30、レナルドの乱心
ロイとレイラが立ち去った部屋で、レナルドはしばらく床に座り込んだままだった。
ロイが立ち去ったドアをしばらく黙ったまま見つめてから、ゆっくりと立ち上がる。
隣の部屋にはすでにロイの姿はなく、執事と給仕がレナルドを見て蒼白になっていた。
「も、申し訳ございません、レナルド様。突然ロイ様が現れて、ウッズ様に腕を掴まれて、お止めすることが出来ませんでした。申し訳ございません。どうかお許しを」
執事が必死の形相でぺこぺこと頭を下げて謝った。
こんな時は数発殴られることも覚悟している。
一度半殺しの目にあったこともある。
それでも、この地位と給金のために耐え忍んできた苦労人の執事だ。
「そうだね。仕方がないよ。お前が悪いわけじゃない」
「レ、レナルド様……」
珍しく優しいことを言う主人に、執事は目を見開いた。
「喉が渇いた。ワインを入れてくれる?」
レナルドは、まだ丸テーブルに残っていたワイングラスを一つ手に持った。
給仕はあわててサイドテーブルのワインを持ってきて、レナルドのグラスに注いだ。
こくりと一口ワインを飲むレナルドに、執事は小さく安堵の息を洩らした。
このどうしようもない主人も、兄上に怒られて多少反省したのか。
そう安心した瞬間。
「うあっ?!!」
バシャっと赤い液体が目の前を覆った。
続いて胸に激しい衝撃と、頬にチリっとした痛み。
そして全身が濡れていた。
「レ、レナルドさま……」
一瞬自分の血しぶきをかぶったのかと思ったが、飲み残したワインをグラスごと投げつけられたらしい。
執事服の中に着ている白いシャツは真っ赤に染まっていた。
グラスは砕け散り、その破片が頬を切りつけたようだ。
頬にかすかな痛みがある。
「どいつもこいつもっ! 役立たずめっ!! 簡単に主人の部屋に入られやがって!」
それは護衛の従者が先日行方知れずになったからだ。
後任がなかなか決まらず、日替わりで派遣されてくるだけになっている。
ただの執事と給仕がウッズのような切れ者に勝てるわけがない。
だがこの主人にはそんな言い訳など通用しない。
青ざめる執事と給仕を前に、レナルドは丸テーブルに残っていた食器類をなぎ倒すようにテーブルから根こそぎ床に落とした。
ガシャンガシャンと食器が激しく割れる音が響く。
「レ、レナルド様……」
さらに荒れ狂うようにテーブルを倒し、椅子を投げつけてくる。
「全員死罪だ! いや、この場で殺してやるっっ!」
執事も給仕も死を覚悟した。
(いよいよ殺される。ここまでだったか)
五人の子供たちのために耐え忍んできた仕事だったが。
もっと早くに見切りをつけて、家族と共に他の領地に逃げておけばよかった。
投げつけられる家具を避けながら、後悔する執事だったが。
「出て行けっ!! 目障りだっ!! 全員出て行けっ!!」
荒れ狂う主人の命令に命拾いして、あわてて部屋の外に飛び出した。
廊下には怯えた顔で様子を見守っていた他の給仕やメイドがいた。
「ご、ご無事ですか、執事様」
ここまでの乱心を初めて目にした給仕とメイドは怯え震えて、執事に尋ねた。
「と、ともかく、今は部屋に入らない方がいい。しずまった頃を見計らって部屋を片付けましょう」
なんとか命拾いしたようだ。
「私は服を着替えてきます」
足早に立ち去る執事だったが……。
それっきり二度と戻っては来なかった。
そして部屋の中では。
荒れ果てた部屋に佇むレナルドがいた。
「くそっ! なんなんだ、いったいっ!!」
さっき。
レイラをベッドに寝かし、胸の宝石をはずした。
そのままドレスに手をかけようとした、その時。
雲の切れ間から現れた月が、レイラの姿を照らし出した。
そしてレナルドは激しく動揺した。
――そこには聖女がいた――
『ロイ様』に命を捧げると誓った、あの聖女が。
それはレナルドにとって人間の女ではなく、尊い『作品』だった。
アルフォード邸のあちこちに飾られた聖女や聖母の肖像画。
そのどれよりも心打たれる『作品』だった。
そう感じた瞬間、レナルドはレイラの肌に触れることも出来なくなった。
ドス黒く汚れた自分が触れることは、極上の絵画を黒筆で汚すのに等しい。
戸惑いながら絵画を愛でるように眺めた。
もっと完璧な『作品』にしたい衝動が湧き出る。
レイラの金の髪をそっとほどき、リネンに広げる。
ドレスの裾を直し、慎重にフリルのひだを整える。
そして最後に両手をそっと胸の上で組ませた。
そこには身を震わすほど完璧な理想の聖女が横たわっていた。
レナルドは飽きることなく、その聖女を眺めていた。
見る角度を変えるたびに、新たな感動が湧き上がる。
それは超一流の絵画と同じだった。
極上の絵画は、どの角度から見ても別の感動がある。
レイラもまた、稀に見るほどの超一級の『作品』だった。
次話タイトルは「レナルドの独り言」です




