第52話 沼の魔女
重く、湿った空気。
夜霧が漂い、沼の底から泡が立ち上る。
悠。今は“トードロード”と呼ばれる蟾蜍の
王は、濁った水の中で目を開けた。
周囲には無数のカエルたちが跪いている。
彼の存在に怯えながらも、王の命に逆らえぬよう震えていた。
(……もう、王って呼ばれるのにも飽きたな)
そう思いながら水面を眺めていたその時。
ざわり、と空気が震えた。
霧の中に、女が立っていた。長い黒髪に、沼と同じ色の瞳。手には杖。肌は死人のように白い。
「……ようやく見つけたわね、“王”」
悠は思わず身構える。
(人間……? いや、違う。魔力が濃い)
女はゆっくりと歩み寄り、泥の中に膝をついた。
「はじめまして、沼の王。私は“リシェル”。この地の魔女よ。」
悠は喉を鳴らした。
(魔女……? 俺を殺しに来たか?)
リシェルは首を振る。
「殺す? ふふ、違うわ。むしろ共に治めに来たの。」
リシェルは沼に小さな“光の塔”を建てた。
魔法で霧を操り、腐った水を浄化し、植物を育てた。
その力で、沼は少しずつ変わっていった。
暗く、死を孕んだ地が、やがて命の息づく“国”へと姿を変える。
悠はその様子を見守りながら、久しく感じたことのない感情を覚えた。
(……誰かと、一緒に何かを作るのは、悪くないな)
夜。
塔の上で、リシェルが言った。「あなたは変わっているわね。王なのに、支配を望まない。」
悠は笑った。
(支配するたびに、俺は死んできたからな)
「でも、あなたは“生まれ変わる”のでしょう?」
(……ああ。スキル《キング》が、勝手にそうする)
リシェルは興味深そうに首を傾げた。
「王である限り、あなたは“死に続ける”。
なら“死なない国”を作ればいいじゃない。」
(死なない……国?)
「命はいつか終わる。けど、形を変え、沼に還る。それを“永遠”と呼ぶの。」
悠はその言葉に、ほんの一瞬、胸の奥が揺れた。
(……永遠か。それが、このスキルの答えかもしれないな)
数週間後。
沼には、魔法で造られた“浮かぶ都市”が広がっていた。
沼の生き物たちと魔法生物が共存し“静かなる国”と呼ばれるようになった。
しかし……。
《スキル《キング》発動:統治領域拡大》
《外界干渉発生:周辺王国より侵攻予兆》
悠の表情が曇る。
(……また来たか。今度は人間の国か)
リシェルは淡く笑った。
「“永遠の国”を作るなら、外の喧騒なんて、沈めてしまえばいいのよ」
悠は彼女の横顔を見つめた。
(……お前も、きっと孤独なんだな)
霧が濃くなり、沼がゆっくりと世界を飲み込み始める。




