第五話 『無情な人間』
ミャオリンが向かった先は、洞窟の入口だった。
本当の、外との境界。
ジエンが殺されてしまった場所。
珍しくミャオリンは緊張した。鍾乳石の陰に隠れながら、左右を確認し、慎重にゆっくりと前に進んでいく。入口が近くなるにつれて光が大きくなり、その先が外なのだと実感する。
昔から、近寄るなと老いぼれ婆からも言われていた。行こうとするといつも老いぼれ婆に止められ、怒られた。そのうちに興味がなくなり、飽きて、それっきりだったから、本当に行ったことがない場所だった。
しかし、洞窟から外に出る前に、柵が行く手を阻んでいた。鉄の柱が、何本も並んでいる。
それが何か、ミャオリンは知らなかった。
触ると、ひんやりと冷たい感触がする。動かそうと押してみるが、硬くてびくともしない。
叩くと、金属が鳴り響く音が洞窟の中に響いた。
「何してるの」
声がして、ミャオリンは振り向いた。
オウリャンだった。
いつもの美しい彼女は見る影もなく、目の辺りを真っ赤に腫らしている。ミャオリンはちょうどいいと思って、平然と聞いた。
「ねえ、この柵は何? これじゃ外に」
「やめて」
オウリャンが静かに、しかし、はっきりと言った。
「おばあちゃんから聞いたでしょう? ここでジエンが死んだのよ。それもあなたを庇って。あなたそんなに死にたいの?」
「違うよ、私はただ、外に出れば奴隷商に会えるから、出たいだけだよ」
「馬鹿なの!?」
オウリャンが叫んだ。洞窟内で音が反響し、水面が震えた。
ミャオリンの方に近付き、肩を掴んで揺すった。
「何考えてるの!? もう変なことしないでよ! 馬鹿はジエンだけでいい!」
オウリャンの目には涙が浮かんでいた。
「何でわからないの! 私たちは諦めて静かにして、奴隷になった先での平和を望むしかないのよ!」
「でもそれじゃ何も解決しないじゃん!」
ミャオリンはかっとした。
「ジエンが庇ってくれても、いつかは私もみんなも不幸になるってことでしょ? それでいいわけない! 悪いのは、本当に悪いのは私じゃない! その奴隷商でしょ!?」
一息で言って、オウリャンを睨む。オウリャンは何か言い返そうと口を開きかけたが、突然青ざめて口を抑えた。そしてミャオリンの腕を掴み、引っ張ろうとする。
「な、何」
オウリャンに口も塞がれ、ミャオリンは混乱する。事情を聞こうとオウリャンに視線を向けたが、オウリャンはミャオリンの背後を見ていた。
嫌な予感がした。ミャオリンが振り向くと、鉄の柵のすぐ外側に、見たことのない生物がいた。上半身は人魚と同じだが、下半身からは二本の足が生えていて、妙な服装をしている。
それが多数、水に浮かんだ箱のようなものの上に乗ってこちらに近付いている。
「おい、また人魚が来てるぜ」
「相変わらず綺麗な顔してるわー」
下卑た笑みを浮かべながら、じろじろと二人を舐め回すように見ている。
「逃げないと……!」
オウリャンが泣きそうになってミャオリンを強く引っ張りながら奥に進む。
それで流石のミャオリンも理解した。噂をすればなんとやら。あれが、その、人間なのだ。
怖い、と感じた。でも、ミャオリンが願ったことだ。
「い、今がチャンスなんだよ。洞窟の中に逃げても捕まったまま……! この隙に何とかして本当の外に……!」
「……何をしとるんじゃ?」
しかし突然老いぼれ婆の声がし、ミャオリンは即座に振り向いた。その顔を見て、一瞬で真顔になる。
「ミャオリン……? お前、わしの話を聞いておらんかったんか?」
老いぼれ婆は震える声で静かに言った。じっとミャオリンとオウリャンを見比べ、くしゃりと顔にしわを寄せた。
「オウリャンも……。わしはもう、どうにもできんぞ……?」
呆れたように言いながら、老いぼれ婆はミャオリンとオウリャンの横を通っていく。
二人は黙って老いぼれ婆を見つめていた。
老いぼれ婆はそのまま、鉄の柵の前にたどり着いた。人間の乗る小さいが豪奢な木の箱は、すぐ目の前にあった。
「おい、ばあさん! こいつらが代わりの商品か? この前死んだ人魚も惜しかったが、この二人もそれに劣らねえ顔だな!」
「そうなのですねえ」
老いぼれ婆の声には、感情が籠っていなかった。
『死んだ人魚』という言葉にミャオリンが反応しかけたが、オウリャンが震えながら必死で止めた。
「次の船は一週間後だ。その二人は確定でその船に乗せることにしよう。俺の気分がそう言ってる」
「ま、その準備だけしとけよな、おい!」
老いぼれ婆は何も言わない。微動だにせず、人間の言葉を聞いている。
それが常なのだろう。
人魚を育てる親であると同時に、老いぼれ婆は人魚を外に放つ役目を持っているのだ。おそらく拒否権はない。
言うだけ言うと、その後人間は、やはりミャオリンとオウリャンに下卑た笑みを向けながら、洞窟の外に帰って行った。
「なあ、お前さんら、わしはどうすればいいんじゃ?」
人間が完全に見えなくなってから、老いぼれ婆はミャオリンとオウリャンに問いかけた。
「本当にすみませんでした」
オウリャンが間髪入れずに答え、涙を流した。
「ジエンが報われませんね。でも受け入れるしかありません。それにどちらにしても、いつかは起こることでしたから」
「お前、本当にわかっておるのか? 一週間後には自由が奪われるんじゃぞ」
「はい、仕方がありません」
オウリャンは悲しそうに微笑んでいた。
ミャオリンは、黙ってオウリャンを見つめる。本当にそれでいいのだろうか。悔しくないのだろうか。
「ばあちゃん、本当に逃げることはできないの? 奴隷商とちゃんと話し合ったら、きっと」
「甘い!」
老いぼれ婆が怒鳴った。
「そんなことはできるわけなかろう! ジエンを殺すような奴らじゃぞ!? お前は昔から……どうしようもないな!」
老いぼれ婆は顔を真っ赤にして、ミャオリンの腕を掴んだ。
その剣幕に、酷く驚いた。
こんなに怒っている老いぼれ婆を、ミャオリンは見たことがなかった。
現実を受け入れろ、と言われているような気がした。
「ご、ごめんなさい」
「じゃから、結果的に不自由になるのはお前らなのじゃぞ!? お願いだから、ちゃんと考えて行動してほしかった……!」
ミャオリンは何も言うことができなかった。というより、何をいえばいいのかわからなかった。もう取り返しがつかない。厳しいが今までずっと面倒を見てくれていた老いぼれ婆を、悲しませて、困らせて、怒らせているのは自分だった。
そこでミャオリンはひとつの事実に気が付いた。
一週間後には、もう老いぼれ婆とも離れ離れになるのだ。それを意識した途端、ミャオリンの目から涙が零れ落ちた。つ、と頬を伝い、水の上に波紋を立てる。
老いぼれ婆が怒鳴るのを止め、目を丸くしてミャオリンをじっと見つめた。
いたたまれなかった。これまではガミガミと鬱陶しいとしか思っていなかったが、今になって悲しくなってくる。
「本当に、ごめんなさい」
ミャオリンは静かにそう言うと、急いでその場から離れた。
◆ ◆ ◆
結局、ミャオリンの行先と言えば、いつもの歌を歌う場所しかなかった。
でも流石に、歌を歌うわけにはいかない。歌を知っていることがばれたら、ジエンのように殺されてしまう。ジエンの死が無駄になってしまう。
「ごめんね、今日は歌えないんだ」
鍾乳石にひっついた青白く光る虫に、ミャオリンは話しかける。勿論応答などあるはずもなく、ただ相変わらず規則的に点滅するだけだ。
いつもの魚が周りに寄ってきて、ミャオリンの尾に擦り寄ってくる。
「ごめんね、もうこれからは君たちの餌はなくなるからね」
ミャオリンは虫を摘んで、水の中に放り込むという作業を淡々と繰り返す。
やはりアホ太郎だけが、いつまで経っても餌を入手できていない。ワンテンポ遅れて飛び上がり、悲しそうに水中に戻っていく。
「アホ太郎……。もう私のところには来なくていいんだよ。ここは倍率高かったからね。他のところで餌を食べていいんだよ」
ミャオリンはそう言うが、アホ太郎には理解できるはずもなかった。
「もっと広い世界を見てきな。きっともっといい世界があるよ」
自分で言って、すぐに笑えない冗談だと気づいた。
むしろ魚の方が、世界を広く知っているのかもしれない。あの鉄の柵の間も、この魚なら通ることが出来る。
広い世界。いい世界。
反対に、自分は何を知っているのだろう。人間がいて、奴隷にされて、それがいい世界なわけがあるだろうか。
でもだからといって、狭い世界が良いという訳でもない。何も知らずに急に地獄に落とされるなら、事前にもっと説明が欲しかった。
「みんなともお別れだね」
ミャオリンは洞窟の壁に向かって言う。何かを言わないと落ち着かなかった。歌いたいという気持ちだけが膨らんでいく。好きなことが出来ないというのは、こんなにもストレスなのだと、初めて知った。
これまで日常に支えられてきたのだと悟った。老いぼれ婆がいて、ジエンとオウリャンがいて、魚と虫がいた。それを当たり前だと思っていた。
悔しかった。
何故か、涙が出てくる。
今まであまり泣いたことはなかったのに。
ミャオリンは水の中に潜り込んで、底で尻尾を抱えて頭をうずめた。
アホ太郎だけが、魚の群れから離れて、ずっとミャオリンに寄り添っていた。
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