第98話 《我が炎は浄華灼滅の鉄槌である》
《泡》は激痛に苛まれていた。
神薙玲於奈に半身を引き裂かれ、その傷口からはとめどなく虹色の血が流れ出している。
「 !」
音のない絶叫が次元を抉り、200グーゴルもの直樹が巻き添えで消滅した。
「 !」
総身を震わせる《泡》。
芳人らに向かい、思念波の奔流を叩きつけた。
仮にこれが地球に放たれていれば、人類すべてが一瞬にして発狂していただろうが、
「傷のせいで全力が出せないのかな? ……効かないよ」
綾乃の思念波によって相殺される。
創造神としての彼女は《泡》とほぼ同等の存在であり、この程度のことは造作もなかった。
「 !」
再び《泡》のまわりで時空が揺らぐ。
局所的なリセットを起こし、再生を果たすつもりなのだろう。
そこに、
「権能:【久遠》】――」
「――《時よ凍れ、我が恋人のために》」
双子の女神が神威を放つ。
未亜とミーア。
神域に昇華された《久遠術式》は、時間という概念そのものを凍結させた。
続いて、畳みかけるように、
「権能:【虚構】;《雷鳥は天地焦がす太陽の如し》!」
静玖がその力を解放する。
銀河に匹敵するほど巨大な雷鳥が雄叫びをあげ、稲妻を迸らせながら《泡》に激突した。
それだけでは終わらない。
「権能:【虚構】;」
――《暗黒物質形成・超重力崩壊》。
――《次元連結・膜宇宙衝突現象》
――《因果地平・事象否定》。
ブラックホールの創造。
多元宇宙の衝突によるビッグバンの再現。
因果そのものからの放逐。
追撃に次ぐ追撃。
いずれも《泡》にかなりの痛打を与え、全身の三分の二を削り落としていた。
「こういう時、必殺技がないと決まりませんね」
玲於奈が刀を抜き放つ。
《泡》との間にはかなりの距離があるものの――
「権能:【零落】;《神魔覆滅刃》……とでも名付けておきましょうか」
斬撃が跳躍し、《泡》の中心部を両断した。
「――今だ」
そして、芳人が疾走を始める。
彼の後ろに付き従うのは、幾千万の神格たち。
道を阻む直樹と月を蹴散らし、あるいは仮に追い詰められたとしても、そのたびに主神たる芳人のごとく進化を遂げる。決して斃れることのない、恐るべき軍勢であった。
「 !」
迫りくる芳人を前に《泡》はその存在を凝縮させた。
不定形で半透明の球体から、明確なかたちを持つ存在へ。
それは鎧を纏った獣だった。
フォルムは黒獣によく似ているが、その身は純白の体毛に包まれている。
芳人と《泡》、否、《白獣》が交差する。
両者がぶつかりあうたび、莫大なエネルギーが放出された。
無数の宇宙が生まれては消え、その余波で次元に孔が穿たれる。
次元の狭間の、さらに向こう側さえも戦場にし、両者は衝突を繰り返す。
戦いの中で芳人は何度も、死を迎えそうになった。
存在を失いかけた。
己が誰なのかを忘却しかけた。
だが彼は彼のまま、永遠に等しい時間を戦い続けた。
それを支えていたのは、ひとえに、
「俺は、ひとりじゃない」
心を繋いだ者たちの存在ゆえである。
愛しい彼女らを引き連れ、危機に陥るたび支え合い、覚醒を果たし、そして――
「 !」
《白獣》が芳人の頭蓋を握り砕いた。
それまでの彼であれば自己再生を行い、即座に反撃へ移っていただろう。
だが、何も起こらない。
両手はだらんと垂れ下がり、力なくその場に膝を衝く。
まるで魂が抜けてしまったかのような姿である。
やがてその身体は紅の燐光と化し、あたりにサアッと拡散してゆく。
最後に勝利を得たのは《白獣》、
「 ?」
のはずだが、口から漏れるのは、戸惑ったような唸り声。
やがてその視線は己の頭上へと注がれた。
魔法陣が描かれている。
かつて芳人だった燐光が集まり、まるで歯車のような文様を形作っていた。
ぎち、ぎち、ぎち。
魔法陣のなかで歯車が回転を始める。
「《我は汝なれば》
《汝は我なれば》
《我が真理を此処に告げる》」
響き渡るのは、芳人の声。
静謐かつ荘厳に、呪文がひとつひとつ紡がれてゆく。
「《汝は孤独ならず》
《汝は罪人ならず》
《唯、白痴盲昧の愚者である》
《汝に神座は過ぎたるものなれば》
《並べて我に捧げるがいい》
《されば望む未来を授けよう》
権能:【希望】;
《矛盾事象》・《終神召喚》」
それは、完全なる荒唐無稽。
自分自身を生贄とし、未来の己――終神本体を召喚する。
だが同時に終神を生贄とし、己をさらなる上位存在として再誕させる。
譬えるなら、2匹の蛇が互いの尾を食い合うようなものである。
本来ならどちらも傷を負うだけの愚行だろう。
だがこれを成し遂げるのが、伊城木芳人という存在である。
彼自身が失敗するとはまったく思っておらず、また、彼に寄り添う者たちも可能だと信じている。
その想いが条理を捻じ伏せ、願う結果を引き寄せる。
紅蓮の輝きが、ありとあらゆる次元を満たした。
生まれ出ずるのは、ひとのかたちをした炎。
「――《我が炎は浄華灼滅の鉄槌である》」
放たれた拳が《白獣》を貫く。
傷口から炎が広がり、完膚なきまでに消滅させた。




