第二十二話 『決行の日』
ミャオリンは人間になった人魚を倉庫の中に集めた。
レディアの計画では、ジェメドリッサの元婚約者のジオルガの処刑の日が最も混乱しており、教会に注目が集まるため、最も倉庫の警備が手薄だという。ただ、レディアはジオルガの母親だと聞いた。それを逆に利用するなどして、良かったのだろうか。
若干の不安は残りつつも、名も知らない修道女達の協力、それからレディアの薬の提供のおかげで、ここまで辿り着くことができたのは確かだ。
「今夜がラストチャンスだからね。明日には奴隷商が来て、人魚は売りつけられる予定だから」
ミャオリンは人間となり修道女の姿をした人魚をぐるりと見回した。
少し体調が悪そうな者も見受けられるが、こればかりは決行しなければならない。
「ミャオリン、随分変わったのね。なんか落ち着いているわ」
隣に立つオウリャンが、やわらかな笑みでミャオリンを見つめた。顔見知りの人魚も、うんうんと頷く。
「う、うるさいなあ。私は今までも落ち着いていたから」
言い返しながらミャオリンは、洞窟を脱出しようとして失敗した時のことを思い出した。確かにあの時は混乱していたかもしれない。でも、今回は、絶対に失敗できない。
「もう、そんなことはいいから、行くよ! 早く!」
ミャオリンが倉庫の出入口へと向かうと、後ろから人魚達も続いてくる。やや歩行に慣れていないが、特に問題はない。
とはいえ、ミャオリンもこの倉庫がどこにあるのかはよくわかっていない。だから先頭はそばかすの修道女だった。ちなみに名前は教えてもらったのだが、トゥリエというらしい。
外に人がいないのを確認し、倉庫から少しずつ出ていく。今宵は満月で、かなり外が明るいのは難点だった。かなり大所帯のため、見つかるリスクも高い。
「海までは遠いの?」
ミャオリンは声をひそめてトゥリエに聞いた。
「いや、多分そこまで遠くないはずだ。問題なのは、人通りが少ないところに行くのが、って感じで……」
そこで、曲がり角の手前で唐突にトゥリエが足を止めた。
「警備が……おわっ」
「わ、ごめ……っ」
すぐ後ろを歩いていたミャオリンは、止まりきれずにトゥリエの背中にぶつかってしまった。トゥリエは前から倒れ込み、その上にミャオリンも倒れる。
そしてふと横を見ると、倉庫の周辺を警備している男性二人と遠目に目が合った。
「脱走だ! 捕らえろ!」
警備が全力疾走でこちらに向かってくる。
「ちょ、あんた重い、どいて!」
「ごめん!」
放心していたミャオリンはトゥリエの非難でぱっと飛び起き、踵を返して走り出した。
「みんなとにかく早く逃げて!」
修道女の姿をした人魚達は、おぼつかない足取りで走り出す。
思い通りにいかないことばかりだ。でも、本当にこれだけは、絶対に成功させたいのだ。
「ぜーったいに! 海に帰ろう!」
◆ ◆ ◆
突然のジオルガの母の登場に、パケード教授以外は驚きに眉を上げた。
ジェメドリッサも、訳が分からず戸惑ってしまう。ディーアではないのか。それに、ジオルガの母親は、いないのではなかったか。
「どうして君がいるんだ? レディア?」
「もともと修道女としてかなり長い間ここにいたんですよ。それに息子が関わる事件。私が来ないわけがないのです」
「止めに来たのか? だったら何か策は」
「そんなものありませんわ」
レディアは首を振った。
「この顛末を、見届けようと思いまして」
「ま、待ってください。どういうことですか。助けるわけではないのですか!」
レディアの言葉に、ジェメドリッサは困惑した。レディアは鼻の上を見つめるようにして、ふっと嗤った。
「今この状況で何かしても無駄ですわ」
「どうして!?」
「ここにはどれだけの人が来ていると思っていますの? 私達の、ジオルガの敵は、何だと思っているのです?」
レディアはジェメドリッサだけでなく、ペトリージャ、ディゲル、ヘルド、フリエを一人一人見つめていった。
「……す、水神教会……?」
ジェメドリッサの返答に、レディアは首を横に振った。
「中央政府です、すべての元凶は」
ジェメドリッサは何もかも訳が分からず、助けを求めるようにフリエの方に目を向けた。
「……奥様も同じことをおっしゃっていました」
「お母様も?」
フリエは目線を落としてしばし考え込み、おずおずと手を挙げた。
「侍従の身ながら質問させてください。中央政府とは、何ですか」
レディアは目をきつく瞑ってから答えた。
「国のもっと上の機関のことです。正直私もよくわかっていません。ですが、それが私達、というよりジオルガの敵です。あなた達、神術は知っていますよね?」
皆が一様に頷く。
「神術には地、風、火、そして水の四種類あります。強力な能力ですよね。そして、その神術は、貴族しか使えなくて、平民は使えません。つまり正統な貴族の血によって受け継がれるわけです」
レディアは至極当たり前のことを言った。しかし次の瞬間、レディアの顔色が変わる。
「ミュリムソン王国、ナヤル王国、と、大抵の国は王が治めており、その下にいて国の中枢を担っているのは貴族です。それはなぜか。誰も考えたことなどないでしょうが、簡単です。神術を使えるからです。選民思想です。神に認められたとして、権力を獲得していったんです」
「レディア、やめなよ、危険だ。君もわかってるよね」
途中でパケード教授が割り込んだ。騒がしく周りを取り囲む民衆を見回して、そわそわしている。
レディアはむっとしたように唇を尖らせた。
「危険だからといって目をそらすのですか」
「未来ある子供達の前だ。ジオルガのことといい、巻き込むのは得策じゃない」
「子供? いいえ、もう大人ですわ。それにもう随分と足を深く踏み入れてしまっています。私達に何かある前にすべて話さないと。いつまでたっても変われませんよ」
レディアの強い眼差しに、パケード教授は肩をすくめて口を噤んだ。
ジェメドリッサ達は二人のやり取りをじっと見て、冷や汗を流した。聞いていいのか、悪いのか。
ジェメドリッサも、以前よりは随分と闇を知ってしまった。なんとなく内容は察せられる。というより、ずっとジェメドリッサが母から言われていたことだ。昔からジオルガ自体が、国や政府から見ればかなり危険だったのだ。
レディアは険しい顔つきで続けた。
「神術という特権を維持したいがために、国は、国々をまとめる政府は、宗教という仕組みをつくり、神話を生活の隅々にまで行き渡らせたのです。これは庶民だけでなく貴族にも及びます。つまりこれは、知識の競争です。より高位の者が豊富な知識を独占し、下位の者を洗脳し支配しているのです。学院でさえ、制限が多く、何度潰されそうになったかしれないものです。それでも国の中枢における有能な人材を提供するということで、何とか成り立っています」
レディアはそこで一度ため息をつき、柵で囲まれた刑場に目を向ける。
「今回の件も、同様です。これはナヤルとミュリムソンだけの問題でもありません。本当の管轄は中央政府っです。神術が優越しなければならない社会で、科学が発展していい訳がありません。でも、それぞれの国には都合があって、中央政府も知識を独占できるのならそれでいいんです」
国の都合。それが何なのか、ジェメドリッサは先日のソリエダ商会で嫌というほど思い知っていた。
ディゲルも同様に、きつく拳を握りしめて耐えているのが見えた。
「わかりましたか。この問題は、私達が簡単に軽々しく手を加えようとしてはいけないのです。特に貴族は、出生時から神術を使えるという恩恵に預かっています。科学を主張するのは、国や政府を敵に回すどころか、私達の知り合いすらも巻き込んでいくのです。今この大勢の中で行動を起こしたとして、私達はどうなりますか?」
レディアは問いかける。彼女の言いたいことは何となくわかるが、誰も敢えて答えることはなかった。
「無駄なことはしたくないでしょう」
レディアの苦し気な口調に、皆は黙りこくった。
周りの民衆の歓声が滝のように耳に流れ込んでくる。何を言っているのだろうか。ジェメドリッサは白々しいと自覚していた。さっきからずっと聞こえている。
「貴族がものを盗むたあな!」
「欲深い奴らめ! 死んじまえ!」
「妙な術を使う化け物が!」
耳を塞ぎたい。
でもジェメドリッサはじっとそれを堪えていた。今まで社会というものなどよく考えていなかった自分に、何も言う資格はない。
ここは処刑場なんて生ぬるいものではないのだと気づいた。
ここは、ストレス発散場だ。一人ひとり困難な生活をしてきた平民が、ジオルガ一人に貴族への不満をぶつけている。しかしその非難の嵐に対して、周りの衛兵は何も言わない。それは、いくら民衆が喚こうが騒ごうが痛くも痒くもないという、国と政府の表明だった。
だから度を過ぎた者、例えば衛兵に暴力を振るった者などは、容赦なくその場で殺されていた。衛兵も衛兵で、かなりの人数が配備されていたのだ。
また、この処刑は貴族にとっても大きな意味を成すのだろう。ジオルガがミュリムソン学院で優秀な生徒だと知る貴族なら、以前のミャオリンのように鈍くなければ、なぜ殺されたのか推測できるかもしれない。そして知識についての危険性に気付き政府を恐れる。
いや、違う。
ジェメドリッサは思い直した。そう考えるのは、ジェメドリッサが「知っている」側だからだ。ターゲットはあくまでもこちら側なのだ。学院などで「危険な」教授の教えを受け、すでに知識を得ている者が、二度とこの知識を広めないように警告するための、見せしめ。調査団の件でも、学院祭の審査員の件でも、ジェメドリッサ達はとうに目を付けられている。それでも被害が少ないのは、大量に関係者を処刑して、貴族たちに変な勘ぐりをさせないためだ。
でもそれがジオルガなら、浮気という噂があり、窃盗の証拠品がある。ただのゴシップの一環として、余興としてしか、認識していない者も多いのだろう。例えばディゲルとペトリ―ジャの親も、それに該当するのではないか。
ジオルガはそのように死んでいくのだろうか。名誉も尊厳もなく、生贄となるのだろうか。
「……やだよ」
ジェメドリッサはぼそりとつぶやいた。隣のフリエがそっと手を握ってくれた。
ジオルガは今どこにいるのだろうか。何をしているのだろうか。何を思っているのだろうか。
ジェメドリッサは刑場の辺りを観察する。
貴族は教会の中にいて、民衆は周りに群がっていて、多くの衛兵が集まっている。
「あれ」
ジェメドリッサは衛兵が何か騒がしくしていることに気づいた。頻繁に出入りを繰り返しており、何かトラブルが起きたのだろうか。
思わずジオルガが逃げたのかと、期待してしまう。
「そういえば、ジェメドリッサ様」
呼ばれて、振り返る。レディアが何か言いたげだったため、ジェメドリッサはそちらに身を寄せる。
周囲が騒がしい中、レディアはジェメドリッサの耳に唇を寄せた。
「……え?」
レディアの耳打ちに、ジェメドリッサはわずかに口の端を上げた。レディアは穏やかに微笑む。
「偽名だけれど、ディーアとしての私も実在するのですよ」
「あ、ありがとう、ございます。勿論、まだ安心してはいけないのですが」
ジェメドリッサはレディアを見つめた。やはりディーアだった。しかしだとしても、疑問は湧く。ジオルガの母親だというのに、これまでずっと教会にいたのだろうか。死んでいたのだと思っていたが、違ったのか。だったら生きていたのになぜ、会わなかったのか。ジオルガにも隠していたのか。
「……いえ、違うわ」
ジェメドリッサはぼそりと呟いた。
幼い頃、ジオルガと一緒によくこの教会に来ていた。それが意味することは、すなわち、そういうことなのではないか。
ジオルガは実は、レディアではなくディーアと、会っていたのではないか。
「あ」
その時突然周りの民衆が騒がしくなって、ジェメドリッサは刑場に目を向ける。人混みの中、頭と頭の隙間から、とうとう見えてしまった。
ジオルガが、両脇に兵を連れて、教会の中から歩いてきていた。
両脇から狂ったような歓声が上がる。興奮、愉悦、憤怒。溢れ出す感情の波に、ジェメドリッサは耳を塞ぎたくなった。
一方で、ペトリージャ、ディゲル、ヘルド、フリエ、パケード教授、レディアといった事情を知るものは、口をつぐみ、じっとジオルガを見つめている。
「ただ今より! ジオルガ・セムトリーの処刑を始める!」
ナヤルの兵なのかミュリムソンの兵なのか、はたまた中央政府の兵なのかはわからないが、豪奢な服を着た兵が宣言した。歓声が上がり、罵倒が酷くなる。
その間にも、ジオルガは木のようなものに背中を括り付けられ、薪の中央に移動する。
ジオルガは無表情だった。涙を流すわけでもなく、抵抗するわけでもなく、無気力に受け入れていた。
その姿が無性にむかついた。
さっきレディアから聞いたことを思い出す。
ミャオリンはちゃんと、抗っていた。いや、今、抗っているのだ。
これでいいのか、と、ジェメドリッサは考えた。
いいわけがない、と、すぐに思った。
気づけばジェメドリッサは走り出していた。
「お嬢様!?」
止めるフリエの手を振りほどき、民衆を掻き分け、ジオルガのもとへと走る。衛兵の隙さえもつくように柵を飛び越える。
「ジオ!」
「……え?」
ジオルガは一瞬当惑したが、すぐに叫んだ。
「やめるんだジェメ! もういいんだ!」
「うるさい!」
ジェメドリッサは寸前で兵に捕まえられた。いつになく気持ちが昂り、苛立っていた。でも何故か、頬を涙が伝う。
「一緒に逃げよう! 急にどっか行ったと思ったら、ほんとに何してるのよ! 冗談じゃないわ!」
「何をしている!? ジオルガ・セムトリーから離れろ!」
衛兵がジェメドリッサを引き剥がそうとする。
ジェメドリッサは粘った。
手から水を放ち、衛兵の顔にぶっかける。不意をつかれた衛兵が拘束を緩めた隙に抜け出す。
ジェメドリッサはジオルガに近寄った。木の板に括り付けられているのを外そうとする。しかしジオルガは浮かない顔をしていた。
「違うんだジェメ。今こんなことをしてもどうにもならないんだ」
「どういうこと?」
「すぐにまた捕まるだけだ。もうこれ以上何もしないでいい。今ならまだ間に合う。そうじゃないと、これから一生追われることになってしまう」
「いいよ、一緒に逃げよう」
「違う、俺は死んでいいんだ。死んだ方がいいんだ。死なないといけないんだ。でもジェメは生きてて」
ジェメドリッサは混乱を極めた。
「どうして」
ジオルガは周囲を見回した。衛兵が目に入った水を拭いながら近づいてきている。
「ジェメ、ちょっとこっち来て」
「え?」
「最期のお願い。ねえ、キスしてよ」
ジオルガが唇を突き出した。
ジェメドリッサは目を瞬かせた。これはどういう意味なのか。最期とはどういうことか。
「早く」
ジオルガは切羽詰まった表情をしていた。ジェメドリッサが何を言っても逃げる気はなさそうだった。
最期のお願い。ジオルガの望み。ジェメドリッサに断る選択肢はなかった。周りに人がいるなど関係なかった。
あの時したように、ジェメドリッサはジオルガの唇と自身のそれを重ね合わせた。
離すと、ジオルガが掠れた声で囁いた。
「……愛してる、ジェメ」
「え」
「ずっと悪かった。でも、俺は信じてるから。きっと大丈夫だから。教授によろしく」
「あっ、え、きゃあ! 待って!」
後ろから強く引っ張られ、ジェメドリッサは衛兵に乱暴に引き剥がされた。
「何をしているんだ、お前達!」
衛兵は一瞬のうちにジェメドリッサを柵の外に投げた。貴族だからなのか、特に処罰はされないようだった。
民衆の間でジェメドリッサは尻餅をつき、恨めしい目で遠くにいるジオルガを見た。
死ぬのだと言った癖に、恐怖しているようには見えなかった。哀しい眼差しでジェメドリッサを見つめて、すぐに目を逸らした。
「……なんでよ」
背後からフリエがやってくる気配がした。そっと肩に手を置かれる。ジェメドリッサが見上げると、黙って首を横に振り、片方の手を差し出した。
ジェメドリッサは口をぎゅっとつぐみ、フリエの手に自身の手を重ねて立ち上がった。自分に言い聞かせる。さっきの行動は、無意味ではないはずだ。
見ると、皆が神妙な面持ちで立っていた。ペトリージャ、ディゲル、ヘルド、パケード教授、そしてレディア。レディアだけは、遠い目をしていた。
「……帰りましょう」
ジェメドリッサは皆に、そう呼びかけて歩き出した。
その時、民衆の歓声が大きく湧き上がった。
ラスト二話で完結です。




