第十七話 『学院での面影』
取り調べの後、ミャオリンはいつも通りの教会での生活に戻ってしまった。しかし、ジェシー、いや、ジェメドリッサがいない生活というのは、どこか寂しかった。
二人で使っていた部屋はミャオリンしかおらず、ジェメドリッサがいた面影もない。
朝は鐘の音で起き、決まった時間に食事をとり、決まった時間にお祈りをする。
そしてふと、思うのだ。
自分は一体何をしているのだろう。
今はまだ薬の効果が残っているが、もう人間になるための薬はない。いつ人魚になってもおかしくない状況なのだ。早く海に戻らないといけないのに。そうでなくとも、もっとちゃんと人間の世界を見て、捕まった人魚を探さないといけないのに。ジェメドリッサにも、そう言われたのに。
そんな時だった。お祈りが終わり礼拝堂から出たところで、顔見知りの修道女が話しかけてきた。
「ねえ、最近水神教の布教用の船が港に着いたそうですよ」
「船?」
「ええ。我が国ミュリムソンは水神教信者が多いですけれど、他の国ではそうでもないのです。ですから海を渡り、様々な国に水神教を広げに行くのです」
「それだ!」
それならこの教会から出られる。布教をしながら旅をすれば、人魚を奴隷にして運んでいる船を見つけられるかもしれない。薬が切れた時には、海に逃げることもできる。
急に叫んだミャオリンを見て目を白黒させる修道女を置いて、ミャオリンは早速走り出した。昨日の今日で恐怖はあったが、布教への参加をニシェリアに頼み込むのだ。
「布教をしたい? ミャオリン、遊びではないのですよ」
ニシェリアは一蹴するわけではなかったが、眉をひそめた。
「海は危なくて、どんな大きな船でも嵐が来ればすぐに転覆してしまいますよ」
「大丈夫。それよりも、こんなすばらしい宗教を広げられるなら、本望だよ」
最近、嘘をつくことを覚えたミャオリンである。相変わらず敬語は使えないが。
「じゃあ、そうね。調べたところ、あなたは本当に身寄りがないようだし、貧民街だけじゃなくて、広い世界を知ることも必要ですし。ただ、今回大きな旅が終わったところですから、当分は何もありませんよ」
「そんな」
「うーん、今できることといえば、船の積荷を下ろす雑用くらいかしら」
「ぜんっぜんやるよ!」
雑用であっても、海に行けるだけでいいのだ。
「わかりましたわ。では明日にでも、案内させましょう」
ニシェリアの微笑みにミャオリンはほっとする。
「ありがとう、ニシェリアさん」
◆ ◆ ◆
ミュリムソン学院は、宮殿のようだった。
衛兵が見張っている大きく厳かな門を通ると、そこには美しい庭園が広がる。鮮やかな花が咲き乱れ、中央の道を引き立てているようだ。とにかく敷地が広く、かなり奥に建物が見える。
「流石……ですね」
「ええ、そうでしょう? 自慢の母校です」
圧倒されるジェメドリッサに、隣でディゲルが穏やかに微笑みかける。
それにしても、と、ジェメドリッサは思う。エスコートにしても、距離感がおかしくないだろうか。そもそも男性慣れしているはずもないので、不可抗力で胸がどきどきしてしまう。母に内緒にしているためフリエを連れて行くこともできず、不安は大きい。
ただ、学院祭ということもあり、生徒の数も多く、必然的に恋人の数は多かった。身分も年齢も様々で、特に目立ちはしない。服装も様々で、正直身分と言われても見た目からは判断がつかなかった。ジェメドリッサ自身も、ディゲル曰く学院祭はカジュアルなものだと聞いていたので、簡素なワンピースで来ていた。
「あら、ごきげんよう、ディゲル様。それに、ジェメドリッサ様?」
甲高い声がして、ジェメドリッサが目を向けると、そこにいたのはペトリージャだった。
「やあ、ディゲル、ジェメドリッサ様も」
ペトリージャをエスコートしているのはヘルドだった。
「ああ」
「ご、ごきげんよう……?」
三人の関係性がよく分からないまま挨拶を返す。ペトリージャには婚約者がいたはずだったが、どうしたのだろうか。
ジェメドリッサの疑問を見透かしたようにペトリージャが言った。
「私の婚約者様はね、年下でまだ在学中だから学院祭の主催者側ということで忙しいから、仕方なく、こういうことになったのよ。それと、このヘルド君がね、ぷっ、せっかく学院祭楽しみにしていたのに、一緒に回ってくださるお相手がいないそうだから」
「おいおい、それは酷くねえか、ペトリージャ様」
「あらあら。ディゲル様はちゃんとお相手を見つけたのに」
「ぐ」
ヘルドが口ごもり、ペトリージャとディゲルが惜しげも無く笑い声をあげる。
ジェメドリッサはその様子に目を見開いた。ヘルドは平民で、ディゲルは男爵家、そしてペトリージャは公爵家だ。しかし、身分の差を感じさせないほど自然でとりとめもない会話だった。
「これが学院では普通なのですか?」
「え? ああ、私たちのことですか? 学院では普通ですが、確かに貴族社会では普通ではないですね、改めて言われると」
「それは……いいですね」
ディゲルの丁寧な説明にジェメドリッサは頷く。ペトリージャとヘルドがこちらを見て、笑みを浮かべていた。
「良かったわね、ジェメドリッサ様。ジオルガ様の件はもう立ち直れたかしら?」
「まあ、悔しいが、ディゲルにもようやく春が訪れたということか」
「おいおい、やめてくれ、政略結婚だよ」
ディゲルが答えたが、ヘルドやペトリージャには敬語は使わないのだ、とジェメドリッサは思った。
しかし、からかうような言い方に反して、ペトリージャの目は笑っていなかった。手紙の返事のことだろうか。
「ジオルガ様の話は、あまりしないでいただきたいです」
ジェメドリッサは微笑むでもなく、静かに言った。教会に行く前にうんざりするほど聞いた、未練がどうのこうのという問題は、今はジェメドリッサにとってなんの意味も成さない。そもそも、ジオルガが窃盗の罪を犯したなどと聞けば、ジェメドリッサの知るジオルガとの乖離があまりにも激しく、何を信じるべきなのかわからなくなってくる。
「そのことなのだけれど」
ペトリージャが少し低い声で言った。歩きながら、少し身もかがめる。
「最近のジオルガ様の噂が気になっているの。今回は、学院祭でもあるけれど、正直それを話したくて、あなたを招待するように頼んだのよ」
ペトリージャがディゲルを見、そしてジェメドリッサを見た。
最近のジオルガの噂と聞いて、ジェメドリッサの頭に思い浮かぶのは一つだった。
「窃盗の容疑がかかっているということですか?」
「まあ、それは結構大々的に発表されているのだけれど、表向きの理由というかただの大義名分で、本来はもっと怪しいことよ」
「え?」
「昨日あなたの家まで行っていたのも、正直ここに誘いたかったからなんです」
ディゲルは眉を下げて頭を搔く。
「今この場ではあまり話せないけれど、ジオルガ様とは私たち、かなり仲が良かったのよ」
「俺とディゲルはな。俺はあいつの親友で、ディゲルはなんというかライバル、みたいな。お前は勝手についてきただけだろ」
「は?」
「すみませんそうですね仲良かったですよ」
ペトリージャとヘルドの仲がいいのはよくわかったが、話の流れが読めなかった。ただ、気になる話なのは確かだ。
「とにかく、詳しいことは後で話すわ。とりあえず、ジェメドリッサ様は学院祭を楽しんで。ほら、やっと着いたわよ」
目の前にそびえ立つのは、学院の本館である宮殿のような建物だった。
その大きさにも関わらず、中は人でごった返している。
「すごい……」
ジェメドリッサは声を漏らす。学院の規模は予想以上のものだった。
三人は自慢げに胸を張る。
それからは、四人で自由に見物して回った。
中庭がメインのようで、学生主催の庶民的な屋台が出されている。貴族用のお茶会の場は別の場所で用意されているようだったが、ジェメドリッサはこの親しみやすい雰囲気は好きだった。
中央の舞台では神術を使ったパフォーマンスが行われており、最先端の神術にジェメドリッサは釘付けになった。
水神術、風神術、地神術。その全てが協力して、一つの演技、いや、よく見れば、一つの物語となっているようだった。
大量の水を操る者、風の中に浮かんでいる者、土を様々な形に変形させている者。ジェメドリッサが知っている神術の次元からは、遥かにかけ離れていた。
「学院って、すごいですね……」
「ええ、そうでしょう? ただ、神術に関しては才能によるところはかなり大きいのよ。特に貴族と平民の差は大きいわ」
「そうなのですね」
ジェメドリッサは詳しく知らなかった。
「そういえば皆様は、どの神術を使うのですか?」
「私は水神術よ」
「私もです」
「俺は、そもそも神術は使えないんだ」
ヘルドは平民だから、ということか。
「……この国はどうしても、水神術者が多いのよね」
ペトリージャの声に、ジェメドリッサは頷いた。ジェメドリッサ自身も、水神術者だ。
「私とペトリージャ様も、二年生くらいの頃にここで発表しましたね。懐かしいです」
ディゲルの声に、ペトリージャもヘルドも頷いた。
卒業式はつい最近だったはずだ。それでも、三人からは、この学院を愛していることが伝わってくる。ジェメドリッサは羨望の眼差しで、それを見つめていた。
中庭といってもその大きさは広大で、全てを見て回るのにもかなりの時間を有した。
正午が過ぎた頃、ペトリージャが声を上げた。
「そろそろ、私たちの研究成果の展示を見に行きましょうか」
「研究、ですか?」
「ええ、ホールで論文や発明品を展示しているのよ」
ホールに行くと、先程の中庭に比べて人はかなり少なく静かだったが、ローブを着た年配の人は多くいた。
「卒業式前に優秀だと選ばれた一部の論文や発明品は、この学院祭で展示されて、ミュリムソン王国だけじゃなくて、他国からの審査を受けるの。ここでも優秀だとされたら、かなり今後有利になるのよ」
ペトリージャは自慢げだった。ジェメドリッサはホールの壁に飾られるようにして額に入っている論文の数々を、ぐるりと見回した。
「では、ここに三人の論文も展示されているのですか?」
「あーいや、俺のは」
「私とディゲル様だけです。ヘルド君は惜しくも予選敗退です。ぷっ」
静かで反響しやすいホールで叫ぶのはまずいと思ったのか、ヘルドはペトリージャを恨みがましく睨む。
「じゃあ、その」
ジェメドリッサは躊躇いながらも尋ねる。先程その話題を出してほしくないと言ったばかりだったが、気になるものは気になる。
「ジオルガ様の論文もあるのでしょうか。首席は逃したものの、賢いそうだと聞いていたのですが」
その瞬間、三人が突然凍りついた。
ヘルドが声を潜めて言う。
「ジオルガのはないんだ。あの不倫騒動はミュリムソンだけじゃなくてナヤルも関わってるから、外交における問題があるってことで、内容の如何に関わらず公表されていない」
「あ……そうなのですね」
ジェメドリッサは気まずくなってすぐに目を逸らした。
「今の婚約者は私なのですから、あんなやつのことなんて忘れてください」
「あ」
ディゲルの声にはっと振り向く。しかし彼も声を潜めて言葉を続けた。
「と、普通は言うところなのでしょうが」
「え?」
「それについての噂が、かなり私達に関係していまして、無視できないといいますか。つまり、今回話したかったのはそのことなのです。ただ、話すのは今じゃないんです」
ジェメドリッサはよくわからないが頷いた。
三人はちらちらと周囲を警戒しているようだった。その目線の先にいるのは、審査員達だ。
ジェメドリッサはその審査員の何人かもこちらを訝しげに見ていることに気づき、困惑した。
今の発言は駄目だったのだろうか。ジオルガの噂とは、何なのだろうか。
「……いないわね」
そこでペトリージャが低く呟いた。何が、と思い振り向いたジェメドリッサだったが、ペトリージャの顔は青白く汗が浮いていた。
ヘルドも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「た、たまたま今いないだけかもしれないぞ。ホールじゃなくて、研究室にいるってことも」
「どうかしら」
「もう約束の時間は過ぎている」
三人の緊張した面持ちに、困惑は深まるばかりだ。誰を探しているのだろうか。まさか、ジオルガか。いや、この状況でありえないと思い返す。
その時だった。
「どういたしましたかな、お嬢さん、お坊ちゃん方」
唐突に現れた背後からの気配に、一同立ちすくんだ。
おそるおそる振り返ると、ローブを身にまとった中年の審査員の男性が、舐め回すように四人を見ていた。容姿の微妙な差異から、ナヤルの人間だとわかる。しかしジェメドリッサは、どこかで見た事のある顔だと感じた。
「これはこれは。公爵令嬢に、首席で卒業した男爵令息、商人として成り上がっている平民の卒業生、それからそれから、噂の元婚約者をもち最近教会から出てきたばかりの子爵令嬢。なんとまあ、豪華な面々ではありませんか」
貼り付けた微笑みは禍々しく、声には心がこもっていない。全員の素性を知っているという主張は、する必要があったのだろうか。
一瞬の硬直の後、ペトリージャが応対した。
「いかがなさいましたか。論文へのご質問でしょうか。私のものでしたら、答えられると思いますわ」
「いえいえ。とてもわかりやすく素晴らしい論文でしたよ。そうではなく、何かお困りのようでしたので。誰かを探しているのでしょうか?」
「いえ、大丈夫ですわ。急ぎの用事ではありませんの。私の論文を褒めていただき、ありがとう存じます」
審査員はにこりと笑みを深めた。
「もしかしてパケード教授ですか?」
「……いえ、違います」
ペトリージャがじっと審査員の目を見つめて答えた。ディゲルとヘルドは目を見合わせているが、ジェメドリッサは何が何だかわからなかった。
「それなら良かったですね。彼ならジオルガ・セムトリーを唆したという容疑がかかっており、数日前に学院側から追放されたそうですよ」
「え」
ペトリージャから掠れた声が漏れた。
「危ないところでしたね、あなた方ももう少しで彼の被害者になるところでした」
「そうなのですね、ありがとうございます」
動揺したペトリージャに変わり、ディゲルが答えた。しかし声は固い。
「あ、そうそう」
そこで審査員は、ジェメドリッサに顔を向けた。
「ジェメドリッサ様のジオルガ・セムトリーとの婚約指輪が見つかったことで、彼の窃盗罪が確実になったそうです」
「え?」
「動揺するのも無理はありません。婚約者に裏切られるとは、どんなに悲しいことでしょう。お気持ちが察せられます」
「ま、待ってください。どういうことでしょうか?」
「ああ、お可哀想に。でも安心なさってください。彼は然るべき方法で裁かれることになっていますので」
「裁かれる……?」
首筋を冷や汗が伝う。
ペトリージャも、ディゲルも、ヘルドも、固唾を飲んで審査員の言葉を待った。
審査員は四人をぐるりと見回して、それから微笑みを崩さずに言い放った。
「ジオルガ・セムトリーは、一週間後に公開処刑されることになりました」




