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第四話 『無知の幸せ』



 冒険先は 行き止まり 消えてく友と 願望と


 深い闇の 静かな光 悟ったことは 無意味だから


 歌を歌おう ひっそりと 自由に泳ごう のびのびと


 我らの幸せ 取り戻せ 母の歴史を 思い出せ


 記憶を歌い 語り継ごう



 ミャオリンはその日も、いつもと同じ空間で歌を歌っていた。歌の意味は抽象的すぎて正直よくわかっていない。でも単純に音楽が好きで、言葉の響きが好きだった。

 怒られたらやめるが、それまではミャオリンの自由である。楽しみの一つを奪われるのは、耐えられない。

 ところがその日は、幸か不幸か、いつもと違った。

 いつもは必ずといっていいほど注意しに来るジエンとオウリャンが、いつまで経っても来ないのだ。

 少し疑問には思うものの、しかしやはりミャオリンのことなので、すぐに忘れて相変わらず歌を歌っていた。


「ミャオリン!」


 突然、しゃがれた罵声が聞こえ、ミャオリンは肩を震わせ振り向いた。ジエンとオウリャンではない。

 老いぼれ婆が、物凄い剣幕でこちらに迫ってきている。反射的にミャオリンは逃げようとするが、それより先に、老いぼれ婆が鍾乳石にぶつかってつんのめった。水の中に沈んで、起き上がる気配がない。


「え、ばあちゃん! 何してるの」


 ミャオリンは慌てて近寄り、老いぼれ婆を起き上がらせた。

 老いぼれ婆は口から水を吹き出し、ケホケホと咳をした。人魚だから溺れないかといえばそうでもなく、年寄りならエラと肺を間違えてしまうこともある。


「落ち着いてよねー。ばあちゃんもう歳なんだから」


 ミャオリンが老いぼれ婆の背中をさすると、老いぼれ婆はくわっと目を見開いた。


「何を言っておるんじゃ! ミャオリン、お前のおかげで取り返しのつかんことになったわ!」


 ミャオリンは肩を掴まれ、その気迫に少し仰け反った。


「な、何かあったの?」

「お前の歌じゃよ! ジエンもオウリャンもお前の耳にタコができるほど言ってたろうに!」

「だから、ばあちゃん、結局どういうことなの? 私が歌うのがいけなかった? 私の好きなことなのに?」

「そうじゃ!」


 ミャオリンはため息をついた。やはり、理不尽である。


「わかった、わかったから。でも逆に何で、ジエンもオウリャンもばあちゃんも、その歌がそんなに嫌いなの?」

「……お前さん、頭がよろしくないんだったなあ……」


 老いぼれ婆が半眼でこちらを見てくるのでミャオリンは少し悔しかったが、事実だった。


「いいから、早く。私の人生の楽しみは歌と泳ぐことだけなのよ」

「お前なあ……。あのな、いい加減気付かんか? ミャオリン、お前自身が自分の不幸を呼んでるんだ。これからは、お前の楽しみは全てなくなると思った方がいいな」

「どうして」


 老いぼれ婆はちらりとミャオリンの顔色を窺ってから、吐き出すように言った。


「ジエンが昨日、いなくなった」


 ミャオリンは一瞬硬直したが、すぐにどこか安心した表情をした。


「よくあることなのでは? ジエンももう大人だから、いつもみたいに消えることもあるんじゃ……」

「違うわい!!」


 老いぼれ婆の罵声が洞窟内に反響し、水面までもが揺れた。


「いいか、よく聞けよ、ミャオリン。真実を話そう。簡潔にいうと、お前らは奴隷で、ずっと人間に売られてたんじゃ! それに、お前があの歌を歌ったから、商品どころか、ジエンが……!」


 老いぼれ婆は再び崩れ落ちた。近くの鍾乳石に捕まり、おうおう泣いている。


「え、どういうこと? 何言ってるの?」


 ミャオリンは目を瞬かせた。


「じゃから、ミャオリン、お前の歌がまずかったのじゃ! ずっとジエンもオウリャンもやめろと止めておったのに、歌い続けるから……!」

「何で!? 私は何も……。歌が好きなだけで……」


 老いぼれ婆は大きく首を振った。


「そういう問題じゃないんだと言ったろう!」

「でも何でよ! あの歌を歌っていたのはばあちゃんだったじゃない! 子守唄みたいに、いつも歌ってた……。ジエンもオウリャンも昔は歌ってたのに!」

「聞き分けが悪い子じゃなあ、お前は……! 随分前に、人魚が一度にたくさんいなくなったのを覚えておらんか!? あの時から歌はやめろと言っておるのに、お前だけは……。今まではバレんかったが、もう手遅れなのじゃ……。あの頃に比べて随分処罰がひどくなってしもうた……」


 老いぼれ婆が歌を歌わなくなった時のことは、ミャオリンも記憶していた。

 しかし、ミャオリンは先程老いぼれ婆の言った『奴隷』『人間』という言葉の意味が文字通りわからなかった。ミャオリンが知っているのは、この、人魚しかいない小さな世界だけ。だからミャオリンには、その消えた人魚の行く先を知る術がない。


「ねえ、ばあちゃん。結局ジエンは? オウリャンは? どうなったの? 『奴隷』? 『人間』? 何それ……。私のわかる言葉を話してよ、ねえ……!」


 ミャオリンは頭をかかえ、わからない、と首を振る。老いぼれ婆は目を見開き、口をぽかんと開けた。


「お前……。そうか、そうだな。その年齢の輩には、まだ教えていなかったな……」


 老いぼれ婆が話し始めた。


「八十年以上前の昔の事じゃ……。この世界は、我々人魚の世界ではない。我々は故郷から幼い頃に攫われ、奴隷としてここにやってきた。それが長い間続いておる。買われると人魚はその人間という、我々とは異なる種族のものになり、一生を彼らのために費やさねばならない。それが奴隷じゃ。何を求められるかはその人間の趣向によるが……。基本は、珍しい人魚として観賞用にされるか、暴力をふるって遊ばれるか、の二択じゃ。外の人間の世界では奴隷の売買は禁じられておるから、表に出られることはない。まあ、簡単に言えば、歌を歌ったり、広いところで泳ぐことができなくなるな」


 老いぼれ婆はミャオリンを少し窺ってから、目を伏せた。


「え……。じゃあ、私も……?」


 ミャオリンは自分を指さす。


「そうじゃ」


 理解が追いつかなかった。無意識に自分の腕をさすり、意味もなく洞窟内を見回す。無数の虫が青白い光を発している、いつもの光景。でも確かに、ミャオリンはそれ以外を見たことがなかった。洞窟の外に他の世界があるなんて、考えたことがなかった。


「待って。そんなの知らないし。なんで。え……ちょっと待って。じゃあみんなそんな酷い目にあっていたの!? 今まで消えていた人魚全員が!? ジエンもオウリャンも!?」

「まあ、そういうことになるのじゃが……。ジエンとオウリャンに関しては、事情が大分変わってしまったのじゃ……」


 老いぼれ婆は出入口の穴に目を向けた。


「オウリャンはまだ無事じゃ……。じゃが、ジエンは……」


 老いぼれ婆はそこで意味深に言葉を止めた。さっきからずっとジエンについて言葉を濁しているのが、ミャオリンは気になった。


「ねえ、ばあちゃん、本当にどうしたの?」


 ミャオリンが急かすと、老いぼれ婆は震えながらも、ようやく答えた。


「……ジエンは、死んでしもうた……。それも、お前を庇ってのことじゃった……」


 ミャオリンは声を出せなかった。老いぼれ婆は容赦なく続ける。


「少し前から、洞窟の中から歌声が聞こえる、という噂が奴隷商の間で流れていたのじゃ。最初は、綺麗な歌声だからと、その人魚の出品を急かしてくるだけじゃった。もちろんお前のことじゃが、そのときはわしもしらばっくれていた。しかし、三日ほど前、とうとう歌の内容が外に漏れてしもうた。あの歌は人魚奴隷貿易の歴史の歌で、我々から故郷を忘れさせたい地上の人間にとっては、非常に都合が悪い。それに、どうも人間側の妙な事情があるようでな……。本来なら売られる直前にわしから皆にその歴史をこっそりと話しているのだが、あくまでも他言無用としておる。ジエンとオウリャンにも、まだ話しておらんかった。じゃが、昨日、奴隷商がこの洞窟の入り口にやってきて、歌を歌っているもの、それから歌の内容を知っているものを連れ出してくるように言った。わしが返答に困っていると、急に岩陰からジエンが飛び出してきて、自分がその人魚だと言った。なぜそこにいたのか意味がわからなかったが、今ならわかる。ジエンもオウリャンも賢いから、歌を聴いて真実を悟っていたのだろう。オウリャンはジエンを引き留めようと岩陰から出てこようとしていたが、そのまえにジエンが殺された。奴隷商は妙な術を使っていた。人間の世界では水神術というらしいが、水の球か何かが高速で飛んできて、それで即死した。奴隷商が、他に歌を知る人魚がいないか聞いてきたから、あわててもういないと答えた。すると、これも売れるからとジエンの死体をもって、黙って奴隷商は帰っていった」


 老いぼれ婆の話が進むにつれて、ミャオリンの顔から色が消えていった。自分がしてしまったことの重大さにようやく気が付く。

 ジエンもオウリャンも、意地悪で歌うのを阻害してきたわけではなかった。何も考えないで、歌詞の意味も考えずに遊んでばかりいた自分が恥ずかしかった。


「どうしよう、ばあちゃん……」


 取り返しのつかないことをしてしまった。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 謝ることしかできなかった。それも、どうやって気持ちを伝えればいいのかわからない。これまで人魚との関わり合いを適当にしてきたツケが回ってきた。


「わしに謝られても困るだけじゃぞ……。わしも、お前さんらにはずっと申し訳ないと思っておる。なぜわしだけが奴隷にもされずにここで生きておるか、お前も疑問に思うじゃろ?」


 老いぼれ婆は自嘲の笑みを浮かべる。しわくちゃの顔。決して美しいとは言い難いが、ミャオリンや他の人魚にとっては、まぎれもなく、慣れ親しんだ育ての親だった。


「じゃあ、ばあちゃんは何で奴隷にされないの?」

「それは、自分でいっておいて何じゃが、言えないんじゃ。いや、言えることには言えるが……。言いたくないのじゃ。聞かれたことはあるが、今まで誰にも言ったことはない。今はまだお前もなんとも思わないだろうが、後々わしを恨むだろう。それが、怖いんじゃ。謝るのは、わしだ」


 いつも堂々として偉そうな老いぼれ婆が、何に怯えているのかわからなかった。励ますのは柄でもないから、ミャオリンはただ本心を言う。


「正直、私はそんな理由何でもいいしどうでもいい。ばあちゃんが何も教えてくれなかったのは怒ってるけど、今回のは私がみんなの言うことを聞かなかったせいだから。本当に、ごめんなさい」

「じゃから、謝るのはわしではないと言っておろう? 素直なのはお前の美点だが、お前はわしに許してもらって楽になるのか?」


 老いぼれ婆が苦笑する。

 はっとして首を振り、ミャオリンは少し考える。

 しかし考えているうちに、ふつふつと怒りが込み上げてきた。思えば、謝るなんて、反省なんて、自分でもらしくなくて、どこかしっくりこなかった。謝り方がわからないのも当然だ。多分ミャオリンは誰に許してもらってもすっきりしない。確かにミャオリンも悪い。それは認めたが、その感情をどう伝えたらいいのかがわからない。少なくともその方法は、許しを乞うための謝罪ではない。

 そしてもっと根本的に考えると、果たしてミャオリンは本当に悪いのか。老いぼれ婆は庇ったと言ったが、飛び出していったのはジエンの意志だ。ジエンも死にたくなかったら出てこなければよかった。でもそれも、本当にジエンは死にたかったのだろうか。ジエンも死ぬとは思っていなかったのではないか。ミャオリンは単純に、この事件の原因を一つ一つ確認していく。そののちに一つの結論に辿り着くと、口を開いた。


「ばあちゃん、私はもう絶対に歌わないよ。約束する。誰にも迷惑はかけない。これからは真面目にする。だからお願い。私達はいつか自由を奪われる運命だけど、ばあちゃんは長生きして、私達のことを覚えてて。う、歌を歌えなくて泳げない人生なんて最悪だけど、頑張るから」


 ミャオリンは満足して胸を張った。老いぼれ婆が感動して泣いてくれるのではないかと思って見ると、しかし老いぼれ婆は目を細めて呆れていた。


「な、何よ。いいこと言ったじゃない」

「お前な……。今のは明らかに棒読みじゃ。何を考えておる?」


 ミャオリンはぎくりとした。


「も、文字通りの意味だよ?」

「で?」

「ま、まあ、見てればわかるから。ちょっといい考えを思いついたのよ」


 老いぼれ婆が胡乱げな視線を向ける。おおよそ、ミャオリンの思考は読まれているかもしれない。ただどちらにせよ、ミャオリンの行動は変わらない。


「と、いうわけで、私は退散するから!」


 ミャオリンは水中に潜り込み、得意の泳ぎで空間の出入口に猛スピードで向かった。


「もう馬鹿なことをするのはやめるんじゃぞ、ミャオリン! おい、聞いておるか!」


 老いぼれ婆の叫び声は、残念ながらミャオリンの耳には届いていなかった。




 

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