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4-2

マンホールの底に到着したが、そこは終着ではなかった。

しかし、上からネズミが襲いかかってくることもなかった。どうやらここは『別エリア』であるらしい。


人が泰樹の中心区画に入ることが許されていないように、彼ら防衛の意物はこの場所へ来ることができない。


「あのでっけえネズミが実は中心核で界物だった、ってえオチをちっとは期待したんだが――」


甘い期待だったかと、船長は苦笑し首をふる。

横へと続く穴は、前後へどこまでも続いていた。

縦穴よりもさらに広く、膨大な暗黒を充満させる。ぽつんと浮かぶ心動船は、まるでプランクトンのように頼りない。


「申し訳ありません」


魔女はフードをさらに深くかぶり、口元すらも見せていなかった。

声は冷静だが、纏う雰囲気の重さは変わらない。


「ああ、いや、あれも、助かったって言えば助かった――」


あそこまでの沈降速度となったのはなぜか。俺は、そこまで落ち込んでたのか?

その問いかけを、迷う。

下手につつけば再び『沈んで』しまうかもしれない。ここでの沈降は致命的だ。


「これからは、こういうことがないようにします……」


声には、力が無かった。

そして船長は、どう対応していいのかわからなかった。


「あー、とだ」


頬を両手で叩く。

『怒るべき方向』を考える。

その対象は魔女か? 違うはずだ。


「とりあえず、上からネズミたちは来てねえみたいだ、周囲に他の敵もなしだ。魔女、まずはその傷、手当しとけ。ほっとくと、どっかの血吸いに狙われるぞ」

「ほぉ、わたしがそのような真似をするとでも?」


壁からは心外という声色がしていた。


「魔女の血が床についたらどうすんだ?」

「出されたものはありがたく頂くのが作法」

「蚊の方がまだ慎みあるじゃねえか」

「わたしとあのような生物を同列に語るとは、それこそ語るに落ちるというものだ。偉大なる泰樹の種であるわたしがよりにもよって蚊? ああ、なるほどなるほど、たしかに船内にもいるようだ。五月蠅くさえずる小さな生き物が。是非ともこの場で内部を解放し、駆除しなければならない、センはこれを許可してくれるだろうか?」

「アホか」

「なにやら虫がうるさいようだ」

「笑わせること言ってんじゃねえぞ、いいからとっととやることやっとけ」

「ならば至急、余計な虫を追い払わなければならない」


猫は黙って爪とぎを開始した。

船は奇声を上げた。意味の通らぬ言葉をわめきながら前部を無理矢理解放しようとしたが、船長によってキャンセルされる。


「ったく――」


騒ぎながらも、魔女は自身の手当をし、船もまた自らの状態をチェックしていた。

一時的な休息の場面。

もちろん、船や猫を通した周囲への警戒は怠らない。


聖女は、なにかを期待したような目で船長を見ていた。

接続などできぬ相手ではあるが、ゆっさゆっさとハンモック上で揺れる有様と、ちらちらと壁を見る仕草から、その心情は読みとれる。


「外、見てえのか」


力強い頷きが何度も繰り返され、団扇のように風を運んだ。

仕方なしに親指を針で突き、コマンドを描き、壁を透明化させた。激しい移動を行うのであればともかく、停滞している現在であればこの心圧下であっても耐えられる。


「センチョ、ありがと!」


勢いよくその前へと陣取り、


「へ?」


すぐさま頭上にはてなマークを浮かべた。

そこにあったのは、あまりにも無味乾燥な光景だ。


「センチョ、なにここ? 魔王城とか悪の秘密結社とかは?」

「もともと、ンなもんがある予定はねえ、ここはな……」


端的に、この『界』について述べる。


「下水道だ」


相変わらず巨大な、心動船が縦に二十は重なることのできる穴が横へと延びる。

視界は見通しが悪く、猫ですら有効視界距離が短かった。

内部の光が周囲を照らしたが、それでも景色は薄暗く、わかる範囲はごく狭い。

並の意物であれば圧壊するほどの中、底ではちょろちょろと水が流れ、汚い小川を作る。それは現実世界そのままの下水の光景で、決して『界』の底にあっていいものではなかった。


腐臭のしそうな様子に、心動船は先ほどから「わずかにでもこれらに触れたらあなた達を放り出すことにした」とうるさい。


「ここの概念、元になってんのは、まあ、アレなんだろうよ」


船長は、心から嫌そうに言う。

意物の跋扈する今となっては失笑の対象にしかならない概念。よくある子供だましの、ただの嘘。

しかし、やっかいなことに、精神世界ではその嘘が事実となる。実在するものとしてまかり通る。


「都市伝説、それがこの『界』の概念だ」



 + + +



都市伝説とは、ただの迷信、あるいは噂話だ。

ただし、『ひょっとしたら本当かもしれない』、そんなリアリティが付与された。


「だいたいのパターンとしちゃ、なんかの不安が元になってるのが多いな。で、『都市』伝説って名前がついてんのは、都市で発生したもんだからだ」


フードを脱がずに手当していた魔女の顔が、勢いよく上がった。船もわずかに浮かんだ。

船長は気づかず言葉を続ける。失策だった。


「ここの都市伝説の元になってんのは――」「おそらく下水道の巨大ワニの都市伝説。地下にアルビノにして盲目のワニ! もともとこれは三十年代のニューヨークに実際に起きた事件が元としてあり。その時のワニは噂として言われているような白色ではなく目も存在していました。若者数人が下水溝にてこれを発見し、レスキュー隊が射殺したことが新聞にも記載されたものの実例はこれひとつのみ。現実的には巨大になれるほどの栄養状態を下水は保証せず、仮に存在したとしてもトカゲ程度がせいぜい。しかし、そのイメージの明確さからか、他国にもこの噂は伝播し、事実として扱われたことから都市伝説としての――」

「魔女、落ち着け! 浮かび上がりすぎだ!」

「動物は何故そのように無駄な感情を流すのかが不明だ、いますぐ自己批判することでこれを解決することを望む!」


着地の時のように、根すべてを使い、上へ衝突した勢いを吸収しなければならない事態になっていた。

魔女は「私のターン」とばかりにキリッとした雰囲気で、両手を感情豊かに動かす。そのリズムと浮かび上がりは同期する。

船長と船は、もはや文句もいえず、この横暴を必死で耐える。

根の耐久が限界に近い、下水の天井に触れたことで船はおかしな悲鳴を上げる。


「えっとさ、えっとさ!」


聖女がわくわくと手を挙げた。


「そのワニって、やっぱすっげえ大きいのか?」


女教師のように魔女は指を振る。ご機嫌は止まらない。


「いい質問です、よく言われる話の中では二メートル以上あると言われています。実際の事件におけるワニの大きさは不明ですが、この『界』はおおよそ百倍にスケールアップしているようですから――」

「じゃあ、あれ、二百メートルもあるんだな、やっぱスゲえ!」

「え――」


言葉の意味を、誰もがすぐには理解できなかった。

窓外を指し、騒ぐ聖女。その横から船長と魔女がのぞき込んだ。


光に照らされた景色の向こうから、うっすらと浮かび上がるものがあった。

地響きが起こらぬことが不思議だと思える重々しい動作。扁平な体型は病的な白色。獰猛な気配の一切を隠し、ひたひたと接近する。

あまりに巨大であるため、それが生き物の姿だとは、瞬時には理解できない。


白い床が迫っている。

そのようにしか認識できず、全員が黙って見つめた。

猫ですらも目を丸くした。

音もなく、ゆっくり近づく――


「……おいバカ船……?」

「こちらからは感知などしていない! 本当にそこにいるのか!?」

「猫からも見えてねえってのはどういうこった!」

「お、おそらく、この『界』の特色です!」

「え、なになに?」


その発見は、幸運以外のなにものでもなかった。

聖女の対意物の力があればこそ、それを照らした。

都市伝説にある通り、ワニの視力は失われている。だが、岩の固まりとしか思えない鼻先を動かす様子は、明らかな『獲物の発見』を窺わせた。


船長は恐怖と怒りをブレンドさせ、隠すことなく船へと叩きつけた。

具体的には絶叫した。

船もまた悲鳴のように叫んだ。


「透過を維持しながらの移動は無謀であると提言!」

「他にあの敵見通す手段持ってきてから言えやあッ!」


魔女は顔を青ざめさせながら、口を開く。


「近づいて来ています、敵速度上昇!」

「おお、すっげえ!」


透過面をワニに向けながら船は後退した。

二百メートル。数字として示されたそれは、現実で言えば『電車十車両分』の長さだ。それが身をくねらせ、動き、補食しようとしている。もちろん、横幅も高さも相応にある。


「ああ、クソ、操作が重いってえのに!」


船長は可能な限り『後ろ向き』になろうとしていた。

新たにコマンドを描いている暇はない。横向きの体勢を維持したまま移動しなければならない。

そもそも、この場は『逃げて』いるわけではなかった。


「おい、聖女! 猫抱えて、あのクソ爬虫類見せとけ!」

「わかった!」


聖女は喜々として従う。

猫は口を半開きにしながらワニを見ていた。霊的な視覚はそこにいかなる存在も認めず、現実の視界は巨大な爬虫類の接近を捉えた。信じられないとばかりにまばたきを何度も繰り返すが、そのズレは解消されない。


「厄介きわまりねえなあ、オイ――!」


ごく限られた手段でしか、この『界物』を見ることができなかった。

それまでの静かさが嘘のような速度で追っている白のワニ。体を激しく動かし、汚水の飛沫を高く上げ、大口を開け一息で食らおうとする――そうした様子が、聖女の光に照らされる。

その光の中以外では、感知できない。


猫は甲高く鳴き、心動船内部を駆け巡るが、もちろん逃げ場所はどこにもなかった。


「中心核の位置がわかんねえとか予想外すぎんだろうが……!」


白ワニの大きさは二百メートル。そのどこかにある中心核。

本来であれば猫がその位置を把握した。しかし、今は不可能だ。完璧に隠蔽されている。

駅ホームのどこかに置いてあるものを、目隠しで探せと言うのに近かった。


無謀極まりない。

だが、聖女の両拳を打ちつけ、鼻息を荒くする。


「うん、よし、ぼくの出番だ!」

「待て!」

「やだ!」

「船長、距離が詰まっています」

「クっソ、下手に怒れねえ!」

「センはやはりセンか」

「船長だつってんだろ!」


怒鳴りながらも考える。

たしかに、この場面自体は、聖女の出番だ。

もっとも強大な敵に対してこそ有効な力だ。


だが、猫の探査が通じない以上、投入は分の悪い賭となる。

どれほどの破壊力があるとはいえ、相手は仮にも『界物』だ。遠距離攻撃からの一閃で破壊できるほど甘い相手ではない。近づき、触れて、中枢核を破壊しなければならない。

聖女が呼吸できぬ環境であり、『移動できる距離』が限られているにも関わらず――


「この場でいますぐ、おまえを投入することはできねえ」

「えー」

「ならばどうすると? センは代案を出さずに却下すべきではない」

「は――ッ」


追いかける大口を睨みつけ、牙剥くように笑いながら、船の向きを変え、透明化させた窓を閉じる。

事態は明確かつ明瞭。ならば――


「こっちから探しに行くに決まってんだろうが!」




 + + +




心動船の動作を感知した『界物』は、極限まで顎を開いた。

牙並ぶそれがバネ仕掛けのように開口する。


そして、ギロチンよりも素早く、剣豪の振り下ろしよりもなお速く、獲物はこれに捕らわれるが摂理とばかりの速度で咬み合わさった。


ここに来る愚かものは、ここで喰われるのが『界』における法則だと言わんばかりのタイミングであり速度。

絶対的な、逃れようのない、意物による攻撃――

 

――それは、船長に過去を連想させた。


己を奪われた時。

なにも出来ずにただ呆然としていた過去の情景がありありと浮かんだ。

子供の頃の彼が、気がつくとそこにいた。

しかし、今度は震えて立ち尽くすわけにはいかない。


接続を――外部への心の通路をすべて開く。

思うことすべてを外へと流す。

こわいと思っていること、おそれていること、すぐにでも逃げ出してしまいたいこと。


過去の恥、英雄まがいのことをしている照れ、皆を巻き込むことの申し訳なさと、全員のいのちを手のひらに乗せている興奮――


汚濁すらも含めたすべてを晒す。

心の奥には、そうしてようやく現れる熱がある。

あらゆる欺瞞を排した後に見える己が。

子供の彼が立ち上がり、一歩、前へと踏み出した。


 立ち向かえ。


子供はささやく。


 今度こそ、怒る勇気を持て――


「嗚呼ぁああ亞アアァッッッ!」


熱が身を焦がし、いま再び『己』を奪おうとするそれへ拳を振るった。

加速、などという生やさしいものではなかった。

魔女の落下に匹敵する速度が横へと向う。


鋸のような歯の群を通り過ぎ、見えぬ漆黒の粘性を貫き、さらに先へ。

心動船も、猫も見ることができぬ無視界を、怒りのまま直進する。

白ワニの内部には内蔵などはなく、ただひたすらに純度を高めた『悪意』があった。

船を通してそれに触れる。

刻一刻とそれらは濃く、強く、深くなる。

一秒とも十秒とも一時間とも思える時間が過ぎ。


「――!」


感触が、変わった。船に障り、押し潰そうとする圧力が減じた。中心核を通り過ぎた――!

船からの驚きと拒否を屈服させ、根数本を槍のように纏め、下へと固定。

船長の表情のみを根拠に、魔女は感情を選択、急速沈降させる。槍が意物へと突き刺さり視界すべてが揺れる緊急停止を行う。腹を裂かれた白ワニが悲鳴を上げて身をよじった。


「よっしゃ!」


そして、笑う聖女は外へ出た。




 + + +




聖女は笑う、ふつふつと湧き出るそれは止められなかった。

高密度、高心圧の中にあっては浮かぶことはできない。『地面』に足をつけ、駆けた。白光は噴水のように無制限に湧き上がり、反発を存分に発揮した一歩は数メートルの距離を叩き出す。


――センチョは、馬鹿だ!


意海の、意物の腹の中にあっては音としては伝わらない。

だが、白光は勢いを増した。


暗い光景を、聖女は疾駆する。

息を止めての運動は、急速に酸素を消費する。充満する二酸化炭素が苦しさを訴えるが、気にもならなかった。


自分が失敗すれば死ぬ。それはもう、とっくに覚悟していることだった。

聖女の使用方は、基本、使い捨てでしかない。

多くの心動船乗りが聖者をのそのようなものであると理解し、運用していた。今回の場合、回収度外視の射出が『一般的』だ。

聖女は、それが問題だとは思わなかった。

敵を打ち倒し、死ぬ在り方は、いっそわかりやすいとさえ思った。

 

だが、いまこの時に限って言えば、船の皆が道連れだ。

これほどの高圧力下だ、残りの生存時間は、あと十秒もあればいい方だろう。聖女の死による『特典』も、これほどの短さでは受け取れない。


倒さなければ皆も死ぬ。

そう、船長は、むちゃくちゃなやり方で聖女と同じ立場に立った。もっと楽で、もっと安全な方法はいくらでもあったはずだというのに。


なぜそれをしたのか?

どれほど頭をひねっても一つの答えしか出ない。

『自分をここに運ぶため』だった。

『聖女の安全のため』だった。

そのためだけに、全員の命を平等に危険へと晒した。


――本当に本当に、センチョは馬鹿だ!


自分はいま、実は怒り狂っているのではないかとすら思う。

これほど熱いものが、感謝などであるはずがない。

荒れ狂う想いは、どれが正解かもわからない。

とりあえず、船長に抱きついてやろうと強く思う。

命がけの行動には、命がけの感謝を返すべきだ。


目玉のように見える中心核を走りざまに掴み取り、『力』任せに握りつぶし、『界』を完膚なきまでに破壊しながら、そう決心した。



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