第十二話 『貴族の奴隷』
「ニシェリア様、お話があります」
無事に礼拝に間に合ったジェメドリッサは、その後ミャオリンと合流して、共にニシェリアの部屋の前に立っていた。返ってきたダイヤモンドの婚約指輪は、仕方なく寝室の下にしまった。
ジェメドリッサが孤児を装いここに入った時も、対応したのはニシェリアだったから、おそらく彼女が担当のはずだ。
部屋から出てきたニシェリアは、ジェメドリッサの隣を見て、わずかに目を見張った。
「何かしら」
「今朝、敷地内で倒れているのを見つけたのです。彼女に、慈悲を」
言いながらジェメドリッサは、聖なる人魚に慈悲とは偉そうだと気付いたが、ミャオリンは気にした様子もなかった。
「名前は?」
「ミャオリンです」
「本人に聞いているのよ、ジェシー」
「すみません」
ニシェリアはミャオリンを正面から見つめた。
「ミャオリンよ」
「そう、ミャオリン。ところであなたは水神術者?」
「違う」
「水神様に仕える覚悟はおあり?」
「あるよ」
「ではあなたは貞潔?」
「どういうこと?」
最後の質問で、ミャオリンは首を傾げた。ニシェリアが説明する。
「結婚をしていないか、恋人がいないか、ということよ。そして、乙女、すなわち処女であるかどうか」
「ごめん、ちょっとよくわからない」
ニシェリアはミャオリンに顔を寄せ、耳に囁いた。
「本当に? 嘘はつかなくていいのよ」
「どういうこと?」
「まあ、その反応だと、大丈夫そうね。あなたの服装を見て少し驚いたのだけれど、純真そうで良かったわ」
ジェメドリッサはほっと息をついた。
ただ、これで大丈夫なのか、とは思った。確認があまりにも杜撰過ぎないか、と。ジェメドリッサの時もだったが、この三つの質問だけで判断するのはあまりにも無理がある。水神術者ではない者を入信させられるというのも、不思議なところだ。
禁錮など妙に厳しいくせに、入るのは簡単だ。考えるほど不気味で、ジェメドリッサは背筋がぞくりとするのを感じた。
「詳細は、ジェシーに説明してもらって。部屋もジェシーと同じところにしましょう。ではこれから、よろしくお願いね」
「うん」
ニシェリアはジェメドリッサに目配せした。
ジェメドリッサは頷き、ミャオリンと共に部屋に向かった。
◆ ◆ ◆
ミャオリンは色々なことが一瞬で決まってしまい、混乱していた。
これで良かったのだろうか。
指輪を渡したものの、ジェシーの反応も微妙だった。
「その、ジェシー、相談したいことがあるの」
ジェシーの部屋で一通りの規則や水神教の概要を教えてもらった後、ミャオリンは口を開いた。
「水神教にとって、人魚って、何?」
先程の入信の際にニシェリアという修道女教官が言った水神術という言葉に聞き覚えがあり、ミャオリンはそれがジエンを殺した人物が使った術だと思い出した。
しかし、先程ジェシーから聞いた話では、水神教の神話では、何故か人魚は聖なる生物となっている。人魚は奴隷になる運命ではなかったのか。
「先程申しましたように、ミャオリン様は私達にとっては水神に次いで尊いお方……のはずです。逆に、正体を明かさなくて良かったのですか?」
ミャオリンはジェシーの言葉遣いが気持ち悪く感じた。そもそも敬語には慣れていない。あのオウリャン達を捕まえた人間とは真反対の対応だ。
「本当はね、私達人魚は人間の奴隷になるはずだったのよ。人間に正体を明かしたら、捕まるのだと思っていた」
「その、私はそれがよくわからないのです」
「私も正直奴隷がなんなのかはわからないけど。でも、そんな丁寧な言葉で話しかけれるようなものじゃないっていうのは、わかる」
ジェシーはじっと床を見つめながら、部屋の中を歩いた。しばらくして立ち止まり、顔を上げる。
「あなたが人魚ということは水神教には言わない方がいいと思います。どこかこの教会は、不気味なところがある気がするのです」
「どうしてわかるの?」
「それは……な、何となくです」
ミャオリンは急にジェシーという少女が頼りなく見えた。
「じゃあどうすればいいの?」
「そうですね……。ここにある図書館で、人魚について調べてみるのもいいかもしれません。何か分かればいいのですが」
「図書館?」
「本がたくさんあるところです」
「本……。私、字を読むのが苦手なの」
洞窟の中にも、本はいつくかあった気がする。ジエンがよく読んでいたが、ミャオリンは文字を見るとすぐに眠たくなり、結局内容は知らないままだ。
「でも、聖典は覚えないと……。いえ、復唱するだけだから、大丈夫でしたね」
「なんでそんなことをしなければならないの?」
ミャオリンの世界には宗教という概念はなかった。だから教会というのも、ただ生活を提供してくれる施設なのだと思っていた。礼拝というのは、その対価なのだろうか。
しかしその質問に、ジェシーは口ごもった。
「なんで……? わかりません……。考えたこともありませんでした」
ミャオリンも考えるが、そこで、話が脱線していることに気づいた。
「私はどこに他の人魚がいるか知りたいの。まだ船に乗っているかもしれない人魚もそうだし、もうすでに奴隷になってしまった人魚も助けたい。それで、海に返したいの」
ジェシーは顎に手を当てた。
「そのことなのですけれど、この施設内には外部の者は入ることはできますが、内部の者は原則出てはいけないのです」
「そうなの? でもそれじゃダメなのよ」
ミャオリンは目を丸くした。入信してはいけなかったのだ。
「すみません。勝手に勧誘してしまいました」
「ううん。いいんだけど」
「何か行事がある際には、出れるそうですが。ただ、考えようによっては、かなり安全だと思います。あまり多くの人と関わらなくてもいいですから。それに、奴隷というのは、仮にそんな制度が未だに存在するというのならば、貴族のものになっているでしょう。その場合、平民として交流するだけなら、まず接点はありません。しかしここには、様々な人がやって来るはずです。もちろん、貴族も」
ミャオリンは胸を撫で下ろした。
「じゃあ私は、この中で人間の社会について知ればいいのね」
「まずは、そうですね。私が知っていることなら教えられます。それから、人魚についても、本で一緒に」
そこでミャオリンは露骨に顔を顰めた。ジェシーはそれを見て苦笑する。
「大丈夫ですよ。文字も、わからなければ私が教えます。そんなに頭は良くない方ですが、幼い頃からずっと本だけは読んできたんです」
「わかった。ありがとう」
ジェシーの優しさに不安が和らいだ気がして、ミャオリンは笑みを浮かべた。
これなら、どうにかやっていけそうな気がする。
その後はジェシーに、水神教や人間について色々なことを教えてもらいながら礼拝をして、施設内を見て回って、ミャオリンの一日は終わった。
◆ ◆ ◆
部屋の蝋燭を消そうとして、ジェメドリッサはすぐ横のベッドで寝ているミャオリンを見つめた。
ここでは基本二人部屋で、入信したばかりのジェメドリッサの部屋は一人空いていたので、ミャオリンがそこに入ることになったのだが、幸運なことだった。人魚は聖なる生物なため教会にこっそり伝えようとも考えたが、この少女はそれを望んでいないように見えた。
表情が豊かで、思ったことははっきりと言える。ジェメドリッサとは真反対だった。八方美人であることが取り柄で、自分の意見を押し殺し、常に周りの目を気にして、無難に過ごしていく。それが自分の性格であることは、認めざるを得なかった。
穏やかな表情で眠っているミャオリンは、ひどく美しかった。これまでどんな人生を送ってきたのか、それはわからない。でもジェメドリッサは無責任にも、彼女を羨ましいと思ってしまった。
「寝よう」
ぼそりと呟き、蝋燭の火に息を吹きかける。部屋の中が急に真っ暗になると、ジェメドリッサは寝台に入る。いつも以上に、今日は密度が濃い一日だった。
ここに来てから、貴族であった時より遥かに忙しい。貴族の時は、毎日何をする訳でもなく、教養だと刺繍や読書をするのが、一日の全てだった。
フリエはどうしているのだろうか、と思う。奴隷の話で思い浮かんだのは、フリエのことだった。
彼女と初めて会ったのは、ジオルガと二人で街に降りてはしゃぎ回っていた時だった。小さかったから、今思えばかなりの恐れ知らずだった。
案の定道に迷い、狭い路地裏に入ってしまった。そこにいたのが、フリエだった。体を縛られ、体格のいい男に引き摺られ、猿轡の下で声にならない悲鳴を上げていた。
ジオルガが家庭教師から習ったばかりの風神術を使い、男を攻撃した。ジェメドリッサはその隙に、フリエの所まで走っていった。フリエは怯えていた。
フリエの格好は、酷いものだった。身体中に擦り傷があり、薄いボロボロの茶色いワンピースを一枚、身につけているだけだった。
一方ジェメドリッサは、庶民の格好をしていたとはいえ、肌触りのいい生地を使った綺麗な青のワンピースを来て、靴下を履き、革靴を履いていた。
この差は何なのだろうかと、同年代の少女を見て、ジェメドリッサは思った。
『何じゃい、この、チビが!』
男が叫び、少女に鞭を振り下ろそうとしたから、ジェメドリッサは咄嗟に少女の上に被さった。背中に衝撃が襲う。
何も考えずにしてしまったことだったから、その痛みに驚き、泣いてしまった。
『ジオ! この子守る!』
弱々しい風を男に向けて出すジオルガに、泣きながら叫んだ。ジェメドリッサは何も出来ず、少女を守るために覆い被さることしかできなかった。
突破口を見つけたのは、ジオルガだった。その時から彼は頭が良く、相手が何を欲しているか知っていた。
『お前ら、お金が欲しいんだろ!』
そう言ってジオルガは、財布の中身をばらまいた。金貨が路上に落ちる音。ジェメドリッサも、財布を取り出して、全てその場に金貨をばらまいた。
男は呆然として、金貨を見つめていた。今思えば、彼も貧しかったのだ。
ジェメドリッサは慌てて少女を引っ張ってその場から離れた。すぐに近くに来て探していた護衛に見つかり、いつもなら帰りたくないと駄々をこねるところを、ジェメドリッサとジオルガは必死で助けてほしいと頼み込んだ。
結果、フリエはジェメドリッサの侍女として育てられ、身分は違ったものの、絆はジオルガに負けない程強くなっていった。
ともあれ、ジェメドリッサがその時学んだのは、貴族と庶民の格差だった。
あの時フリエは、奴隷になりかけていた。フリエによると、親から売られたそうで、それを聞いた時、ジェメドリッサは信じられなかった。それに、奴隷の買い手が貴族だとも知り、衝撃を受けた。最初はフリエからも、責めるような目で睨まれた。
だから、ミャオリンの事情を聞いて、彼女の気持ちが少しわかる気がした。
人間でも、人魚でも、奴隷制度などというものは、なくさなけらばならない。貴族のジェメドリッサが知らないということは、奴隷制は法的に認可されたものではなく、一部の貴族達が非合法的にやっているだけなのだ。
ジェメドリッサが思うより、この世の中は、汚くて、仄暗いのかもしれない。ジオルガのことといい、信頼が裏切られるのは、怖いものだ。
不安を抱え悶々と悩んでいるうちに、ジェメドリッサはいつの間にか眠りに入っていた。




