第二十一話 『渦中の修道女』
「薬で人魚を人間にして歩いてもらう?」
ミャオリンが即興で考えた逃亡計画を話すと、オウリャンと修道女達は顔をしかめた。
「まず薬なんてどうやって手に入れるつもり?」
「さあ」
そばかすの修道女の問いに、ミャオリンは素っ気なく肩を竦めた。
「いい加減にしてよミャオリン」
オウリャンは叫ぶでもなくうんざりという顔をしてぼやいた。
そんな中、今まで大勢に埋もれていた修道女の一人が声を上げた。
「あのぅ。そういえばレディア様は昔薬学部だったそうですよ。そこで人を人魚に変えてしまったとかで、今水神教会に囚われているんだとか……。どこの教会かはわかりませんし、接触できるのかもわかりませんが……」
「本当?」
ミャオリンは目を煌めかせた。
「ええ……」
その時、倉庫の外から騒がしい声が聞こえてきた。修道士、いや、奴隷商の関係者達だ。
修道女達は何事も無かったかのように作業に戻った。ワンテンポ遅れてミャオリンは慌ててオウリャンが入っている箱の蓋を閉め、自分も作業をしているふりをする。
「おいお前らちゃんとやってるかー?」
ガラの悪い男達が倉庫の中に入ってきた。修道士の服こそ着ているが、態度が聖職者のそれではない。ふざけたようなこちらを馬鹿にしたような笑み。
前までは怖いとしか思わなかったミャオリンだったが、無性に腹の中が疼いた。しかし他の修道女や人魚がいる手前、必死に激情を抑える。
「間に合わなかったらわかってるだろうなあ、あぁ?」
にやにや笑っていて、気持ち悪いが、表情筋を総動員して堪える。
男の一人が倉庫の入り口の中央に立って大声で叫んだ。
「さて、今日はちょっとした報告がある! つい先日、教会で公開処刑が行われることが決まった! ジオルガ・セムトリーとかいう反逆者の火刑だ!」
ミャオリンの頬がぴくりと痙攣した。
ジオルガ。
思い出した。ジェメドリッサが言っていたのは、確かそんな名前だった。
「そいつがどんな奴かはしらねえが、お前らが謎に崇めているマイトリヒ家の令嬢はそいつに裏切られてしまった! そして、そいつの母親のレディアは、人魚貿易の裏を暴こうとしたにもかかわらず、いまだに捕まっていない! これがどういうことかわかるか!?」
修道女達は時が止まったように身じろぎもせず、背筋をぴんと伸ばして黙って男の話に耳を向けていた。
「母親が全部の元凶なんだよ! 唯一真実を知っているそいつらを殺せば、人間の代わりに、奴隷をすべて人魚に代えることができる! お前らの望み通りだろ!? これまで教会はレディアを処刑する口実を探していたが、今回、子の過失ということで、チャンスができた! 教会はこの際に、両方とも処刑したいと考えている! そこでだ!」
男は倉庫内をぐるりと見回した。
「ミャオリンとかいう奴はここにいるか!?」
話の流れが全くわからなかったが、ミャオリンは、ぴんと手を挙げた。
途端、男の視線がミャオリンに集まる。
「お前か。いいか! ニシェリアからの伝言だ! レディアを騙せ。そうしなければ、一生この倉庫の中で奴隷みたいに働くことになる、ってな」
「……なんで?」
「知るか! 教会の禁忌でも犯したんじゃないのか? てめえのここに聞け!」
男は自身の胸を拳でコンコンと叩いた。
「じゃあ、従ったらどうなるの? 教会から出られるの?」
「知るか! ニシェリアからは何も言われてねえよ」
男の唾が飛んできてミャオリンは顔をしかめるが、堪える。
ミャオリンが教会から倉庫に来たのは、もともとはミャオリンの意志だと思っていた。でも、ニシェリアはここでミャオリンを囚われにするつもりだ。そう誘導されていたのだろうか、嵌められていたのだろうか。それともただのミャオリンの自業自得だったのたろうか。
「じゃあ、わかった」
ミャオリンは睨むように男を見つめた。修道女の視線が集まるのを微かに感じる。
でも、逆に考えればちょうどいい機会だ。
「レディアっていう人に会えばいいんでしょ」
「そうだ。賢明な判断だなあ。じゃあ、来い」
「うん」
ミャオリンはその前にそばかすの修道女のもとへ行き、耳元で囁いた。
「人魚のガラスの蓋を開けて空気を入れててよ。薬は何とかするから」
そばかすの修道女は無表情でミャオリンの目を見つめた。
返事はない。でもそれが肯定だと、ミャオリンは確信した。
「来い」
「うん」
男に腕を引っ張られ、ミャオリンは修道女のみんなに背を向けた。
「入れ」
ミャオリンは再び涙の海の教会に来ていた。以前生活していた宿舎の中に入り、修道士の格好をした奴隷商に一つの部屋の前に連れてこられた。
レディアの部屋、だそうだ。
二度扉を叩いてから、部屋の中に入る。入るのは、ミャオリンだけで、怪しまれないように奴隷商は息を潜めている。
「こんにちは、ミャオリンよ」
扉を閉めながら、部屋の中を見回す。間取りはミャオリンの部屋と同じようだ。
「あら、何の用かしら」
「あ」
ベッドに腰掛けた修道女を見て、ミャオリンは唖然とした。
「ディーア?」
会ったことのある修道女だった。新米のミャオリンにもいつも優しく接してくれて、ジェメドリッサと同様色々なことを教えてくれた人。
「まさかレディアってディーアのことだったの?」
「ええ、まあ」
レディアは頬に手を当てて、歯切れ悪く答えた。
「どうしたのですか、ミャオリンさん? 私は誰にも本名は言ったことがなかったつもりなのですが」
「いや、それは、えっと」
「教会に頼まれたんですね?」
「あ、うん。そう」
あまりにもレディアが自然に聞くものだから、ミャオリンは肯定してしまった。というよりそれ以前に、レディアを騙すつもりは元々なかった。
「なんか、ジオルガが処刑されるけど、ジオルガの代わりにレディアが親として責任をとって処刑されたら、ジオルガは助かる、って」
「ニシェリアが言ってたんですね」
「うん」
「で、実際は両方とも処刑するってやつでしょうね。それができなかったら、ってあなたは脅されてここに来たのではないですか?」
「……うん、まったく、その通り」
レディアは深くため息をついた。
「その様子だと、あなたは随分と知っているようですね。まあ、ジェメドリッサ様と一緒にいましたし、当然なのかもしれませんが。当初よりはとても成長しましたね」
「ジェメドリッサがどうしたの? 関係あるの?」
「……いえ、気にしなくて大丈夫です」
レディアの雰囲気に、ミャオリンは戸惑ってしまう。何もかも見通され、どちらにせよ教会に加担するつもりはなかったが、何から話せばいいのか分からなくなってしまう。
「あの、実は、私人魚なの」
「何ですって?」
脈絡も何もない唐突なミャオリンの告白に、レディアがぎょっとしてミャオリンを見た。
「なんか、薬を飲んで、人間になれたからここにいたんだけど、全部飲んでしまって人魚に戻れなくなってしまったんだ」
「待ってください。それは本当ですか? でしたらあなたはまさか洞窟から抜け出した? そんなことができるのですか? いや、事実ミャオリンはここにいて……」
レディアは目頭の辺りを指で押さえた。ミャオリンは本題に入る。
「だから今、逃げようと思ってるんだ。人魚を人間に変える薬で、人魚をちょっとの間人間にして、歩いて倉庫から逃げて海に戻ってもらったらいいんじゃないかなと思ってる。だからレディア、協力してほしい。それから人間を人魚に変える薬があれば私に譲ってほしい」
「無理です」
レディアはきっぱりと首を振って拒絶した。
「そもそも薬なんてどこから入手したのですか? あれも規制されて誰にも入手できないはずです。それが流通しているなど……まさか密売でも」
「ち、違うよ。買ったんじゃない。港で、小さな船に乗った男の人から貰った」
あの時の男性は、ジェメドリッサと同様、恩人である。
レディアは足を組んでベッドの布団を指でつつきながら、ぶつぶつと呟く。
そして突然はっと顔を上げた。
「……教授?」
「え?」
「いいえ、なんでもありませんわ」
レディアは首を振り、立ち上がった。
「わかりました。協力しましょう」
「え?」
レディアに手を差し出され、ミャオリンはよくわからないまま握る。
急な方向転換だった。
「あなたにも悪いようにはしません。頑張りましょう」
「う、うん」
レディアとミャオリンは、強く握手をした。
◆ ◆ ◆
ジオルガの公開処刑は、そんなに民衆にとって面白いのだろうか。
水神教の教会、それも皮肉にも『涙の海』と呼ばれる場所の周辺には、多くの人々が集まっていた。
身分制に不満を持った民衆、ただ見物に来た一般人、それからあからさまに表情が緩んでいる貴族。
ジェメドリッサは、フリエとともに来ていた。母はどうしても行きたがらなかった。昔から教会には行きたがらなかったから不思議ではないし、ジェメドリッサとしてもその方が動きやすかった。
ペトリージャ、ディゲル、ヘルドも来ていて、皆一様に緊張した面持ちをしていた。皆、簡素な服を着て民衆に紛れている。
結局、何もすることはできなかった。ジオルガの居場所もわからなければ、本人が何を考えているのかもわからない。学院祭の時にジェメドリッサはあれだけジオルガの近くにいたのに、何もわからなかった。
日没は過ぎ、急速に暗くなっていく空には、大きな満月が浮かんでいる。
いつもはただ綺麗だった湖畔の広場が、今は刑場に変わっていた。周りに柵が作られ、中央には大量の薪が並べられている。
ナヤルの第九師団が厳重に民衆を監視しており、教会の建物の中から人の気配も感じる。ペトリージャとディゲルが窓から見える貴族を横目に睨んでいた。ジェメドリッサが何かと思って見ていると、ペトリージャが横目でこちらを見て吐き捨てた。
「親よ」
「えっ?」
「ほんと、恥ずかしいわよ」
ペトリージャは声を潜めて不快感を露わにする。
「処刑なんて、何が楽しいのよ。あの人達も、騙されて良いように使われてるだけじゃない」
ディゲルも隣で小さく頷いていた。
ジェメドリッサは再び周囲を見回す。
あまりにも大事だった。
この大勢の中で、ジェメドリッサ達に何ができるのだろうか。いや、何かはしなければならないのだが。
「ちょっといいかな、お嬢さん、お坊ちゃん方」
突然背後から声がして、ペトリージャ、ディゲル、ヘルド、ジェメドリッサ、フリエの五人は振り返った。
簡素な平民の格好をした壮年の男性がそこにいた。
「パケード教授……!?」
即座にヘルドが声を上げた。
ジェメドリッサやフリエは知るはずもなかったが、ペトリージャやディゲルも驚きに目を見開いている。
「捕まったんじゃなかったんですか……!?」
「いや、捕まったさ。僕がどこまで知ってるのかってね。拷問されて。いやあ、知らないことを証明するのって難しいもんだね、ははは」
「え、や、笑い事じゃないですよ。それでどうしたんですか」
「勿論口は割らなかったよ。でもそしたら、教授の地位を剥奪されちゃってね。まあいわゆるクビさ。ははは。これからどうしよう」
その場に微妙な空気が流れた。パケード教授は目を細めて笑っているが、よく考えれば、いや、よく考えなくても、随分と大変な目に会っているようだ。
「まあ、僕のことはどうでもいいんだ。問題はジオルガのこと。嫌な予感はしていたけど、何もこんな公開する必要はないと思うけどね……」
「ジオルガはなんでこんなことを?」
ディゲルが痺れを切らして尋ねた。
「あいつは賢いから、こんなことをしたら痛い目に合うっていうのはわかった筈です」
「いやあ、それはどうだろうな。研究を始めたのはジオルガが一年生の時だ。ちょうど神話を読んで育った子供が大人になってきて、ダイヤモンドブームが起きて、供給が追いつかず価格が高騰していた。その中で婚約者もダイヤモンドに憧れがある。あの時僕の研究所に押しかけてきたジオルガの熱意は、並々じゃなかったよ」
パケード教授はジェメドリッサに優しい眼差しを向けた。
「ただまあ、ジェメドリッサ嬢の話ばかりしてたのにも関わらず、本人は自覚してなかったみたいだったけどね。ほんと、不器用な奴だった」
「……そう、なのですね」
ジェメドリッサは視線を落として石畳の床を見つめた。学院祭で会ったジオルガを思い返す。
「一年でひとまず成果を上げたのは、僕も驚いたよ。というかそもそも一から作ろうなんていう発想は斬新だった。普通この国で暮らしていたら思いつかない」
「天才、か……」
ディゲルが苦々しい顔で呟くが、パケード教授は肩を竦めた。
「それもどうだろうね。才能というより、ジオルガの場合環境が特殊だった。母親の影響は大きく受けているはずだ。まずおそらくお金の有無は関係ないだろう。ジェメドリッサ嬢の神話愛を理解し憧れの婚約指輪を贈りたいと思いながらも、欺瞞に満ちた神話に導かれてナヤルのダイヤモンドを買うことには抵抗がある、という感じのことを言っていたね」
「神話の欺瞞?」
ペトリージャが声を上げた。
「まさかあの『涙の海』の?」
「ああ、そうだ」
パケード教授は、『涙の海』の神話の改正について話した。有名な話だからこそ、皆の驚愕は大きい。
ジェメドリッサは図書館で見た黒塗りの本を思い出す。
やはり人魚の存在が、隠されていたのだ。
パケード教授はジェメドリッサが神話を愛していると言ったが、今は完全に冷めきっていた。
「腐ってる。腐ってるわ」
パケード教授から原典のあらすじを聞き、ペトリージャは嫌悪をあらわにした。
「……それにしても、なんで今処刑なんだろうね。今だから言えるけど、ジオルガは製造方法の特許を得ようと、ナヤルの王族とかなりの頻度で交渉していた」
「え?」
パケード教授の呟きに、ジェメドリッサは顔を上げた。
「ダイヤモンドの試作品を売ることで、自分の技術を認めさせて、ナヤル王国自体を味方につけようとしていて、それはほとんど賄賂のようなものだったけど、成功しつつあった。それが急に、裏切られた。何でだろうね」
「中央政府のせいですわ、パケード教授」
突然その場にいるはずのない声が聞こえて、全員が一斉に振り返った。
「レディアか?」
「ディーアさん?」
「……って誰なんだ?」
そこにいたのは白い服を着た修道女だった。それも、ジェメドリッサの知っている人。でも、パケード教授はレディアと呼んでいた。
「初めましての方が多いですね。レディア・セムトリーですわ。ジオルガの母です」




