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レイテ  作者: 山口遊子


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第5話 鉄の暴風、レイテ湾へ

第5話 鉄の暴風、レイテ湾へ


昭和十九年十月二十五日、午前七時十五分。

フィリピン・サマール島沖。


熱帯の強い日ざしが雲の隙間から射し込み、海面が白くギラギラと照り返していた。その光を切り裂いて、世界最大の戦艦『大和』を旗艦とする日本海軍第一遊撃部隊が、猛然と突き進む。


至近弾で重傷を負い、意識不明となった栗田健男中将が軍医室へと担ぎ込まれた後、第一艦橋の指揮は完全に宇垣纏中将の手へと委ねられていた。


先頭に立つ戦艦『金剛』『榛名』の艦首が刻む巨大な白波。その背後で、七万トンの巨躯を誇る『大和』の三基九門の四十六センチ主砲が、ゆっくりと右舷方向へ旋回を開始した。


「目標、敵護衛空母群! 距離三万一千メートル! 砲撃開始ッ!」


第一艦橋で仁王立ちになる宇垣の怒号と同時に、大和の巨体が激しく横揺れした。


ズガァァァァァァンッッッ!!!!


地響きではない。海そのものが底から叩き割れたかのような、凄絶極まる重低音が世界を揺るがした。

四十六センチ主砲一斉射の衝撃波は、周囲の海面を数十メートルにわたって円形に押し鎮め、爆風の熱波が大和の艦橋窓を叩いた。鼻をつく強烈な黒色火薬の臭いと、焦げた塗料の煙が鼻腔を刺す。


一発あたり約一・五トン——軽自動車よりも重い巨大な鋼鉄の塊が、音速の二倍以上の速さで空気を引き裂いて飛んでいく。

空が「キィィィィン……」と高く惨痛な悲鳴を上げた。


「着弾! 敵空母の至近! 巨大な水柱!」


見張員の叫び通り、水平線の彼方で逃げ惑う米第77.4.3任務部隊(タフィー3)の護衛空母『ホワイト・プレインズ』のすぐ横に、高さ百メートルを超える赤黒い水柱が何本も立ち昇った。

その水柱のあまりの巨大さに、米艦載機から見下ろしていたパイロットたちは絶句した。


「神よ……あれは何だ!? 戦艦の砲撃じゃない、まるで火山が噴火している!」


◆


タフィー3の指揮官、クリフトン・スプレイグ少将は、旗艦『ファンショー・ベイ』の艦橋で顔を歪ませていた。

彼の眼前に広がるのは、悪夢以外の何物でもなかった。


ハルゼー大将の第34任務部隊(高速戦艦部隊)が守っているはずのサンベルナルジノ海峡から、突如として姿を現した日本海軍の主力戦艦群。しかも、その真ん中に聳え立っているのは、米海軍が恐れ続けた怪物——巨大な二重の城郭のような艦橋を持つ戦艦『大和』だった。


「煙幕を張れ! 全速退避! 駆逐艦は全艦、魚雷突撃を行って突入を遅らせろ!」


スプレイグの叫びに応え、米駆逐艦『ジョンストン』の艦長アーネスト・エヴァンス中佐は、果敢にも巨大な日本戦艦群へ向けて一隻で突き進んだ。

黒煙を撒き散らし、魚雷を放ち、五インチ砲を死に物狂いで撃ち込んでくるジョンストン。

その弾丸が大和の分厚い側甲板に弾け、カンカンと甲高い金属音を立てる。


「小賢しいわッ!」


大和の副砲長が叫び、十五・五センチ副砲および高角砲が一斉に火を噴いた。

さらに後方から追撃してきた重巡『羽黒』『鳥海』の二十センチ砲弾が、寸分の狂いもなくジョンストンの艦上に殺到した。


ドカンッ! ズドンッ! チュドォォン!


一瞬にしてジョンストンの第一煙突が吹き飛び、ボイラーが破裂。凄まじい蒸気と炎が甲板を舐め尽くし、乗組員たちが全身を焼かれながら海へ飛び込んでいく。

鉄の焼きちぎれる生臭い臭いと、肉の焦げる臭気がサマール沖の海風に混じり合って漂う。


続いて、米護衛空母『ガンビア・ベイ』の大腹に、戦艦『金剛』の三十五・六センチ徹甲弾が直撃した。


ズシャァァァンッ!


水線下を打ち抜かれたガンビア・ベイは、側腹から大量の海水を呑み込み、機関室が瞬時に水没。巨体が右舷へ激しく傾き、悲鳴のような金属の軋み音を上げながら、洋上に立ち往生した。


「主砲、次弾装填完了! 撃てぇッ!」


躊躇を捨てた日本艦隊の火力は圧倒的だった。

かつて栗田艦隊を苛んでいた「迷い」は消え去っていた。

今、艦隊を動かしているのは、宇垣纏中将の鬼気迫る怒りと、西村艦隊の壮絶な全滅によって全将兵の腹に据わった「死を賭した執念」であった。


◆


サマール沖での果敢な抵抗も虚しく、タフィー3の防衛線はわずか一時間余りで完全に崩壊した。

護衛空母ガンビア・ベイ沈没。駆逐艦ジョンストン、ロバーツ、ホーエル撃沈。


残された護衛空母群は煙幕の奥へと逃走したが、宇垣は深追いを一切命じなかった。


「敵空母追撃は不要! 我らの目標は奴らではない!」


大和の第一艦橋。破れたガラスから吹き込む潮風が、宇垣の血に染まった軍服の襟をはためかせる。宇垣は目と鼻の先に迫るレイテ湾の入口——スルアン水道を指さした。


「全軍、陣形を再編せよ! これよりレイテ湾水道へ突撃する!」


参謀のひとりが懸念を口にした。


「宇垣長官! スリガオ海峡から北上してくる米軍の戦艦部隊が、レイテ湾の南口に留まっているはずです! 挟み撃ちにされる危険が……」


「戦艦部隊だと?」


宇垣は冷たく笑った。その瞳には不敵な光が宿っていた。


「知っているか、参謀。西村はな……あいつらは単身で敵の戦艦部隊の懐に飛び込み、主砲弾を何千発と受け止めて沈んだのだ。志摩も後方で敵を撹乱し、生存者を救って離脱した。……今の米軍の戦艦群に、我々と戦う弾薬が残っていると思うか?」


その言葉は、恐ろしいほどの真実を突いていた。


◆


同じ頃。レイテ湾南口、スリガオ海峡北端。


米第7艦隊の指揮官オルデンドルフ少将は、旗艦『ルイビル』の艦橋で、顔を蒼白にして握りこぶしを握りしめていた。


「少将! サマール沖のタフィー3より緊急打電!『栗田の戦艦部隊、護衛空母群を突破! 大和以下、多数の戦艦がレイテ湾口へ向け突進中!』」


「何だと……!? ハルゼーの第34任務部隊(高速戦艦部隊)は何をやっているんだ!?」


オルデンドルフは絶叫した。

ハルゼーは小沢の囮空母に釣られて遥か北方へ走り去り、このレイテ湾周辺には、自分たちの第7艦隊しか残されていない。


そして、オルデンドルフの手元にある六隻の旧式戦艦(ウェストバージニア、テネシー等)の弾薬庫は——昨夜の西村艦隊および志摩艦隊との凄絶な夜戦により、すでに「空っぽ」に近かったのである。


「少将! 戦艦群の16インチ・14インチ徹甲弾、各艦ともに数発から十数発しか残っておりません! 巡洋艦の6インチ弾もほとんど射撃不能です!」


「くそっ……! あの日本艦隊は、ハルゼーを誘い出すためだけではなく、我々の弾薬を使い果たすまで引きつけるための捨て身の肉の盾だったというのか!?」


オルデンドルフは身体を震わせた。

今、四十六センチ砲を満載した正真正銘の怪物『大和』や、高速戦艦『金剛』『榛名』と水上撃滅戦を交えれば、弾薬切れの米艦隊は一方的な屠殺場と化す。


「……全艦、レイテ湾内への後退を中止。湾外東方へ退避せよ! 輸送船団に緊急避難命令を発令せよ!」


米第7艦隊は、戦わずに避難せざるを得なかった。

西村艦隊が命と引き換えに遺した「無数の砲弾痕と空になった弾薬箱」が、今、最強の盾となって、宇垣艦隊のレイテ突入の道を完全に開け放ったのだ。


◆


午前八時三十分。

ついにその時が訪れた。


レイテ湾の北の入口、スルアン水道。

サマール島南端とホモンホン島に挟まれた緑豊かな景観が、眼前に迫る。


潮の流れる音と、波が船体を叩くドスンという振動が、大和の艦底から甲板へと伝わってくる。熱帯の濃密な蒸気と、ジャングルの濡れた葉の匂いが、硝煙の残香と混ざり合って鼻を突く。


「水道突破! 障害物、敵艦影なし!」


航海長の声が響いた。

大和の巨体が、狭い水道を滑るように通り抜けていく。

それに続いて、長門、金剛、榛名、そして重巡洋艦、駆逐艦群が、一列になってレイテ湾内へと踏み込んでいった。


湾内に立ち入った瞬間——将兵たちの視界がパッと開けた。


「おお……っ!!」


第一艦橋の窓から、誰からともなく感嘆と息をのむ音が漏れた。

そこに広がっていたのは、見渡す限りの「無防備な敵の群れ」であった。


レイテ湾の穏やかな青い海面。そこに浮いていたのは、アメリカ陸軍第6軍の二十万の兵員、戦車、砲兵、燃料、食料を満載した数百隻におよぶ巨大な輸送船団、リバティ船、LST(戦車揚陸艦)、そして補給艦の群れであった。


それらの船は、突如として水道から現れた『大和』をはじめとする大日本帝国海軍の主力艦隊を目撃し、狂ったようにサイレンを鳴らし始めていた。


ウゥゥゥゥゥゥン……! ウゥゥゥゥゥゥン……!


非常警報の赤と黒の煙幕が湾内のあちこちで上がり、輸送船たちが逃げ惑うように錨を上げようと混迷を極めている。

海岸沿いの簡易陣地にいたマッカーサー将軍指揮下の米陸軍将兵たちも、双眼鏡越しに現れた『大和』の四十六センチ砲の巨大な砲身を見て、腰を抜かしていた。


「戦艦だ……! 日本の戦艦だ!」

「逃げろ! 湾内に日本の怪物が戻ってきたぞ!」


◆


大和の第一艦橋。

宇垣纏中将は、額の血を袖で粗雑に拭うと、破れた防風ガラスから身を乗り出し、レイテ湾内にひしめく無数の輸送船団を睨みつけた。


その顔には、鬼神の如き冷徹さと、湧き上がる獰猛な歓喜が同時に浮かんでいた。

彼の脳裏に、スリガオ海峡の暗闇で炎となって消えていった西村祥治中将の顔が浮かんでは消えた。


(西村……見ているか。お前たちの流した血は、今、ここに結実したぞ)


宇垣はゆっくりと右手を出した。

その手は、鋼のように硬く、微動だにしなかった。


「砲術長」


「はっ!」


「目標、レイテ湾内敵輸送船団並びに揚陸部隊。……全艦、全主砲、徹甲弾および榴弾、交互装填」


宇垣の低い声が、静かに艦橋内を支配した。


「……撃ちてし止まむ。一弾も残すな。レイテ湾を、奴らの血と炎で染め上げろ」


午前八時四十分。

史上最大の戦艦『大和』の四十六センチ主砲九門が、レイテ湾の無防備な輸送船団へ向け、一斉に水平まで俯仰角を下ろした。


近代海戦史上、最大の惨劇と激動の扉が、今、爆音とともに叩き開かれようとしていた。


(第5話 完)

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