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第91話 そして、神薙玲於奈はどこにいくのか(後編)

 


 極小単位のビッグリップ現象。

 物理学において自然界を構成する4つの力――重力、電磁気力、強い力、弱い力。

 そのすべてが消滅し、伊城直樹の身体が崩れてゆく。

 

 酸素、炭素、水素、窒素、(ナトリウム)加里(カリウム)塩素(クロール)(カルシウム)硫黄(イオウ)(リン)砒素(ヒソ)、珪素、沃素(ヨウソ)弗素(フッソ)、ホウ素、重土(バリウム)苦土(マグネシウム)、鉄、銅、鉛、亜鉛、(スズ)(マンガン)、ニッケル、アルミニウム、水銀、カドミウム、水鉛(モリブデン)、ストロンチウム、ルビジウム、セレン、クロム、コバルト、バナジウム……。


 その血肉は原子――を越え、粒子レベルにまで還元された。


 ところで超(ひも)理論において、原子核や電子といった粒子は“点”でなく、“(ひも)”状だと定義されている。

 これが正しいとするなら、伊城木直樹はこのとき無数の(ひも)と化していた。ある意味で彼にぴったりの死様(しにざま)だろう。

 断末魔を発する間もなく、その存在は完全消滅へと至る。


 後に残ったのは、相鳥静玖と神薙玲於奈の2人のみ。

 直樹の首を断たんとした玲於奈の刃は、必然、空を斬るのみに留まる。


 そのまま刀を投げ捨てた。

 いまだ雲散霧消の力を宿した静玖の指を、掴もうとした。


 まぎれもなく、自殺行為である。

 果たして神薙玲於奈の胸中にはどのような感情が渦巻いていたのか。


 己の手で伊城木直樹を討ち果たさんとしながら、それを為し得なかった無念か。

 芳人に絡みつく過去を一掃するつもりが、結局、何もできなかった自分への慙愧(ざんき)か。

 あるいは、“つくりもの”に過ぎない己への嫌悪か。


 いずれにせよ、玲於奈はこの時どうしようもなく自分自身を()じていた。

 消えてしまいたいという衝動がすべてを塗り潰し――――



「えっ……?」

 


 静玖は身体ごと後ろに退こうとした。

 だが間に合わない。

 剣士として研鑽を積んできた玲於奈のほうが、圧倒的に(はや)かった。

 そうして自決が為される、その寸前。


「やめろ玲於奈!」


 何者かが、彼女をかばうように押し倒した。

 端正で大人びた顔立ちの、けれど、どこか甘やかな面影を残した青年――


「芳、くん……?」

「ああ、俺だ」


 芳人の顔はわずかに引き攣っていた。

 彼自身、いまだ神としての権能を制御できたわけではない。

 玲於奈の自殺を止めねばと思った瞬間にワープが起こり、その反動だろうか、激しい頭痛に見舞われている。毎秒ごとに神経が()()()()と焼き切れるような感覚――。

 常人ならば地面にのたうちまわるほどの激痛だが、それを覆い隠して話しかける。


「どうして、死のうとした」

「それは……」

 

 顔ごと目を逸らす玲於奈。


「乙女には秘密があるものです。詮索は無粋ですよ」

「誤魔化すな、俺を見ろ」


 ぐい、と。

 右手で玲於奈の(おとがい)を掴むと、自分のほうを向かせる。



「何があったか知りませんが、随分と男前になりましたね」


「そりゃどうも。玲於奈もあいかわらず美人だな」


「お世辞も上手になったようで何よりです。今の芳くんならハーレムどころかモテモテ王国の建国も余裕でしょう。おめでとうございます。ザギンでシース―でもつまみながらナオンを侍らせてください。今宵の相手は()()見取(みど)りのうつみ〇土里(みどり)、でしたら私の一人や二人、消えたところで大差ないかと」


「やけに捨て鉢じゃないか。何かあったのか?」


「いいえ、別に。あえて言うなら、生まれの不幸を呪うがいい的なサムシングでしょうか。芳くん公国に栄光あれー、とバンザイアタックをかましたら、当たらなければどうということもない、みたいな。若さゆえの過ちというやつですね。それを認めたくないので、ひとつ、私を導いてもらおうかと。天国まで。……ところで、今の発言のなかにひとつだけ仲間はずれがあります。どれでしょう? 正解者にはもれなく何もありません」


 飄々と長台詞を吐く玲於奈。

 ある意味、いつもどおりの彼女ではあるが――どこか空々(そらぞら)しい。

 芳人もそれに勘付いていたからこそ、


「自分がどんなふうに生み出されたか知って、ショックだったのか?」


 単刀直入に、斬り込んだ。

 

「どうして、それを」


「神様だからな。この時間軸のことなら、だいたい分かる」


「……なら、問答は無用でしょう。察してください、悟ってください、死なせてください。こんな作り物の人生、もう投げ捨てたいんです」


「それは違う。作り物なんかじゃ――」


「テンプレご苦労様です。どうせアレでしょう? レールの上を歩いてきただけとしても、そこで得た感情はキミだけのものとか? 静ぽんと仲良くなったのは真姫奈姉さんの意図になかったことで、キミはもうとっくに自分だけの人生を掴んでいるとか? どこぞの恋愛シミュレーションゲームから借りてきたようなセリフを口にするのでしょう? メッセージスキップさせてくださいよくだらない。そんなことは百も承知しています」


 相手に一言も喋らせまいとまくしたてる玲於奈。

 口調にはわざとらしいほどの嘲弄が込められていた。


「もはや理性ではなく感情の問題です。私の芳くんに対する想いに、姉さんのドス黒い妄念と執着が混じっているかもしれない。そう思うだけで吐きそうになります。気持ちが悪くて耐えられません」


 途中からは、もう、悲鳴のような声色だった。

 泣くように。

 叫ぶように。

 普段あまり感情を露わにしない彼女が、眼尻にうっすらと涙を溜めていた。


「……だから、消えたいんですよ。今更になって分かりましたが、私、わりと女々しい潔癖症みたいです。鬱陶しいでしょう? というかそもそも(ゆえ)と真姫奈姉さんから生まれた子供ってなんですか。意味が分かりません。異常すぎます。芳くんだってそんな女、嫌でしょう? ああ、返事は不要です。どうせ『嫌じゃない』と答えるのは分かってますから。けれど言葉はどうとでも取り繕えますし、後になって『やっぱり嫌だ』となる可能性もあるでしょう。それに怯えながら生きていくなんて不幸の極みですし、ええ、私の幸福を願うなら――――神様(芳くん)、どうかここで終わらせてください」


 

 そして玲於奈は、祈るように手を組んだ。


 


 * *


 


 芳人は、


「……まったく」


 ごくわずかながら、苦笑いを浮かべた。

 相手の反論を先回りして、露悪的な演技で突き放しながら自己破壊的へと突き進む。

 ――なるほど、俺という人間を(はた)から見れば、ちょうどこんな感じなんだろう。

 だったら、対応は決まっている。 

 玲於奈はまだ何かいろいろと言葉を並べているが、


「黙れ」

 

 短く命じて、その唇を塞いだ。

 逃げられないよう、右手は玲於奈の顔に添えたまま。

 

 芳人にとっては人生四度目ゆえか、感触を味わう余裕があった。

 柔らかく、細く、儚い。

 そんな印象だった。

 

 ゆっくりと顔を離す。

 玲於奈は顔を真っ赤にしながら、ただ、茫然とこちらを眺めている。


 飄々としているわりに、押されると弱いらしい。

 いや、だからこそ飄々としているのか。

 いずれにせよ、上気した表情は少女らしい可憐さに満ちたものだった。


「おまえの生まれも育ちも、関係ない」


 芳人は、誓うように言い切る。

 ただ玲於奈のことだけを見詰めて、言葉を紡ぐ。


「俺は、玲於奈が好きだ。独特なところは飽きないし、妙にウマが合うから居心地もいい。今まで知らなかったけど、けっこう乙女なところもあるんだな。純情とかそういうのに(こだわ)るだなんて予想外だった。きっと他にもいろんな姿があると思う。それを全部知りたい、全部欲しい。玲於奈の幸福も不幸も、喜びも悲しみも、何もかもが魅力的なんだ。ひとつだって取り零したくない」

 

 気障なセリフを吐いているという自覚はあった。

 それでも止まらない。

 感情が脳を通さず、そのまま言葉として流れ出しているような心地だった。


「だから死ぬな。というか死んでも蘇らせる。悪い男に捕まったな。諦めてくれ」


 それからもう一度、唇を重ねた。

 襲い掛かるように貪った。

 玲於奈は抵抗せず、むしろ、両腕を広げて芳人を抱きしめた。


「……死んでも逃げられないとか、悪魔ですか」

「それだけの価値があるんだよ、玲於奈には」

「ひどいインフレです。でも、悪い気はしません」


 ふふ、と。

 微笑む玲於奈。

 その蟀谷を、澄んだ涙が滑るように落ちていった。


「ところで前に、大きくなったらR-18なことをしようと約束しましたね。……今から始めますか? 位置関係も、ちょうどいい感じですし」

「いや、さすがにそれは……」


 と、いうか。

 焦っていたので失念していたが、


「……」


 いまだ時間停止は続行しているが、静玖は動ける状態なのだ。

 つまりは目の前で、芳人が玲於奈を口説いている姿を見せつけられているわけで、


「いいなぁ……」


 拗ねるでもなく怒るでもなく漏れ出た、溜息のような一言。

 それは芳人の心を、猛烈な罪悪感でもって貫いた。


 




次回、芳人vs静玖 (半分くらい冗談)

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公が吹っ切れてちゃんと口説くようになったのは好感度アップですね!
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