第93話 それぞれの終着点
お待たせしました、ごめんなさい。
やっと復帰です。
日本神話における火之迦具土神と伊邪那美命。
あるいは、ギリシャ神話におけるゼウスとクロノス。
物語に示される通り、「親を殺すこと」あるいは「子に殺されること」は神に付きまとう業のようなものである。
ならばこそ、この結果はある種の必然と言えよう。
玲於奈の刃は、深く深く、伊城木月の心臓を抉っていた。
「まだ、ですわ。わたくしは、この程度で……」
「どれだけ大物ぶっていようと、土壇場ではこの程度です」
玲於奈は、刀を引き抜いた。
その勢いのまま、クルリと回転しつつ――横一閃。
左下から右上へ。
斬撃が疾り抜けた。
2つに分かたれた月の身体が、地面にドサリと倒れる。
「ちょっとしたことで躓いて、ちょっとしたことで立ち直る。時にはやらかして、とんでもないしっぺ返しを食らう。
……今更ですが、私たちはどうしようもなく親子なのでしょう。生んでくれたことには感謝しておきますよ、お母様。おかげで芳くんに出会えましたから」
剣を鞘に納める。
玲於奈の表情は、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
「まあ、それはそれとして姉さんはぶちのめさないといけませんが。人の恋路にケチをつけてくれたので、なんかこう、芳くんの協力のもとハードなR-18展開を……って、あれ?」
そばにいた芳人に話しかけたつもりが、いつのまにやら彼の姿は消えていた。
果たしてどこで何をしているのかといえば、
「――前略、《時空崩解》」
一撃のもとにヘルベルトを葬っていた。
断末魔をあげる隙すら与えず、素粒子以下の状態まで分解する。
「ありがとう、ヨシト。また助けられたわね」
ヘルベルトの蔦に嬲られ、フィリスはかなりの傷を負っていた。
ドレスは破け、ふとすると転び出そうになる胸を片手で隠し、押さえている。
芳人は目のやり場に困りつつ、
「……すまない、遅くなった」
フィリスの身体に手をかざした。
時間が逆巻きに流れ、一瞬にしてすべての傷が『なかったこと』になる。
「遅くなんかないわ。十分間に合ってる。だって私、まだ生きてるもの」
「いや、そういうことじゃなくて、その……」
口籠ってしまう。
伝えるべきかどうか迷ったのだ。
013が戦いの中で命を落としたこと。
彼が導いてくれたおかげで自分はこの時間軸に戻ってこれたが――『013の死』と『伊城木芳人の帰還』は切り離せない因果であり、復活は絶望的であること。
あとでまた落ち着いてから説明すべきだろうか。
芳人が弱気に呑まれそうになった、その時。
「あの子、逝ったのね」
すべてを察したような瞳で、フィリスが口を開いた。
「なんとなくそんな気がしたのよ。ヨシトそっくりの魔力波長が近くに来たと思ったら、パァッ、って弾けて消えたから。……こんなことなら、一度くらいデートしてあげればよかったかしら」
「すまない。俺がもっと早くに駆けつけていれば……」
無念の表情を浮かべ、芳人は俯く――俯きかける。
パン!
その頬が、左右から挟み込まれた。
ぐにぐに。
むにむに。
フィリスの両手が、芳人の顔を揉みしだく。
「ぬぁ、ぬぁにほすすんだ」
「はい、暗い顔はやめ! やめやめ! 何でもかんでも背負ってたら、そのうち人類の原罪とか言いだして、ゴルゴタの丘で処刑されるわよ!?」
「世界三大宗教の人と比べないでくれ、畏れ多すぎるだろ……」
「神様のくせにゴチャゴチャ言わない! 分かった?」
「あ、ああ……」
「ちゃんと返事する!」
「はい!」
「よし」
うんうん、と満足げに首肯するフィリス。
「ほんと、あんまり自分のせいにしちゃダメよ。この中じゃ私が一番年上だし、何かあったらお姉さんにすぐ相談してちょうだい」
お姉さんと呼ぶには年がちょっと……と思ったが、あえて芳人は何も言わない。
普段の彼ならうっかり口走っていただろうが、神としての力を手にしたことで、ちょっとは自制めいたものを身に着けたのだ。
「わかった。……それから、服はあとで直す。ちょっと待っててくれ」
「えっ?」
フィリスが問い返す間もなく、芳人は別のところに行ってしまう。
さて。
ヘルベルトはやたらと母性に飢えていたが、その影響だろうか、フィリスの服を破くにあたっても、母性的な部分をやたらと露出させるような形になっていた。
フィリス自身、さっきまでは片腕で布の切れ端を掴んでどうにか隠していたが、芳人のほっぺたを掴んだ際、胸のあたりはフリーになってしまい――ぽろん、と。
無自覚な感じで露わになっていた。
「~~~~ッ!」
慌てて両腕を持ってくるものの、胸はその中へと押し込められたことで谷間がより顕著となる。非常に煽情的な姿だった。
しかしながら芳人はそれに目もくれず、神薙真姫奈のもとへ向かった。
――このときまで彼女は時間停止に呑まれていたが、それを解除する。
「よし、と……?」
彼女の負った傷は、フィリスイリスと比較にならない。
何十匹という狼男に蹂躙され、あちこちを食い破られていた。
出血も多く、放っておけばじきに絶命するだろう。
「これは、ゆめ、か……? ゆめ、だろうな。それは、それで、かまわん」
焦点の合わぬ瞳のまま、真姫奈は掠れた声で言葉を続ける――
よしと。
ずっとあいたかった。
幻覚だとしても、あえてよかった……です。
すきです。
だいすきです。
もういちど、声をききたいとおもいました。
もういちど、抱きしめてほしいとおもいました。
はじめは、ただ、それだけだったのに。
わたしは罪をおかしました。
たくさんの人を踏みにじりました。
それが間違いと分かっているのに、やめられませんでした。
ふと冷静になることはあっても、「ここでやめたらすべてが無駄になる」とおもいつめて、いっそう罪をかさねました。
れおなにも、ひどいことを言いました。
しあせそうなあの子を、どうしようもなく、妬んでしまったんです。
だから、だれか。
わたしを止めてください。裁いてください。罰してください。
もしあなたが本物の芳人なら、どうか、やさしくころしてください。
最後に会った日みたいに愛してるとささやいて、抱きしめて、そのまま首をねじきってください。
みがってとは思いますが、それがわたしの願いです。
* *
芳人は答える。
「ほんとうに、身勝手だな」
と。
「今際の時に改心したようなセリフを吐いて、許してもらえるのはフィクションだけだ。少なくとも玲於奈には謝ってもらわないと困る。……だから、まだ、死ねると思うな」
右手で、真姫奈の顔に触れる。
身体が解けるように消えてゆき――白い燐光が芳人の身体へと吸い込まれた。
真姫奈の魂魄である。
「やってきたことの償いも終わってないし、俺だって、言いたいことがある。勝手かもしれないが、こっちは神様なんだ。諦めてくれ」
そう呟くと、次は、水華のほうに向きなおる。
「久しぶりですね、芳人様。金髪でロングになっていますが、もしや反抗期でしょうか。……冗談です」
それは芳人の気持ちを和らげるためのジョークだったのだろう。
まあ、明らかに滑っていたが。
「私は無事です。あとで娘と一緒に可愛がってくれれば結構なので、未亜さんに声をかけてあげてください」
「……ちょっと待った」
「どうしましたか」
「水華さん、子供、いたんですか」
「最近、静玖さんと義親子の誓いを結びました。近いうちにメイド姿で伺いますので、ぜひ」
「何がどう“ぜひ”なんだ……? というか水華さん、そんなキャラでした? もうちょっと冷静で、けれど妙に空回りな感じだったような……」
「芳人様、お忘れかもしれませんが私は猫又です」
耳をピコピコと動かし、アピールする。
「猫の発情期はいつかご存知ですか」
「ええっと、春と夏で――」
「お分かりいただけましたか。昔、お世話させていただいたのは秋から冬にかけてのことでしたし、ギャップに戸惑うのは仕方ないことかと。
ああ、でも安心してください。普通の猫に比べると、猫又は長寿なぶん性欲は薄めですから。特定の相手がいない場合、発情期だろうと枯れ木同然です」
「えっと、じゃあ、水華さんがいまヘンというか、発情期モードなのは――」
「そういう相手がいるからですね。ぶっちゃけると芳人様です」
「あ、はい……」
目の前で堂々と言われてしまうと、さすがの芳人と言えど恐縮してしまう。
そうかー、暖かい時期の水華さんはこんなに押しが強いのか……と納得する。
「さて、少しは気分も晴れたでしょうか」
「え?」
「これから未亜様と話をするのでしょう。他の女性のことを引きずったままというのは、さすがにマナー違反と思いますが」
「……顔に出てましたか、俺」
「はい、初恋の相手への未練が滲みまくっていました」
「それは、うん、よくないな。ありがとう、水華さん」
「従者として当然のことです。もし感謝していただけるなら、リクエストをひとつ聞いて頂きたいのですが」
「なんですか?」
「丁寧語はおやめください。もうすこしこう、主らしいというか、静玖さんや玲於奈さんと話すようにお願いします。
それかいっそ、この豚め、と罵っていただいても。そのたびに、にゃーん、と鳴きましょう」
「豚なのに猫……?」
「中国では、熊猫と書いてパンダと読みます。まあ、関係ありませんが」
「ホントに関係ないな……」
はぁ、と嘆息する芳人。
とはいえ、おかげで妙な緊張も解けた。
未亜のもとへ向かう。
懐かしい姿をしていた。
青い髪の少女。
射貫くような視線は、魔王の後継者に相応しい威風を備えていた。
「ただいま、未亜」
微笑んで、片手を挙げると、
「……おかえり、兄さん」
未亜はその表情を和らげた。




