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心動船とは泰樹の種とも、部下や働き蟻とも言える存在だった。
その総数を把握しきることは難しいが、最低でも億は越える。
――これほどまでに多量の種を抱えている泰樹は、おそらく他に無い。
心動船は壁のような枝につかまりながら、一人そう考える。
――なぜなら他の泰樹、その種の移動方法は意流に漂うことのみであり、帰還率はごく低いものでしかなかったためだ。
流れて、根を使って獲物を狩り、再び流れて泰樹へ戻り栄養を渡す。
これが基本的な栄養確保方法だ。流れを読み間違えれば意海に種だけをまき散らすやり方でもある。
――まったく忌々しい話ではあるが、人間種との取引により状況は変わった。
流れ任せではなく、感情により自在に移動可能となった。
聖女と呼ばれる反意物存在により、外敵を蹴散らした。
ある種の防壁ともなっていた周辺に生息する小型意物たちとの共生関係は絶たれたが、代わりに人間がその役目を担った。
――種子の帰還率、栄養補給率は高くなり、結果、偉大なる泰樹は生長を続ける。
眼下に見える景色はほんの一部だ。その樹冠の広さだけでおおよそ千四百キロ平方メートルほどもある。
異形の姿、泰『樹』とは呼ばれているが、その枝々には一枚の葉もついていない。代わりに薄緑色の種だけがある。これこそが、この樹にとっての葉であり根であり防衛手段でもあった。
――だからこそ、わたしの微々たる手柄など、歯牙にもかけない……
つかまる枝を強く握る。
そこから伝わる情報はいつものように全体指示命令であり、特定個人に当てたものは何一つなかった。
周囲を漂う他の種――未加工の心動船は、根を互いに連結させ情報を交換していたが、そこにあるのは観測した海流の様子や過去に獲得した意物の味や感情概念など、役に立たぬ情報しかなかった。
個々別々の情報はまとめ上げなければ意味がない。彼らは会話をするだけで統合を行う様子をまるで見せない。結果としてもたらされるのは一部は正しく、おおよそは間違った海流情報だ。
意海流については、人間経由の情報の方がよほどたしかだった。
――まったく、ああ、まったくもって愚かしい……
人類種の乱雑さは許し難いが、仲間であるはずの彼らの愚鈍さもまた我慢ならぬものだった。動物の鳴き声とさして変わらない。
――彼らの知恵の無さを嘆くべきか、それともこれはこちらの、わたしの側の問題か……?
泰樹は、思考をしている。人類種と交渉を行い契約した。
――知恵無きものが、偉大なる泰樹のように知恵あるものと化す。わたしはその段階を少しばかり先取りした。つまり、早熟の天才児……!
我ここにありとばかりに根を広げて決めポーズを取ったが、周囲の誰も反応しなかった。
完無視だった。
――……偉大なる泰樹を継ぐべきものは、やはり偉大なものに違いあるまい……!
周囲の種は流線型のフォルムを描き、叫ぶ側はひょうたん型をしていた。だが、その形態もまた「特別」の証に違いない。
彼らの会話に参加しても、齟齬が出て不快感が生じるのもまた同様。
――そう、わたしこそが誰よりも「次なる泰樹」に近い位置にいる!
心動船とは、泰樹の栄養確保手段であると同時に、その種であり、生長すれば新たな泰樹となる存在だ。
――あとは……そう、わたし一人で移動が可能となれば、人間種など不要となる……
先ほどから喜び、怒り、羞恥したが、その感情は移動につながることはなかった。
曲がりなりにも船としての扱いを受け入れた理由がそれだ。
――より確かに、より確実に、次なる泰樹となるためにも、彼らの移動手段を獲得し、我がものとしなければ。
その手段さえわかれば、余分な荷物などすぐに放擲してくれる。
特に船長。
「ふ――彼らの、無惨かつ惨めにもがき苦しむ姿が今から楽しみというものだ!」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ」
独り言の宣言に、返事が来た。いつの間にか船長が入り込んでいた。
壁面にコマンドを描き、泰樹に接触している地点からこちらへ来たと痕跡を見ればわかるが、いつ行われたのかまったく気づかなかった。
その注意は仲間の種へと向けられ、内部及び泰樹側に向かっていなかった。
「ったく、一人で寂しがってんじゃねえかと来てみれば、いつもどおりじゃねえか」
「と、当然だ。人間種など側にいよういまいと変化などあるはずがない」
根がなぜかうにょうにょ動いた。
「ああ、それとな――」
にっ、と横に広げるように笑い。
「苦しめる相手は俺だけにしとけよ」
「……なぜだ」
「俺が船長だからに決まってんだろ、最終的な責任の所在は俺にあるんだよ」
「は、これだから人間は、これだからセンは! 既にわたしを部下にしたつもりか? 勘違いも甚だしい」
「……そのあだ名は止めろ」
「そのような命令を受ける道理などありはしない」
「道理なんざねえよ」
「これは意外だ、驚いた。センには物事を判断する能力があったとは」
「筋道なんざねえが、無性に腹が立つんだよ」
「それがどうし――」
「どうしようもなく、俺の本意とは別に、怒っちまうんだ」
腕組み、不本意そうに船長は言った。
心動船の意識は、今度は内部にのみ向けられていた。
だからこそ船体が加速し、泰樹をつかんでいる根の距離が限界に到達していることに、今になって気が付いた
「――!」
泰樹と繋いでいた根が、ピンと張る。
存分に加速をつけた状態でだ。
慌てて放そうとするが遅い。みしりと音を立て、泰樹の一部を引きちぎった。
全体の巨大さからすればわずかなものであり、数日どころか数時間もすれば回復する傷だ。
だが心動船は絶叫し、残る根すべてをうごめかせた。
「落ち着け」
「なにを――センはなにをのんきなことを!」
「だから、その名前で俺を呼ぶなってえの!」
「センは無意味に怒りを発散させないように!」
「言ってることと発言内容が矛盾してんぞコラ!」
「この程度のことで腹を立てる小人物のことなど、わたしには理解不可能だ」
「俺の怒りをてめえが理解できるはずねえだろ!」
「これほどまでに不合理な生き物の性質を、なぜわたしは学ぼうなどと思ったのか……!」
作戦行動中ではないという油断はあった。
しかし、内部の存在と、泰樹を傷つけてしまった後悔と、その他いろいろな感情が心動船から注意力を根こそぎ奪っていた。
結果、平和に揺れている種の集団へと、勢いをつけて突入していた。
注意不足三連続の三回目は、もっとも大きな被害を出した。
根同士による連結によるネットワークを築いている彼らを、あちらこちらへと弾き飛ばし、甲高い悲鳴を上げさせ混乱の渦へと陥れた。
ちょっとしたビリヤードのようにわらわらと三次元に拡散させる。
「な――ああ……!?」
混雑きわまりない様子は、泰樹の注意を引いた。
原因となるものを素早く特定。現在、幾本もの根で船体を固定させている心動船だとわかった。泰樹は注意勧告の個別シグナルを送った。
「――っ!」
即座に、その意味を理解する。
「も、申し訳ない偉大なる泰樹よ、しかしわたしは――」
謝罪だけを聞き、残る釈明を聞かず、あっさりとシグナルは途切れた。
意識は既に別へと向けられていた。
「お、おい……?」
接続によりいくらか感知していた船長は、根すべてがぷらんと力を無くし、手放してしまったことも把握した。
怒りの余波に押され、船は前進する。巨大な樹木より離れ、無限とも言える意海の広がりへ。
心動船は沈黙する。
船長もまた沈黙。なにを言えばいいのかわからない。
ただ、制御しきれない灼熱をなんとか宥めようとする。
深く息を吐き、意海――その広がりに注意を向けた。
実際に見ることができるのは心動船の周囲ばかりであり、半ば想像の風景だが、とにかく今は内側にばかり注意を向けるべきではない。
果てのない永劫。猫の目であっても当然見通しきれない暗黒の広がり。一説には、この意海は地球よりも巨大であると言われている。
上方では現実世界との境が発光現象を起こし、ツギハギだらけの巨大な蓋となって聳えた。ひび割れた流氷を海から覗き上げるような光景だ。
そこから降り注ぐ光の量は、しかし、意海すべてを照らすにはまるで足りていない。
下方では、暗く昏く黒く――どこまでも『暗さの濃度』を上げ続ける。
「……初めてだった」
「お、おう?」
「初めてだった、偉大なる泰樹が、わたしに興味を示してくれたことが……」
「そ、そうか、良かったな……?」
「いいわけがないだろう! なにを言っているなにを考えている! 今のは叱責だ! いったいこれはどういうことだ! 理解不能だ! どうなっている!?」
「泰樹とやらにとって、おまえの出来が悪いってことだ」
「妄言を言うな! わたしは次なる泰樹だ!」
「知らねえよ!」
「この程度のことで怒るセンこそが問題だった!」
「ハッ、この程度で怒れねえ奴が推進役やれるかボケ!」
言葉を証明するように、船速は上がった。
「俺がいたとこなんざ、上官殴らねえと卒業できねえ!」
「なんだその不合理なシステムは!」
「その程度の感情しかねえやつが意海渡れるか!」
むしろ堂々と胸を張り。
「上官のことを常に聞く奴は、感情よりもシステムを上に置く奴だ。ビビって白旗揚げながら激怒するなんざ、情けねえにもほどがある。デメリット覚悟で腹から笑って怒って泣くんだよ」
話を逸らされ、ごまかされているような感覚があった。
だが、心動船はたしかに上下前後への移動ができていない。
今現在がそうであるように、怒りにより進むことが、できない。
「俺から言わせりゃてめえの方が不合理だ。勘違いの叱責されたんなら、怒鳴り返してやりゃいいだろうが、なんだったら殴りつけろ」
「そんなことができるはずもない!」
「てめえは泰樹の奴隷か! 実際やるやらねえはともかく、端から論外扱いしてんじゃねえぞ!」
「我々の関係に人間ごときが口を挟むな! そんなことだからセンはセンでしかない!」
「てめえも話聞かねえやつだな、そのあだ名は虫唾が走んだよ!」
「はははは! まったくもって器が小さい、センはセンでセンだろう! その言葉は結局のところ理性の足りていない証拠ではないか? 人間種の感情の強さとは、結局の所おつむの足りない証だ!」
「!」
「そのように殴打したところで――」
船長は最速で心動船へと接触し制御、右へと推進。全力で避ける。
そびえ立っていた巨大な鉄柱は数センチ差で左を通過した。一部接触した根は、あっけなく千切れた。
たった数秒の交差は、すぐさま離れる。
「――は?」
心動船は、今度は外部に注意を払っていた。
さすがに三度も繰り返せば反省する。
そして直前まで、たしかに「なにもなかった」。水平に、怒りを噴出しながら進むその先は、数キロ先に渡って無意物だった。
「……また見えなくなったな」
後方に遠ざかるそれは意海の黒に紛れる。
心動船の感知範囲内であるにも関わらずだ。
「馬鹿な……」
「ステルス――ってよりも、こりゃ特性だな」
「まさか」
「泰樹のこんな近くに、いつの間にか『界』が出来ていやがった……」
最悪に近い情報だった。
+ + +
『界』とは、意物の集合体とも意海の変質領域とも呼ばれているものであり、発生原因は判明していない。
ただし、泰樹にとってはもちろん、現実世界にとっても徹底して拒否しなければならないものだった。
『界』は、法則を変える。その内部、あるいは周辺では独自のルールが適応される。
現実世界へ現れ出れば、物理法則外の地域が生まれる。重力が『上』となっている北極点重力反転地域は有名だ。
意物が近づけば徐々に存在を取り込まれ、『界』の支配下に置かれる。
泰樹はもちろん、その内部に生息する人間もまた『界の一部』と化すことだろう。
是が非でも倒さなければならなかった。
混者が常人とは異なる能力を持つように、『界』もまた意海とは異なる能力があるのだ。
特性の中心となる『概念』を持つ。
「なんだこりゃ……」
心動船を慎重に接近させて確かめると、そこには街灯があった。
rの形を連想させる鉄柱と電灯の組み合わせであり、町中にあって道を照らす光源だ。
もちろん現実世界そのままのものではなく、おおよそ百倍ほどにもなっていた。
暗い意海の中にあって、その巨大はあまりに異様だ。
「もういいだろう、いち早くこの情報を持ち帰るべきだ、そもそも『界』の近くにいるなど、おぞましいにもほどがある」
「マンホール、か……?」
街灯はライトが点いており、真下の円鉄を照らしていた。まるで鉄製の湖のようだった。
こんなにも明るく、目立つ存在であるにも関わらず、少しでも距離を取れば感知できない。幻のように消えてしまう。
「聞いているのか、セ――くっ、いや、そこの人間種!」
ここでセンと呼びかけるわけにはいかなかった。
苛立ちを込めて心動船は続ける。
「わかっているのか、現在聖女がいない。攻撃手段を持たない状態で『界物』に襲われたならひとたまりもない」
「大丈夫だろ」
「根拠は」
「勘だ」
「――っ!」
あふれる罵詈雑言を聞き流しながら、船長は慎重に速度と方向を測る。
固定された基準点がない場所での計測は難しい。
船長は、己の怒りを制御し、遠方の泰樹を基点としてその計測を試みた。
結果、この『界』は移動しているとわかった。間違いなく、泰樹を目指していた。
「まったくなぜどうして今の人間に移動の主導権が取られているのか、この状況の理不尽さこそがわからない、無意味に危険を侵すことがすばらしい感情とやらになるのか、そんなものはただの無謀であり不合理と英雄願望をこね合わせた排泄物でしかない!」
「この『界』の発見、泰樹が誉めてくれっかもな」
ぴたりと黙った。
「これだけ隠密製の高い『界』なんだ、中心になってる概念核と『界物』だって潜んでるだろうよ、今この段階じゃ攻撃なんざされねえよ」
「……それは、そちらの予断でしかない」
「かもな」
『界』と『界物』はセットとしてある。
『界』は概念核を中心とした範囲であり、『界物』は概念核を取り込んだ意物だ。
核となる部分を壊さなければ存続を続ける。
「だが、どっちにしろ俺らはここにまた来る。予習しといたところで罰は当たんねえよ」
「……なにを言っている」
「この『界』の攻略に参加する、まだ新米だが、発見者の報償としてってことなら受け入れてくれるだろ」
「だから、なぜそのような不合理なことをするのかと――」
「おまえは泰樹の危機を救うヒーローになりたくねえのか?」
「おそらくこれは隠密特性を持つ『界』だが、はたしてそれ以外にどのような力を持つのか、そもそもどのような概念を源としているのか、その推測だけでも立てなければならない。わたしが突入する際に必要な情報だ」
根をうねうねさせていた。
船長は肩をすくめ、その観察の邪魔をしないようにする。
「『界』か……」
その中心から何かを探すように、あるいは期待するようにつぶやいた。




