16、謎の馬車
日が沈み急に肌寒くなってきた。
レトロな街並みには、汚れた服を着た少年が外灯の火を入れてまわっていた。
『ロリポップ』の前に並んでいた馬車も少しずつ減っていき、やがて一台も止まらなくなった。
そして店じまいするのか、店員が出てきて戸締りを始めた。
ナンシーが買ってくれた後、売れたのはたった一個だった。
それも通りかかった紳士が、マッチをくれと言って100ルッコラもするのかとブーブー文句を言いながら買っていった。
ネロのバケツの方が売れて、いつもは一個売れただけでもラッキーなほどだが三個も売れた。
ただ利益率が悪いのでスランに材料費と報酬を払ったら三つで15ルッコラしか残らない。
「あと四ケースは売らないと1000ルッコラにならないわ。どうしよう」
「お姉ちゃん、僕のバケツの15ルッコラもあげるよ」
「そんなことしたら、今度はネロが一個も売ってないって殴られるわ」
「僕はいつものことだから大丈夫だよ」
「ネロ……」
この優しくて不憫な弟に余ったお金でパンとミルクを買ってあげたかったのに。
お店の開いてる間に売り切ったら念願のキャンディーだって買ってあげられたのに。
全部あの直子、いえサンドラのせいだわ。
お店にいた知り合いに「貧民から物を買うなんてはしたないわよ」と吹き込み、その言葉が伝言ゲームのように店にくる少女たちに伝え渡っていった。
最初欲しそうにしていた少女たちも、噂を聞いた他の少女に止められて寸前のところでみんな買うのをやめてしまった。
風評被害もいいとこだ。
直子許すまじ……。いや、覚えてらっしゃいサンドラ。
「いっそのこと稼いだ600ルッコラを持って、このまま二人で家を出ようか、ネロ」
そうだ。600ルッコラあればとりあえずしばらく食べていける。
そしてスランの工房にかくまってもらったらどうだろう。
そうすれば父親の暴力も受けずに済む。
どうせ食事も与えられないのだからあの家に帰る必要なんてない。
「えー、ダメだよ。そんなことしたらお父さんに渡すはずのお金を盗んだことになっちゃうよ。牢屋に入れられるよ」
しかしネロは穢れを知らないバカ正直な弟だった。
「大丈夫よ。事情を話せば分かってくれるわ。だって悪いのはヨハンの方じゃない。子供にこんな安いマッチを1000ルッコラで売れなんて、その方が間違ってるわ。牢屋に入れられるのはヨハンの方よ。前世では完全アウトの児童虐待案件よ」
「お姉ちゃんの言うことは時々よく分かんないけど、大人は貧民の子供の言うことなんて誰も聞いてくれないよ。牢屋に入れられるのはお姉ちゃんの方だよ。僕はお父ちゃんにもお姉ちゃんにも牢屋に入って欲しくないよ」
「ネロ……」
「それにお母ちゃんと離れたくないよ」
悲しげに青い瞳を翳らすネロに心を打たれた。
「そ、そうね。あんな親でもあなたにとってはこれまでずっと暮らしてきた家族なんだものね」
「お姉ちゃんにとってもでしょ?」
「そ、そうだったわね」
ほんとは異世界から来た私にはまったく未練はないのだけど……。
ネロは私のように親を見捨てる気にはなれないのだろう。
まだ母親が恋しい十歳の子供なんだもんね。
二十歳の私の腹黒い打算に巻き込んではいけない。
「分かったわ。こうなったら走っている馬車を呼び止めて売ってみるわ。ネロは危ないからここにいてね」
こういう時こそ前世で培ったブス根性を見せる時だわ。
私は夜の街を急ぐ馬車の前に立って手を上げた。
「マッチはいりませんか? ちょっとだけ話を聞いて下さい」
「マッチを! マッチを買って下さい! きゃっ!」
しかし馬車は私が見えてないのか、貧民の子供など轢いてもいいと思ってるのか、止まりもせずにギリギリのところを通り過ぎていく。
「お願いします! マッチを買って下さい! あっ!!」
ギリギリでよけたつもりが、馬車の出っ張った装飾に服が引っかかってひっくり返った。
まだ慣れない華奢な子供の体は、少しの衝撃で簡単に転んでしまう。
ガシャンッと派手な音を立てて籠と中のマッチケースが道路に飛び散った。
「気をつけろっ!! ガキがっ!!」
馬車は罵声だけを残して去って行く。
「お姉ちゃんっ!!」
ネロが驚いて駆けて来た。
「……ったあ……。いてて、大丈夫よ」
馬車に引っかかった袖がビリリと破れている。
そして少しだけ切れた腕から血が流れていた。
「どうしよう。血が出てるよ。お姉ちゃん死なないで」
ネロの方が動揺して泣き出した。
「大丈夫。大丈夫よ。泣かないのよ、ネロ。大丈夫だから」
そう言っている私も泣きたくなってきた。
もうどうしたらいいのか分からない。
せっかく美少女に生まれ変わったっていうのに、この世界の貧民はブス女よりひどい扱いじゃない。しかも子供なんてホントに無力で、絵の技術もメイクの技術も全然生かすことなんてできない。
朝から何も食べてない空腹と睡眠不足で、前向きな発想がわいてこない。
擦ったマッチの火に幻想を見ながら死んでいった、この子の気持ちが分かるような気がした。
体と脳がエネルギー不足を起こしてるんだ。そこに寒さまで加わって生きる気力が萎えていく。
私もうダメかも……。
そう絶望しかけたその時……。
石畳の歩道に座り込む私達の横を通り過ぎていった馬車が、少し先でキッと止まった。
今日見かけた馬車の中でも、一番大きくて高級そうな馬車だ。
真っ黒だけど四隅の装飾に金のふさが垂れ下がっていて、のぞき窓にかけられたビロードのカーテンが豪華そうで御車の身なりも良かった。
私とネロがこんな所に座り込んでいることに腹を立てたのだろうかと身構えた。
逃げた方がいいだろうかと、慌てて散らばったマッチケースを拾い集める。
やがて馬車のドアが開いて、黒服の男の人が降りてきた。
外灯の明かりに照らされたその顔は、やけに強面のオールバックの男性だ。
この顔付きは堅気の人間じゃないと、二十歳の経験が感じ取った。
「まずいわネロ、あなただけでも逃げて」
「お姉ちゃんは? お姉ちゃんも一緒に逃げようよ」
「あと一個見つからないの。貴重な100ルッコラのマッチケースだもの」
「そんなのいいから早く逃げようよ」
ネロが泣きながら私の服を引っ張った。
「一個はサンドラに踏まれて売り物にならないとして、十個あったはずなのよ。ここに集めたのが九個だからあと一個。暗くてよく見えないわ。あっ、あんなところに!」
私は道路に転がる一個を拾おうと手を伸ばした。
しかしすんでのところで、ひょいと黒服の手に奪われた。
………………………………………………………………
※ 現在のレイラの所持金 600ルッコラ
次話タイトルは「黒馬車の王子様」です




