第二話 『真実と無知』
目のくらむシャンデリアの光が上から降り注ぎ、中央の舞台を照らす。優雅な音楽が流れる中、舞台では誰かが何かどうでもいいことを話している。
ジオルガの卒業式は、最悪なものとなった。
ずっと座らされて教授の話を延々と聞かされるのは、別に耐えられないほどでもない。
しかし、周りの視線が痛かった。学位授与の際も、スピーチの際も、代表して名前が呼ばれたのはジオルガではなく、ディゲルという学年二位の別の生徒だったからだ。
ジオルガの通うミュリムソン学院では、卒業生総代は毎年その学年の首席だった。そしてこれまでジオルガはずっと首席を維持していた。だから周りの生徒も、そしてジオルガ自身も、総代となるのはジオルガだと思っていた。
もちろん周りの生徒とは異なり、ジオルガは事前に自分が呼ばれないことを知っていた。ちょうど一か月前にジオルガの学部のパケード教授から知らされていたが、理由が理由だったから、誰にも話していなかった。ただ、その理由には、今でもジオルガは納得していない。
「お前、なんかあったの?」
卒業式が終わり、式場となったホールを退場したところで、案の定、友達がジオルガの方に迫ってきた。
学院では身分は関係ないから、特に男友達ならタメ口が当たり前だ。声をかけてきたヘルドも商家の出で平民だった。
「どこで成績落としたんだ? 最後の試験も全教科一位だったろ?」
「悪い。言えないんだ」
「お貴族様の事情か?」
ヘルドは目を細めていかにも嫌そうな顔をする。
「まあ、そんな感じかな」
「げー、最悪だな」
「……本当に」
ジオルガとヘルドが話していると、他の生徒も集まってきた。
同じように、ジオルガが首席ではなかった理由を根掘り葉掘り聞こうとしてくる。
正直うるさくて、ジオルガはヘルドの手を引いて帰ろうとする。ヘルドは親友だったからいいが、別段親しくない人の相手をしたい気分ではない。
「ナヤルのお姫様との婚約をお祝いしないとな!」
しかし、自分の周りに張り付いてくる集団の中からそんな声が聞こえて、ジオルガは足を止めた。誰かはわからない。ただ、心当たりはある。とにかくこの時、本当に全てが崩れ落ちた。
「どういうことだ?」
ヘルドが眉を寄せて聞いてくる。
「……文字通りだ。黙っていて悪かった」
「おい、でもお前、婚約者はもとからいたじゃねえか。ジェメドリッサ様はどうなって」
「ヘルド」
ジオルガはヘルドの言葉をさえぎり、じっと睨んだ。
「やめてくれ」
「……ごめん、悪かった」
ヘルドが驚いたように、そして怯えたようにこちらを見た。ジオルガは胸が痛くなるのを感じた。
そしてこの話を聞いた周りの生徒のざわめきが大きくなる。
「ナヤル王国の王女? サリアナ殿下? それって最近お子が生まれた方ではなくって?」
そんな声を聞いた多くの生徒は顔をひきつらせ、周りの友達とこそこそ囁き合う。
「ナヤルの姫って何人いますの?」
「国王が養子として女性を迎えていない限り、姫は一人しかいないはずですが」
「どういうことだ?」
「しかし、王女は結婚しており第一子は二年ほど前に生まれていらっしゃったそうですよ」
「ではなぜジオルガ殿と新たに婚約を?」
「あちらの国に一妻多夫制は……」
「ないね」
「もしかして、ジオルガ様はうわ」
「まあっ、そんなはしたない言葉言わないでくださいまし!」
「おいおい嘘だろ」
「王女と隣国の貴族のダブル不倫……」
「お前っ、あからさまに言うなよ」
「流石にそれじゃ表に出せませんね。成績じゃ首席でも裏でこんな、ね」
「それで論文も発表されなかったのか。ま、無理だわな」
「ひ、ひどいですわ。尊敬していましたのに」
「大ニュースだな。とんだ醜聞だ」
向けられる目線と言葉の刃に、ジオルガはぐっと、自身の下唇を噛んだ。
やはり、納得できない。
自分がどうしてこんな思いをしなければならないのか。あんな理由で、どうして首席の座まで奪われなければならないのか。
ヘルドの方を見ると、あたふたしていた。
この学院には貴族が多いからその常識が分かる者はこの状況をすぐに理解できるが、あくまでも平民のヘルドにはよくわからないのかもしれない。それが唯一の救いだった。
「ヘルド」
ジオルガは先程とは違う、穏やかな調子で声をかけた。ヘルドが首を傾げながら振り向く。
ジオルガは苦しげに、一言だけ吐き出した。
「ごめんな」
「え、おいっ!」
ヘルドがジオルガの腕を掴んだが、ジオルガはそれを振り払う。ヘルドが阿呆みたいに口を開いてこちらを見ていて、それが辛かった。だから目を逸らし、背中を向けた。
ジオルガは問い詰めを全て無視し、詰め寄ってくる者を押し退けながら、早足でその場を離れていった。
不可能だろうが、この話が彼女に伝わっていませんように、と、特に信じていない神に祈った。
◆ ◆ ◆
婚約破棄の発表から数日間、ジェメドリッサはじっと部屋にこもっていた。
特にするべきこともなかったし、したいこともなかった。本を読むわけでもなく、刺繍をするわけでもなく、ずっとベッドの上でごろごろと、ぼーっとしていた。
しかし、今日は違った。事前に招待されていた、この国ミュリムソン王国のゾニア王女主催のお茶会に午後から行かなければならない。そして今はもう昼である。
「……お嬢様」
未だに夜間着のままベッドの中に潜り込んでいるジェメドリッサに、侍女のフリエが声をかける。
ジェメドリッサも流石に限界なのはわかっていた。なかなか気が進まないが、立場の弱いフリエを困らせてはいけない。もぞもぞと布団が動き、ジェメドリッサの顔が出る。
「ごめんなさいね。今から用意するわ」
「承知致しました。それにしてもひどいお顔ですよ」
呆れたように言い、フリエはジェメドリッサの身支度を始めた。
王女主催のお茶会は、王宮で行われる。基本は最低でも伯爵以上の令嬢が呼ばれるものだが、ジェメドリッサが呼ばれていたのは、ジオルガの婚約者として親交を深めるために定期的に開かれていたお茶会だった。
すでに婚約者ではないのだから、ジェメドリッサとしては正直出席する意味が感じられない。逆にジオルガの話をされても困る。泣き腫らした目は化粧でごまかしたが、ジオルガのことを思い出すとまた泣いてしまいそうだった。
無心であることを心がけて、ジェメドリッサは部屋に入ってくる令嬢に会釈をしていく。
ジェメドリッサは今回招待される貴族女性の中で最も身分が低いので、かなり早くに王宮に到着していた。相変わらず最初は主催者の王女と二人きりでかなり緊張していたが、もうそろそろ全員が席に着きそうだった。
「ごきげんよう」
最後にやって来たのは、公爵令嬢のペトリージャだった。ジオルガと同い年で、ミュリムソン学院でも同じ学部だ。何度か会っているうちに気づいたことだが、彼女はジオルガに想いを寄せているようだった。何かといつもジェメドリッサにジオルガのことを聞いてくるのだ。
一瞬目が合った気がして、ジェメドリッサはどきりとした。
「では、始めましょうか」
全員が席に着いたところで、王女が軽く手を合わせお茶会の開始を宣言した。出席者は王女を含めて六人だ。皆まだ若く、美しく着飾っている。その時点で既にジェメドリッサは浮いている気がした。
また、皆は近くの令嬢と社交の意味もこめた雑談をしているが、ジェメドリッサは一人だ。場所はともかく学院の学生や卒業生ばかりなので、そこでのつながりがある者が多いようだった。
ジェメドリッサは学もなかったし、身分もなかった。以前はジオルガの婚約者という肩書きもあったが、それもない。婚約していないのはこの場ではジェメドリッサ一人だけだった。
ジェメドリッサはこぼさないように気をつけながら、黙って静かに紅茶を飲む。
しかしやはり、それはそれでかなり目立ってしまった。
「ジェメドリッサ、どういたしましたの?」
王女に話しかけられてしまった。他の出席者の目をこちらに向けられる。
「何か気になることがおありでして?」
「いえ、大丈夫ですわ。お気遣いありがとう存じます」
「そう? なら良いのですけれど」
王女がそう言うと、目線はジェメドリッサから外れ、再び令嬢達は社交の会話を始めようとした。
しかしそこで、ペトリージャが声を上げた。
「ジェメドリッサ様、お気になさらず、何でも相談していただいてよろしいのですよ。その、先日、良くない噂を聞いてしまい、私少し心配していましたの」
ジェメドリッサは凍りついた。
言葉は濁しているが、ペトリージャは明らかに知っている様子だった。そこまで広まっているとは思わなかった。どこで聞いたのだろう。おおよそ、ミュリムソン学院なのだろう。ジオルガが言ったのかもしれない。
王女は「まあ」と、目を見開き、口に手を当てた。
「あら、そうでしたの? ペトリージャの言う通りよ。私達はもう友達ですわ。皆さん、ジェメドリッサの悩みを解決してあげましょう?」
再び出席者全員が、ジェメドリッサの方を見る。こうなると、もうどうにもできない。ジェメドリッサは王女の要求に応じて話す他はなかった。
「……その、大変言いづらいことなのですが、その、婚約が反故になってしまいまして」
最初に反応したのは、ペトリージャだった。
「そんなっ。では、噂は本当だったのですね。なんて可哀想なのかしら……。大丈夫よ、私達だけはあなたの味方ですわ」
そう言ってわっと顔を覆い、「ひどい」と悲しそうに声をもらす。
近くの伯爵令嬢がペトリージャを宥めながら、少し首を傾げて言った。
「ジェメドリッサ様、まだあなたの年齢なら大丈夫だと思いますわ。お家の事情もありますでしょうし、確か政略的な婚約だったと聞きましたから、今度は恋愛結婚を目指すことができるかもしれませんわ」
「え、ええ、そうですわね。ありがとう存じます」
ジェメドリッサは笑顔を取り繕う。
そこで再び、ペトリージャが嘆いた。
「いいえ、違いますのよ! 今回の婚約破棄は本当に酷いのですわ!」
ペトリージャは涙を流しているようだった。ジェメドリッサは逆に戸惑ってしまう。
「あの、ペトリージャ様、お気持ちはありがたいのですが、私はもう大丈夫ですので……」
「まあっ、ジェメドリッサ様は知らないのですね。ジオルガ様はこのことを伝えていないだなんて……まあ、本当に、酷い方ですわ」
ジェメドリッサは少し苛立った。確かに婚約破棄されたとは言え、ジェメドリッサはまだジオルガのことが好きだった。仕方のない決定なのだから、ジオルガのことを悪く言わないでほしかった。
ジェメドリッサはどうにかしてこの話を終わりにしようと口を開きかけたが、ペトリージャが言う方が早かった。
「ジェメドリッサ様、ジオルガ様の新しい婚約者は、ナヤル王国の王女殿下ですわ」
その瞬間、ジェメドリッサ以外の、王女を含む周りの令嬢が一斉に悲鳴を上げた。
「まあっ、そんな!」
「ジオルガ様はなんて嫌な殿方ですの!」
「ペトリージャ様が酷いと仰るのも当然ですわ!」
「ジェメドリッサ様は一切悪くありませんのに!」
しかしジェメドリッサは一人、意味がわからず戸惑っていた。ナヤル王国の王女が新しい婚約者だということは、ジオルガから直接聞いていたから、すでに知っている。
「あの、皆様、どういたしましたの? その、相手が王女だというのは、私も聞いていたのですけれど。彼が、何か……?」
ジェメドリッサは恐る恐る尋ねた。
悲鳴が止まり、皆が一斉にこちらを向く。そして目を見開いて互いに顔を見合せた。
「あ、あの」
ジェメドリッサは皆の反応が過剰ではないかと思った。
すると、伯爵令嬢が何かに気づいたようで、苦笑しながらジェメドリッサに言った。
「もしかして、ジェメドリッサ様は他国の事情にあまり明るくないのではないですか?」
「え?」
他の令嬢も続ける。
「そうね、学院にも通っていらっしゃらないようですし、ご存知ないのかも」
ジェメドリッサは頬が熱くなるのを感じた。恥ずかしかった。当事者の癖にジェメドリッサは何も知らない。理解できない。
学がないことを馬鹿にされているような気さえした。そして、この空気の中もう聞くことはできない。
「ま、まあ、口にするのもはばかられることですし、この話は終わりにいたしましょう。ジェメドリッサの婚約者は、私がもっと良い方を探して差し上げますわ」
王女の鶴の一声で、話題が変わる。ペトリージャも顔を上げ、近くの伯爵令嬢と話し合う。さっきの涙は何だったのだろうか、すでに顔には笑みが浮かんでいる。
「ねえ、このネックレスを見てくださいまし? 先日新調しましたの」
「まあ、その宝石って、もしかしてあのソリエダ商会のものでは? ナヤルの鉱山資源と研磨技術が組み合わさった、素晴らしいエメラルドですわ。よくお似合いでございます」
「あら、嬉しいですわ。お詳しいのですね」
ナヤル。ジェメドリッサはその単語に嫌悪感を覚え、慌ててペトリージャの方から目を逸らした。
微笑む王女と目が合う。
「ねえ、ジェメドリッサ、このお茶はいかがですか? スプレジア王国からとっておきの茶葉を仕入れていただいたのだけれど」
ジェメドリッサも王女から話しかけられ、笑顔で返す。
「ええ、初めての茶葉ですけれども、とてもおいしいですわ」
「そう? それは良いこと。実はこの品種、お肌に良いと最近あちらで流行っているそうでして、……」
何事もなかったように、お茶会は進行していく。
その間、ジェメドリッサの心の中のもやもやが消えることはなかった。
ジオルガが何をしたというのか。
幼い頃から鈍感な部分を見てきているから、彼が「酷い」ことをしている姿は想像できなかった。
ジェメドリッサはどうしても彼を疑うことはできず、何かの話と混じって大袈裟な噂になったのではないかと考えるしかなかった。
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