グリゴリーVS影
広場に、影はいた。
門まで地続きになっている村で一番大きな通りの入口を、背にして立っている。
昼間までの大雪のせいで村中が雪だらけだった。
広場も例外でなく、影も膝まで雪に浸かっている。
月が影を照らす。影は人の形をしていた。
黒布を全身に纏って本体への光を遮断している。
それなりに大きいようだが夜もあいまって、実際の体格を推し量ることは無理であった。
影の足元に、体を反転させた形跡がった。
逃げるつもりであったのだろう。
けれどさすがに同じ部屋の壁と二階から地面の衝突ではその衝撃の差は大きかったのか、グリゴリーよりも回復に時間がかかってしまい、つい先程出口を目指し始めたようだ。
グリゴリーは影の状態を理解すると、声をかける。
「俺は運が良かったみたいだ。もし雪で足跡が残っていなかったら、あんたは目的達成で安全に逃げられてもいただろうな」
「……どうして侵入が分かった?」
くぐもった声が聞こえた。
これでは詳しい正体どころか年齢すら判別が出来ない。
グリゴリーは情報を得られないことを残念に思いつつも、返事をする。
「二か月前うちに来た盗賊と雪崩。あれあんたが仕掛けただろ?」
「!?」
若干の動揺が見られた。
グリゴリーはそれを感じ取ると、煽るように話す。
「へえ。あれあんたがやったのか。カマをかけたつもりが、こりゃとんだ大当たりを引いた」
「……」
影が悔しいと思っているのが、布の下から伝わってくる。
「でも目星をつけていなかったわけじゃないんだ……雪崩の後、助けた盗賊たちから俺の家を狙ったのは誰かに依頼されたことを聞いてね。その依頼人は「好き勝手やれ。邪魔するものは殺していい」と言ったらしい……だからいずれ来るだろうと、警戒していた」
「……所詮は賊か。要求分は全て払ってやったのに」
「いくら人の道から外れた外道でも、そりゃ自分の命を奪われそうになれば裏切るさ……それに賊だけじゃねえぜ。あんた、あのルバナって火国の十人長もけしかけてきただろ?」
「……」
「当たりみたいだな」
ルバナが氷国軍に捕まった日、尋問を彼は受けた。
そこで得られた情報の中に、影の行動らしきものがあった。
『しばらく前から、俺様に欲しい情報をくれる奴が現れたんだ。出世できたのもそいつの情報のおかげで仕事が上手くいったからさ。そいつがここを襲えって言ってきたんだ。ここを占領すれば、十二将軍も夢じゃないと……そして襲撃の時は、危険だから若い女は全員殺せって』
グリゴリーは影に語る。
「そもそもおかしいと思ってたんだ。あんな他に人のいないところわざわざ来て、金も持ってなさそうな家を狙う盗賊もそうだが、さらにちょうど都合の悪い時に大きな雪崩が来るなんて有り得ないんだよ。偶然だとしたら、どんな奇跡的な確率だ。しかも小さいのならまだしも、丘を巻き込むほどでかいのだと予兆があるに決まってるからな。誰かが狙ってやってるのは分かっていた」
災害とは恐ろしいものだ。
広大で強烈で、時に多くの人を巻き込んでいく。
しかし基本的には自然現象だ。
あの小屋周辺の環境を全て把握しているグリゴリーからしてみればある程度の予測は出来たはずだった。
例外があるとすれば、知識の外にある現象か人為的なものの二つであった。
どちらの可能性もあったが、当時マーシャが見たという謎の人物から、そいつがやったのではないかとグリゴリーは当たりをつけていた。
結果、影はマーシャを殺害しにきた。
「あんたがマーシャを襲って、記憶喪失にした犯人だろ? だからあんなことまでしてマーシャを殺そうとしたんだ。でも今日で返してもらうぜ。あいつの記憶」
「……」
影は答えない。
沈黙した状態で、戦闘態勢に入った。
対するグリゴリーも足を広げて構える。
「どうやら、たたじゃ吐かねえみたいだな」
「……」
両者ともに纏っている空気が変わった。
近づけばそれだけで、かかる重さに倒れてしまいそうだった。
そんなもの増えた重力の中心にいながら、グリゴリーは影との対面に内心ほくそ笑んでいた。
(……久しぶりに強い奴と戦える)
村に来てからの間、何度か火国の侵攻があったが二カ月前に来たあの第三章軍に及ぶほどの兵士はいなかった。
狩りでいくつかの獣と対峙したが、決して目に留まるものはいなかった。
その他様々なものとも戦闘をこなしたが、誰もが自分の全力を引きだせる相手ではなかった。
(この男は違う)
回避の時の身のこなし、投擲の精度、蹴りの威力。
どれもが自分と同等の力を有していた。
(自身の全力を試せるとはいいものだ。高揚が抑えきれない)
昂りと共に集中力を上げて、グリゴリー目の前の相手と対峙する。
影の構えを見る。
肩幅程に開いた両足を、それぞれ前後に置いている。
左足を前に置いたそれはグリゴリーと同じ開き方だった。
足と同様に奥に置いた右拳は腰辺りに、手前の左は肘を閉めずに伸ばしている。
(近いが、違うな)
極端に半身になった胴と言い、原理は似ているようだが確かにこちらの構えと違っていた。
おそらナグボイジョンよりも拳に比重を置いた流派だ。
使用する技の把握を済ませると、グリゴリーは踏み込んだ。
影も分析が終わったのか、全く同じ瞬間に距離を狭めた。
両者は一歩ずつ相手の出方を伺いながら接近する。
呼吸を変え、わずかに動いたりなどして相手を崩そうとしている。
しかしどちらも下手に動くことをせず、己を確立していた。
どちらも仕掛けないまま、残り数歩というところまで間は薄くなった。
「コンティスションは使わないのか?」
影が発した声。
虚を突くためのものかと思ってグリゴリーは警戒心を高めたが、影に変化はなかった。
どうやら本当に、ただの質問だったらしい。
グリゴリーは決して目線を切らさないまま、応じる。
「俺のコンティスションはしょぼくてね。実戦向きじゃないのさ」
実際、影の疑問も不自然なものでなかった。
ナグボイジョンを身に付けた他の者たちでも、戦闘はまずコンティスションから始まる。
遠距離ではコンティスションを撃ち合って、その戦いで負けたものが距離を詰めて近接戦に持ち込む。
それが一対一でのセオリーだ。
氷国どころから別の国でどこの流派に所属しようが、それは大きく変わらなかった。
「こちらもだ……」
影が言った。
コンティスションを使用しない者同士の戦闘
やることは決まっていた。
「そらよ!」
グリゴリーは腰を屈めて、手を地面目掛けて振るう。
雪を掬って、空中で握って、投げた。
――鏃。
雪は強力な握力によって圧縮されて、石に近い硬さを得た。
アンダースローによる変則軌道。
おまけに積もった雪の中という足場の悪さは、回避の難易度を大幅に上げる。
ゴツン。
まともに顔面にもらう影。
遠距離から次々とグリゴリーは鏃を飛ばしていく。
「そっちは飛び道具を使わないのか! ならこのまま一方的に勝たせてもらうよ!」
左右交互に雪玉を投げる。
影は避けられずに攻撃をそのまま浴び続ける。
(いつまでも受けられるはずがない。奴は必ず回避行動に出る。この地面のコンディションで躱すなら、バランスを崩して大きく体を動かすしかない。そこを狙う)
敵の次の行動を予測するグリゴリー。
予想通り、鏃に当たり続けていた末に影は動いた。
前へ。
構えたまま、グリゴリーまで一直線に近づいてくる。
連射される鏃。
影は両手を前にして、飛来する雪玉を空中ではたき落とした。
体感速度が増して、威力が上昇した鏃を弾きながら、前に進んでいく。
どうやら今まで動かなかったのはこのためだったようだ。
あえて正面から受けることで、鏃の軌道を見抜いたのだ。
投げ方を変えるものの、影は難なく打ち落とす。
もはや鏃は完全に影に通じなかった。
「……なら……こいつはどうだ!」
グリゴリーは分けていた両手をくっつけて、シャベルのように雪の中に深く手を入れる。
そしてそのまま勢いよく、掬い上げる。
大量の雪が影に襲いかかる。
両腕で顔を抑えて防御した。
雪に威力はなかった。
両腕に当たるとすぐに周囲へ飛び散っていく。
構えを戻して、再度、前進しようとする影。
腕を開けると――目前にグリゴリーが既に迫っていた。
「!?」
先程まで二人の間には八、九歩ほどの距離がまだあったはずだ。
どうやって瞬時にここまで来たのか? また音も無かったのは何故か?
――雪竜。
ナグボイジョンの特殊な移動法だ。
雪中での摺り足。
達人ともなれば、頭まで雪に埋まった状態でもこの技で移動できる。
グリゴリーは勢いを活かして、右拳を放つ。
(ここまで雪に足が埋まっていると、蹴りは安易に使えない。殴り合いだ)
腕で防ぐ影。
不意打ちに備えきれず、グリゴリーの拳の勢いに持っていかれる。
大きく後退した。
追撃するグリゴリー。
影が反撃に転じていたことに気付いた。
(間に合わないと思ってわざと飛ばされた! しかもこの環境に慣れるのが早い!)
高速で迫る影の拳。
グリゴリーも止まることなく自分の腕を伸ばす。
交差する左右の拳。
グリゴリーが放ったのは利き手の右を打ちこむと見せかけた左の握り拳。
その陽動は影の虚を突くが、影から伸びる右拳のほうが速かった。
土台である雪に太腿まで埋まるほど体重が乗った打撃は、正確にグリゴリーの顎を砕こうとする。
互いの腕が擦れる近接状態になると、下にあった肘が曲がり、上側の腕を浮かした。
影の拳は逸れ、グリゴリーの耳を削る。
その脇には、満面の笑みがあった。
即座に回り込むように腹から頭への二連打。
防御が下がり、がら空きになった横っ面へ全力で叩きこんだ。
「くっ」
力を注ぐために噛みしめられた口元から、グリゴリーの悔しい声が漏れた。
透かされた感触がした。
拳の動きに合わせて影は首を回し、衝撃を逃していたのだ。
影は組んでいた右腕を引っこ抜き、左右の連撃を与えていく。
「……!」
「ぐぉおおおお」
巨大な一粒一粒が落ちてくる雹のような猛攻を受け、グリゴリーは守りに専念するしかなかった。
勢いに押され、連撃に晒されたまま家三軒ほどの後退をさせられた。
その異様な姿の通り、疲れがないとでも言うのか、連撃はさらに鋭く加速している。
タイミングを読んで、グリゴリーは最短距離で反撃の肘を当てた――すぐに逆側から黒の拳が左顎へ振り下ろされた。
頭の中が空白になりつつも防御を固め直すグリゴリー。
影は構うことなく腕の上から黒の拳を思いっきり叩きつけていく。
やがて顔面の乾いた皮膚から血が飛び散った。
露出している部分は傷や内出血の跡が多数あり、服は中から出る血が染み込んでいて、グリゴリーの全身はもはや血塗れだった。
僅かに出来た隙間からのダメージに、膝が落ちかける。
(相当の胆力。その上この押し込まれた状態から勝つには、これしかない)
思考を断ち切るように、下からの打撃によって閉じていた両腕がこじ開けられた。
布下にある影の目と目が合う。
相手を仕留めるために、影は真正面から拳を打ちこんだ。
寒空の下で、岩が砕けた時に聞こえるものと近似した低い音が響いた。
影の右拳がグリゴリーの顔面に衝突していた。
わずかに本来の軌道上から下がった位置にある影の拳。
グリゴリーの頭突きを見抜いて、急降下させたのだ。
これで決着かと思えたが、なぜか攻撃に成功したはずの影がうめき声をあげた。
そして直撃をもらったグリゴリーが、得意げな顔になっていた。
「零天……成功……」
氷の塊のように固くなる顔面。
予想外の硬さは、逆に攻撃した側に破壊をもたらした。
骨が砕かれかのような痛みに影は拳を離すと、手打ちの打撃が影の目と鼻を襲う。
表情は見えないが効いたらしく、影は飛び下がった。
「しゃぁああ!」
好機とみて、吠えるグリゴリー。
隙だらけになっている影へ、グリゴリーは全ての力を込めた一撃をぶつける。
伸ばすように足を下ろし、足首と腰を回転させ、そして逆転させる。
拳は強く握りしめられ、溜めこんだ力が爆発して加速する。
手袋の色も相まって、伸びていく拳はまるで流星のようだった。
――漆黒の鎌が、光線を切り裂いた。
次の瞬間には、グリゴリーのこめかみに影の左拳が刺さっていた。
弧を描いた一撃だった。
グリゴリーの伸びた腕と交差するように、視界外からの打撃を先に当てた。
攻撃のために目の前に集中し過ぎたことで視野狭窄に陥っていたのだ。
渾身の感触に震えつつ、影はグリゴリーの体が沈んでいくのを感じた。
「……」
影から安心した息が漏れた。
落ちていくグリゴリーの上から、マーシャがいる部屋を見つめる。
幸い、この男以外には自分の姿は気付かれていない。
目的を果たすため、疲労と怪我でもう歩くのもつらい体を移動させようとした。
影の首を、別の誰かの手が掴んだ。
「!」
「……まだ終わってねえよ」
尖った膝が影の腹を貫いた。
離れていく膝、するともう片方の膝が突き刺さった。
「おらおらおら!」
「うごごご……」
グリゴリーは何度も何度も膝蹴りを影の腹にぶちこむ。
影は抵抗するが首を掴まれているせいでまともな体勢が取れず、力が発揮できない。
弱点を狙おうにも、拳で迎撃しようとする頃には首ごと体が振り回させて躱される。
「俺と似た流派のようだが、どうやら氷踊は知らないようだな! こうなってしまえば、多少蹴りにくくても問題ない!」
「くっ」
グリゴリーは時に蹴りやすい姿勢に影を持っていき、時に反撃を空振りさせる位置に影を持っていく。
今や完全に、影はグリゴリーの両腕によって操作されている。
たった一瞬で、勝敗の行方は逆のものへと変わっていた。
影は思う。
(何故この男は立っていられる?)
完全に自分の合わせの一撃は、決まったはずだった。
急所への打突。
零天も発動していなかった。
実際、意識も落ちたはずだ。
なのに何故、この男は今も元気で自分を攻撃している?
影の肩に、白い粒が落ちた。
跳ねて、雪の中へ落ちる。
粒は雪に溶け込まず、赤い液体で周辺を染めた。
それは、グリゴリーの歯だった。
よく見ると他にも落ちている。
影の拳によって貫かれる直前、ギリギリでカウンターに気付いたグリゴリーは全力で歯を噛みしめ、左肩を自分の頬へ突き出した。
拳が当たると顔は吹っ飛び、肩にぶつかる。
当然、挟まれることによってパンチの衝撃は逃げず威力は増す。
けれど増した威力は急所のこめかみだけでなく歯にもかかった。
粉砕。または抜ける歯。
失神後も歯を失った激痛は続き、やがてグリゴリーの意思を覚ます。
意識を保っていたのではない。眠っていたものを強引に起こしたのだ。
冷たい汗が噴き出す猛烈な痛み、体の端から感覚が薄れていく痺れ、そしてときおり飛びそうになる意識に苛まれながら、グリゴリーは影を操作して膝蹴りを続ける。
限界を超えてもなお、攻撃が止まる気配がなかった。
やられながらボソリと呟く影。
「あの女に、そこまでするほどの価値はないぞ……」
「何っ!?」
動揺するものの、攻撃を止めないグリゴリー。
ここを逃したら、完全に勝機が失われる。
右膝を、みぞへぶち込む。
「グボォ! あの女はお前の何なんだ? いつのまにか勝手に転がってきただけだろ?」
左膝で横腹を打つ。戻して、右膝で逆の横腹を突く。
「あの女がお前に何を与えた? 家を壊し、お前を疎む村にいさせて、こうして傷ついて。そこまでしてあの女をお前が守る必要なんてない」
「てめえでやったことを棚に上げてんじゃねえ!」
「ゴフッ!」
肘で後頭部を打って落ちてきた顔面へ、膝を入れる。
発条のように後方へ影の首が飛んだ。
さらに膝の連打は続く。
影が弱っていくのが肌で分かる。もう少しでグリゴリーは勝利する。
「それにあの女は……」
「おらおらおら!」
「……さすがに……もう限界だな」
「何を……くっ!」
しかし勝敗が決する寸前で、両者は飛び退くように離れた。
影は門へ逃げる。
当然グリゴリーは追走するが、影から放たれた青白い息吹を前にして雪を蹴り上げた。
雪は空中で完全に静止した。
いや正確には地面と繋がったまま一つの塊となっていた。
雪が凍ったのだ。
グリゴリーは塊を避けて、門への方向に顔を出す。
影の姿はどこにもなかった。




