7:厩に残る人の気配
ルットから領地の地図をもらったマリーは馬を駆り、ハウイット領内を走る。
領主の館周辺は、小さな町になっており、王都から運ばれた物品が売られていた。大きな通りに面して、領地の役人が働く職場があり、そこで働いている人々が住んでいる居住区もある。
役場にはいろいろな人が出入りしていた。
町を出た。地図を広げて、一番近い村へと向かう。
しばらく草原が続き、程なく畑が広がり始めた。畑のところどころに黄色い花畑が広がっている。
数種類の作物が植えられた畑が広がる。畑の向こうには木々が一直線に並ぶ、木と木の間が空いており、人為的に植えられているのが分かる。
小屋が見え、民家が見えてきた。その周りにも木が植えられている。白い花が咲き、良い匂いが漂う。
小屋の扉は開いており、鳥の声が聞こえた。覗くと馬と牛もいる。やせ細るようなこともない。
日照りは続いているはずなのに、ここは豊かであった頃の故郷を思い出させる。
(なにが違うのだろう)
畑で栽培している作物の種類が多い。水が少なくても育つ作物が多く見受けられる。
黄色い花畑がぽつりぽつりとみられ、緊張していた心を和ませる。
子どもが数人、固まって歩いていた。畑と畑の間にある子道を歩きながら、しゃがんでは何かを取り上げ、手持ちの籠におさめている。痩せている様子はなく、楽しそうに笑いながら、元気に歩く。
マリーはいたたまれなくなってきた。見た目だけで、なにが違うのか、分からなかった。植えている作物の種類だけではないだろう。
道端に自生する草は熱され、くたっと倒れているのは、故郷と変わりはなかった。
それなのに、作物は故郷よりずっとよく育っている。水が確保されているのかもしれない。
見れば分かると思っていたマリーだが、実際に見てしまうと、故郷との違いに無性に胸苦しくなった。
(できることはしていると思っていた。これでは私たちは、まるでなにも対策を取ってこなかったかのようじゃない)
残してきた家族を思うとやりきれなくなる。自分だけ豊かになることをマリーは受け入れられない。
形式だけ誓った伯爵よりも、長年一緒に住んできた家族の方がずっと大事だ。結婚初日に顔も出さない伯爵より、昨日も今日も、明日も、お腹を空かせている弟たちが心配だ。
マリーは自分だけ、綺麗な衣装を纏い、安穏と生きることをよしとできない。せめて、ここでしていることを故郷でも、行えるようにしてからだ。
(これだけのことをするのに、すべて農民主導なのかしら。領主自ら手をだしているということも考えられるわ。
そうなれば、屋敷に夜しか戻らず、常に出払っていることも納得できる。
家令一人に屋敷を任せているのだって、費用を抑えるためかもしれない。住んでいない家に人を置いても仕方ないものね。
もしかしたら、ここの領主は、すごい人なのかもしれないわ。
悪い噂なんて、嫉妬や妬みで流されることもあるもの。実際に見てみないと本当に分からないものだわ)
マリーは馬を反転させ、勢いよく走りだした。
子どもたちが顔を上げ、馬が走り去る様を見送っていた。
屋敷に戻ると厩へとすぐに向かった。厩が見えてくると止まり、馬から降りて、手綱を引く。
厩の扉の前で足を止めた。
(なにか変……)
朝、出かけた時の違和感を思い出す。
ルット一人でできるはずのない仕事がこなされていた。
その時、馬は外にいて、木陰で水を飲んでいた。
桶は木陰に置いてきた。その木陰に桶はなく、すでに片付けられていた。
とてもきれいに片づけらている。
それだけではない。
厩全体がとても綺麗だ。家畜の臭いは漂ってくるものの、異臭というほどきつくもない。
糞尿は常に片付けらえれているようだった。
(ルットが全部こなしているのかしら……)
マリーは仕事量と時間、その仕事をこなすとどれほど身が汚れるかよく分かっている。整った身なりのルットが家畜の世話をした後の臭いを漂わせていたことはなかった。
(綺麗な仕事しかしていないように見えるわ)
左手の薬指に嵌められた指輪が光る。
マリーは、左手をかざしてみる。銀が陽光を跳ね返し、キラリと光る。
指輪をはめたのはルットである。
あの時、煌びやかな指輪ばかり目についたが、マリーの手に触れたルットの手の感触は思い出せた。とても滑らかな手であった。
(あの手は……、仕事をしている手ではないわ)
マリーは自分の左手のひらを見つめた。指をすり合わせればカサカサする。昨夜、風呂につかり、油分を塗っているからいつもよりましであっても、長年仕事をしてきた手は硬い。
ルットの手は柔らかかった。
(本当にこの屋敷の仕事をしているのかしら)
一抹の不信はざっとマリーの心を埋め尽くした。
馬を厩へ入れる。頑張った馬を労う。首を数度叩いて撫でた。
外に出て、立ち止まる。脇道に逸れると、井戸があった。引き返し、桶を手にする。井戸で汲んだ水を桶を持って、厩に引き返した。
厩からがさがさとした音が響く。立ち止まって、耳をすませた。
干し草が運ばれる音。降ろされる音が響く。
半歩、片足を前に出したところで、つま先に当たった小石が点々と転がった。開いた厩の扉の真ん中まで転がって止まる。
すると、厩からかすかに漏れてきていた音がぴたりと止まった。
マリーは走った。桶から水を零さないように気をつけて、開いた厩の扉前に滑り込む。
そこには誰もいなかった。
馬の目の前に新しい干し草が積まれている様を、仕事に慣れたマリーは目ざとく気づく。
(これは、いったい……、どういうこと)
不信を抱えながらも、何食わぬ顔で、マリーは馬の前に桶を置いた。喉が渇いていた馬は、水に顔を突っ込んだ。
周囲の気配を気にしても、家畜の臭いと動きしか感じられないマリーは、さも気づいていませんよという表情と足取りで、厩を出て、屋敷に向かった。




