14、修羅場
「アンソニー・ロックウェル……」
私はとぼとぼとスランの工房に向かいながら呟いた。
ネロがスランの試作品作りを見ていたいと言ったので置いてきていた。
ネロを迎えに行って、ワンピースをボロ服に着替えてから家に帰らなければならない。
ボロ服に着替えるたびに気が滅入るのだが、今日はそれが原因ではない。
ようやく見つけた王子様はエミリアの元婚約者だった。
おそらくエミリアの父親が牢屋に入り、貴族の身分を剥奪されたと同時に婚約を解消されたのだろう。
どういう事情かは分からない。
ひどく沈んだ様子のエミリアに、それ以上聞けなかった。
そしてエミリアの様子を見て気付いたことがある。
(きっとエミリアは今でもアンソニー様が好きなんだ)
私がハンカチを受け取ったいきさつを話すと、「あの方らしい……」と淋しげに微笑んだ。
その言葉に深い愛情と信頼を感じた。
十歳近くも離れた年とはいえ、許婚として憧れの人だったのだろう。
私も勝手に憧れてただけだけど、エミリアを差し置いて想うのも申し訳ないような気がした。
「もうお言葉をかけることも出来ない方です。どんなお顔かも忘れました」
そんな風に言ってたけど、子供の頃から許婚と思って暮らしてきたのだ。そう簡単に忘れられるはずがない。
「幸いまだ私は顔も見た事がないんだもの。このハンカチと一緒に封印しよう」
いつか王子様に会えることを心の支えにしてた部分もあるけど、仕方がない。
ジュラルミンのケースの奥にしまうことにした。
◇
「なんか元気がないけど大丈夫か、レイラ?」
工房に着くと、スランはブリキを丸めながら尋ねた。
「うん。大丈夫よ。悪いけど、またこのワンピース、ここに置かせてね」
私は棚の後ろでボロワンピースに着替えてから、エミリアのワンピースを大きなブリキの入れ物に隠した。家に帰る前に毎回着替えないといけないのが、本当に面倒くさい。
「ああ。こんなボロっちい工房に泥棒なんて入らないから一番安全だよ。気にするな」
「うん、ありがとう」
「そうだ。さっきパンを買っておいたんだ。食っていけよ」
「お姉ちゃん、これまだ焼きたてで美味しいよ」
ネロはすでにスランからもらって、ほくほくとかぶりついていた。
パンが主食のこの世界では夕方の方が焼きたてのパンが手に入る。
かじったパンから湯気が出ていた。
「キャロルの店で鶏肉と豆の煮込みももらってきたんだ。一緒に夕飯にしよう」
陶器のフタ付きの器に、トマトソースで煮込んだ料理が入っていた。
「たまにはこういう料理も食べないと大きくなれないぞ」
スランはくしゃりと私の頭をなでた。
うう。なんかスランの優しさが身に滲みる。
美少女には優しいんだもんなあ。
なんだか優しくされると複雑な気分。
でも今はありがたく甘えさせてもらおう。
「いつもありがとう、スラン」
私はスランとネロとささやかな夕食を食べて家に帰った。
まさかあんな修羅場が待ってるとも知らず……。
◇
ネロと二人で家に近付いたところで、何かがぶつかるような激しい物音が聞こえた。
夕闇に響く大きな悲鳴と怒鳴るような声。
近所の貧民たちが家から出てきて、私達の家の様子をうかがっている。
そして私とネロの姿を見ると、気の毒そうな顔をしてコソコソ話している。
私は嫌な予感がしながらも、そっとドアを開けた。
そして……。
中は想像したこともないほどの修羅場だった。
次話タイトルは「夫婦喧嘩」です




