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西の丸殿は声には出さなかったけれども、私以外にも彼女の口元を注視していた者はいたようで、翌日になると、彼女の『石女』発言は城内に広く伝わっていた。
殿の手前大っぴらに騒ぐことはできないが、城内は、身の程知らずな側室を糾弾するささやき声で満ち溢れ、私の住まう二の丸でも……
「うまずめとはなんですかっ! 産まず女とはっ!」
長刀を手に西の丸に乗り込んで行きかねない勢いで、乳母が叫ぶ。私が、それを嗜めれば、「お方さまも、少しはお怒りなされませっ!」と、普段はおとなしい千草までもが、青筋を立てて私に食ってかかった。
朝のうちには、自分の発した不用意な言葉が結果的に私を傷つけることになってしまったと、参謀が詫びに来た。綾瀬も、その日のうちに見舞いに来てくれ、その後も毎日様子を見に来てくれた。彰昌も、たびたびやって来ては遠目に私の姿を確認し、何も言わずに勤めに戻っていく。
だが、夫だけは、いつまでたっても現れない。
ようやく顔を見せたのは、五日後の昼。しかも、最初に言った言葉は、「そなたともあろうものが、困ったことをしてくれたものだ」だった。
「確かに、西の丸にも、やりすぎのところはあった。だが、そなたは正室。あれの多少の悪戯には目をつぶって、鷹揚に構えておればよいのだ」
「ですが、殿」
「あれが、そなたのことを石女と言ったとか言わなかったとかいうことか?」
夫がたずねた。
「城内でそのような噂が流れているそうだな。だが、あれは、そのようなことは誓って言っていないと申しておる。そなたも気にしないことだ」
「ですが、私は……!」
『面と向かって、彼女から石女と言われたのだ』と、言おうとして私は言葉に詰まった。
この人は、あの人よりも私の言葉を信じてくれるだろうか?
殿はきっと、西の丸に泣きつかれてここに来たに違いない。彼女の訴えをそのまま鵜呑みにして、城内に広まっている噂の火消しをしてほしいという彼女の頼みをきいて、私を訪れたのだ。
「あれはな」
何も言えずにいる私を、夫が諭し始める。
「あれは、故国を滅ぼされ、この城の中で独りで子供を守って戦っているようなものなのだ。そこのところを正室であるそなたがわかってやらぬでどうする。そなたがそのようだから、他の者までもが同調して、このような埒もない噂を流すのだ」
「私がいけないというのですか?」
信じられない思いで私は夫を見つめた。傷つけられたのは本当は私のほうなのに、西の丸殿は、自分で自分の居場所をなくしているだけなのに、彼は、愛する側室の肩を持つばかり。私に事実を確認する手間さえ惜しみ、なにもかも私のせいということにして、事を片付けようとする。
私が愕然としている間に、「と、とにかく、あれを目の敵にすることは控えよ」と、殿は、言いたいことだけ言って、逃げるように部屋を出て行った。
一方、西の丸の側室のほうは、夫に庇ってもらったことで、ますます勢いづいたようである。
日中の彼女は、まつりごとを実地で学ばせるという名目で、息子を連れて本丸に通うようになった。その行き帰りに、わざわざ回り道をして二の丸の私の住居の前を通り過ぎ、自分と息子との楽しげな語らいを聞かせるような真似もする。よほどの大声を出さない限り私の居る場所にまで彼女の声が聞こえるはずもないから、これは明らかな嫌がらせである。私の乳母が抗議すると、『お方さまが、太郎の養育を気にかけてくださっているようなので』と言われたそうだ。
夫はというと、今後は、私と西の丸殿との確執には一切関わらないと決めたようだ。彼は、どちらの肩も持たないことが最良の策だと思っているようで、私とも、以前と同じように付き合おうとしているようでもある。とはいえ、彼にとっての一番は、やはり西の丸殿であるらしく、私のところに泊っても、ある程度の義務を果たすと、そそくさと自分の居室へ帰っていく。私の元に長居をして、西の丸殿の悋気に触れることを恐れているのだ。あるいは、口うるさいことばかり言う私の傍にいるのが嫌なのかもしれない。
今の彼は、気位の高い公家の娘を正室に迎えたことを後悔しているのかもしれない。最近の夫は、私の婚姻をまとめた綾瀬はもちろん、長年頼りにしてきた参謀も疎んじるようになった。参謀が私と謀って西の丸の側室を追放しようとしていると、疑っているようなのだ。
私は、夫にとっては邪魔な存在で、いっそ、いなくなってしまえばいいと思われている。綾瀬にも参謀にも迷惑をかけている。帝の血を残すという使命も果たせそうにない。朝廷のために貢献できない私に、都の父は、ひどく失望していることだろう。
考えまいとしても、私の思考は、暗く澱んだ方向にばかり向いた。彰昌がこっそりと届けてくれる小さな花もきれいな色の小石も、もはや私の心を晴らしてはくれなかった。私は、ひたすら自分を責め、出口の見えない闇の中に自らの心を追い詰めていった。
いったい、どうやったらこの苦しみから抜け出せるのか。否、もはや、抜け出そうと足掻くことどころか、抜け出したいと思うことさえ、私は億劫になっていた。
なにもかもが億劫になったある日、私は、一番安易な方法で、この苦しみに決着を着けようと思いたった。
私は、放り投げるようにして懐剣の鞘を抜くと、その切っ先を自分に向けようとした。
だが、鞘を抜くのとほぼ同時に懐剣が手からもぎ取られ、私は、強い力で体の自由を奪われた。
彰昌だった。
「返して!」
私を押さえつける彰昌から懐剣を取り戻そうと、私は必死でもがいた。私の声を聞きつけて部屋に飛び込んできた千草が悲鳴をあげ、乳母がその場にへたり込む。綾瀬を呼んでくるようにと彰昌が叫び、千草が駆けていく。
「姫さま!」
懐剣を部屋の隅に放り投げた彰昌が、我を失って泣き喚く私を抱きしめた。
「姫さま! 姫さま! どうか! 永姫さま!」
何度も何度も、彼が、昔の呼び名で私を呼ぶ。なんの憂いもなかった頃の呼び名で呼ばれるたびに、私から抵抗する気力が萎えていった。
「彰昌……」
私は、のろのろと顔を上げると彰昌を見た。
「なんてことを……なんということをなさるのです」
彰昌の声がかすれる。こちらを見る彼の顔には、必死さが溢れていた。
「すまぬ。魔が差した」と呟くと、彼が、ホッとしたように顔を目をきつく閉じた。目頭から零れた涙が、彼の鼻筋を伝って私の衣に落ちた。
「すまない。彰昌」
私は、手を伸ばすと、彰昌の涙を拭ってやった。ずっと彼に守られてきたのに、その彼に黙って命を絶とうとするなど、絶対にしてはいけないことだったと、私は今更ながら後悔した。
「すまない。もう、しない。約束する」
何度も何度も、私は彰昌に謝り続けた。




