第十話 『調査団の裏表』
時は少し前に遡る。
ジェメドリッサが消えた翌朝、マイトリヒ家は大騒ぎだった。
「フリエ!? ジェメドリッサはどこに言ったの!?」
マイトリヒ夫人の悲痛な叫びが、ジェメドリッサの部屋で反響し、フリエの耳に突き刺さった。フリエは俯き震えながら、言葉を絞り出した。
「申し訳ございません。私は存じ上げません」
「嘘おっしゃい! 昨夜の衛兵が睡眠薬を盛られていたそうよ!」
「そうなのですか。しかし、私も驚いているのです。まさか、お嬢様がそれほど思い詰めていらっしゃっただなんて」
フリエはあくまでも無知であることを貫き通した。
「お嬢様はどこに行ったのでしょう」
「どうしてあなたはそんなに冷静なの!?」
「奥様、しかし、慌ててもどうしようもありません。私が探しに行って参ります」
「どこへ!?」
「わかりません。が、ひとまず領地内を探してみようかと」
領地を一回りして、見つからなかったと戻ってこればいい。どちらにせよジェメドリッサの行先は、領地内にはないのだ。
マイトリヒ夫人は目をつぶって腕を組んだ。マイトリヒ子爵も部屋の中に入ってきて、眉を顰めた後、おどおどと夫人の機嫌をうががった。
「ジリーシャ、ひとまず落ち着こうではないか。最近のあの子の様子は見ていただろう? きっとどこか友達の家にでも行っているはずだ。何も心配することはない。夕方には帰ってくるだろう」
「あなたもわかっているでしょう!? ジェメには友達なんていないのよ。ただの家出じゃないはずよ。もしかしたら、どこかで、死んで……!」
夫人は、わっと両手で顔を覆った。
その様子に、フリエはわずかに眉を寄せた。ジェメドリッサの友達が少ないのは確かだが、いないわけではない。直接言える身分ではないため言ってこなかったが、少なくともフリエはジェメドリッサのことを親友だと思っている。
ただ、夫人が心配するのも当然だった。これまでジェメドリッサの邪魔をする存在だとばかり考えていたが、それでも親なのだ。誰しも事情がある。ジェメドリッサのことが嫌いで、今まで邪魔をしてきた訳ではないのだ。
若干の罪悪感を感じつつも、フリエは気休めの提案をする。
「奥様、落ち着いてください。今すぐに探して参りますので」
そう言ってフリエが、急いで屋敷を出ようとした時のことだった。
部屋の窓から、屋敷の前に馬車が止まっているのが見えた。衛兵が何か、話しているようだ。
「来客でしょうか」
フリエがそう言うと、フリエより先に、夫人が屋敷を飛び出した。
ジェメドリッサと関係があると思ったのだろうか。しかしフリエとしては、少し様子がおかしいと感じた。馬車が異様に豪華で、このような没落貴族の屋敷に来るようなものではない。
フリエも急いで屋敷を出て、門の後ろで夫人の側に控えて、状況を観察する。
「王家からの命令だ。通せ」
「困ります、そんな、急に」
馬車の中から出てきた身なりのいい男性が数人、護衛を伴って門の内側に入ろうとしているのを、屋敷の衛兵が必死で止めているようだった。
「何です?」
夫人の方も、この異様な雰囲気に気付いたようだった。一歩前に踏み出し声を上げると、身なりのいい男性の一人が目を向けた。姿勢を正し、敬礼する。
「私はナヤル王国第九師団のイブリと申します。ジオルガ=セムトリーの元婚約者であるジェメドリッサ様に関係することで、伺いたいことがあります」
夫人は眉間に皺を寄せた。
「なぜ隣国のナヤルがミュリムソンの一貴族の屋敷にはるばるやってくるのです?」
夫人は疑っているようだった。フリエとて、にわかには信じがたい状況だった。ナヤル王国第九師団は、王国直属の、いわゆる特殊部隊だ。あまり表に出てくるものではない。
イブリは羊皮紙を取り出し、夫人に提示する。ナヤル王家の印に加えミュリムソン王家の印があり、さらに中央政府の印もあったことから、これが公的なものだとわかる。
「ナヤルのサリアナ王女からの命令です。ジオルガ殿の結婚にあたって、確かめなければならないことがあります」
「それは何?」
「お答えしかねます。ですから、私達が邸宅内、特にジェメドリッサ様の部屋を調査することを許可していただきたいのです」
それはただの勅令だった。マイトリヒ家には、断る選択肢はない。
「わかりました」
イブリと他の同行者を屋敷内に招き入れ、ジェメドリッサの部屋に案内しながら、夫人はおそるおそる口を開いた。フリエは専ら荷物持ちに徹して、落ち着かない気持ちで後ろをついていく。
「その、大変申し上げにくいことなのですが、娘のジェメドリッサは不在でして」
「何か用事が入っていたのですか」
「いえ、その、今朝方行方不明になってしまったのです」
「それは困りますね」
夫人はイブリの冷ややかな声に震えた。
「ジェメドリッサ様は、何か装飾品など持っていかれたのでしょうか」
「いえ、わかりません。装飾品が何か?」
「何でもありませんよ。こちらの事情です。お気になさらず」
「え、ええ」
そのやり取りを聞いて、フリエはわずかに顔を顰めた。彼らは装飾品を探しているようだった。しかし、なぜ。
考えているうちに、ジェメドリッサの部屋に着いた。
イブリ達調査団は、片っ端から引き出しを開けていく。部屋の主が不在なのをいいことに、女性だという配慮もなく、プライバシーという倫理観もなく。
フリエは自身の腕を抱きしめた。自分の体中を虫が這いずり回っているような気がして、肌が粟立った。
「この耳飾りは、誰からの贈り物でしょうか。ご両親からなのか、ジオルガ殿からなのか」
調査団員は、無神経にジオルガの名前を出して夫人に尋ねた。
「い、いえ、私には分かりかねます」
「それはジオルガ様からのものです」
詳しくない夫人に代わり、フリエが答えた。母である夫人よりも、ジェメドリッサのことはよく知っているという自覚はあった。
調査団員はその耳飾りを持参した高級そうな布に包んで、箱の中に入れた。
次々とフリエに質問が飛び交う。
「ではこれは?」
「それは子爵からです」
「これは?」
「それは公爵令嬢ペトリージャ様からのものです」
「これは?」
「ジオルガ様からです」
フリエは法則がわかった気がした。というより、調査団側に、それを隠す気がないようだった。
彼らは明らかに、ジェメドリッサがジオルガからもらった装飾品を探して、没収しようとしている。目的はわからない。でもそれは、ジェメドリッサを冒涜する行為だった。
「ジオルガ様の命令ですか。それとも、サリアナ王女殿下の命令ですか」
フリエは我慢できずに聞いてしまった。振り向いたイブリをじっと睨んだが、彼はフリエを一瞥しただけで、すぐに作業に戻った。
やるせなかった。侍女の身分では、相手にして貰えないのだ。イブリの目には身分の低い者を見下す侮蔑の光があり、それが過去の一瞬と重なった。そこから救ってくれたのがジェメドリッサだった。彼女と別れた今、襲いかかる喪失感が思ったよりも大きいことに、フリエは息を呑んだ。
ジオルガも罪な男である。ジオルガの装飾品だけを選ぶということは、王女がそれだけジェメドリッサに嫉妬しているということだろうか。
それとも、国自体が、ジェメドリッサとジオルガが婚約していたことをなかったことにしたいのだろうか。王女の不祥事を揉み消したいのは無理もないが、それではジェメドリッサの人生があまりにも報われないではないか。
「これで全部でしょうか」
イブリが箱の中に並べた装飾品を見て、抑揚のない声で夫人に問うた。
「お、おそらく」
夫人は萎縮して、散らかった部屋とイブリ達調査団を見比べた。様子を見に来ていたマイトリヒ子爵も、呆気に取られて言葉も出ないようだった。
「調査へのご協力、感謝いたします」
「その、ジェメドリッサは不在でしたが、大丈夫だったのでしょうか」
夫人の言葉に、イブリは頷いた。
「行方不明とのことでしたら、我々が直接探しますので、ご安心ください。見つかり次第連絡も入れるつもりです」
「そうですか、ありがとう存じます」
夫人は表情を緩めたが、フリエは背筋が凍りついた。せっかくジェメドリッサが考えて決心したことなのに、見つかってしまう。しかし、やはりフリエは口を出せる身分ではなかった。
イブリ率いる調査団は、部屋の中を片付けることもなく、装飾品を持って出ていった。夫人や子爵は入室は許可したが、その許可は出していなかったはずだった。でも、誰も引き留めなかった。いや、引き留められなかった。
フリエだけでなく、夫人や子爵とて、思うとところはある筈だったが、断ればどうなるか、恐ろしかったのだろう。
政府の命令ならば、何でもやってもいいのだろうか、いや、良くないはずだった。
「お嬢様……」
ジェメドリッサが彼らに見つからないことを、願うことしかできなかった。
◆ ◆ ◆
その頃、ナヤル王国の離宮の一室に、ジオルガはいた。
セムトリー家の屋敷とは比べ物にならないほど、全てが大きく豪華だった。三人は寝れる天蓋付きのベッドにうつ伏せになり、何をすることもなく時間をやり過ごす。
慣れない環境だった。気分は優れず、自身の噂に怯えるばかりで、最近は部屋を出ることもできない。ナヤルはともかく、ミュリムソンの話が聞こえてくるのは、なかなかに応えた。
「ジオルガ様、今よろしいでしょうか」
女性の甲高い声が扉の向こうから聞こえて、ジオルガは跳ね起きた。
「はい、何でしょうか、サリアナ殿下」
ジオルガが扉を開けると、案の定、ナヤルの王女であるサリアナが、赤ん坊を抱いて立っていた。
「どうぞこちらへ」
部屋に通し、ソファに座らせる。ジオルガが向かい側のソファに座ると、使用人が真ん中のテーブルに紅茶とお菓子を置いた。
急な訪問だったが、サリアナは落ち着いていた。ジオルガはおそるおそる尋ねる。
「何かあったのですか、どうされたのですか」
「いえ、特に、何もないのですよ」
ジオルガは目を瞬かせた。未だにサリアナとはどう接すればいいのかわからない。しかしジオルガが口を開く前に、サリアナが言った。
「遠慮なさらず、私の隣へ来てくださいまし」
ジオルガは立ち上がり、サリアナの隣に少し間を空けて座った。
「もっと近くに」
「あ、はい」
「それでいいのです」
するとサリアナは、ジオルガの方に、抱いていた赤ん坊を差し出した。
「……何ですか?」
ジオルガは心底わからなかったのだが、サリアナは怒ったように言った。
「この子を抱くのよ。あなたそんなんでこれからやっていけると思ってますの? 頭良くても、こういうことできなきゃ意味ないでしょ」
「え」
「落としそうで怖いならもっと近くに寄りなさいよ。落としたら私が受け取ってあげるから」
「あ、ありがとうございます。わかりました」
ジオルガはおそるおそる赤ん坊を受け取った。
「首!」
「あ、はい」
ジオルガはしっかりと赤ん坊を支える。柔らかくて、潰れるのではないかと思い、可愛いとかいう感想を抱いている余裕はなかった。
少し慣れてきたところで、ジオルガは隣のサリアナを見た。
「どうして、私に?」
「それはあなたが一番わかっているはずですわ。ところで、いい加減この子の名前は考えてきましたか?」
「あ、や、まだ」
「今まで何をしていたのですか?」
「でもそれは、サリアナ殿下がつけた方がいいのではないですか。私はもう……。どうなるかわからない身分です」
ジオルガはきゅっと唇を噛んだ。
「本当に申し訳ありません。私のせいで、あなたにも、子供にも、あなたの家族全てに迷惑をかけてしまいました」
「それは……どうかしら。こちら側にも責任はありますよ。それに、別にあなたは何も罪は犯していないでしょう?」
サリアナはジオルガの肩に手を置いた。ジオルガは苦笑し、部屋の中の使用人達を見回しながら、少し身じろいでサリアナの手を肩から外した。
「罪は……犯しましたよ」
そう言って、端正な顔に影を落とした。しかしそれも束の間、隣に笑みを向ける。
「サリアナ殿下こそ、こんなことをして大丈夫なのですか? 醜聞を受けているのは殿下もでしょう?」
「仕方がないことだと思うしかありませんわ」
「どうしてあなたは、そう、受け入れられるのですか? 私は殿下には感謝しているのです。あの時殿下が言ってくださった言葉で、私は勇気を貰えた」
「……。ねえ、もうこんな話はやめましょう。この子の名前は決まった?」
サリアナがジオルガの腕の中の赤ん坊に手を伸ばすと、赤ん坊はサリアナの指をきゅっと掴んだ。純粋な瞳が、ジオルガを見つめる。ジオルガの頭に一つ、名前が浮かんだ。ナンセンスだとは自分でも思ったが、それが一番、訴えるだろうと思った。
「そうですね……。決めました」
「まあ。何かしら」
「ディーアです」
その場に沈黙が降りた。しばらくして、長い息をついて、サリアナが声を発した。
「本当に懲りないですわね。そんなことをして大丈夫なのかしら?」
「今更ですね。大丈夫です、きっとその意味は伝わります。それに今、ナヤルの師団による妙な調査がミュリムソンのほうで行われているそうです。色々、時間の問題でしょう」
「それまでに、何とかしてくださいね」
「できる限り……いえ」
ジオルガは笑みを浮かべて、赤ん坊、いや、ディーアを見つめた。ディーアは赤ん坊のくせに随分と静かで、全てを知っているのではないかと疑いたくなるほどだった。
「わかりました。この子は私が面倒を見ます」
ディーアの将来を考えるとそれが最善なのだ、とジオルガは自分に言い聞かせた。ディーアはもう、ナヤルでは暮らせないだろう。
「逃げるのですか?」
「さあ、わかりません」
腕の中の赤ん坊を見て、ジオルガは改めて、奇妙な運命だと思った。どこで間違ってしまったのだろうか。いや、そもそも全てが、ジオルガ自体が、間違いだったのかもしれない。
「じゃあ今から、息子の面倒の方を見てくるから、ディーアちゃんのほうはお願いしますね」
「わかりました」
ジオルガは微笑む。息子というのは、三年前に生まれたサリアナとアリクシオの子供だ。今は我儘が多く大変な時期だそうで、サリアナの負担はできるだけ軽くしたかった。ああは言っていたものの、大半の責任はジオルガにあるのだから。
サリアナは優雅に紅茶の残りを飲み終わらせると、軽い音を立ててソーサーの上に戻し、ソファから立ち上がった。
「この子は絶対に私が守りますからね」
ジオルガが念押しするように言うと、サリアナは哀しそうに笑みを浮かべ、頷いて部屋を後にした。




