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第十三話 『水神教と人魚』

 週に一度の安息日がやってきたところで、ジェメドリッサはミャオリンとともに図書館に行くことに決めた。

 ミャオリンも礼拝には慣れてきているようで、他の修道女や修道士と話していることもあった。ジェメドリッサの時と同様、新米には優しく教えてくれる修道女もいる。規則もきちんと守っており、妙な薬も定期的に飲んでいるようで、人魚だとばれることもなかった。

 修道士から話しかけられているのをよく見たので、そこは少し心配だったが。ミャオリンは美人にしても、教会としていかがなものか。

 何にせよ、ひとまずミャオリンの安全は確保できただろう。

 だから、次はミャオリンの本来の目的に協力してあげたい。


「図書館は静かにしないといけないですから、必要な本だけ借りて帰りましょう」


 図書館の中に入り、ジェメドリッサはミャオリンに話しかけたが、返事はなく、振り返ると、彼女は本の量に圧倒されて何故か一歩ずつ後ずさっていた。


「何をしているのですか? 本は私が選ぶつもりですが、ミャオリン様にも持ってもらいますよ。ついてきてください」


 ジェメドリッサは苦笑しながらも、やや強引にミャオリンの腕を引っ張って、聖書や神話に関する本が置いてある所に向かった。

 建物は全て大理石で、本の匂いと静寂な空間は神聖な空気を感じさせ、ジェメドリッサはこの図書館が好きだった。しかし実際に使っている者はほとんどおらず、今も二人だけしかいない。


「ここです」


 ジェメドリッサは部屋の一角にある本棚を指差し小声で言った。聖書の原典と、神話の原典が集められたところだ。原典は水神教の中心であるこの教会にしかなく、あとは写本なのだが、幸いなことに、信徒なら誰でも閲覧できる場所にあった。

 ミャオリンは今にも逃げ出しそうな雰囲気だったが、ジェメドリッサはその袖をつかみながら、黙々と背表紙を眺め、気になるものがあれば中身を開き、さっと内容を確認していく。

 探すのは、『人魚』について書かれたものだ。幼い頃読んだ神話で、いくつかあったはずだった。


「あれ」


 ジェメドリッサは思わず声を上げた。


「どうしたの?」

「その、見つからないのです」


 ジェメドリッサは再び背表紙を眺める。

 『水神教 創世記1』『水神教 創世記2』『水神教 創世記3』『水神教 英雄伝1』、そして、『水神教 英雄伝3』。

 やはり、『水神教 英雄伝2』がない。今ある本に収録された神話の目次に目を通したところ、人魚が登場する話はどこにも収録されていなかった。

 そして、思い返せば、『涙の海』の神話もどこにも入っていなかった。ここの教会は『涙の海』の聖地として建てられているため、重要書物として、別の場所に保管されているのかもしれない。

 ジェメドリッサはミャオリンと協力して今ある原典を全て持って、ひとまず図書館の司書がいるところに向かう。誰も利用しないのに司書だけはいつもいて、暇ではないのか疑問だ。

 しかし、ジェメドリッサが司書のいる机の前に立つと、司書の女性は何か作業をしていたようで、慌てて卓上から羊皮紙の束を床に落とした。そして何事も無かったかのように笑顔で二人を見つめた。


「何か?」

「水神教の聖書の神話の原典はありますか。私は今、最近入って来たばかりの彼女に水神教について詳しく教えようと思ったのですが、一冊だけ見当たらなくて」

「原典?」


 ジェメドリッサとミャオリンは、抱えていた本を司書の机の上にある置いた。司書はその本を見て、「ああ」と頷く。


「すみませんが、見せられません」

「『涙の海』が入っているからですか。でも私達は、それを見たいのです。この教会にとっては、一番重要な話ですので」


 ジェメドリッサは食い下がるが、司書は首を振った。


「申し訳ございませんが、そういった決まりなのです。重要だからこそ、誰にも触ることが出来ないと、司祭から言われております」

「司祭から」


 ジェメドリッサは肩を落とした。


「あ、でも、入信したばかりの者ならば、原典よりも読みやすいほうがいいのではないですか。子供用ですが、『涙の海』の神話なら、絵本でありますよ」


 「探してきましょうか」と、司書が椅子から立ち上がりどんどん歩いていくので、ジェメドリッサは慌てて司書の後ろをついていく。


「これです」


 司書が提示したものを見て、ジェメドリッサは落胆した。ジェメドリッサが幼い頃読んでいたものと全く同じ装丁の印刷物だった。それなら今、ジェメドリッサの部屋にある。

 

「えっと、『涙の海』だけでなく、他の神話も見たいのですが」

「それなら、この辺りにあるものが全て他の神話の絵本ですよ」

「あ、そうなのですね。ありがとうございます」


 ジェメドリッサの感謝の後に司書がその場を離れると、ジェメドリッサは絵本を見てみた。基本はジェメドリッサが読んだことのあるものだったが、一部装丁や内容が変わっているところがあり、何故か人魚の話題は全て省かれてしまっていた。


「ミャオリン様、すみせんが、なさそうです」


 ジェメドリッサはミャオリンに話しかけるが、残念ながら返事はなかった。しかしそこでジェメドリッサが振り向くと、そこにミャオリンはいなかった。


「えっ!?」


 ジェメドリッサが驚き辺りを見渡すと、本棚の影で無邪気な笑みを浮かべたミャオリンがこちらを手招きしていた。

 ジェメドリッサがミャオリンの方へ行くと、ミャオリンはジェメドリッサに『水神教 英雄伝2』の本を見せた。

 ジェメドリッサはさらに驚いて思わず声を出しそうになったが、必死で抑えた。辺りを確認し、ちょうどこの本棚の影が司書のいる机からの死角であることに気づく。

 この原典は、司書が保管していたのだろう。それを、ジェメドリッサが司書を動かした隙に、ミャオリンが探してくれたのだ。

 ジェメドリッサは口の動きだけで「ありがとう存じます」と言う。

 そして二人はこっそりとその本を図書館から持ち出し、部屋に戻った。


 


◆ ◆ ◆




 ミャオリンの心臓はうるさく鳴っていた。背徳感と、自分の知らない事実が明かされるかもしれないという期待が綯い交ぜになっていた。

 二人は本を囲んで床に座る。ジェシーが緊張した面持ちで本を開いた。目次には、ジェシーが話していた『涙の海』という神話もある。

 しかし、次のページを開いた時、ミャオリンとジェシーは、思わず顔を見合せた。


「これって……」


 そのページの文章の大半が、黒いインクで塗りつぶされていた。ミャオリンは残った文章を読もうとするが、元々文字を読むのは苦手なため、わかるはずもなかった。

 ジェシーが慌てて次のページを捲る。しかし、そこもほとんど真っ黒だった。次のページも、その次のページも、そのまた次のページも、全て同じだった。全部のページに黒のインクが入っており、元の文章の原型は留めていない。それどころか一部、明らかに元の文章とは異なる字体で、上書きされているところもある。


「どういうこと?」

「わかりません。でも明らかに、これはおかしい」


 ジェシーは本の『涙の海』が乗っているページを開いた。『涙の海』という題目がかろうじてわかるという程度だったが、ジェシーは部屋のベッドの下からぼろぼろの絵本を取り出し、熱心に二つの本を見比べ始めた。

 その絵本も、『涙の海』のようだった。話の内容はジェシーからすでに教わっていたので、ミャオリンも本を覗き見る。頭が痛くなったが、読める文章を拾っていく。


「私が知っているのと少し違います……」


 ジェシーが呟いた。


「絵本とは違って、ガウマンの故郷が潰されたところから始まっています。海賊についても、より詳しく。ダイヤモンドの指輪は出てきて……」


 ジェシーは指で文章をなぞっていく。最初の方はあまり消されていないようで、段落ごとにまとまっていたため、読めないこともなかったが、途中から文章中の何かの単語が消されているようだった。

 その単語の表すものは、海賊に捕まっているようだった。それが奴隷になる、と書いてあり、ミャオリンは思わず声を漏らした。


「人魚……?」


 ジェシーによると水神教だと聖なる生き物であるはずの人魚は、これまでの話にも一切出てこなかった。この『水神教 英雄伝2』は、見たところ海の話について書かれており、人魚が出てくるのだとしたら、この本しかない。


「どうして? 人魚は聖なる生き物ではなかったのですか……?」


 ジェシーが混乱したように呟いた。


「だったら私の家にあった本は何だったの……? あそこには人魚が出てきていた、はず」


 ミャオリンは家、という言葉が少し引っかかった。


「ジェシーって孤児だって言ってなかったっけ?」

「え?」


 ジェシーは本から顔を上げる。


「あ、ああ。家っていうのは、昔育ての親と住んでいたところです。彼女は亡くなって……ここに来た感じです」

「それは、大変だね」

「ええ、まあ」


 ミャオリンはジェシーに親近感を感じた。彼女もミャオリンのように大切な人と離別し、ここに来ている。思えば、この教会では、同じような境遇の人が多いのかもしれない。水神教とは、そういう風に傷ついた心を慰め合うところなのだと、ミャオリンは少しずつわかってきていた。


「まあ、それはともかく、少し、いえ、随分と怪しいと思いませんか?」


 ジェシーの懸念に、ミャオリンは頷く。


「何かわかりそうな気がするんだけど、何も分からないね」

「そうですね」

「じゃあ、他の修道女に聞いてみるのはどう? ジェシーは知っているのなら、他の人も知っているはずでしょ。有名なんでしょ」

「おそらく。ただ、慎重にいきましょう」




◆ ◆ ◆




 ジェメドリッサはミャオリンとともに、ニシェリアの部屋に向かった。彼女に聞くのが一番確実だとは思ったが、不安は大きかった。


「はい。何でしょう?」


 ニシェリアが部屋から出てくる。


「先程図書館に行っていたのですが、神話について気になることがありまして」

「人魚は神話に出てこないの?」


 ジェメドリッサが段階を踏もうとしたのに対し、ミャオリンは直球で聞いた。


「何ですって?」


 途端にニシェリアが眉をひそめた。

 その場に緊張が生まれる。


「その話は誰から聞いたの? どこで聞いたの?」


 ジェメドリッサとミャオリンは顔を見合せた。流石のミャオリンでも、この状況はまずいと思ったのか、べらべらと話したりはしなかった。


「いえ、その……。本で、読んだ気がしまして」

「本で? どこの?」

「と、図書館の……」

「何を言っているのかわかりませんわ。あそこにそんな本はないはずですよ」


 ジェメドリッサは息を呑んだ。ジオルガの不祥事を聞いた時と、母親を怖いと思った時と、同じ感覚がした。

 

「ジェシー、あなた嘘をつきましたね」

「……あ、う」

「ミャオリンもです。この教会の中で嘘をつくということは、水神様を謀ろうとしたのと同じことです」

「は?」


 ニシェリアは二人を睨めつけた。いつもの聖女のような微笑みはどこへいったのか。


「三日間の禁固刑を言い渡します」


 その淡々とした口調に、ジェメドリッサは背中に冷や汗が流れるのを感じた。

 禁固刑。

 噂には聞いていたが、本当にあるとは思わなかった。何もない冷たい部屋で、何か食べることも許されず、ただ放置されるのだという。


「ま、待ってください。ニシェリア様、私達の何が悪かったのですか! 人魚は聖なる生き物で、それを崇めることの何が悪いのです!?」

「人魚を、崇める? 何をおっしゃっているのかわかりませんね。話になりません。もともとあなた方には水神教は向いていなかったのかもしれません。私から司祭に破門にしてくださるようお願いし申し上げましょうか?」


 ジェメドリッサの顔は青ざめるのを通り越して茶色くなっていた。


「では早速、禁錮室に案内して差し上げますね」


 ニシェリアは聖女のような笑みに戻り、部屋を出て教会の端の方に早足で進んでいく。二人はそれを必死で追いかけた。

 建物から出て、敷地内の森の方へ向かう。


「ごきげんよう、ニシェリア様」


 途中の小道で、修道女が前から歩いてきた。何かと外の情勢に詳しい、上品な修道女で、ジェメドリッサも何度か話したことがあった。しかし通り過ぎる際に、ジェメドリッサは思わずその修道女を振り返った。

 白い装束の下から、色のついた別の服が見えた気がした。そして、靴が明らかに支給されたものとは異なった。


「何をしてるのですか、ジェシー」

「あ、いえ、彼女はどこから来たのかな、と」

「それはプライバシーというものです。気にしてはなりません」

「……はい」


 それでも、ジェメドリッサはちらちらと辺りを見回していた。


「ね」


 そこでジェメドリッサはミャオリンに肩を叩かれた。

 彼女が指差す方を見れば、別れ道の先に、敷地を囲む塀が見えた。木々の隙間から、門があるのも見える。

 どういうことだろうか。

 ミャオリンのことだから、単にあの修道女はそこから来たのだと教えたかったのだろうが、あまりにもこれまでの規律と矛盾している。


「何をしているのですか」


 振り返ったニシェリアに睨まれ、ジェメドリッサとミャオリンは黙って彼女についていった。












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