最終話 王様の終わり
森の奥深く。人の気配も少ない静かな場所。
小さな湖のほとりに、リシェルは悠を連れて降り立った。悠は草の上に座り込む。まだ頭が混乱していた。
神との戦い、転生、魔王、勇者。全てが終わった。もう王ではない、もう戦う必要もない。それなのになぜか、胸の奥が苦しかった。
「……リシェル」
「はい」
彼女は隣に座る。悠は空を見上げ、語り始めた。
スライムだったこと、鯉だったこと、カニ、蝶、ワイルドボア、熊、狼、リザードマン、スケルトン、オーク、コボルト、ホブゴブリン、オーガ、サソリ、吸血鬼、蜘蛛、魔王。王になり、仲間を作り、守り、失い、裏切られ、殺され、また転生したこと。
悠はぽつぽつと語った。途中から声が震えていた。
「本当はな、怖かったんだ」
何百年、何千年。王だから弱音を吐けなかった。誰かを守るために立ち続けた。でも本当は、ただの人間だった。
「疲れたよ……」悠は俯いた。
その言葉と共に、涙が溢れた。悠はリシェルを抱きしめる。まるで迷子の子供のように、肩を震わせながら泣いた。
「もう嫌だったんだ……何度も死ぬのも……何度も王になるのも……お前を失うのも……」
涙が止まらない。リシェルは何も言わなかった。ただ優しく抱き返す。そして少しだけ困ったように笑った。
「泣いてるあなたは格好良くないですね」
悠が顔を上げる。リシェルは微笑んでいた。昔と同じ、優しい笑顔。
「だから」と彼女は言った。「今度は私があなたを育てます」
「え?」
「立派な人間になるまでです」
悠は思わず吹き出した。「俺、子供扱いかよ」
「そうです」
「ひどいな」
「ふふっ」
二人は笑った。
その日、長かった王の人生は終わった。そして普通の人間としての人生が始まった。
数年後。リシェルの話だと魔王軍と人類軍は和解したらしい。もう、俺には関係ないが……。
森の小さな家。朝日が差し込む。
畑では一人の男が鍬を振るっていた。悠だった。すっかり日焼けし、手には農作業の跡が残っている。かつて魔王だった男は、今では立派な農夫だった。
「おとーさーん!」
元気な声が響く。振り返ると、小さな女の子が走ってくる。娘だった。その後ろでリシェルが笑っている。「転ばないでくださいねー」
「だいじょうぶ!」
娘は悠に飛びついた。悠は苦笑しながら抱き上げる。「元気だな」
「えへへ!」
無邪気な笑顔。それを見ていると自然と笑顔になる。リシェルも隣へ来た。穏やかな風が吹き、鳥が鳴き、遠くで川の音が聞こえる。
平和だった。何もかもが。
悠は空を見上げた。数え切れない転生、数え切れない死、数え切れない別れ。地獄のような人生だった。しかし今なら少しだけ思える。
(あの経験はこの幸せのための試練だったのかもしれないな)
娘が笑う。リシェルが笑う。その笑顔を見ながら、悠は静かに呟いた。
「楽して王様になんかなってもゴミだな」
本当に価値があるのは、誰かを守ること、誰かと生きること、そして当たり前の日常を大切にすること。
悠は娘を抱き上げる。リシェルが隣に立つ。二人の笑顔に囲まれながら、悠も笑った。
終




