第97話 コード・グランドフィナーレ
無量大数という単位がある。
10の68乗。
――1兆×1兆×1兆×1兆×1兆×1億。
と書けば、その途轍もなさが伝わるだろうか。
漢字文化圏において、無量大数は最大の単位とされている。
だが世界規模で見渡せば、それ以上のものも存在する。
1グーゴル。
10の100乗、1兆どうしを10回掛けてようやく辿りつける単位。
余談だが、"google"の語源でもある。
伊城木直樹と伊城木月の総数は、およそ5000グーゴルを越えていた。
「……このままじゃ、まずいな」
芳人は心を決める。
現状では《泡》に近づくこともできず、直樹と月にジリジリと力を削り取られていくだけ。
もはや全身全霊の突撃でもって距離を詰め、必殺の一撃を放つしか勝機はない。
「《権能:【虚影】;《仮想回帰》・《琥珀侵蝕》」
影を装甲い、立ちはだかる敵を食らいながら、光速を突破して《泡》に向かう。
肉薄する。
右手に神威を籠める。
「《権能・【永劫】――」
それは誇張でも何でもなく、完全な終焉をもたらす力である。
たとえ相手が神であろうと復活を赦さず、存在そのものを焼き払う。
《火炎術式》・《我が炎は浄華灼滅の鉄槌である》。
芳人が神域に至ったことで、この魔法も神格に相応しい進化を遂げていた。
「――《火焔事象》・《浄華灼滅》」
拳が《泡》を貫く。
火焔が広がり、敵の超巨体を蝕むように消滅させてゆく。
「いいや、まだだ」
芳人は直感していた。
すでに《泡》は炎に包まれ、身体の半分以上を失っている。
形勢逆転。
追撃を続ければ勝利はたやすいだろう。
だが、どこか相手に乗せられているような――
そういう気持ち悪さが、付き纏っていた。
* *
……こちらの戦況は思わしくなかった。
「芳人、どうして僕のことを見てくれないんだい?」
「そのくせ、いつも僕の視界をチラついて」
「ひとつになろう、君を愛してるんだ」
「近寄るな、お前なんかに出会わなければよかった」
《泡》の表面がブクブクと揺らぎ、そこから無数の人影が飛び出してくる。
伊城木直樹。
1人じゃない。
視界を埋め尽くすほどの、伊城木直樹。
さらには、
「お慕いしています、従兄様にいさま」
「どうしてわたくしのことを救ってくれなかったのですか」
「毎日毎晩、義兄あにに貪られて、本当に苦しかったのに」
「それで“正義のヒーロー”などと名乗らないでください」
「でも、愛しています」
「従兄様に愛してもらえるような自分に生まれ変わりたいのです」
「きれいな身体と記憶で、抱いてほしいのです」
伊城木月、伊城木月、伊城木月――。
同じ顔がいくつもいくつも、並んでいる。
あれ?
ちょっと待て。
なんだ、この既視感は。
さっきも同じことを考えたような気がする。
――頭のすみっこに、鈍痛が走る。
何かを忘れているんじゃないか、俺は。
おかしいぞ。
――痛みが強くなってきた。
頭が割れそうだ。
手元が鈍る。
攻撃を食らうことが多くなってきた。
このままじゃ、まずい。
ジリジリと力を削り取られていくばかりだ。
一か八か、賭けに出るしかない。
「《権能:【虚影】;《仮想回帰》・《琥珀侵蝕》」
影を鎧のように纏い、立ちはだかる敵を食らいながら、光速を突破して《泡》に向かう。
肉薄する。
右手に神威を籠める。
「《権能・【永劫】――」
それは完全なる終焉をもたらす力。
《火炎術式》・《我が炎は浄華灼滅の鉄槌である》。
俺が神域に至ったことで、この魔法も神格に相応しい進化を遂げていた。
たとえ相手が神であろうと復活を赦さず、存在そのものを焼き払う。
「――《火焔事象》・《浄華灼滅》」
拳が《泡》を貫く。
火焔が広がり、敵の超巨体を蝕むように消滅させるが、
「ッ!?」
瞬間、記憶がはじけた。
――俺はもう、何度も同じことを繰り返している。
そのことに気付く。
気付いてしまう。
おそらく《泡》は【時間】の権能を持っている。
格としては俺以上。
だからなかなか思い出せなかった。
今回が187兆8218億7823万7564回目。
すべての記憶が一斉によみがえり――
「う、あ……ッ…………!?」
混乱。
精神に隙が生まれる。
そのタイミングで《泡》が精神干渉を仕掛けてきた。
「……――ッ、ァ……ぇ、ァ――ッ!」
まるで脳をミキサーで掻き混ぜられるような気持ち悪さ。
嘔吐感、浮遊感、眩暈――。
ふとすると砕け散りそうな意識をなんとか繋ぎ止め、俺は思考を走らせる。
「《泡》の狙いは、これ、か……?」
土壇場でリセットに気付かせ、その動揺を狙っての精神干渉。
成功すれば《泡》の勝ち、失敗してもやり直せる。
……なんとか精神干渉を跳ね除けた時には、もう、《泡》の周りで時空が歪み始めていた。
リセットが始まる。
まずい。
ループのたび、記憶が蘇った際のショックは大きくなっている。
次は精神干渉に対応できるかどうか。
十中八九、押し切られてしまうだろう。
だから、今回でケリをつける以外に選択肢はなく、
「権能:【時間】!」
必死の抵抗を試みた。
巻き戻しなどさせるものかと、総身に神威を滾らせた。
しかし、
「くっ……!」
抗い、切れないッ……!
まるで津波のように、時空の揺らぎが俺を吞み込もうとする。
リセットの、寸前。
「――シャボン玉の分際で、私の所有物に手を出すか。いい度胸だな」
「――兄さんは、やらせない!」
ほんのわずかだが、津波の勢いが遅くなった。
「芳人さま、こちらへ!」
暖かな感触が俺を包み、はるか遠く、《泡》の射程距離外へと連れ出す。
それを為したのはよく見知った顔で――
「どうして、ここに」
「芳人さまのことが、心配だったんです」
相鳥静玖。
ここにいるはずのない人間。
いいや。
人間じゃない。
眷族――。
俺という神格に連なる存在。
そういうモノであると、理解できた。
「わたしは、あなたの静玖です。愛しているなら置いていかないでください。一緒に戦いたいんです。芳人さまを守るためなら、どれだけでも、強くなれる気がしますから」
澄んだ瞳。
まるで黒曜石のような輝きが俺を射貫く。
「まったく、おまえは女を不安にさせることばかりが上手なのだな」
「兄さん、なんでも一人で解決しようとするクセ、やめた方がいいよ」
……ん?
よく似た声色の、けれど、トーンの異なる2つの響き。
振り返れば、ふたりの少女が俺を見上げている。
髪は青く、顔立ちはまったくの瓜二つ。
ただし片方は勝気そうな印象で、もう片方は目を細めて腕を組み、王者のような風格を漂わせていた。
「未亜、それから、ミーア……?」
ふたりは同一人物のはずだ。
にもかかわらず、別々の姿として存在していた。
「驚かせちゃったかな、兄さん」
「魂を分けられていた副作用だろうな。どうやら双子の神格として成立してしまったらしい」
クク、と愉快そうに笑うミーア。
「いずれにせよ些細なことだ。よかったなヨシト、こういう状況を姉妹丼というのだろう?」
「ミ、ミーア、それはちょっと……」
かあっ、と顔を赤くして俯く未亜。
なんとも初心な様子が可愛らしい。
「はいはい、イチャイチャするのは後回しにしてくれない?」
「芳人様、親子丼の用意もありますのでお忘れなく」
さらに、フィリスと水華さんも現れる。
フィリスはいつもどおりの銀色ドレスだったが、水華さんのほうは、なぜか、メイド服。
「神というのは便利なものですね。服装も思い通りですし」
と言いながら、スカートの裾を持ち上げていく。
黒いストッキングは太腿の半ばで終わり、ガーターが腰の方へと続いている。
それが妙に艶めかしい。
下着が見えるかどうかの瀬戸際で、水華さんの手は止まった。
「いかがでしょう、お気に召しましたか……?」
「最高です」
状況さえ許すなら、たぶん、速攻で押し倒していたと思う。
「芳人くん、ちゃんと理性を保たなきゃだめだよ」
窘めるように声をかけてきたのは、小夜ねえ、もといアルカパ様。
天女じみた薄い服装で、胸もなかなかのサイズ。
正直、アルカパ様がいちばん理性に悪い気がする。
「視姦している場合ではないぞ、ヨシト」
ミーアに肘で小突かれ、我に返る。
まだ戦闘は続いているのだ。
男子中学生みたいに盛るのは後にすべきだ
戦況を確認しよう。
《泡》は自分の時間を巻き戻したのだろう、《浄華灼滅》で焼かれた部分も元通りになっていた。
彼我の距離はおよそ五千億光年。
その間をびっしりと、伊城木直樹と伊城木月が埋めている。
どうやらさらに数を増やしたらしく、1万グーゴルをゆうに越えていた。
対してこちらはというと、俺、未亜、ミーア、静玖、フィリス、水華、アルカパ……んん?
なんだかちょっと足りない気がする。
そう思った矢先、
「ふふん、やっと気づきましたか。この真ヒロイン、むしろ神ヒロインの不在に」
残る2人のうち、片方の声がした。
姿は見えない。
けれど彼女のことだから、とんでもないことをやろうとしているのだろう。
「11年前、2016年の流行語大賞は『神ってる』でしたが、おそらくあれは私の存在を予言していたのでしょう。選考委員たちはまさに現代のダビデ、シビラ、ノストラダムス。私は恐怖の大王として199X年(ただしX=9とする)に世界を核の炎で包み、モヒカンがヒャッハーするユートピアを作るのです。えっ、今は2027年? 多少の遅刻は許してくださいよ。どうせマヤとかアステカあたりの文献をこねくり回せば、人類が滅びるなんて与太話、毎年のようにでっち上げれるでしょう。私もあの手の本でボロ儲けしたいです。というわけで――」
その時。
ほんとうに、予想外の事が起こった。
《泡》の巨体が大きく震えたかと思うと、その半身を引き千切りながら、玲於奈が姿を現したのだ。
「『〇ード・オブ・ザ・リング ~神薙玲於奈の帰還~』。全米が泣いた名作、ただし世界に先駆け日本で初公開。売り文句の矛盾には気を付けましょう」
いつもどおりの軽口を叩きながら、五千億光年を一気に駆け抜ける。
その余波で時空が崩壊をきたし、直樹と月のおよそ3分の1が消滅した。
「ただいまです、芳くん」
「……何が、どうなってるんだ?」
「そう難しい話ではありません。私は、伊城木月の娘ですので」
月は《泡》と深く繋がっていた。
玲於奈もまた、その特徴を引き継いでいるのかもしれない。
「《泡》の眷族を装って、ミッションインポッシブルでスパイ大作戦な潜入工作。美少女スパイ玲於奈ちゃん大活躍、ってなわけです。あ、ディレクターズカット版では敵に捕まって大ピンチ、なシーンが入りますし、芳くんも出演よろしくお願いします」
「これが終わったらな」
短く答え、俺は神威を練り上げる。
せっかく《泡》に痛打を与えて、直樹や月の数も減ったんだ。
相手が態勢を立て直す前に、勝負を決めたい。
ん?
いま気付いたが、直樹や月の増殖が止まっている、ような。
「それも神となった玲於奈ちゃん、公式名称アルティメット玲於奈ちゃんのおかげですよ」
自慢げに胸を張る、 アルティメット玲於奈ちゃん (自称) 。
「こっちに来るついでに、あの2人の“存在の核”というべきものを強奪してきました。《泡》もこれ以上コピーを増やすことはできないでしょう。褒美として今後いっさいの家事免除を約束してくれると幸いです」
「ダメだよ、玲於奈ちゃん。あとで教えてあげるから、一緒に頑張ろうね」
「いえ、こればかりは静ぽんの言葉であっても聞けません」
「玲於奈ちゃん」
「えっと……なんだか静ぽんの目がコワいのですが…………」
「一緒に、頑張ろう、ね?」
「……はい」
おお。
ついに静玖が玲於奈を押し切った。
それにしても。
俺はつくづく恵まれてるな。
まさか皆が追いかけてくるとは思わなかった。
「おまえを一人にはしない。そう言っただろう?」
ミーアがふっと口元を緩める。
「あたしたちだって、守られてばっかりじゃないんだから」
少し誇らしげに、未亜が呟く。
「……ありがとう」
胸が暖かい。
きっとこれが、絆というべきものなんだろう。
『私もいるよ、忘れないでね』
この気配は、綾乃か?
一体どこにいるんだ?
『芳人くんの中だよ。――少し、力を貸してほしいな』
何をすればいい?
『思い浮かべて。芳人くんがこれまで触れ合ってきた人たちのことを。
それを縁に、もう一度、みんなを創造なおすから』
俺がいままで取り零してきたすべての命。
そのひとつひとつを、イメージする。
心に刻むように思い浮かべ、形を与える。
神として、新生させる。
それは、終神が持ち得なかった力。
己がひとりではないと確信できたがゆえの、奇跡。
名を与えるならば、そう。
権能:【絆】
《確定事象》・《勝利》




