4:戸惑いながら、流される
「あの……、これから私は、どうしたらいいの」
指輪をはめてしまっては後の祭り。
青ざめるマリーは縋るようにルットに問う。
「どうって……。普通にすごしてくださって結構です。不便なことがあれば、なんなりと申し付け下さい」
「だから、普通が分からないのよ。私、結婚したこともないし、こんな大きな屋敷に住んだこともないし、普通に過ごすという基準がないんだから!」
本当は一番聞きたい、伯爵は今夜は帰ってくるのとは口に出せなかった。なんでそんなことを気にするのかと問われ、困るのはマリーだ。
ルットは考えるように顎に手を寄せた。
「そうですね。強いて言うなら、地下には行かないでください。それぐらいですね」
「えっ? それだけ」
「はい。あと、実は家令の私以外この屋敷には誰もいません」
「えっ! 普通、領主のお屋敷は常にメイドや料理人や執事なんて仕事をしている人達がわんさといるんじゃないの」
「そうですね。領主が住んでいればそうなのですが、あくまでここは素泊まりの宿のようなものなので、人はそんなにいらないのです」
「ええ!!」
「食事の支度も、掃除も、風呂の用意もしますので、お気になさらずに」
「気になさらずにって言われても!」
「さあ、大事な用時は終わりました。部屋へ案内します。その前に、一つ伺いますが、マリー様は先にお食事になさりますか、それともお風呂になさいますか」
食事も風呂も選べないマリーは口をパクパク動かす。風呂なんて昨今の水不足で入るなんて数か月ぶり。夕食も作って、家族に食べさせる側であり、誰かに作ってもらう経験もない。
そうしていいか分からない様子にルットは苦笑する。「では、まずはお部屋へ案内します」と礼拝室を出た。
廊下を進み、新しい自室に案内されたマリーは、仰天する。
木箱に詰めて持ってきた私物を使うことはないと確信するほどに、部屋に用意されていた品は整えられていた。クローゼットのなかには女性ものの衣類が数十着並んでいる。靴も、鞄もそろえられており、村娘のマリーには過分な品ばかりだった。
クローゼットの横に用意された大鏡に、村から出てきた恰好が映る。その部屋と相いれないみすぼらしさに、場違い感に襲われた。
そして、マリーはお風呂から入るとルットに依頼したのだった。
お風呂の準備をするとルットが部屋と出る。クローゼットには必要な衣類が入っており、自由に着て良いという。
残されたマリーは今までの生活との違いを、見せつけられる思いだったが、これで終わるはずもない。
クローゼットを開いてみる。
何着も良質な生地で仕立てられた衣装が並ぶ。村娘のマリーから見たら、すべてが花嫁衣裳のように見えた。レースやフリルのついた衣装を手にして、鏡の前で合わせてみる。
日に焼けた肌にも合う鮮やかな黄色やオレンジのドレスは、見ただけで心が躍った。着るのがもったいなくて、ただ飾って見ているだけでも、過分な贈り物のように思えた。
どれもこれも、鮮やかで美しい。クローゼットのなかは、まるで春の花畑。
そこでいざ、どれを着ると自問すると、本当に着ていいのかと、怖気づいてしまう。ぴたりと体が硬直する。
差し当たって、一番簡素に見えた膝丈ほどのワンピースを手に取った。柔らかい生地でできており、色味もベージュに近く、着やすそうである。
程なく、馬車に置いてきた木箱を持ってルットがお風呂の準備が整いましたと呼びに来る。
一緒に部屋を出てから、下着類を忘れたと気づく。廊下にルットを残し引き返した。クローゼットの下に、三段の引き出しがある。あけると下着類が並べられていた。
レースのついた色とりどりの下着類。手に取っていいのか指先がそわそわして、止まってしまう。その繊細なつくりは、村娘のマリーから見れば宝石のようだった。
赤、黒、若葉色、桃色、という色味が目立つ中で、白にレースがあしらわれたシンプルなデザインの、パンツとブラジャーのワンセットを取り出した。手にしていた畳んだ衣類の間に挟めると、ルットを待たせては悪いと思い、慌てて部屋を出たのだった。
お風呂場に行く前に食堂を通る。風呂をあがったら、ここに来てほしいとのこと。そうして、案内された風呂場に再びマリーは倒れそうになる。
とにかく湯船が広かった。家で入っていた風呂の三倍はあるだろう。そもそも、家で風呂は滅多に入らない。お湯を張れるだけの水がいまはない。桶に湯を張り、体を拭けるならましな方。昨今の日照りの影響で、じんわりと水で湿らせた布で拭けるだけで贅沢だった。
ルットは出ていき、一人になったマリーは服を脱いだ。体をお湯で流してから、湯船につかる。これだけのお湯を一人で使うことが畏れ多く、隅に膝を抱えて座った。
(浮世離れしたところにきちゃった)
お湯が気持ちいとか、お姫様になったようとか、そんな華やかな気持ちになれなかった。
身分不相応な環境に突如ほおり出されたマリーは、がくがくぶるぶると、お湯のなかに居ながら、震えてしまう。
(しかも、お風呂に入って、ご飯を食べて……って。このまま、夜を迎えるとしたら、私はいったいどうなるの。
待って待って待って、体をきれいにして、綺麗なおべべを着て、ベッドで待つなんて、ちょっと、これは、これは……)
それ以上は言葉にならない。のぼせてもいないののに、顔から首が真っ赤に染まる。マリーは湯船のなかに口を沈めた。




