俺の胃袋が宇宙開闢
玲於奈さんの話
きょうの5時間目は、時元魔導学の権威、フィリスイリス・F・クラシアによる特別講義だった。
テーマは『時間停止は可能なのか』。
曰く、時間とは「流れる」のではなく、バラバラに散らばったアニメのフィルムのように存在しているらしい。で、俺たちの主観がそれを繋ぎ合わせて、勝手に過去・現在・未来と呼んでいるんだとか。この考え方は2015年ころにマサチューセッツ大学のブラッド・スコウが提唱した『スポットライト理論』が元になっていて……云々。
これ以上の説明は勘弁してくれ。
俺のアタマがついていかなかったんだ。
3分もしないうちに脳味噌が味噌汁と化し、気がついたら机に突っ伏していた。
ごめんフィリス。
グッスリ寝たせいか、まだ頭がふわふわする。
顔を洗おうと思って教室を出ると、
「ああ、すみませんそこの人」
長い髪を首元でひとつに束ねた、巫女装束の少女に声をかけられた。
くっきりとした細い眉。
猫科じみた印象の赤い瞳。
色の薄い唇が言葉を紡ぐ。
「伊城木芳人というろくでもない女誑しを捜しているのですが、心当たりはありませんか」
「ない」
へー、ひどい男もいたもんだなー。
この子も被害者なんだろうか、まあ頑張れ。
俺は少女をよけて手洗いに行こうとしたが、
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ芳くん」
少女に行く手を阻まれた。
「せっかく超絶美少女の玲於奈さんが訪ねてきたのに冷たすぎやしませんか。クールですか、コールドですか。濃霧による試合終了からの4連敗。合計得点は33対4」
「おまえ阪神ファンに殺されるぞ」
というかよく知ってるな。
今が2037年だから……もう32年も昔の話か。
2005年の日本シリーズ。
阪神タイガ〇スと千葉ロッテマリ〇ンズの対決における歴史的悲劇だ。
「で、何の用事だ。また何かやらかしたのか?」
「芳くんは私をトラブルメーカーか何かと勘違いしてませんか。どっちかというとピースメーカーですよ。ピースピース」
真顔のまま両手でピースサインを作る玲於奈。
くそう。
ちょっとかわいい。
「ま、ピースメーカーは爆撃機やリボルバーの別名だったりもしますが。そのへんはなかなか皮肉が効いていますね」
「結局トラブルメーカーじゃないか」
今日は今日とてどんな厄介事を持ち込んでくる気だ。
校庭をマンドラゴラ畑にでも変えたのだろうか。
「実はさっきの時間、私のクラスは調理実習でして」
「家庭科室を爆破したのか?」
「それはミアミアの十八番でしょう、私はいたって普通に料理しましたよ。それはともかく芳くんにおやつタイムです。さ、どうぞ」
と。
ここで俺は気付く。
玲於奈がもうひとり、女の子を連れていた。
「……これ、食べて」
まるで小学生みたいに低い背丈。
ちんまりとした顔に、小さな手。
やや短めのアッシュブロンドの髪は、どこか儚げな印象を漂わせている。
シオン・シフォン。
海外からの留学生だ。
得意分野は死霊術。
もともとは異世界の住人だが、神格として新生したあと、こちらの世界に転生していた。
「ありがとな、シオン」
袋詰めのクッキーは、やたらと可愛らしいものだった。
プレーンとココアの生地を使い、クッキーの上に動物の顔を描いている。
トラが「がおー」と吠えていたり、クマがニコニコ笑っていたり。
なんという女子力……!
「……うまい」
味も絶品だった。
ほどよいサクサク感に引き続いて、バターの風味が口に広がる。
これは……いいものだ……!
「どうやら芳くんもご満悦のようですし、教室に戻りましょうか、シオン」
「……」
玲於奈が声をかけるものの、シオンは動かない。
何か言いたげに俺へ視線を送り――それから、玲於奈のほうを見た。
ああ、そういうことか。
「玲於奈のクッキーはないのか?」
「私、ですか?」
「調理実習だったんだろ」
「いやー、実はちょう自信作ができたのですが、味見しているうちになくなってしまったんです。残念です、ええ、はい」
限りなく嘘っぽい。
シオンに目を遣ると、
「えい」
「なっ!?」
まるで掏摸の達人じみた手つきで、玲於奈の懐から包みを抜き取っていた。
それは……たぶん、クッキーだろう。
なんだかこげ茶色を通り越して真っ黒だったり、「ヴボォォォォォォォォ」と呻き声を漏らして不定形に蠢いてたりするが、きっと、おそらく、クッキーだ。
封のリボンを解いて、指を中にいれる。
玲於奈のだけあって神殺しの属性を帯びているのだろう、皮膚がジュウと音を立てた。
《時間術式》で再生しながら口に運ぶ。
噛み砕き、嚥下した。
胃の中で小規模なビッグバンが起こりかけたので、次元の外へエネルギーを逃がす。
ふう。
なかなかに刺激的な体験だった。
「芳くん、好奇心は身を滅ぼしますよ。物理的に。どのみち捨てるつもりでしたし、返却していただけませんか」
「断る」
クッキーを奪い返そうとする玲於奈を捌きつつ、もぐもぐ、もぐもぐ。
ちょっと胃が痛くなったものの、すべて食べきれた。
「いい味だったよ、ごちそうさん」
「見え透いたお世辞ですね」
プイ、とそっぽを向く玲於奈。
それに構わず、俺は続ける。
「10年前も言ったが、俺は強欲なんだ。たとえどんなドロヘドロの奇怪生物が生まれたとしても、玲於奈の料理ならぜんぶ食べたい。遠慮なく持ってきてくれ」
「ひとが作ったものをバケモノ扱いですか……」
嘆息しつつ、玲於奈は満更でもなさそうな様子だった。
「まったく、本当にろくでなしですね、芳くんは」
「悪いな」
お互いに苦笑する。
そのタイミングで、チャイムが鳴った。
「おっと、時間のようです。また放課後にお会いしましょう」
「……またね」
連れだって自分の教室へ向かう、玲於奈とシオン。
俺も回れ右して教室に戻ろうとしたが、
「兄さん」
いつのまにか、背後に未亜の姿があった。
眼が据わっている。
全身から漂う、絶対零度の圧迫感――
「公共の場でイチャイチャするのは、あたし、どうかと思うな」
あ、はい。
まったくもってその通りです。
ごめんなさい。
そのあとも未亜の説教はしばらく続き、やがて先生がやってきても続き、最後は2人揃って先生に怒られた。
クラスの視線は、今日もやけに生暖かい。




