第85話 けれど、そういう生き方しかできない貴方が好きだから
《泡》に取り込まれ薄れゆく意識のなか。
俺の胸に蘇った言葉は……
⇒1.生きて、生き続けて。
2.人間としての幸福を。
――とある未来における、決定的な選択。
夕焼けのような瞳に、紅玉を溶かしたような長い髪。
幼さの残る顔立ちは人形じみて愛らしい。
けれど、アリシアという少女は見た目どおりの「可憐で大人しいお姫様」じゃない。
あれでけっこう気の激しい性分だ……ということを、俺はよく知っている。
「……久しぶり」
再会の第一声は、自分でも恥ずかしくなるくらい色気に欠けたものだった。
「お久しぶりです、ヨシト」
アリシアが微笑む。
慈しむような表情。
それは彼女が死の間際に浮かべたものとまったく同じで――言葉が、出なくなる。
「まったく。あいかわらず泣き虫ですね、貴方は」
それは誤解だ。
君を亡くしてからは、一度も涙をこぼしちゃいないんだ。
「嘘ですね。セレンティーナでしたか、師を失った時にもメソメソしていたでしょう?」
うっ。
どうして、知っているんだ。
「私はずっと影からヨシトのことを見守っていましたから。ですから貴方がじつは気の多い男性であることも、あちこちでコナをかけまくっていたことも、そのくせ土壇場ではヘタレてしまうことも把握しています。……まあ、別にいいですが」
ぎゅう。
アリシアさん、なぜ俺のほっぺたを抓るのですか。
痛い痛い、マジで痛いやめてくださいごめんなさい。
「こちらはもう死んだ身です。ヨシトが誰とイチャつこうと、それを止める権利はありません。私は気にしていません。ええ、まったく気にしてませんとも」
と言いつつ、頬にかかる力は加速度的に増していた。
このままではブチリと千切られかねない。
起死回生の一手を打つことにする。
「んべぇ……ッ!」
渾身の変顔。
白眼を剥いてベロを出す。
口の中に指を突っ込まれた。
噎せ込む。
「すみません、そういうプレイがお望みかと思いました」
どんな上級者だよ。
嘔吐とかそういうR-18Gは勘弁してください。
「最近はヨシトのまわりに女性が増えてきたので、あらためて私の存在を刻みつけておくべきと考えました。……ああ、ちなみにここは精神世界のようなもの、姿形も自由自在ですよ」
どれどれ。
俺はこのとき前世の格好だったが、今世のそれをイメージしてみる。
みるみるうちに手足が縮んでいく。
「どうだ、ちゃんと子供の姿になってるか?」
と、訊いてみるものの、返事はない。
アリシアはしばし茫然とした後、
「……可愛い」
膝枕の姿勢のまま、俺の顔をむにむにと触ってくる。
「私のことはお姉ちゃんと呼んでくれて構いません」
「アリシアおねーちゃん」
「~~~~~~~~~~~~!」
抱きすくめられた。
ドレスごしに体温が伝わってくる。
暖かい。
あの懐かしい、甘やかな香りが伝わってきて……いつまでもこうしていたいと思ってしまう。
けれど、それはダメだ。
俺は帰らなくちゃいけない。
未亜が、静玖が、玲於奈が、綾乃が、水華さんが、フィリスが――みんなが、待っているはずだから。
「行くのですね」
こちらの胸中を察したのだろうか。
ゆっくりと、名残惜しそうに身体を離すアリシア。
「以前、私が言ったことを覚えていますか」
瞳には寂寞の色を浮かべ、しかし、無理に引き留めようとする気配はない。
「『勇者になどならなくてもいい、人間として幸福になってほしい』と」
「…………ああ」
もちろん忘れちゃいない。
けれど彼女の死後、俺の歩んできた道は『人間としての幸せ』からはかけ離れたもので、それが妙に後ろめたく、返事はどうにも鈍っていた。
「最期の瞬間、私は『生き続けて』などと口にするべきではありませんでした。結果としてそれが貴方を縛り、怪物に変えてしまったのですから」
それはおそらく《時間術式》のことを指しているのだろう。
時間の巻き戻しによる、疑似的な不死。
俺があの魔法を編み出した最初のきっかけは、「生き続けて」の言葉を守るためだった。
「改めて、遺言を伝えます」
アリシアの手が、俺の頬をそっと包んだ。
「きっとヨシトのことですから、誰かが困っていれば手を差し伸べてしまうのでしょう。
けれど、どうか、ヒトとしての幸福を諦めないでください」
願うように。
縋るように。
ひとつひとつ、言葉を紡いでいく。
「積み上げた屍に対する責任は、もう十分以上に果たしています。そもそもそんなものは存在しないのです。どうか自分を責めないでください。――貴方は悪くない」
けど、アリシアが死んだのは俺の力不足で。
そう答えようとする唇を。
唇で、塞がれた。
* *
フィリスイリスは追い詰められていた。
「クハハハハハッ! 元気ですか先生ェ、元気ですかァ!?」
四方八方から、腐液にまみれた鞭が迫る。
その主は、すでにこの世にいないはずの人物。
いや、“人”という単語にあてはまるのかどうかすら怪しい。
シルエットそのものは直立二足歩行のヒト型だ。
しかし全身すべて植物めいた蔦で編まれており、胸のところにのみ、人間の顔が飛び出している。
神経質そうな、眼鏡の青年――ヘルベルト・フォン・オイゲン。
彼はかつてフィリスに師事しており、この時間軸では、真月綾乃の誘拐事件で命を落としていた。
「やっぱり先生ェはお美しィ! まるで僕の母親みたいですよォ!」
「それで褒め言葉のつもりなの……?」
小さく毒づきつつ、蔦の迎撃を試みる。
火焔、氷結、稲妻、風刃、衝撃――。
多種多様の魔法を織り交ぜてみるものの、ヘルベルトに対して有効打は与えられていない。
ひたすら防戦一方であり、徐々に追い詰められつつあった。
「ふふっ、ヘルベルトさんったら、大したはしゃぎぶりですこと」
まるで他人事のようにクスクスと笑う――伊城木月。
「ああ、素晴らしい愛だこと。狂おしく、狂おしく、自分を救ってくれと他者を求める。わざわざこちらに連れてきた甲斐があるというものですわ」
芳人が終神となった時間軸。
そこにおけるヘルベルトは消滅を免れ、月の眷族として回収されていた。
「……月。貴様、何が目的だ」
戦っているのはフィリスだけではない。
神薙真姫奈は剣を振るい、狼男たちを次々に斬り捨てていた。
「芳人の救出を阻むつもりか」
「いえいえ、まさかそんな。わたくしの目的は、おおむね、皆様がたと同じですもの」
「ならばなぜ邪魔をする」
「マキナさんは誤解をされていますわ。よくよく考えてくださいまし」
月は散歩のように気軽な足取りで、斬撃の嵐へと足を踏み入れた。
真姫奈の実力は決して低くない。
玲於奈にはやや劣るものの、たとえば鳩羽兵衛や雉間裕次郎を相手に回したとしても五分以上の戦いになるだろう。
だというのに、彼女の刃は、なぜか月に届かない。
当たっているはずなのに、すり抜ける。
まるで霧か蜃気楼を斬っているような感覚だった。
「あの黒獣は、変わり果てたとはいえ芳人従兄さまですもの。みなさんが危ないとなれば、じきに駆けつけてくれるはずですわ。そこを狙って暴走を抑えればよいでしょう。ただ――」
クク、と。
嘲るように、煽るように、月は真姫奈の耳元でささやく。
「従兄さまにとっての“大切な女性”に、マキナさんが入っているかどうかは微妙なところかと」
「貴様ァッ!」
激昂。
最大級の霊力を込めた白刃が、伊城木月を両断せんと疾り――
「あら、わたくしのことなんか無視すればよろしいのに」
空を切る。
しかも大振りの斬撃だったために、真姫奈は致命的な隙を晒してしまっていた。
「迂闊ですわね、マキナさん。脇ががら空きでしてよ」
月は一歩後ろに下がった。
反撃はしない。
不要だったのだ。
いつのまにか周囲を取り囲んでいた狼男らが、一斉に、真姫奈へと殺到した。
芳人帰還カウント2
芳人復活カウント3




