【3-3】白の国から赤の国へ行く途中:3
てっきり尋問の一つもされるのかと思っていたがそんなことはなく、予想外に暇な時間が訪れたので、私がただベッドに座ってぼんやりとしていると、扉がノックされる。
女騎士が僅かに開けて小声で会話するのを、私はぼんやりと見ていた。
何の用だろうと思ったが、それはすぐに分かった。
「姫様、歩けますか」
女騎士が私の傍に来てそう聞いて来たので、私は頷く。
歩けない訳がない。それとも、歩けないように見えるほど私は弱々しいのだろうか。
しかし、私が頷いたにも関わらず、女騎士は数秒だけ思案する様子を見せて、小さく「失礼します」と言うと身を屈め、私を抱き上げた。
「何を……!」
私が悲鳴じみた声を上げるも、
「履物を用意するまで、ご辛抱願います」
と、被せるようにそう言われ、ふと気づく。
私はずっと裸足だった。
私は宿屋の一階にある浴室まで連れて行かれたが、女騎士が少し待つように言って姿を消す。
共同で使用される浴場らしいが、話を通してあるのか、他の宿泊客の姿は見えなかった。
湯が張られている大きな浴槽を眺めていると、何故か動悸がし始めて、寒くもないのに身体が震え出す。
膝が笑い、あと数秒すれば座り込んでしまうのではと思った所で、扉が開いた音がする。
私がそちらを見れず、ただ身を縮こまらせていると、
「お待たせしてすみません」
女騎士の声が聞こえた。それだけで何故か安堵の息が漏れた。
ようやく顔を向けると、そこにいたのは女騎士だけではなく、恰幅の良い壮年と思われる女性と若い女性もおり、若い女性は先刻首を撥ねられそうになっていた人だった。
私が女騎士に視線で問うと、彼女は僅かに表情を和らげて言って来る。
「この方達が入浴を手伝って下さいます。私は外で待っていますので、時間は気にせずゆっくり温まって下さい」
「え……でも」
私の戸惑いを余所に女騎士はさっさと出て行き、私と女性二人が取り残される。
恰幅の良い女性が私に近付き、にこりと笑った。
「お嬢様のお手伝いをさせて頂きます。私はモアナ。こっちはフーレ。私の娘です」
「よろしくお願いします」
口々にそう言われ、私は頷くしか出来なかった。
服を脱がされたが、胴体部分を布で巻かれてから湯に浸からされる。
湯加減はそんなに熱くなく、しかし温いというほどでもない。長湯を前提とした加減なのだろう。
「少し目を瞑って頂けますか?」
「ええ」
言われた通りに目を瞑り、僅かに顔を反らせると、ゆっくりと額の辺りから湯がかけられる。
湯気に交じって花の香りがしたが、髪用の石鹸だろう。
「目を開けていいですよ」
モアナの声に目を開け、なんとなく大きく息を吐く。
モアナとフーレの手によって私の髪に泡が擦り込まれ、丁寧に汚れが落とされていく感触がした。
「まあ、綺麗な髪の色。洗い終わったら、香油も使いましょうね」
背後から感嘆の声を投げられたが、実感が湧かない。髪に香油を使ったら、どうなるんだっただろうか?
些細なことだが思い出せないことに不安を感じて、思わず声を出す。
「そこまでしなくてもいいわ」
「お嫌いでしょうか?」
「別に、そういう訳では……」
私がぼそぼそと言うと、モアナが快活に笑った。
「なら、使わせて下さいな。こんな美しい髪のお手入れをしないなんて、勿体ない」
美しい?
私の髪は美しかっただろうか。
自答自問している内に洗髪は終わり、湯から片腕を出すように言われたので従うと、私の腕をフーレが支え、モアナが泡を含ませた柔らかい布でゆっくりと擦る。
片腕が終わったらもう片方と洗われて行くのを眺めていたのだが、先程から気になっていたことを口にした。
「あの、フーレ……?」
一瞬、呼び捨ては大丈夫だろうかと思ったが、彼女は顔を私に向けてにこりと笑ったので、ほっとする。
その笑みに勇気を得て、私は続けた。
「あの、さっきはごめんなさい。私のせいで……」
「さっき? ……ああ」
フーレは小首を傾げてから、笑みを深めた。
「お気になさらず。高貴な方に最初にお出ししたのが粗末な食事で、申し訳ないくらいです!」
「でも」
気を遣われているのだろうか、と私が戸惑うと、モアナが声を上げて笑った。
「お嬢様、口止めされていましたけど言っちゃいますね。実はあの後、謝罪を貰ったんですよ。怖い目に遭わせてすまないって」
「……謝罪? 誰に」
「あの大柄な男性ですよ。お嬢様を抱えて連れて来られた方。お嬢様の分まで謝って頂いているので、気にすることはありません」
内緒ですよ、と私の腕を洗う手は止めないままそう言われ、ブレネントルカのことだと思い至る。
ブレネントルカが謝罪? 残虐な国王が庶民に? 人違いでは?
私が思考をぐらつかせていると、フーレが私の顔を伺うように問うて来た。
「少し残されてましたが、やっぱりお口には合いませんでした?」
「え? いいえ! そんなことは。……温かくて、美味しかったわ。全部食べたかったけれど、入らなかったの。本当よ」
世辞だと思われてはたまらない、と私が語気を強めて言うと、フーレが目を細める。
「良かった。うちにはもっと美味しいメニューがあるんです。いずれ、お嬢様にもお出し出来ると思います。楽しみにしてて下さいね」
「ええ。……ええ」
私が何度も頷いたところで、頬の上を何かが流れる感触がした。
「あら、痛かったですか? 強く擦ってしまったかしら。ごめんなさいね」
モアナが少し慌てたように手を止めたところで、フーレが咎める声を出した。
「もう、母さんは雑なんだから!」
「あんたよりはマシだよ! 今日も皿洗いで何枚割ったんだい」
「ああ……喧嘩しないで……」
私が困って声を出すと、モアナが口喧嘩を止めて、そっと私の頬に指先で触れた。
そして、子供に言い聞かせるように、柔らかく笑う。
「……寒かった上、ずっと緊張されてたんでしょう。お身体があちこち、ガチガチに強張ってましたよ。……こんな若くてか弱いお嬢様が、可哀想に」
「………………」
掌で頬を温めるように撫でられて、私の目からは更にぼろぼろと涙が零れ、口からは嗚咽が漏れる。
私がしゃくりあげ始めると、フーレが湯船に躊躇なく入り、私の背を支えるように抱き締めた。
「怖い目に遭ったんですね。もう大丈夫ですよ」
大丈夫。
その一言だけで、凍っていた何かが解けていくような気がした。




