより速い……!)


 出血の影響か、頭が朦朧とする。


 倒れたはずの魔獣が立ち上がっていた。

 その爪から、グリゴリーの血が滴っている。


 魔獣は完全に敗北して意識を飛ばしていた。

 されど持っていた驚異的な回復能力ですぐに消耗した体力を治癒したのだ。

 そして一度気絶するほど損傷を受けたおかげで、危機の回避のために脳が活性化し、眠っていた力を引きだしていた。

 グリゴリーが避けられないほど速くなっているのはそのためだった。


 グリゴリーは転がりながらも、すぐに体勢を立て直す。


「だ、大丈夫!?」

「ああ……」


 厳しい一発ではあったが、戦闘は続けられる。


 先程と同じく突進してくる魔獣に合わせて、グリゴリーは跳んだ。


(顔をさっきまでより伏せている――熊の弱点である眉間は警戒されている。ならば頑丈な肉体の上からも通じる技を叩き込むしかない)


 ()()()を使う。

 将軍と今度戦う時の奥の手にと練習していた技。

 初めての実戦だが、成功させてみせる。


 グリゴリーは空中にいたまま、足を上下に開いた。


 そして頭より高い場所から、魔獣の脳天へ踵落としをぶつけた。

 同時に喉に刺さる下からの飛び蹴り。

 

 痛烈な二段蹴りが、魔獣に浴びせられた。


 全く同じタイミングで当たったことで、魔獣の頭部内で上下からの衝撃が爆発し、通常よりも大きなダメージとなった。

 

 やった。


 強力な技が魔獣へもろに当たったことで、マーシャは勝ちを確信する。


「がふっ」


 攻撃した状態のまま、グリゴリーの口から血を吐き出した。


 体の力が抜けて、地面に落ちるグリゴリー。


(何だ……これは……この程度の傷ならまだ戦えるはずのなのに……)


 毒であった。


 獣も昆虫も人間も氷も土も木々も、魔獣は山のありとあらゆるものを喰らった。

 その中には毒素が含まれているものや人間に有害なものも多々あり、それらの成分が爪牙を形成する一部にもなっているのだ。


 傷から受けた毒は、たった数秒でグリゴリーの体を蝕んでいた。


「がはあぁあああ!」


 魔獣は止まらない。


 突進が直撃し、グリゴリーは衝撃で空中に浮かされる。


 そのまま山の頂点から離れ、空を落ちていった。


「グリゴリー!」


 端のほうまで慌てて駆け込むマーシャ。

 下を覗くと、グリゴリーが地面へ落下していっている。

 姿が小さくなっていく。

 ついには点のようになり、視界から去っていった。

 何度も瞬きをする。

 目を疑う光景が、次々に目の前に現れた。






「…………………………………………………………………………………………………………………………………」


 いない。

 いない。

 いない。


 ずっと存在を近くに感じられたあの人が。今の自分(マーシャ)になってから隣にいてくれた人が――グリゴリーがどこにもいない。


 呼吸が苦しい。体が重い。肌の感触が失われていく。


 自分はここにはいてはいけない。

 自分の存在が消えていく。


 もう嫌――


「――うわ!」


 混乱していたマーシャの思考を中断したのは、魔獣の咆哮だった。


 まともに立ってられないほどの音量が耳から頭を揺らした。


 態勢を整えると。魔獣はマーシャへ襲いかかってきた。


 マーシャは近くから離れようととしたが、足がまともに動かなかった。

 咆哮は体内をも揺らし、平衡感覚まで狂わせたのだ。

 混乱から目覚めたマーシャは、それでも逃げようと躍起になる。


(助けなきゃ。こいつから逃げて、グリゴリーを助けないと)


 魔獣は獲物の考えなどお構いなく、その太い爪でマーシャの肉体を引き裂こうとしていた。


 飛びかかる魔獣。


 それでも、マーシャは最後まで諦めなかった。


 目を反らさずに、迫ってくる爪を避けようとする。


「……え?」

 

 当然、マーシャの運動能力では魔獣の攻撃など回避出来るはずもなかった。


 ――だが、その意志を天が見放さなかったとでもいうのか。


 音も無く、氷の柱が魔獣とマーシャの間に出現した。


 全体重をかけて魔獣は柱にぶつかった。

 鼻先が潰れて赤くなるともに絶叫する。


 魔獣が痛みを回復しようとする間に、再起した足でマーシャは頂上から逃げ始めた。


「何あれ? 何かの現象?」


 突如頂上に上昇した氷の柱に、マーシャは困惑するしかなかった。


 だけど今はそんなことを気にしている場合ではないと、グリゴリー目指して走った。


 頂上までの道を短縮したあの洞窟の出口が見えた。

 

 マーシャは躊躇うことなく入り、坂を滑っていった。


 四足の動物というのは、前足と後ろ足が合わないため下り坂が苦手だ。

 この知識があったため、移動を速くするのもかねてマーシャは勾配の強いこの道を選んだ。


 されど、マーシャは失念していた。

 何の目的で、そのために何を辿って自分たちがこの洞窟に入ったのかを。


 回復した魔獣が洞窟に入ってきた。


 バランスが崩れるのを嫌い、もたついて遅くなる姿をマーシャは予想した。


 魔獣は平面の頂上と変わらぬ速度で突進してきた。


「えええ!?」


 日頃この道を使い慣れている魔獣にとってはこれしきのことは造作もなかった。


 マーシャを食うために牙を立てて首を伸ばした。


 万事休す。


 魔獣の上顎と下顎がくっついた。


 食われたのは背負ったリュックだった。

 いかに魔獣と言えど斜面を滑りながらの捕食は慣れていなく、狙いを外した。


 心臓が縮こまる思いをしたマーシャ。


 後方で荷物が砕けていく音に怖がりつつ、先に坂を降りると真っ暗な空間が前に広がっていた。

 光を灯そうにも、マーシャはカンテラに火を点けられない。

 ここまで歩いてきた記憶を頼りに、入り口にしていた場所へ走っていく。


 魔獣が落ちてきたのを聞いて、マーシャは背後から迫ってくる音に耳を傾ける。


「うそ!?」


 速い。

 これでは出口の前に追いつかれる。


 全力で走る。

 ともかく足を上げ、地面を強く蹴る。

 胸の辺りが辛くなってくる。


 必死の走行にも関わず、洞窟を出ることすらなく魔獣に追いつかれた。


 魔獣にとっては目なんて使えなくても、匂いで獲物の居場所は分かる。

 今度こそ外さないように注意して、逃げていく方向に合わせて腕を横振りした。


「わっ!」


 石につまずくマーシャ。


 倒れた途端に、その上空で豪腕が空振りした。


 ゴウッ!


「危なっ!」


 マーシャは安心感を覚えるが、すぐ近くにいる魔獣の脅威に怯えて、浸るなんてことはせずに出口に向かおうとする。


 魔獣もこのぐらいの失敗では諦めない。

 すぐにもう片方の腕で叩き潰そうとした。


 その目に小さく鋭いものがが入りこんだ。


 謎の存在の出現で動きが止まる魔獣へ、立て続けに小さく鋭いものが当たっていく。


 キーキーと蝙蝠の金切り声が洞窟内部に響く。


 この山で魔獣に食われなかった唯一の動物たちだった。

 今まで深い闇に潜んで魔獣から隠れていたのだが、魔獣が攻撃のために腕を振るった姿を自分たちへの襲撃だと勘違いして、反撃を始めたのだ。

 足の爪で弱点を引っ掻いていく。


 マーシャに構っている余裕はなく、手出しをしてこない。


「ありがとう」


 この機に乗じて、マーシャは洞窟を脱出した。


 ここからの道は完全に覚えている。

 早くグリゴリーを探して、山から脱出しないと。


 マーシャは休む間もなく、木々の間を走っていった。


 同じ種類の木が集合した一帯。

 慣れていなければ迷ってしまいそうであったが、マーシャの記憶は正確で、出口へ真っ直ぐ進んでいた。


 広場に戻った。

 後は連続する斜面を降りるだけだった。


 マーシャの前に、魔獣が回り込んできた。


「……うそ……でしょ」


 魔獣の体毛に、蝙蝠の肉体の一部が絡まっていた。


 ここに来て、魔獣に追いつかれた。

 もはや姿を見失っていたと思っていた。


 マーシャは絶望の淵に立たされた。


 森へ逃げようとするが、魔獣の眼光により、動くことが出来なかった。


 抵抗したら即座に殺す。


 魔獣から怒りが伝わってきた。

 

 片手間で終わるはずだった餌取りが長引き、あまつさえ傷が付けられた。


 魔獣はもはやマーシャを食糧ではなく、一種の敵と扱っていた。

 

 食うのではなく、痛めつけて悲鳴を口から出させて哀れな醜態を晒させるつもりだった。


 じっくりと魔獣は近付いた。

 張り付いていた蝙蝠の死体が外れ、血が滴り落ちる。

 

 マーシャは声も出せず、立ち尽くすことしか出来なかった。


 魔獣が後一歩を踏む込む直前に、森から二匹の小型獣が飛び出した。

 

 小型獣はそのまま魔獣へ食らいついた。


「あなたたちは!」

 

 マーシャにとってその二匹は見覚えがあった。

 

 バラバーンヴォルフたちに襲われていたところを助けた幼獣の両親だった。


「危ない!」


 また魔獣は狩りを邪魔されたのだ。

 

 湧きあがった怒りをぶつけるように、力強く小型獣を振り放した。

  

 すると離された小型獣は遠くに飛んでいくわけでもなく空中で回転し、まるで空気を蹴ったように動くと、魔獣へもう一度牙を食いこませた。


 目の前で起こったことは、マーシャの予想とは真逆のものだった。


「え?」


 何匹いても及びそうにもない小さな二匹が、魔獣を翻弄していた。

 

 対する魔獣はさらに増した怒りをぶつけようとするが、そのせいで冷静な判断が出来ずに、何の工夫もなく力任せに小型獣を振り放し続けている。

 そのたびに小型獣は翻って、反撃する。


 自分の知識ではとうてい考えられない光景を、マーシャは呆然と見ている。


 横から、トテトテと雪を潰さないくらい軽い足音が聞こえてきた。


「クゥ~」

「うわあなた。久しぶり」


 あのときの獣の子だった。

 少し成長したのか、体格が大きくなり、後ろ毛の量が増えている。


「君の両親大丈夫なのあれ?」

「クゥークゥー」

「あっ、どこにいくの?」


 近付いてきたと思ったらマーシャから離れる獣の子。

 ある程度まで離れると振り返る。

 まるで、ついてこいと言われているような感じがした。


 両親の二匹は未だに魔獣からまともな一発も受けていなく、それを見て、自分がいても何も出来ることはないとマーシャは獣の子を追った。

 獣の子も走行を再開する。

 

 一定の距離を保ちながら走り続ける獣の子。


 いいかげんマーシャも限界であったが、気を保ちながら追走していく。


 知らない道に入った。

 不安ながらもついていく。

 分かれ道を何度も曲がる。

 

 本当にこのままついていっても平気?

 

 懐疑心を持つが追い続ける。


 三十分ほどだろうか、いやもっと短かったかもしれないし、逆に長かったかもしれない。


 もはや正確な時間まで測れないほどマーシャの疲労は貯まっていた。


 それほどの時間をかけて森を出ると、平原に出た。

 

 いつのまにかブリザードがやんでいた。

 夕日が、水平線上に浮かんでいる。


「……いた!」

 

 平原の中央に、グリゴリーが伏せていた。


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