6:朝食時の談話
食堂に現れたマリーを見てルットは目を剥いた。驚きのあまり、食事の準備をしている手が止まる。
「どうしたんですか、その恰好。クローゼットの衣装はどれを着てもかまわないんですよ」
「この方が動きやすいのよ」
へへっと笑ったマリーがくるりと回る。村にいた時と同じ、まるで羊飼いの少年のような、シャツに長ズボンという恰好だ。手には麦わら帽子も持っている。
大股で歩き、テーブルに帽子を置くと、昨日と同じ席に座る。朝食が準備され、相席するルットの分も向かえに用意されていた。
「昨日、ここで話したじゃない。ハウイット領でやっていることを実践すれば、イーノック領だってましになるって。だから、この目で確かめに行くの」
「だからって、なぜその恰好……。見聞に行くなら、クローゼットに短めのワンピースもあったでしょう」
「綺麗な衣装を汚してはいけないじゃない」
「あれは、もうあなたのものですよ」
「伯爵様から直接もらったわけじゃないわ。昨日は、思わず着てしまったけど、あげたわけじゃないなんて言われたら、とんでもないもの。私、弁償できるものはなにももっていないんだからね」
「弁償? そんな必要はありません」
「ダメよ。家令のあなたが言っていたと言っても、直接伯爵様から言われたことにならないのよ。これで、使って、汚してしまって、おとがめを受けることになったら、困るのは私よ。困るのが私なんだから、決めるのも私」
「そんな無茶苦茶な……」
呟いたルットの声音は呆れていた。
マリーは、得意げに笑って見せる。
「朝食を食べたら、すぐに出るわ。馬を貸してもらえるかしら、直接厩に行っても構わない?」
「待ってください。馬ですか? 馬をどうするのです」
「どうって、馬に乗って村々を見て回るわ。イーノック領とどこがどう違うのか見聞に行くのよ。昨日話してくれたことだもの、覚えているわよね」
「ええ、ええ、覚えてますとも!」
「聞くよりも、見る方が早いでしょ。見に行くわ」
「はっ、ちょっと待ってください」
「ここに厩はあるのよね」
「そりゃあ、もちろん」
「じゃあ、後で場所教えてください。ルットを煩わせたりはしないわ。私、馬の扱いぐらいできるもの。村には牛も馬も、鳥も、山羊もいたのよ」
ルットが半歩後ずさる。掌をマリーに向けて、慌てた様子で、後退し始めた。
「では、朝食を先に食べていてください。私は厩にいき、準備をします」
「えっ、いいわよ。悪いわ。こんな広いお屋敷を一人で切り盛りしているのでしょ。余計な仕事を増やしては申し訳ないもの、食べ終えたら、自分で準備するわ」
「だっ、ダメです。準備はすぐに終わります、ちょっと行ってきます」
「残念だわ。一人の食事は寂しいのに……」
「すっ、すぐ戻ります」
ルットは慌てて食堂を出て行った。
マリーは仕方なく、食事を始める。
卵料理とパン。野菜ときのこがたっぷりと入ったスープ。しっかりと味がついている。調味料もそろっているのだろう。家で食べた薄味のスープより味わい深いのに、一人で食べる侘しさにさじのすすみが遅くなる。
(こんな料理を家族と一緒にたべれたら、どんなに楽しいだろう)
うちひしがれそうになった時、ルットが食堂に戻ってきた。
あまりの素早さに、マリーは目を丸くする。
「こんなに早く厩に行って戻ってきたの」
「はい、私は仕事が素早いのです」
確かにルットは息を切らしながら近づいてくる。そして、マリーの前の席に座った。
誰かが前に座るだけで、マリーの気持ちが楽になる。
「ねえ、ルット。伯爵様はいらっしゃらないのね」
「はい。お忙しい方なのです」
「昨日は、戻られなかったの」
「戻りましたが、お疲れのようで、すぐに休まれました」
「そうなんだ。では、朝は……」
「明朝、日ものぼりきらないうちに出かけられました」
「それって、ほとんど屋敷にはいないということじゃない」
「そうなりますね」
「なら、私、ルットの手伝いもするわ」
「えっ!?」
「そんな驚くことじゃないでしょ。私は村娘よ、働いてなんぼなの。こんな大きな屋敷を一人で切り盛りしているのはすごいけど、やっぱり人が一人でも増えたら大変でしょ」
「本当に、そんなことをしていただかなくても大丈夫なのです」
淡々と語るマリーに対し、ルットはいささか慌て気味に答える。なぜそんなに落ち着かないのか、マリーは理解できずに小首をかしげる。
「あなたは昨日、地下に行かなければ自由にしていいと言ったわ」
「そうですが。そんなことをしていただかなくても、ここはじゅうぶん回っているのですよ」
「自由にしていいということは、働いても、手伝ってもいいということじゃない。誓って、地下には行かないわ」
「ですが……」
「二度いうわ。誓って、地下には行きません」
そこまで言われたら、ルットも折れるより他ない。
食事を終えたマリーは、ルットに案内されて厩に行く。
厩の傍に木があり、大きな葉を目一杯広げている。その木陰で、水が入った桶に顔を突っ込み、馬具をつけた馬が水を飲んでいた。
(準備万端?)
不可思議だった。
こんな仕事を手早く済ませられるわけがないのだ。
歩いてみるとよく分かる。どう考えても、ルットが食堂を出て戻ってくる時間で、厩について戻ってこれない。
走ったとしても、馬具をきれいに整えて、桶に水まで入れて、水を飲ませて待たせられる時間はない。
引っかかるマリーだが、ルット以外に誰もこの屋敷にはいないようである。
もしさらわれた子どもがいたとして閉じこめられているなら、ルットが行くなという地下にいると想像できる。噂通りなら、子どもは痛めつけられていることになるものの、噂とは所詮噂。
世上の悪さで尾ひれの一つや二つはついてくる。
(ここは空気が綺麗。血の臭いもなにもない。鳥を潰す臭いもないような家で、人がいじめられているとは思えない)
予想以上にルットが優秀なのかもしれないと、麦わら帽子を被ったマリーは一旦そのことを考えるのを止め、馬に乗り屋敷を出た。




