12:宣告し行動する
マリーは階段をのぼりきり、一階の廊下を進みながら、『マリー様の隣の部屋だぞ。ばれるだろ』という子どもの言葉を思い出していた。
(ルットは私の部屋の隣にいる)
マリーは階段を駆け上がり、二階の廊下を進む。自室の扉を通り過ぎ、隣の扉の前に立った。心臓がどくんどくんと鳴り、耳が痛い。
ノックをしてから飛び込むか、いきなり飛び込むか。迷うなかで、我に返る。今、マリーが着ているのは寝間着であった。
(このまま、飛び込んだら、誤解されない?)
「……」
(夜這いにいくわけじゃないのよ……。そもそも、飛び込んで何を話す? 私は、まだ何をしたいのか、どうしたいのかも、決めていないじゃない)
そっとルットがいると思われる扉の前を去り、音もなく引き返した。
気づかれないように自室に入ると、後ろ手で扉を閉めて、背後に耳を澄ませた。人の気配はない。
そのまま、ずるずると座りこみ、親指の爪を噛んだ。今までのことをもう一度、マリーは振り返る。
痩せた牛を引いて歩く途中、木陰で休んでいたら、女たちが話す伯爵の黒い噂を耳にした。虐待しているという噂だが、事実は違った。
地下にいた子どもたちは、イーノック領から保護された子どもたちだ。
雨が降らないなかで、作物の実りも苦しいイーノック領と、ハウイット領では作物の植え方が違った。決定打は、水の扱いだという。領主は村々に内緒で溜池を確保しているらしい。
イーノック領主は、元はルットと同じ妾の子。
伯爵家で一人残され、領地を治めてきたという。ずっと領地にいると思っていたにも関わらず、王都に出て、人が変わったとルットは語った。
(水の解放を嘆願できないかしら……)
その発想がいかに短絡的かマリーも自覚していた。
父を失い人生の方向性が変わっても、奮闘してきた若い領主が犯した間違いを正せるなら、正したい。目が覚めるなら、覚ましてほしかった。
(だって、ルットは言っていたじゃない。
『母による浪費も始まりました。王都の社交の場は、ある意味、見栄の張り合いです。その小競り合いに、絡めとられていったのです。』と。
現状を見据えて、母親に浪費を止めてもらい、数年だけでも社交の場を控えてもらえたら、そしたら、現状も回復するんじゃないかしら)
マリーは、爪を噛んでいた手を降ろした。天井を見上げ、遠くの窓向こうに輝く月を見つめる。清涼な月明かりが、床に光の窓を作っていた。
夜に馬を駆るのは危ない。せめて出かけるなら、空が白んでからだ。
左手の薬指に嵌められた指輪が月明かりを反射して、天井に歪な光の筋を差す。手を動かせば、一緒に動く光の筋を見つめて、マリーは呟く。
「隣の領主の妾……、この立場、使えるんじゃない」
マリーはぴんと閃いた。
(決めた。この立場を利用して、イーノック領主に会いに行ってやる!!)
立ち上がり、木箱から、衣類と布製の鞄を取り出した。馬に乗るなら汚れても良い服装が良い。そして、布製の鞄にには、風呂上がりに着たワンピースを畳んで入れた。
シャツとズボン姿では、隣の領主の妾に見えない。イーノック領主に面会を頼むなら、服装だってそれなりじゃなければ受け入れられないだろう。
(決行は明朝、今は寝る!)
マリーはベッドの中に滑り込んだ。
興奮しており、すぐに寝れないと思っていたのに、目を閉じれば、睡魔にあっという間にからめとられていた。
鳥のさえずりも響かない、まだ空が紺色に染まる時間帯。鳥よりも早く、ごそごそと起き出したマリーは、シャツとズボンを身につけた。
しっかりと靴を履き、ワンピースを入れた鞄を斜めにかける。
すっくと立ち、前を向いた。
部屋を出て、階段とは反対にあるルットの部屋へ向かう。扉のノブに手をかけて押すと鍵はかかっておらず、かちゃりと小さな金属音をたてて開いた。
マリーはそろそろと音を立てずに入室した。
ルットは背を向けて眠っている。静かな朝に、小さな寝息が響く。
マリーはそっとルットが寝ているベッドに近づいた。
ベッドの脇に腰をおろした。背を向けて横になるルットは熟睡しており、起きない。
「ルット、ルット」
ルットは「んっ」と声を発する。
「ルット、ルット。ごめん、私は行くわ」
「いく……」
オウム返しをしたルットが薄目を開けた。
ぼんやりしている彼にマリーは静かに告げる。
「私、イーノック領に戻って、領主に直談判してくる。直訴してくるわ」
ルットの目がかっと見開かれる。背後にいる人の気配に仰天し、体をよじった。
「まっ、マリー!!」
素っ頓狂な声を発し半身を起こす。寝起きの顔が真っ白になる。
そんなルットの様を気にせず、マリーはベッドに両手をついて、前のめりに迫る。
男女の力に差があっても、急な事態についていけないルットは、威圧感漂うマリーに怖気づき半歩後退した。
「ハウイット領のご当主は今夜はお戻り?」
「いっ、いや。今日は……」
「そっ、挨拶したかったけど仕方ないわね」
「まっ、マリー。挨拶って、なに? なんのこと!?」
「挨拶は挨拶よ。
『色々勉強させてもらいありがとうございます。服を一着お借りします。返せないかもしれません。必要とあらば、一生かけて弁償します』」
「だから、あの部屋の衣装はすべてマリーのもので……」
「私、勝手に地下に行ったわ!」
「はっ!!」
真剣なマリーの発言にルットは動揺する。
「伯爵様に伝えて。
イーノック領の子どもたちを助けてくれてありがとう。
今ならまだ引き返せる。秋の実りまで間に合うわ。だから、水を確保するため、直談判に行きます」
マリーは立ち上がり背後に飛んだ。
ルットは去って行くマリーに手を伸ばす。寝起きの身体は自由がきかず、マリーに向けて伸ばした手は空を掴んだだけだった。
前のめりになり、去って行くマリーを追おうとするルットは、ベッドは際を踏み外した。がたんと大きな音を立てて、ベッド下に落ちた。慌てて顔を上げる。
マリーはすでに部屋の出口に立っていた。
「行くわ。ごめんね、ルット。馬を一頭借りていくわ」
廊下へと消えたマリーにルットは呆然と手を伸ばす。
「待ってくれ。待って……、待って、マリー!」
ルットの叫びも虚しく、廊下の靴音は消えていった。




