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手狭なラウンジはこのチームに与えられた会議場だった。
狭い泰樹の内部に与えられた、心動船が乗り込むことのできる広さのある部屋は、彼らに寄せる期待の現れでもあったが、いまは甘い匂いが立ちこめていた。
船長は軽くなった財布を振りながらため息をつく。
魔女には「ただの方便だ」と言ったが、本当にここで金銭をケチっておごらなければ、『次』に同じ手が使えなくなる以上、無視し続けるわけにもいかなかった。
だが、それでも痛い出費だ。眉をしかめて、大して旨いとも感じない焼き菓子をもそもそ食べる。甘い。魔女が淹れたコーヒーには、言う前からたっぷりのミルクと砂糖が入っていた。甘味から逃げられぬ環境がさらなる渋面を作るが、文句は言わない。心遣いは理解できる。手のひらを何度も開閉させる。
聖女は「おー、おぉお……!」と初めて遊園地に来た子供のように目を輝かせ、見慣れぬ毒物を口にするような動作をしていたが。いまはダンゴムシのように床でまるまり震えていた。首筋まで赤い。
心動船はここにはいない。だが、不満な様子はまったくなかった。すでに『食料』は得ていた。ただし帰路の最中、船長が絆創膏を取り出す様子を「まったく、人類種はいらぬ知恵ばかりを身につける……」と呪った。
猫は寝ていた。
魔女は手が四本、口が二つに増えたような勢いでむさぼり食べていたが、突如としてぴたりと停止し、ぶつぶつと何かをつぶやきはじめた。どうやら勢いよく食べ過ぎて腹を痛めたらしい。フードの奥から漏れるのは、だが、苦しみとは関係のない事柄だ。
「――調査部隊の結成によりこの先の行き先はわからない、これからの道のりは彼らにかかっているにも関わらず。いまだに報告は返ってこない。電波が使えぬ環境である以上、帰還まで待たなければならないものの、定時連絡が途絶えたことは明るい事態とは言えない」
そういやそうだったか、と船長。
多大な時間と予算をかけて作られたものだが、あれに期待している者は少ない。
ベテランの心動船乗りほどそうだった。
「――そう、泰樹との協力により水際の防衛に成功はしているけれど、現状はいいものとは言えない。契約上からも戦術上からも、現実世界よりも泰樹の防衛が優先される。周辺の掃討が主であり、現実世界への上陸阻止は優先順位を二番目以降にせざるをえない。考えるべきは泰樹との関係性の危うさであり、その信頼性のなさだともいえる。針上でのバランスはいつ崩れてもおかしくない――つまり、何がいいたいかと言えば、ぽんぽん痛い――」
「調査隊ねえ、話だけは聞いたが、胸くそ悪くなるもんだったな」
甘いコーヒーに顔をしかめ、頬杖をついた。
「それなにそれなに!」
聖女が顔を上げた。赤い頬を両手で顔をごしごしと擦り、緩んだ顔を元に戻そうとしているが、成功しているとは言えなかった。
「……いま俺らがやってんのは、なんだ?」
「やっつけてる!」
「正解だが、ちっと違うな、俺らがやってるのは、あくまでも防衛だ。連中が現実世界で実体化する前に、この意海で追い払い、『界』の形成を阻害し、ぶっ潰している。敵がどんだけの規模かは知らねえけどな、連中そのものに対しちゃ、ろくすっぽダメージ与えちゃいねえだろうよ」
敵は、ある種の『海流』に乗っているらしいことがわかっている。陸に打ち上げられた魚のように暴れ、何種類かは適合する。現実世界に馴染んだそれらは、人類にとって最悪の殺戮者となる。泰樹のような協力者はごく稀だ。
そう、意海のものたちは『攻め込んでいる』という意識すらない。流れの果ての障害物が、現実世界であったというだけだ。
「昔っから防衛の方が有利ではあるけどよ、防衛だけで勝つってのは難しい。この場合は特にな。なにせ相手の戦力切れが期待できねえんだ」
「ふーん」
「……だから、その海流が変えられねえか、あるいは『意海そのもの』がどんなもんかを調べる、そういう目的で作った船だ。まずねえとは思うが、この意海の親玉みたいなのでもいりゃ、それも調べる」
「え、でも、ぼく、それに選ばれてない!」
「そりゃそうだろ」
「ずるい!」
「なにがだ」
「ぼくも行く!」
「その無謀な英雄思考どうにかしやがれ! どっちにしろ、もう行った後だ。それにな、全滅の危険が高い部隊に、無駄に聖者乗っけるわけにゃいかねえだろうが」
「えー、なんでだよ! ぼく役に立つ!」
「調査だ、調査! 倒しにいくわけじゃねえんだよ!」
「でも――!」
「ああ、ったく、寄りすぎだ聖女!」
詰め寄る聖女に、船長は両手を上げて後退した。
「う――」
とたんにその眉が八の字に下がった。
「あのな? 俺がダメージ負うんならまだしも、おまえの方だけがダメージ負うんだろうが」
「でも、ぼく、さわるの大好きだ」
「知らねえよ!」
聖女は口を尖らせ、しゅんとした。
電灯をオンからオフにしたような落ち込みようだった。普段が元気であるだけにその消沈はなおさら目立つ。
船長は渋面になりながら、落ち込む聖女の前に自分のクッキーを移動させた。我ながら姑息なご機嫌取りだが、他に方法もわからない。
「センチョ……」
「なんだ」
「食べ物を粗末にしたら、だめだ!」
「遊んでねえ、お前にやるってことだよ!」
「病気か!」
「なんの迷いもなく断言してんじゃねえぞこら!」
「だってクッキーだぞ! これおいしいんだぞ! 知らないだろ!」
「知ってるよ、わかってるよ、いいから食ってろ」
「ま、まじか」
「本気だ」
「お、おお……」
わなわなと震えた。
「……そこまで信じらんねえことか?」
「うん!」
迷いなく頷き、さらに顔を明るくし。
「そだ! これ友達にあげていいか?」
「やったもんだ、好きにしろ」
「きっと喜ぶ!」
「……いいのか」
「いえす!」
拳を握り、天井へと吠えた。勝利を確信したような叫びだった。
その友達がどれほどいい奴かを力説している様子を眺め、ふと船長は問いかける。
「おまえさ、夢ねえのか?」
「夢?」
「そうだ、将来の目標でも、なりたいモンでもいいよ」
「んー」
年の頃はわからないが、本当にまだ子供だ。なんらかの未来への展望があればと願った問いは――
「やっぱ殉教者になることだ!」
あっさりうち砕かれた。
「おまえなぁ――いや、ここで説教してもはじまらねえ、もうちょっと、他にねえのかよ」
「えー、だめか?」
「もうちょっとくらい夢のある話をしようって言ってんだ」
「夢あるけど?」
殉教はすてきなことだ。
そう頭から信じている表情だった。
「みんな、すごくいい顔で殉教するんだ、ぼくもいつかああなりたい」
「――とにかく、他にねえのか」
「えーと」
横では魔女が無言のまま、胃腸薬はどこかと探している。猫は彼女の側で寝ていた。
「あ、役者!」
聖女はポンと手をたたいた。
魔女は消費期限を過ぎた薬を前に悩む。飲むべきか否か。
「一度だけ直接会ったことあるんだ。映画って知ってる? その女優さん、あれスゴかった!」
「映画は知ってるけどよ、ああ、たしかにあんまり観たことねえけどな――そんなにスゲえのか?」
「すげえかった!」
両手を上げていた。
「そっか」
船長は、頬杖をつき表情をゆるめる。
聖女は眉間にシワを寄せ、長い髪を自らぐしゃぐしゃにしながら悩む。思い出そうとする動作だった。
「なんだっけ、ええと名前が――」
「こら」
指で机を叩いた。
「あ、そうだった。ええと、とにかくスゴい女優のヒトだった。ぼく、はじめて有名人に会ったんだ!」
慰問の一種だろうなと船長は考える。
あらゆる娯楽もまた、感情を高ぶらせる目的に費やされていた。
聖者たちにも有効だと、偉い誰かが考えたのだろう。
「じゃあ、もう一つの夢は役者か?」
「ええと、ええと――ええと?」
腕を組み、首をひねった。そして――
「似てるけど、違うと思う」
「どういうこった」
「ぼくは、ああいう風に、残りたい」
夢見るように目を閉じ、胸を手で押さえた。
「いい思い出として、覚えていてほしいんだ」
聖者は短命だ。
意海のものたちとの拒否反応を起こす体だ、そう長く生きられる命ではない。
「……俺の目の黒いうちは、おまえを死なせねえぞ」
船長は、固く、重く言う。
そんな現実は認めないとばかりに。
「誰がなんて言おうが、死はクソッタレだ。取り返しのつかない最悪だ」
真っ正面から睨みつけ。
「殉教なんてしてみろ、俺が覚えている限り、おまえは最低最悪の聖者だ」
「あ、それはそれでいいな! 覚えててくれるってことだ!」
「ふざけろ」
魔女は、いまだに胃腸薬を前に悩んでいる。
「おまえはおまえで、なんかねえのかよ」
このままでは、要らぬことまで言ってしまいそうだった。話題を変えるためにも魔女へ問いかける。
視線が静かに上がった。背丈は船長とさして変わらない。指は胃腸薬に触れたまま。きれいな姿勢で座る様子は微動だにせず、彫刻のようだった。泰樹のわずかな呼吸がそのフードを揺らす。
そのまま、十秒以上の時が過ぎた。
「お、おい……?」
「――」
聖女までもが固唾をのんだ。
ゆっくりと魔女は言う。
「私――」
「お、おう」
フードの奥、唇だけが静かに動く。
「人と喋るのが、苦手な人」
完全に棒読みだった。
船長の額に青筋が浮かんだ。
――嘘ついてんじゃねえぞおい! さんざんっぱら喋りまくってたじゃねえか! 今更そんなキャラ作ってんじゃねえ!
叫びを飲み込み、船長は笑う。ひきつったものにしかならなかった。
「そ、そうなのか?」
「はい」
船長のまなざしに、わずかに顔を逸らしてちいさく。
「決して、さっきクッキーにつられて思いっきり高いテンションになってしまって、しかも今腹痛で苦しんでるのを隠しているわけではない?」
「意味ねえことしてんじゃねえよ!」
「だって、だって、クールなお姉さんキャラで皆とうふふとか思ってたのに、思ってたのにーっ!」
「わかった、いや、よくわかんねえけど、わかったから落ち着け!」
「無理!」
「そもそもおまえがクールなお姉さんとか無理があんだろうが!」
「夢を諦めない!」
「おまえの夢、難易度高すぎだ!」
魔女は必死だった。
半端に切った胃腸薬の中身がざらざら机にこぼれているのも気づかないほどだった。
「でも、でもぉ!」
「いいから冷静になれっての! 奢るたびにこんなことになるんなら、もうやらねえからな!」
「え――」
「絶望的なこと要求されたみたいな声上げてんじゃねえ! お前、俺と同じ混者だろうが! そういう能力持ってんだろうが! それ使って冷静になれつってんだ!」
「おお!」
「初耳みたいな顔してんじゃねええ!」
魔女は手を中空に延ばし、何かを選ぶような仕草をした。
見えぬなにかをつかんだとたん――
「ぐふぅ――」
重力が十倍になったかのような有様で机へ突っ伏した。
高速で何かをブツブツと呟く。フードに隠された顔は見れないが、極端に生気が薄くなり、存在しているのが申し訳ないというように体を縮める。聖女が興味深そうにのぞき込もうとするが、更に体を縮め、小声で懺悔するように言った。
「死にたい……」
「極端すぎんだろ!」
「感情、選択、だから……」
「オンオフしかねえのか……」
混人――意海からの影響を受けて生まれた者である船長や魔女は、常人とは異なる能力を持つ。
意海という感情が移動力となる世界では、魔女の持つ「感情を意識的に選択できる能力」はこの上なく役に立つ。だが、日常生活においては、わくわく顔で近寄る聖女に「見ないでぇ――」と小声で訴えるような存在だった。
「ったく……」
聖女は魔女にさわろうとしては指先が焦げそうになり、慌てて引っ込めている。
猫は離れた場所で、一人静かに再び眠る。
船はそもそもこの場にいない。
「こいつらを、俺が率いるのかよ」
前途多難。
その文字が船長の脳内で大きく書かれていた。




