母親だったかもしれないひと
途中に中2病なフレーズが出てきますが、静玖が考案したものです
沸騰したヤカンのような鳴き声だった。
「ピィィィッ!」
触手が迫る。
その先端は刃のように鋭い。
月光をはじいて輝く、銀色。
それは見惚れるほどに美しく――
「っ……!」
視界が回転する。
俺は、首を落とされていた。
「ピピィ!」
さらに、さらに。
十重二十重と、触手が舞う。
俺の身体がバラバラになっていく。
腕が、足が、指が、背が、腹が、陰部が――。
昼間、人目憚らずイチャイチャしていた報いだろうか。
下半身は、とくに執拗なほど微塵切りにされた。
「ピピ!」
そいつは満足げに身をくねらせる。
透明で、ぷよぷよ。
ゼリー状の不定形。
この姿を一言で表現するなら『スライム』だろうか。
スライムと言えばRPGにおけるザコモンスターの代表格だが、この怪物は少しばかりワケが違う。
それは生きとし生けるもの、死にとし死せるものへの怨嗟。
かつて存在したもの、いま存在するもの、これから存在するもの――三世の因果を無に帰す呪縛。
古態獣。
簡単に言えば「謎の怪物」。
10年前の戦いが生んだ、全次元規模の"後遺症”。
その力は、他の悪霊やら妖怪やらを遥かに凌駕する。
「ピピ、ピピピピ!」
ゲル状の怪物――ひとまずはスライムと呼んでおこう――は、高らかに謳う。
勝利の凱歌をあげているのだろう。
ゴロゴロと野原を転がりまわっていた。
だが、俺は、まだ死んじゃいない。
神格接続。
権能開放要請:受諾
発動:【時間】
砂粒レベルまで切り刻まれた肉体を、巻き戻して再生させる。
権能開放要請:受諾
発動:【永劫】
「《火焔事象》――」
右拳を握り、
「――《我が炎は浄華灼滅の鉄槌である》」
内部で荒れ狂う神威ごと、スライムに叩きつける。
叩きつけて、即座に後方へ跳ぶ。
「ピ、ィィ……」
スライムが、苦悶の呻きを漏らす。
全身に亀裂が走り、その隙間から焔が漏れ出した。
そして、
「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫。
火炎が爆ぜた。
赤熱の花弁が夜を焦がし、後には灰ひとつ残さない。
『芳人くん、終わった?』
『ああ、後始末を頼む』
綾乃からの念話に応えながら、俺は山を下りる。
都市部で《浄華灼滅》を使うわけにもいかないしな。
近くに人気のない野山があって大助かりだ。
『ごめんね、夜遅くに呼び出して』
『正しい判断だろ。あれは、どう考えても上級の古態獣だ』
下級だったら真月館の卒業生で十分だろうが、今回は話が違う。
100人で取り囲んだとしても、無数のバラバラ死体が生まれるだけ。
かくして俺の出番となった。
あえて首を落とさせてからの逆転勝利。
別に、相手を舐めてるわけじゃない。
これが最適解なんだ。
なにせ古態獣は、伊城木芳人を殺害すると、弱体化をきたす。
理由は不明。
とはいえ、この特徴を利用しない手はないだろう。
『芳人くん、今夜はどうするの?』
『寄り道してから自力で帰る。未亜には、適当に言い訳しておいてくれ』
『浮気かな?』
『違う、断じて違う。……頼むから、妙な誤解を広めないでくれよ』
『うんうん大丈夫、芳人くんがひとり夜の街に消えていった、って呟くだけだから』
『お願いしますやめてください』
さすが邪神、邪悪すぎる。
神格でいえば俺のほうが上なんだが、どうにもこうにも勝てる気がしない。
* *
「麦茶でいい?」
「いえいえ、おかまいなく。……札幌は、4月でもまだ冷えるんですね」
「おかげで店も繁盛してるわ。肌寒いと、人恋しくなるから」
スライムが出現したのは、札幌市の郊外だった。
俺はマーニャさんのマンションに立ち寄っていた。
部屋の奥には仏壇がある。
隣に飾られているのは、伊城木直樹の写真。
「……」
「……」
2人並んで、合掌する。
黙祷。
「偽善ですね、これ」
自嘲せずにいられない。
伊城木直樹を殺したのは、俺だ。
間接的な手段とはいえ、完膚なきまで消滅させた。
なのにここで冥福を祈っている。
矛盾だ。
偽善だ。
反吐が出る。
「けれど、偽善と分かっていても、祈りたかったのでしょう?」
マーニャさんは包み込むような微笑みを向けてくる。
くすぐったいけど、暖かい。
「ええ。……たまに思うんです。花火大会の日、俺が直樹を選んでいればどうなっていたんだろう、って」
「その仮定が当然のように出てくるあたり、芳人ってズレてるわよね」
どうなんだろう。
ただ、このごろ浩介がこっそりやってる女装配信はわりと萌える。
足が綺麗なんだよ、足が。
「ともあれ」
ぽんぽん、と。
まるで母親のように俺の頭を撫でるマーニャさん。
「どうにもならない過去を呑み込もうとするとき、ひとは祈らずにいられないの。
その気持ちは、貴方が人間であるために必要なことよ。どうか忘れないでね」
「……ありがとうございます」
目を閉じる。
しばらくのあいだ、慈しむようなマーニャさんの手つきに甘えていた。
その後、麦茶を飲みながら雑談をして、俺はマンションを出た。
時計は0時を回ったころ。
空を見上げると、北斗七星が見えた。
"尾”の先端から2番目の星。
その隣で瞬く、赤色に気付いた。
「アルコル、だっけか」
某漫画では『死兆星』と呼ばれるもので、古今東西の別なく、不幸の象徴とされている。
ま、ただの迷信だ。
ちょっと目がよければ、誰でも見えるしな。




