第十六話 『自由の終わり』
「そこの二人、出てきなさい」
禁錮室に入った翌朝、ニシェリアが戻ってきた。
外からの声が聞こえた時、ミャオリンとジェシーは顔を見合せ、笑みを浮かべた。思ったよりもかなり早い解放だった。
しかし、扉が開いた時、ニシェリアは硬い顔をしていた。ミャオリンはジェシーと顔を合わせた。
「ついてきなさい」
金庫室に来た時とは別の道だった。二人はニシェリアに従うしかない。
森の中の小鳥が平和そうにさえずっているのが、どこか不気味に感じた。
「ねえ」
ジェシーが眉をひそめて進行方向を指さした。
木々の影で隠れていた教会の門があらわになる。それと同時に、ミャオリンはたくさんの視線が集まるのを感じた。
「何あれ」
ごてごてと装飾された乗り物が門の前に停まっており、周辺には同じ服を着た大勢の人間がいた。
思わず足を止める。
「何をしているの、ミャオリン」
ニシェリアが振り返らずに言い、ミャオリンはびくりとして足を進めた。
「まあ、ミャオリンは安心なさい。今回用があるのはあなたではないわ。もちろん、関係の有無は確かめる必要はありますが。そうよね、ジェメドリッサ?」
「え?」
ジェシーがなぜか声を上げて立ち止まった。ニシェリアは振り返っていない。
ミャオリンはジェシーの顔を見つめた。ジェメドリッサというのは、知り合いなのだろうか。誰なのだろうか。
「やめてください。どういうことですか?」
「歩きなさい」
「ここの教会は一体何なんですか!?」
直後、ジェシーが短く悲鳴をあげた。見ると、制服を着た頑強な男に、後ろから羽交い締めにされていた。そしてそのまま門の方へ連れて行かれる。
「ジェシー!?」
しかしミャオリンもニシェリアに腕を引かれ、連れて行かれてしまった。
ミャオリンとジェシーは大勢の人間に囲まれ、好奇の視線を浴びていた。二人はそれらを必死で睨むことしかできない。
そこで一人、偉そうな男が前に出てきた。
「私はナヤル王国第九師団のイブリと申します。ジェメドリッサ・マイトリヒ様、御両親が心配しております。また、身元詐称、窃盗の容疑があるため、直ちに取り調べをさせていただきます」
「……どういうことですか」
ジェシーは顔を歪める。
ミャオリンはそれをじっと見つめていた。
ジェシーの反応からすれば、ジェシーがジェメドリッサ・マイトリヒのようだった。苗字がある。つまり、貴族。
なぜ今まで黙っていたのだろうか。それにしても、窃盗は、意味がわからない。話はミャオリンを置いてけぼりにしたまま進んでいく。
「ただ今、ジオルガ・セムトリーに窃盗の容疑がかかっていることをご存知ですか」
「はい?」
「ナヤル全体で追っているのですが、残念ながら逃亡後の行方がわからず、困っているのです。裁判をするにしても、本人がいないとできないのです」
「裁判?」
ジェシー、いや、ジェメドリッサの顔が青ざめていた。
「これは失礼。ご存知なかったですか。ジオルガ・セムトリーがジェメドリッサ様にナヤルのソリエダ商会から盗んだダイヤモンドを贈った容疑があり、ジェメドリッサ様がそれを知りながら受け取ったのであれば、共犯となるのですが」
「何ですか、それ。ジオが……ジオルガ様が、そのようなことをするわけがありませんわ」
ジェメドリッサの抗議に、イブリがふっと笑った。
「あなたがそれをおっしゃるのですね。彼は他国の王女と浮気をしたのですよ。今、彼のせいでナヤルとミュリムソンの仲は緊張しています。これは大きな問題ですよ」
「意味が、わかりません……」
ジェメドリッサは唇を噛みながら、イブリを睨んでいた。
ミャオリンは、彼女が別人のように見えた。話しかけていいのかわからない。
「ではジェメドリッサ様、こちらについてきてください。詳しい話をお聞かせ願いたい」
「何の話ですか? 私はジオルガ様のことなら本当に知りません。わかりません」
「それでもいいのです。これは国家の問題です。拒否権はありません」
ジェメドリッサは押し黙る。
「証拠もありますわ」
そこでニシェリアが声を上げた。手に持った布の上に、ダイヤモンドの煌めきが見えた。
「それは、私の……!」
「しかし、ソリエダ商会の製品だったのです。セムトリー家に伺ったところ、ジオルガ・セムトリーは当時の高騰したダイヤモンドの指輪を買えるほどのお金も所持しておらず、セムトリー家自体は購入に関与していないとのことでした」
イブリが付け加える。
唐突なダイヤモンドの登場に、ミャオリンは息を呑んだ。ジオルガは誰なのか。ジェメドリッサは一体何者なのか。ミャオリンがジェメドリッサに指輪を渡した時、彼女はあまり嬉しそうな顔をしなかった。
でも、あの時ミャオリンは、なぜか届けないといけない気がしたのだ。魚も虫も、協力してくれた。
「……わかりました」
ジェメドリッサは頷いた。そしてミャオリンを振り返る。
「ごめんなさいね。最後まであなたに協力できませんでした。私も頑張りますから。あなたは必ず、本当の自由を得てくださいね」
「ジェシー……?」
ジェメドリッサは疲れたように微笑んだ。そこに浮かんでいるのは、諦めだ。
同じ表情をどこかでみた気がして、ミャオリンは心臓を鷲掴みにされたような気分だった。そしてすぐに思い出す。そうだ、オウリャンだ。
こんな教会で、自分は一体何をしているのだろう。一刻も早く、他の人魚を助けなければならないのに。かなり面倒を見てくれたジェメドリッサにも、協力してもらってばかりで、何もしてあげられない。
「聞かれる前に言っておきますが、ミャオリンは私とは全くの無関係です。アホだから何もわかっていません。身寄りもありません。教会の慈悲を引き続き与えてあげてください」
ジェメドリッサはニシェリアとイブリを同時に睨んだ。
「わかりました。もとより、ミャオリン様には関係のない話でしたから。しかし一応、取り調べはさせていただきます」
イブリの淡々とした返答に対し、ニシェリアはミャオリンにも疑いの目を向けていた。図書館の件だろうと思った。
「もう、余計な真似はしないように。いいですね」
「わかった」
「それでよろしいわ」
ジェメドリッサは若干不服そうではあったが、ミャオリンの扱いに関してこれ以上は何も言わなかった。
「では、こちらに乗っていただきたい。場所を改めて話そう」
ジェメドリッサとミャオリンはイブリに従い、門の前に停まっていた乗り物に乗る。
初めて見るものだったが、ミャオリンの胸が躍ることはない。隣の席に座ったジェメドリッサと、目を合わせる。
「ありがとう、ジェシー」
本名がジェメドリッサであったとしても、ミャオリンからすれば、ジェシーはジェシーであり、二人の関係が変わることはないと思いたかった。
「いえ、迷惑をかけたのは私の方ですから。すべて、お互い様です」
「そうだね」
しかしやはり気まずくて、移動中、二人が言葉を交わすことはなかった。
◆ ◆ ◆
取り調べが拍子抜けするほど無事に終わり、ジェメドリッサはマイトリヒ家の屋敷に帰って来た。指輪を貰った経緯など、特に当たり障りのない質問ばかりで、ジェメドリッサの持つ指輪を調べたいと言われたのでそれを渡しただけだった。
教会に戻るミャオリンとはそこでお別れだったが、これといった会話はできずに終わってしまった。
短いながら楽しかったと思い返す。それにしても、ジオルガが犯罪をするなど、ありえるだろうか。
「ジェメ!」
屋敷の中に入った瞬間、ジェメドリッサは母に抱きしめられた。
「何をしていたの……! 本当に心配したのよ。もうこんなことはやめなさい。何もなかったのよね!?」
「お、落ち着いてください、お母様。大丈夫ですから!」
ジェメドリッサは強引に母の腕を引き剥がした。
そして、抑えようのない苛立ちが溢れる。
「というか、何なんですか!? 何でバレたんですか!? 私のことは放っておいてくださいよ!」
珍しく大声を出した。母が目を見張っていた。興奮に息を荒くしていると、背中にそっと手が寄せられた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
振り返らなくても、誰かわかる。
「……ええ、ただいま、フリエ」
「すみませんでした、お嬢様。奥様を責めるのはお辞めになってください。妙な調査団には、私からお嬢様の居場所を教えました」
「え?」
振り返ると、フリエが深く頭を下げていた。
「約束は破ってしまいました。しかし、私なりにお嬢様のことを思ってのことです。ご理解はなさらなくて結構です」
ジェメドリッサは面食らった。
「ど、どうして?」
「ねえジェメ、あなたあの教会にいて、何も感じなかったの?」
母がジェメドリッサを見つめる。
「それは」
心当たりはあった。幼い頃外から見た教会とはかなり違った雰囲気で、奥に闇が垣間見えた。
「そういうことよ。だからもう勝手なことはおやめなさい。あ、そうそう。ミュリムソンのゾニア王女殿下から紹介していただいて、あなたの婚約者が決まったわ。間に合ってよかった」
「どういうことですか!?」
ジェメドリッサは再び叫んだ。
母は平然と廊下の奥にある応接室を手で示した。
「今そこに来ていらっしゃるわ」
「は」
「ディゲル・ドミスティカ様よ。ミュリムソン学院を首席で卒業し、今はナヤルの王宮で近衛兵をしていらっしゃるそうで、家格は男爵家でありながら、とてもすばらしい方ですわ」
「ま、待ってください! 意味がわかりません!」
帰ってきて早々、話の展開が早すぎる。
「これもジオルガ様の時と同様政略結婚ですよ。あの時は物わかりがよく、文句一つ言わなかったのに」
「それと今回とは話が別です!」
母の勝手さに頭痛がした。
「私は結婚しません! 養子をとって……」
「養子をとったとしてあなたに何ができるの? もともと大したことない中流貴族なのよ? つけこまれて破産よ。それに、ゾニア王女殿下の紹介です。すでに決定事項と言ったわよね」
「そんな」
ジェメドリッサは顔を歪めた。やはり、この家は息苦しい。
「ディゲル様が待っています。さあ、挨拶に行きなさい」
「……わかりました」
ジェメドリッサはしぶしぶと、応接室に向かう。
フリエがついてくるが、気まずかった。
「失礼します」
ノックをして、部屋の中に入る。
綺麗な服に身を包んだ男性が、奥のソファに座っていた。
「お待たせいたしました。ジェメドリッサ・マイトリヒです」
いくら母が勝手に決めた婚約とはいえ、相手に罪はない。ジェメドリッサは笑みを貼り付けてカーテシーをした。
男性は顔を上げ、立ち上がり、綺麗な礼をする。
「ディゲル・ドミスティカです。よろしくお願いします」
穏やかな表情を浮かべていたが、近衛兵というだけあり、ジオルガよりも背が高く、全体的に圧迫感を覚えた。
双方共に立ったまま、気まずい沈黙が続いた。
何を話すべきなのかわからない。何せ、全くの初対面である。
耐えきれずに顔を強ばらせるジェメドリッサに、ディゲルは苦笑した。
「まずは座ってお話しませんか」
「え、ええ。はい」
ジェメドリッサとディゲルは、座って向かい合う。
フリエが間のテーブルに紅茶を置く。ジェメドリッサは助けを求めたいと思うが、フリエは目を合わせてくれない。
「え、えと、あ、その。急な縁談で申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですよ」
ジェメドリッサは繋ぎの言葉を探すが、頭が真っ白になる。
その様子に、ディゲルはくすりと笑った。
「可愛らしいご令嬢ですね」
「は」
理解が追いつかない。一体母は自分に何を求めているというのか。
「前の婚約者に裏切られ、ご傷心のことかと思いますが、私は必ずあなたを大切にします」
「はあ」
フリエに背中をつんつんと触られ、ジェメドリッサははっとして背筋を伸ばした。
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
正直、よろしくお願いしたくはない。
「緊張していらっしゃるのですか? 可愛らしいですね」
「……ありがとうございます」
「婚約ということで、これから仲を深めていきたいと思うのですが、早速、デートしませんか」
「は」
背中に指圧がかかり、ジェメドリッサは背筋を伸ばす。
「勿論です」
「初対面ですので、二人きりというのはジェメドリッサ様にとっても辛いかと思われますので、明後日にミュリムソン学院の学院祭へ行くのはどうでしょうか」
「えっ」
ジェメドリッサはフリエにつつかれる前に背筋を伸ばした。
ずっと行きたかった学院。中へ入ったことも、外から見たこともない。
学院祭があるなど、知らなかった。
「勿論です! 是非同行させてください」
前のめりになったジェメドリッサに、ディゲルは笑みを深くした。そして、ジェメドリッサの後方に目をやる。
「あなたがずっと学院に行きたがっているそうでしたから。私の友人を紹介する丁度いい機会です」
そこでディゲルは片目をつぶり、自身の唇に指を当てた。
「マイトリヒ夫人には内緒ですよ」
ジェメドリッサは思わずフリエを振り返った。相変わらず申し訳なさそうにして目は合わせてくれないが、何もジェメドリッサを裏切ったわけではないというのは、本当だろう。
それにしても、ジオルガの件があってから人を疑ってしまう癖が抜けず、自分が自分で嫌になる。裏切られるのは怖いから、自己防衛として最初から信じることを自ずと避けてしまっている気がした。
「ありがとうございます」
ジェメドリッサは心からの笑みを浮かべた。
不安は山積みだ。
でも、学院に行けば、ジオルガの身に何があったのか、わかるかもしれない。
「ええ、明後日を楽しみにしていますね」
ただ、初対面なのに直球でデートを申し込むなど、ディゲルが何を考えているのかは全くわからなかった。




