4-3
「よし!」
視界が開けた。
中心概念を破壊された『界』は、シャボン玉がはじけるよりもあっけなく壊れ、元の意海へ戻る。
泰樹からのミッションはクリアした。
だが、船長としての仕事は、むしろこれからだ。
聖女を回収しなければ成功とは言えない。喜びを押し殺し、意志と怒りを振り絞ろうとするが――
「――おい!?」
船が、動かなかった。
感情が伝達される感触がない、船体はぴくりとも動かない。
「わた――し――葉……小」
二度の高出力移動。根の酷使。圧壊寸前の心圧からの復帰。
さまざまな条件が心動船を痛めつけ、その機能を奪った。
「猫ぉお!」
叫び声に反応して、怯えきっていた猫が目を開く、その先には、聖女がいた。
感謝と信頼を、顔中に浮かべていた。助けてくれることを、船へ戻してくれることを確信した表情だ。
だが、前進も後退も、上昇も下降もできない。
心動船の損耗が激しい。無理に動かせば、船そのものが壊れる。
聖女を見殺しにするか、全員を殺すかのニ択――
冷静でクソまみれの判断を蹴飛ばした。
いま、唯一動かせるのは――
歯を砕かんばかりの力で噛み合わせながら、意識を集中させる。
聖女はそれほど離れているわけではなかった。すぐ側ではないが、「伸ばせば届く距離」だ。
船長は能力をフルで使用する。
ネズミ襲撃の緊急を知らせるために船から情報が来たように、こちらから情報を送り、これを動かす。
己の意志と船体を連結させ、根を操作する――
コマンド操作を意志一つで行うような無茶。
明滅する意識までもが伝達される。人とは異なる形の苦痛。ひとつ気を抜けば気絶しそうだ。
魔女の手が重なった。鼓舞の気持ちを感じ取る。錯覚かもしれない、かまわない。
たどたどしく、根を動かし、ちいさなその体を掴もうとする。
猫の視界を頼りに、聖女を捉え、ついにはその手に根を巻き付けた。
聖女は不思議そうにしていた。
船長の喉奥から悲鳴が漏れる、断末魔にも似た音だ。だが、これが雄叫びであると信じ、意識を凝らす。両手は太股をつかみ皮膚を突き破っていた。
慎重に引き寄せる。
崩れた。
幾度も無理を重ねた根に入ったヒビが決定的な崩壊を起こした。
分離したそれは意志を伝達しない、為すすべもなく離れる。聖女をつけたまま。
「――ッ!」
猫への接続を断ち切り、浮遊し離れようとする根を『つかんだ』。
失われた『分身』への接続、過去に引きちぎられたもの。物質的なものではないそれを使い、精神世界で接触をさせる。
崩れて離れ、浮遊しようとしていた根が再び動く。
ハンマーで殴られたような衝撃が頭を襲った、もともと意識を連結させるためのものだ。本来の使い方ではない。脳味噌で直接ものを挟み、動かそうとしているようなものだった。
奥歯が砕ける。
痛みに発狂しそうになる。
魔女の握る手が苛立たしくもありがたい。
異変に気づいた聖女がなにかを叫んでいるのが伝わった。内容までもは伝達されない。どのような言葉であっても、関係ない。
救うべき相手が、接続の先にいる。
「もう失うのは、ゴメンなんだよ――!」
意志が根を動かし、聖女を内部に招き入れた。
姿が、呼吸した様子が見えた。その段階で限界だった。
「は――」
口の端を笑みで歪ませ、崩れ落ちようとする船長を、走る聖女が抱き止めた。
灼ける苦痛をものともせず。しっかと抱えた。
「センチョは、ばかだ」
煙を上げる拒否反応の痛苦の中、声は不思議と満足げだった。
+ + +
『界』の単独破壊には、相応の代償が必要だった。
大金星ではあるが、大損害でもあった。
自力で移動できなくなったため、他の心動船に引かれて帰還となった。
船長はその間、ずっと昏睡していた。
心動船は言葉を発しなかった。
猫は船の内部を危険な場所として認識したらしく、泰樹についたとたんに逃げ出した。
聖女は一時ひどい状態となっていたが、それらの傷は見る間に塞がった。なにかを考える表情をしていた。
そして、魔女は――
船長代わりに細々とした処理と対処を終えて帰宅した時には、半日が経過していた。
心軍への説明はあっけなく済んだものの、研究者たちの追求がいつまでも止まなかった。
普段は純人区域から出てこない彼らが密集している様は、いっそ異様ですらあった。
少しでも情報を知りたいのだろうが、もう少し別のやりかたもあったのではないかと思う。
自室へと戻った魔女は、しばらく無言で立ちつくしていたが、ベッドへ歩み寄り、まっすぐ倒れた。
シャワーはおろか、ローブを脱ぐことすら億劫だ。
感情選択により、己の精神状態を選ぶことはできる。だが、それによって体の疲れそのものが無くなるわけではない。
「あ゛ー……」
たぶん、あれ、本当だったら船長がやる予定だったんだろうな――
そう思うと、少しは納得できた。
初航海の後も、似たようなことをしていたに違いない。
質問責めにしていた研究者たちの反応は、それを伺わせるものだった。
「はあ――あれ?」
鬱陶しいとばかりにフードを取ると、自分がまだ泣いていることに気がついた。
ずっと泣き続けていたので違和感すらなくなっていた。
「あ、どうりで」
視界がおかしかったはずだ。
目深にかぶったフードを、そのままにしておいて本当に良かった。
素顔を晒したままでは、真顔で泣き続ける変な奴になっていた。
「ま、仕方ないよね」
己の内を観れば、視界すべてを覆い尽くすほどの『青』がある。
魔女にしか見えない、感情の色彩だ。
燃えさかるような赤色も少しばかりあるが、ほとんどは青に浸食されている。
青は悲しみの表現であり、沈鬱の色だ。
魔女にしか見えぬこれに触れることで「感情選択」となる。
現在、心動船よりも大きく、部屋の大半を占めていた。
無理もなかった。
初恋の相手が死んでいたのだ。
混者は、たいてい施設に入れられる。
そのたいていの中に、幼い頃の魔女もいた。
彼女に宿る概念は、実の所はっきりとはしていない。
『選択』の概念であるかもしれず、あるいは『離人症』に似たものであるのかもしれない。
どちらにせよ、それは理性的な判断を可能にさせた。
そして、だからこそ、周囲の子供のことを、まったく理解できなかった。
感情選択の力があればこそ、『人としての当たり前の反応』がわからなかったのだ。
怪我をしたのであれば、泣くことを選択するより前に、手当をすればいい。
喧嘩をするより前に、互いの主張の違いがどこにあるのかを確かめればいい。
なぜそうしない?
何度そう思ったことかわからない。
ある時、施設の入り口で泣く子供がいた。
思わずそれを見て彼女はつぶやいた。
――どうして泣くのか。
好んで自ら辛い目に会いたがるのは何故なのか。
「悲しいからだろ」
横から、返事が来た。
だが、それは彼女がもっとも理解できないものだった。
不合理だ。ここで感情的になったところで、事態が解決するわけではない。そう言い返す。
「――」
どうした! なにをニヤニヤと――
「いまそうやって怒ってるのも、不合理って思わねえの?」
気づくと、感情を選択したと思う暇もなく、『怒っていた』。
おお――
それは、新鮮な経験だった。
いままでも選択を行わず感情的になっていたことは、きっとあったのだろう。しかし、それを見過ごしていた。
自分の力はカンペキなものではなく、きちんと感情的になれるのだ。
――周囲の人は、こんな気持ちだったのか。
蒙を啓いた思いだった。
そう、魔女と船長は、幼なじみだった。
学年が違っていたせいか、あまり逢う機会はなかったが、気づけば近づき、話すようになっていた。
とても貴重な時間だった。
『二人』を通して、魔女は他人の気持ちを初めて知った。
ただし、逢うのはたいてい片方だけだった。交代のタイミングと彼女の生活が、そのように重なった。
あるいは、いかに分身とはいえ、それぞれの個性というものを得たかったのかもしれない。
意識を共通させているにも関わらずそのような欲求が出るものなのか、いまとなってはもうわからない。
意物が現れた時も、彼女はいた。
それどころか、彼女のせいで『片方』は死んだのだ。
その日、わがままを言った。
交代する様子を見せて欲しいと。
いつもであれば一瞬で済むところを、時間をかけて開示した。
手を開閉させる、ただそれだけで空間に切れ目が入り、奥に桐のタンスが見えた。薄暗い、おかしな空間に浮かんでいた。
ひと一人が入れるとは思えないちいさなそれに触れ、わずかに開いたかと思うと、いつのまにかもう一人はいた。
「こんなもんだよ」
そろって同じタイミングで肩をすくめ、今いた方が扉を開き、入ろうとする。
それが、失敗だった。
混者が意物を引き寄せるとの説は、正しくない。
混者の中に、意海への扉を開けるものがいると言うのが正しい。
普段であれば一瞬だけの開示が、この時だけは時間をかけて行った。
それは、浅瀬を回遊するものの注意を引くのには、十分だった。
船長の記憶は、一部間違っている。
おそらく、つながりを力任せに千切られたことが原因だ。
たしかに空気が凍えた、奇妙な声も聞こえた。ただしそれは、彼らが開けた空間からしていた。
一つ目一本角の、人の形をした意物。
それが食いちぎった。
タンスから出ていた部分に噛みつき咀嚼した。血が向こう側にまき散らされ、長く続く悲鳴が、遠くなるのが聞こえた。
意物はタンスを後方へと投げ飛ばし、こちらに手を伸ばした。飢餓にまみれた歓喜が彩り、こちらの焦りと恐怖を味わうようにゆっくりと。
感情選択。
非実体のものを可視化させ触れることのできる力。
それができるとは思っていなかった、ただ必死だった。
叫び駆け出し彼より先に走り、その空間の切れ目に触れ、閉じた。
切り分けてしまった感触が、たしかにあった。
二人をつないでいた接続が、ぶつりと音をたてて千切れた。魔女の手がそれを行った。
目を見開いた意物は消え、元の平和な風景が戻った。
だが、『片方』は戻って来なかった。
船長は、魔女のことを覚えていなかった。思考そのものを接続させての伝達だ、嘘などつきようもない。
だからこそ、気づいた。
ただ体が二つあっただけ――その認識が間違っていたことを。
『予備』を失わせ、接続を断ち切ってしまったわけではなかった。
船長が魔女のことを覚えていないのは、記憶する脳が消えたからだ。
主に会話していた相手は、片方だけだった。
彼女が大切に思っていた相手は、意海へ消えた方だ。




