15、令嬢、ナンシー
「ひどいことをするわね。サンドラは」
フリルたっぷりのドレスがしゃがんで、マッチケースを拾っている。
「ナンシー様、ドレスが汚れます。私がやりますから」
お付きの執事らしき人が慌てて代わりに拾っている。
「はい。これ」
拾ったケースを差し出されて、私は初めて顔を上げて声の主を見た。
「あっ!」
その顔を見て私は声を上げた。
なんとそれは前世の親友、冴子にそっくりだった。
「怪我はしてない? 立てる?」
冴子、いやナンシーと呼ばれた少女は私に手を差し出した。
「お嬢様、いけません。貧民の子供と手を合わせるなど」
執事らしき男が慌てて制止しようとした。
しかし冴子、いやナンシーは執事を退け、私の手をグッと掴んで立たせてくれた。
「貧民も貴族も同じ人間でしょ? ねえ?」
冴子はにっこり笑って私にウインクした。
冴子おおおお。
そうだったわ。あなただけはブスの私にも分け隔てなく付き合ってくれて、妙な気遣いもせずにブスをブスのままに受け止めてくれた。
あなたはこの世界に来てもやっぱり変わらないのね。
「それでこのマッチケースはどうやって手に入れたの? これを描いたのは誰?」
冴子、いやナンシーは私に尋ねた。
「そ、それは……」
「異国の作家っていうのは嘘なんでしょ? 本当は誰の作品なの?」
ナンシーはこの作者に興味があるようだった。
どうしよう。私が描いたなんて言って信じてもらえるだろうか。
でも冴子には嘘をつきたくない。
「わ、私が描きました」
ナンシーは私の言葉に驚いた表情を浮かべた。
「あなたが? 本当に? これを描いたの?」
「は、はい。ブリキのケースは知り合いのブリキ職人のスランが作ってくれました」
「ブリキ職人のスラン? 聞いたことがあるわ。貧民の村にブリキ細工がとても上手な子がいるって。そう。彼がこのケースを作って、あなたが絵を描いたのね」
「し、信じてくれるんですか?」
不安げに尋ねる私にナンシーは鮮やかな笑顔を返した。
「もちろんよ。とても気に入ったわ。あなた、名前は?」
「レ、レイラといいます」
「レイラ……。いい名前ね」
もしかして前世の私を覚えているのかと思ったが、そういう感情の動きは見えなかった。
前世の冴子とは関係がないらしい。残念だ。
「それいくら? 私が買うわ」
「えっ! 本当ですか? ひ、100ルッコラですけど……」
「安いじゃない。お友達にもあげたいわね。五個ちょうだい」
「ご、五個も……」
うわあああん。
やっぱり冴子だああああ。
あんたって口は悪いけど最後はいっつも私を助けてくれたもん。
ありがとうううう、心の友よおおお。
「私は芸術を愛しているの。もし傑作が出来たならまた見せてちょうだい。ここからは少し離れているけど王都のリバー通りのサエコス公爵邸でナンシーの名前を出したら家の者がつないでくれるわ」
サエコス……。冴子。やっぱり冴子だああああ。
あんたったら公爵家の令嬢にまで出世したのね。
あんたならやると思ったわ。
そしてここでも芸術を愛しているのね。
抱きついて感謝の気持ちを伝えたいけど……。
この世界では身分の大きな壁があるのね。
私は500ルッコラを受け取って、一歩下がると丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます、お嬢様」
「ふふ、いいのよ。こちらこそいい買い物をさせてもらったわ。それにあなたは貧民の子供とは思えないほど身のこなしが綺麗ね。美しい子だわ」
う、美しい子……。
前世ではあれほど五歩先が限界とこきおろしていたのに。
冴子がついに私の美を認めてくれた。
それだけでこの世界にきた甲斐があったわ。
私は店に入って行くナンシーに深々と頭を下げて見送った。
そして見送り終わると、ネロの元に駆けて行った。
「ネロ、やったわ! 五個も売れたの! 500ルッコラもらったわ!」
「えっ! ホント? すごいや、お姉ちゃん。実は僕もバケツが売れたんだ」
「え、バケツが? すごいわ、ネロ!」
「80ルッコラだから儲けは少ないけどね」
バケツはブリキの材料代が40ルッコラで職人代が35ルッコラだから儲けは5ルッコラだ。
それでもパンが五個買える。
「このお姉ちゃんが描いた不思議な文字が気に入ったって買ってくれたんだ」
「ホントに? やったわ。きっと夕方までには1000ルッコラ稼げるわ!」
私はすっかりテンションが上がっていた。
だが……。
その後は、貧民の子というだけで誰も買ってはくれなかった。
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※ 現在のレイラの所持金 500ルッコラ
次話タイトルは「謎の馬車」です