3:一人きりの誓い
翌日の昼過ぎ、マリーの家にハウイット領からの使いの馬車が到着する。領地の屋敷で家令として働いている青年が御者を務めていた。名はルットという。
彼は、伯爵の代理である旨を家族に伝え、正式な文書と心付けを父に渡す。書面を確認した父は、目を閉じて、天を仰ぎ、祈るように胸に拳を添えた。そして、家令の青年に向かって、まるで伯爵に挨拶するかのように、深く頭を下げた。
青年は軽く会釈を返す。
前髪が長く両目が隠れている青年を見ていると、目が悪くなるのではないかとお節介を言いたくなるものの、マリーは我慢した。午前中に必要な物を詰めておいた木箱を馬車に載せると、両親と弟二人と抱き合いながら、別れを告げた。
馬車に揺られてハウイット領の屋敷に到着したマリーは、家令のルットに案内されて、日当たりのいい小さな礼拝室へと案内された。
新たな自室でもなく、伯爵との挨拶でもなく、礼拝室に案内されたマリーは両目を瞬かせた。
丸い絨毯が敷かれ、壁際に祭壇がある。宝飾品が多数飾られ、華やかだ。周囲の壁にはタイルを張り巡らせるように絵画が飾られていた。一枚の絵には老人から子どもまで描かれ、歴代の伯爵家の家族関係がうかがい知れる。ハウイット伯爵家は金髪碧眼が多い。
(黒い噂がたつ家にしては、なんて健やかな絵がならんでいるのかしら)
絵は数年ごとに描かれているのだろう。時々、家族絵から年頃の娘が消えている。おそらく、他家に嫁いだからだろう。
マリーはルットを見た。彼もまた金髪という伯爵家の色を備えていた。視線に気づいたルットは、小首をかしぐ。前髪が斜めにながれても、目までは見えなかった。
「ハウイット伯の家系は金髪が多いのね。ルットも金髪。ここで働いていると言うけど、伯爵家所縁の人なのかしら」
「よくお気づきになりましたね。私は先代の愛妾の子です。ここで育ち、大人になり、この屋敷の切り盛りを任されるようになりました」
「もしかして、この家族絵のなかにあなたもいるの」
「いいえ、私は愛妾の子なので描かれてはおりません」
(愛妾の子は、貴族の子とは違うのね)
途端に現実を突きつけられるようだった。
「では、私が嫁ぐ方はいるのかしら」
「そうですね。一番端にいらっしゃる金髪碧眼の少年。彼が大人になり、現当主となっております」
背後の壁の端に飾られた十人弱の人を描いた絵画を示す。優しそうな少年が一人描かれており、はにかんでいる。
(とても将来、人を切り刻むようには見えないわね)
「では、この方、今はどこにいらっしゃるのかしら?」
「お忙しい方なので、夜には戻られる場合もあれば、戻られない日もあります。朝早く出かけられるので、朝食時にはいないと思ってください」
「ふうん。そんなに忙しいんだ」
マリーは疑わしいという目をルットに向ける。
(本当に戻るのかしら、それとも、噂通り、子どもをいたぶるために夜だけ戻ってくるとか?)
ルットが、祭壇に近づく。そこに飾られていた小箱を手にした。
「マリー様、こちらへ」
呼ばれるままに、マリーは祭壇の前に立つ。隣にはルットがいる。
「誓いの言葉はご存知ですか」
「誓いの言葉というと、あれ? 『病める時も健やかなる時も共に助け合い、愛し、敬うことを誓いますか?』 というあれですか」
「はい。旦那様は、すでにここに誓いを立てております」
「いない人がですか!」
「はい、お忙しい方なので、すでに先祖の魂に伴侶の報告と誓いを立てております。あとは、マリー様が誓いを立てていただければ婚姻は成立します」
「そんな、簡単な……」
愕然とする表情を浮かべるマリーは、ほんの少しだけ、結婚に期待してた気持ちを自覚する。妾と言えども、村娘にとってみれば、喉から手が出るほどの良縁ではあるのだ。黒い噂だとて、噂にすぎない。
「私が代わりに、誓いの言葉を伺うことと、指輪を進呈するように言われています」
「そんな大事なことも家令にやらすのね」
マリーの気持ちは急にしぼむ。これが妾という立場なのかと、我知らず期待していた気持ちは粉砕された。
「申し訳ありません」
「妾だものね。そんなものよね。ちょっと驚いただけよ、じゃあ、仕切り直し、どうぞ」
「では、『病める時も健やかなる時も共に助け合い、愛し、敬うことを誓いますか?』」
「『誓います』」
生真面目なルットの言葉を押しのけるように、はっきりと言い切ったマリーに、ルットが小箱を差し出し、蓋を開けた。そこには輝く指輪が入っていた。
「……指輪」
村娘では一生手にできない品である。銀色の光沢に吸い込まれるように見入ってしまう。
「左手をお願いします」
ルットに言われるままに、左手は差し出すと、薬指に指輪をはめてくれた。手を掲げる。光を照り返す銀の輝きにマリーは見惚れてしまった。
「これでマリー様は、先祖の魂に伴侶の報告と誓いを立てられ、婚姻は成立しました。おめでとうございます」
そこで、マリーは現実に引き戻される。
(待って、待って、待って。まだ顔を合わせてもいない領主様と婚姻成立したってことは、どうなるの。もしかして、顔を知らないまま、挨拶もそこそこに、夜に帰ってきた領主様と……、初夜ってこともありうるんじゃない)
途端に現実に引き戻されたマリーは、青くなったり赤くなったり白くなったり、してしまう。
ルットはそんな彼女の様子に、口元をほころばせた。
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