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第十五話 『故郷の旋律』

 禁錮室は、予想以上に居心地が悪かった。

 光はほとんど入って来ず、冷たく湿った石の床が、容赦なくジェメドリッサの体温を奪う。

 隣ではミャオリンも、膝を抱えて震えている。


「どうして」


 ジェメドリッサはわからなかった。ニシェリアの考えも、水神教の思想も。


「ねえ、ジェシー。じゃあ私は外に出られるってこと?」

「それは……」


 ミャオリンの疑問は、まさにジェメドリッサが考えていたものと同じだった。

 先程の修道女は出ていた。でも、二人は何も説明されずにここに連れてこられた。

 

「多分、そんな単純なことではないのだと思います。水神教における規律は確かにありますが、守られているのかはかなり怪しいです」

「そっか……」


 ミャオリンはくしゃりと頭をかいた。

 しばらく、二人は無言で過ごした。互いの姿も、はっきりとは見えない暗さだ。ジェメドリッサはこのような場所に閉じ込められた経験などあるはずもなく、惨めさを噛み締めていた。時間の経過もよくわからない。


「あ」


 突然ミャオリンが声を上げた。

 見ると、ミャオリンの足がゆっくりと魚に戻っている。これまでにも何度かその様子を見てきたジェメドリッサだったが、何度見ても驚かされる。


「薬は」

「ある、けど……」


 ミャオリンは胸元から小瓶を出した。でも、あまり中身が入っているようには見えなかった。


「最近、足りなくなってきたの。飲むにつれて変身時間が長くなるのはありがたいんだけど、もうほとんどなくて」


 そう言ってミャオリンは、最後の一滴を飲み干した。それと同時に、足が復元していく。


「これが戻ったらどうしよ。ニシェリアに人魚だってバレたらどうなるのかな」

「怖いですね。聖なる人魚じゃなかったのかもしれません。ニシェリア様は優しいと思っていたけれど、何を考えているのかわからない人です」


 母親もそうだったと、ジェメドリッサは思った。彼女は今頃何をしているのだろう。やはり探されているのだろうか。


「でも、それをいったらジェシーもよくわからないんだけど。ねえ、ジェシーについて教えてよ。貧しかったんだっけ? これまでどんなことがあったの」

「え」

「私は海にまた戻って他の人魚達を助ける方法を探しているの。ジェシーはこれからどうするの?」

「私は、ここで一生暮らすつもりです」

「こんな辛い思いするのに? ニシェリアもいるんだよ。ちなみに私あの人嫌い」


 ミャオリンの無邪気な発言に、ジェメドリッサはどきっとした。

 ジェメドリッサは、貧しいのとは程遠い生活を送ってきた。ミャオリンのような志もなければ、本当のことを言う勇気もない。ずるずると、惰性のようなもので生きている。

 罪悪感で胸が痛かった。


「私は……そんな、大したことない人生ですから」

「なんで? 好きなことはないの? 私は、歌と泳ぐのが好きだよ」

「ミャオリンは……すごいですね」


 隣を見れば、ミャオリンは床にあった小さな石を器用に積み重ねている。こんな状況でも、いつも通りでいられるミャオリンが羨ましかった。

 対して自分は、目的もなく逃げてきただけだ。


「泳ぐのは……やっぱり人魚ですね」

「人魚の中で一番早いんだよ。大会がある度に優勝してたの」

「へえ、そんなのもあるんですね。じゃあ、どんな歌が好きなんですか? 人魚の歌ってどんな感じなんですか」

「じゃあ、歌っていい? 私の大好きな歌よ」


 目をつぶり、ミャオリンは鼻歌でリズムをとる。どこか聞き覚えがある気がした。そして、ミャオリンの美しく澄んだ声で言葉が紡がれる。



 暗い海の 真ん中の 我らが母の 物語



「ちょっと待ってください」


 ジェメドリッサは思わずミャオリンの肩を揺すった。ミャオリンが不機嫌そうに半目になる。


「何」

「その歌どこで知ったんですか。私それ知ってます」

「え? なんで」

「続きはこれですよね」



 ふるさと遠く 知らぬ街 抗う術は あったのか



 ジェメドリッサが歌うと、ミャオリンが目を丸くした。


「ジェシーも人魚だったの? それで老いぼれ婆から聞いていたの?」

「え、違いますよ。友達……幼なじみの男の子がよく歌っていたんです」

「誰? 男? 人魚じゃないよね?」

「はい、そりゃあ……」


 ジェメドリッサは頷いた。どういうことだろうか。


「え、じゃあジェシーは、この歌詞の意味がわかるの?」

「いえ、わかりませ……あ」


 ミャオリンの境遇を思い返す。

 海。そして、次の歌詞に出てくる、青い洞窟。それから、泳ごう、という歌詞も。


「これは、人魚の歌ですよね」

「え? だから人魚の間で伝えられた歌で……」

「そういうことではなくて。人魚の歴史について語った歌なのでは? 海、洞窟、泳ぐ。それから連想されるのは、人魚です」

「え? ああ。確かに。考えたこともなかった。それが当たり前だったから」


 ミャオリンは目を瞬かせた。


「歴史って、何だろ」

「さあ」


 ジェメドリッサは歌詞を思い返した。



 暗い海の 真ん中の 我らが母の 物語


 ふるさと遠く 知らぬ街 抗う術は あったのか


 青い洞窟 光満ち 箱入りの花 楽園か


 永遠の月日は 泡となり 平穏平安 感謝しよう


 汝もいつか 泡となり 運命天命 甘受しよう


 真の緑の 美しさ 夢見て誰が 叶えたか



 冒険先は 行き止まり 消えてく友と 願望と


 深い闇の 静かな光 悟ったことは 無意味だから


 歌を歌おう ひっそりと 自由に泳ごう のびのびと


 我らの幸せ 取り戻せ 母の歴史を 思い出せ


 記憶を歌い 語り継ごう



「ああ!」


 ミャオリンが突然声を上げた。


「わかった。そういうことだったのか」

「どういうことですか?」

「人魚の境遇そのままなのよ。そうか、これを聞いてジエンは気づいた……。この歌は、そのためにあったのかな……」


 ミャオリンは納得しているようだったが、ジェメドリッサはよくわからない。


「ジエン?」

「人魚の……なんていうんだろう、友達、というか、知り合い、みたいな。うざかったけど、賢かった」

「じゃあ、その子も助けるんですね」

「ううん、死んだの」

「え」

「助ける以前に、連れて行かれる前に死んだ。水神術っていうので、人間に殺されたって、老いぼれ婆が」


 水神術。それは、言うまでもなく、水神教の信仰する水神が授けたとされる能力だ。


「待ってください、ミャオリン」


 ジェメドリッサは頭を抱え込んだ。


「あなたはもしかすると、ここにいてはいけないのかもしれません……」


 人魚の本はここになく、人魚の話をした途端この禁錮室に入れられ、ミャオリンの知り合いの人魚は水神術によって殺された。

 聖なる人魚からの、奴隷への転落。水神教の人魚への価値観が、いつの間にか変わってしまっている。


「じゃあ、私はどこに行けばいいの?」

「それは、すみません、わかりません」

「何か……。どうにかして、助けなきゃいけないのに……!」


 苛立ったように、ミャオリンは積み上げた石を崩した。


「ミャオリン……」


 ジェメドリッサの方が幸福な家庭に生まれ、ミャオリンの方が不幸な境遇だったはずだ。でも、ジェメドリッサは何もしていなくて、ミャオリンは頑張ろうとしている。

 ジェメドリッサは、ミャオリンの力になりたいと思った。自分一人では何も出来ないからこそ、他者には何か与えられる人になりたい。

 その時だった。とある考えが脳内で弾け、ジェメドリッサは戦慄した。


「どうしたの?」


 ミャオリンの問いに、ジェメドリッサは我に返り慌てて首を振った。


「あ、いえ、何でもありません」

「本当に?」

「ええ。大丈夫です」


 これをミャオリンに直接言う勇気は、ジェメドリッサにはなかった。あくまでも、まだ憶測なのだ。


「ミャオリン様、私も協力しますから、できるだけ早く教会を出てください」

「え?」

「……そうしなければ、他の人魚を助けられないではないですか」

「わかった」

 

 ミャオリンの素直な返事に、ジェメドリッサは息が詰まった。


「……ええ、頑張りましょう」




◆ ◆ ◆




 ジオルガは走っていた。黒いフードで顔を隠し、腕にはディーアを抱いて、街の路地裏を駆け抜ける。

 思ったよりも、時間がなかった。


「ん、ぎゃああ!」


 さっきからずっとディーアが喚いて泣いていたが、ジオルガには宥め方がわからないし、そんな余裕もなかった。

 サリアナから教わっておけば良かったと、今更ながら後悔する。こんなに叫ばれては、目立ってしまう。

 目下の目標は、ナヤルを出ることだった。

 隣はミュリムソンであるため安心はできないが、今のジオルガはそれこそ敵地にいるようなものだ。ナヤルの方が調査団の動きも活発で、自分の命が危うかった。そして、このディーアも、複雑な状況に置かれてしまったから、もうナヤルにはいられない。少なくとも、王族としては振る舞えないだろう。

 ナヤル王国第九師団。諜報に特化した国家直属の組織。それこそ中央政府に関係することなど、余程のことがなければ動かないはずだ。

 それが今自分を狙っているのだと考えると、頭がおかしくなってくる。

 両親は無事だろうか。ヘルドやペトリージャ、ディゲル、それからパケード教授は、無事だろうか。ジェメドリッサは、無事だろうか。

 おそらく、調査団の手も回っているだろう。全て、ジオルガのせいだ。謝りたいが、弁解したいが、それが自分勝手であることは自覚していた。接触するのはお互いにとって良くない。

 

「あうー!」

「お願いだから静かにしてくれ……!」


 ジオルガは走りながらディーアを抱え直す。

 そろそろ限界だとは気付いていた。

 表通りが騒がしい。ナヤルの兵が、すぐそこまで迫っていた。

 ここで捕まってはいけない。離宮から脱出するだけでも、サリアナの協力がなければできなかった。それを無駄にしたくない。それに、これにはジオルガだけでなく、ディーアや、場合によってはジェメドリッサの命も関わってくる。


「ジオルガだ! いたぞー!!」

「この犯罪者が!」


 ナヤルの兵士が路地裏に入ってきた。ジオルガは振り返らずに、ディーアを抱いている方とは逆の手を後ろに伸ばす。


 風神術。

 神は信じないが、努力した自分は信じられる。


 直後、背後で爆風が起き、砂埃が舞う。

 ジオルガはすぐにディーアの鼻と口を袖で覆った。

 自分の視界も遮られるが、それは相手も同じこと。

 この隙に姿をくらませて、それから。

 

「あ」


 突然、路地裏にある建物の扉が開いた。


「こっちだよ……!」


 そこにいたのは、アリクシオだった。なぜ、と思う。妻のサリアナが頼んだのだろうか。


「あ、ありがとうございます」

 

 ジオルガは慌てて建物の中に入った。アリクシオがすぐに扉を閉める。

 部屋の中は真っ暗で閉ざされており、アリクシオが掲げている松明の明かりだけが辺りを照らしていた。

 蜘蛛の巣が橙色に光り、埃のにおいがむせるほど充満している。見たところ何もなく、古びていて狭い、殺風景な部屋だ。


「ここは?」

「ナヤル王国の緊急時の脱出経路だよ。ミュリムソンに繋がってるんだ」

「え?」


 ジオルガが困惑していると、アリクシオは靴の踵で床を二度踏んだ。軽い音がする。

 足元を見ると、石畳の床の一部の板石が、少しずれて浮いていた。


「……いいんですか?」


 ジオルガはアリクシオの顔を窺う。アリクシオは目をくしゃりと細めた。そして、ジオルガの腕に目を向ける。

 小さな手が静かに向こうに伸ばされていた。


「君だけじゃないだろ。無事に逃げてもらわないと困るんだよね」

「でも、あなたが来る必要は」

「うるさいなあ。だから君のためじゃないんだって。サリアナと子供は悲しませたら駄目だからね。それに、これは僕の独断だから」


 アリクシオは言いながら、板石を持ち上げ、横に置く。松明で照らせば、階段が闇の奥まで続いているのが見えた。

 砂埃が収まったのか、外が少し騒がしくなっている気がした。


「早く」


 いつのまにか、アリクシオは階段を数段降りていて、真顔でジオルガを見上げた。

 その表情に、全てが表れていた。

 ぐだぐだ言っている暇はなかった。


「ありがとうございます」


 ジオルガは腕の中のディーアと共に、階段を降りていく。


「いいんだ」


 アリクシオの声音に、ジオルガは胸が痛かった。


「それに、君は悪くない」

「……ありがとうございます」


 ジオルガは静かに頭の上の板石を閉めた。




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