第92話 巡り来る因果
芳人はあわてて玲於奈の上から飛び退くと、静玖のほうを向き直る。
言い訳タイムの始まりである。
――いやもちろん静玖のことは愛しているし、前に告白を断ってしまったけれど、あのときの自分はヘタレていたというか覚悟が足りずに逃げてしまっただけで、今は肚も決まったし、万難排してでも幸せにしてみせるから傍に居てほしい、居てくれ、居てくださいお願いします。
などど、拝むように捲し立てれば、
「でも玲於奈ちゃんのことも好きなんですよね?」
グサリ。
胸を貫く罪悪感、パート2。
アウアウと泡を食う芳人。
世界各地の神話に語られるとおり、神にとっても女性問題は頭の痛い話である。
とくに浮気や二股となれば大騒動に発展することは間違いなく――
「大丈夫です、ちゃんと分かってます」
しかし、静玖はクスリと微笑んだ。
底意のない、純粋で柔らかな表情である。
「いつも『計画通り』みたいな顔をしてますけど、実はあんまり何も考えてないんですよね。芳人様のそういうところ、可愛いな、って思います」
ぽん、ぽん。
静玖はすこし背伸びして、芳人の頭を撫でた。
それから首元に抱きついて、肌を、かぷ、と甘噛みする。
「静玖はずっと芳人様のものですけど、たまには、可愛がってくださいね?」
それは当然。むしろ四六時中いちゃいちゃしよう。
影の中でアリシアたちが「ほんとコイツどうしようもねーなー」という感じで嘆息したが、それはそれ。これはこれ。というか今、俺って人生最大のモテ期じゃないですかね。ひゃっほう。
芳人は思わずにやけてしまう。
その、気の緩みを衝くように、
「以前に申したでしょう。静玖さんに死相が出ている、と」
それは瞬きよりも短い、一渺 (1000億分の1秒) の攻防だった。
伊城木月は密かに時間停止を免れており、空間を歪曲させて静玖の背後にワープすると、影の中から武器を取り出した。
キィィィィィィィィィィィィィ――と超音波じみた高音を発し、歯状の刃が回転を始める。
日本語では鎖鋸、いわゆるチェーンソーである。
しかしながら部品の継ぎ目はまったく存在せず、ネジひとつ見当たらない。
現代の技術ではありえないほど滑らかなフォルムだが、それもそのはず、これは月が未来から持ち込んだ殺戮呪装である。チェーンソーの小刃と小刃をつなぐベルトにはミクロ以下の精密さで魂魄破砕の方陣が刻まれており、回転するたびにその威力を強めていく。身体ごと魂をズタズタに引き裂き、蘇生の余地すら残さないだろう。
それが、静玖に迫っていた。
「――油断大敵ですよ、芳人従兄様。せいぜい後悔なさいませ」
「――いいや、予想通りだよ」
嘘である。
月が停止現象を擦り抜けたことも。
このタイミングで攻撃してきたことも。
芳人にとってはすべて予想外だった。
だが対応できないかと言われれば、それはまた別問題である。
静玖を庇うように前へ出ると、
「《権能:【時間】》――」
左手で、チェーンソーを受け止める。
芳人のみならず、月もまた神格。
手にした武器には神威が宿り、少なからず痛打を与えるはずだが、
「――《仮想静止》・《不撓不屈不朽不磨》」
何も起こらない。
チェーンソーの刃を素手で握っているにも関わらず、芳人は無傷のままだった。
自分自身の時間を都合よく制御することで、他のあらゆる干渉をシャットアウトしているのだ。
「さすがは従兄様、ですが――!」
月は自分の影から眷族の狼を呼び出し、それらに静玖を襲わせようとする。
まったく前兆のない奇襲。
とはいえ芳人にしてみれば、欠伸が出るほど遅い挙動だった。
両者の差は、神格としての優劣以前の問題である。
実戦経験。
芳人はかつて、異世界において無数の死地を乗り越えてきた。
限界の中で研ぎ澄まされた勘、身体に染み込ませた動き――。
これらが彼に絶対的なアドバンテージを与えていた。
「《権能:【虚影】》」
芳人は一歩前に踏み出す。
足元の影が大きく広がり、大口を開くと、
「《仮想回帰》・《琥珀侵蝕》」
月の影を、丸吞みにした。
内部に広がる亜空間ごと侵略し、蹂躙し、捻じ伏せる。
「冗談では、ありません……っ!」
月は表情を強張らせながら後ろに飛び退く。
おかげで彼女自身は無事だったが、それでも眷族の9割をごっそりと芳人に奪われている。
「生まれたての未熟な神ごときが、わたくしを脅かすなど――」
ありえない。
あってはならない。
ここまでの事態は、すべて、自分の掌の上だった。
だというのに、何を見落としたのか。何をしくじったのか。
人間だったころの芳人から強がりを剥ぎ取り、過去への後悔で染め上げ、静玖らの死によって絶望の淵に落とし込む。あとは【時間】の力でもってこの次元を原始状態にリセットさせ、因果を少し弄れば、自分はもう少しマシな生を送ることができるだろう。……義兄に穢された身体も、記憶も、すべて捨て去れたはずなのだ。
それなのに、
「――どうして」
「日頃の行いが悪かったのではないかと」
誰ともない問い。
それに答えたのは、神薙玲於奈である。
「芳くんに気を取られ過ぎです。油断大敵ですね、月母様?」
先刻の月のセリフを真似るように呟くと、神速の刺突を叩き込む。
ただの人間では、伊城木月を傷つけることはできない。
しかし神薙玲於奈は半神である。ゆえに刃は届くだろう。
神という次元で見れば、玲於奈はあまりに弱く、与えられるダメージは極小だろう。
されど彼女は半人である。ゆえに剣閃は神殺しの理を帯びる。
ならばこそ、結果は必然。
白刃が、伊城木月の心臓を貫いた。
補足
[未来兵器チェーンソー]
正式名称は“スーパーぶっころチェーンソー2087年春モデル限定版”。
別の時間軸において神薙玲於奈が発明した品であり、仏教のマニ車に着想を得ている。
発売は2041年の冬。対《泡》戦線では切り札の一つになった。
なお、通常版が出回る前に人類は滅亡しました。
[マニ車]
石車にありがたーいお経が掘ってあり、回すだけで読経と同じ功徳が得られる。




