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12 忘れていた記憶

「先を急ごう! だんだん下から水があふれてきている!」


 レギーの一声で、わたしたちは走り出した。そのひょうしにはねた泥が、白い制服にこびりつく。


(これ、わたしがあんなこと言ったから、じゃないよね?)


 タイミングとしては、まるでわたしの声に呼応したかのようだった。

 でも、みんなはそんなこと、まったく思ってないみたい。わたしを非難することもなく、ただただ走ってる。


(気のせい、だよね?)


 しばらくすると、そんなことを考える余裕すら、なくなっていった。

 あふれだしてきた水はだんだんと泥をやわらかくし、道というより、沼に近くなっていく。

 わたしたちは膝下まで泥につかりながら、重くなった足を必死に動かした。


「なにこれ、どうなってるのよ! さすがにおかしいでしょう」

「分からない。これも、試験なのかもしれない。何かを試されているのかも」

「冗談じゃないわよっ。なにが、害を与えるつもりはない、よ。このままだと、おぼれ死ぬじゃない!」


 バージエの予想した通り、地面はどんどんやわらかくなっていった。あっという間に、腰まで沈んでしまう。

 わたしたちは、話しをする余裕すらなくなり、必死に前へ、前へと足をかきわけて進んだ。

 そのとき、先頭にいたレギーが、とつぜん立ち止まる。


「……っ! ここからさき一帯、泥が深くなってる」


 レギーの言う通り、少し先には、大きな池ほどの沼地が広がっていた。

 バージエは顔を青ざめさせる。


「ここを渡るっていうの? ぜったい嫌!」

「いや、落ち着いて渡ればきっと……。体全部が沈むことはないはずだ。ただ、慎重にいかないと」

「嫌だって言ってるでしょう! 渡り切る前に、おぼれるに決まってるわ!」

「そんなことを言ったって、渡るほかないだろう? そうこう言ってる間に、ここだって危なくなる」


 険悪なふんいきに、わたしはあわてた。


「ちょっとまって! いったん、落ち着こう」

「あんたはだまってなさい!」


 ぴしゃりと閉め出されて、思わず、ビクリと肩がふるえる。


(そうだ……わたし、役に立たないって、自分でも思ってたんじゃない。話に入る資格がないと思われて、当然だ)


 でも、今はそれどころじゃなかった。


(わたしだって、ちょっとでもみんなの役に立たなきゃ。なにか、なにか方法は……)


 そのとき、視界の隅が、ぱあっと明るくなった気がした。

 はっとして顔を向けると、そこには、白い大きな光があった。


「あれ、もしかして、チューレイ草かもしれない!」


 わたしはさけぶと、道をそれて、花畑をかきわけていった。

 花畑の花も、泥にまみれて、ぐったりしている。けれどもそのなか、チューレイ草の花は、ひときわ大きく、なんで今まで気づかなかったのか不思議なぐらい、まばゆく光っていた。 


(あと少し。これを手に入れて、早く——)


「——だめだっ。道をそれてはいけない!」


 レギーの声にはっと足をとめた、そのとき。まわりの景色が一変した。

 泥水は、水が引いたようになくなり、もとの固い地面に戻っていた。

 泥にまみれていたはずの花も、まるではじめから何もなかったみたいに、軽やかに風にゆれている。

 わたしは花畑の上に座りこんで、目を丸くした。


「……みんな、は?」


 レギーもバージエも、ノーマムも、みんな見当たらない。広い花畑の上に、わたし一人が、ぽつんと座ってる。

 頭のなかが、霧におおわれたみたいに、上手く働かなかった。わたしは、額をおさえて、頭をふった。

 そのとき、どこからか、聞き覚えのある、子守うたが聞こえてきた。そうこれは、やさしい、やさしい、お母さんの声——。 


(ううん、ちがう。わたしには、お母さんはいないんだもの。それじゃあこれは、だれの声だっけ)


 ふと気がつくと、景色が変わっていた。今度は、すごく見慣れた景色。聖なる山の、孤児院のなか。

 わたしは、そのことになんの疑問ももたずに、ふらふらと、歌が聞こえる方に歩いていった。床の上を歩く、白くて小さな足が、ぺたぺたと音を立てる。


「———…………——————………………」


 歌声は、扉の向こうから聞こえてくる。


(ここは、そう。みんなで遊ぶときに、集まる場所)


 頭の上にあるドアノブを、背伸びして押す。

 なかをのぞきこむと、白くてひだの長いワンピースを着た女の人が、両手に赤ちゃんを抱いてあやしていた。

 その周りを、わたしより大きいお姉さん、お兄さんと、ここに来たばかりの、年下の子たちが囲っている。

 赤ちゃんがぐっすり眠りについたのを見ると、それまでだまっていたお姉さんが、口を開いた。


「ねぇ、ダイアナ、もう大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。見慣れないひとたちが、いっぺんに集まってきたから、ちょっとおどろいちゃったのね」

「ごめんなさい……」


 しゅんとしたお姉さんの頭を、女の人が、優しい手つきでなでた。


「さあ、ダイアナは、向こうに寝かして来るから、みんなは遊びを再開しなさい。小さい子の面倒を、ちゃんと見るのよ」

「うん、分かった」


 女の人は、赤ちゃんを抱いたまま、わたしのいる、扉のある方にやってくる。

 わたしに気付くと、まあ、と眉をあげた。


「イェナも来てたの。みんなと遊ばないの?」

「うん、大丈夫、先生」

「じゃあ、わたしについてきて。この子を一緒に寝かせましょう」


 わたしはこくりとうなずくと、先生のあとを、赤ちゃんを起こさないように、そろそろと歩いた。

 先生は、少し離れた部屋に入ると、ベビーベッドの上に赤ちゃんをそっと寝かせる。

 じっと赤ちゃんを見つめるわたしの頭を、先生はなでた。


「イェナは、なにしてたの?」

「お外にいってたの。わたし、お外で遊ぶ方が好き」

「そうなの。もしかして、また禁域に行っていた?」

「……」


 わたしは、怒られると思って首をすくめた。

けれども、先生は怒ったりしなかった。代わりに、困ったように眉を下げる。


「そう。あそこは、危ない場所なのよ。先生は、あんまり行ってほしくないんだけど、イェナは、どうして禁域のある方に行きたいの?」


 わたしは、言おうかどうしようか迷ってから、口を開いた。


「……わたし、お外に行ってみたいの。ここより外の場所。この、ダイアナがやってきた場所。あそこは、お外とは違うかもしれないけど、同じでしょう?」


 ———そのとき、また景色が変わった。


 今度は、孤児院じゃなくて、ルウェルトン第一学舎のなか。制服を着た、知らない大きなお姉さん、お兄さんが何人も歩いているのを、わたしは柱の影からのぞいてる。


「———また、抜け出してきたのですね」


 頭上からふってきた、よく聞き覚えのある声に、わたしはびくりと肩をゆらした。

 指導官長様は、大きなため息をつく。


「あなたは、まだその歳じゃないと言っているはずですよ、イェナ」

「ごめんなさい……」

「来なさい。送ってあげましょう。孤児院の先生たちが、心配しているはずです」


 わたしはあきらめて、すごすごと指導官長様の後ろを歩いた。

 すれ違うお姉さん、お兄さんが、物珍しそうに見てくる。わたしも気になって、見返した。


「……生徒が気になりますか、イェナ」


 わたしは、こくりとうなずいた。


「それは、どうしてですか」

「……だって、外から来たひとたちだから。あともう少し、わたしが大きくなったら、もう、いなくなるんでしょう?」


 指導官長様は、足をとめて、わたしを見た。


「……さびしいのですか?」

「ううん、さびしくない。でも、外の風を運んでくるひとたちだから。外に、帰っていくから」


 指導官長様は、しゃがみこんで、わたしと目線を合わせた。


「うらやましいのですか?」


 こくんとうなずいたわたしを、指導官長様はだまって見つめる。

立ち上がると、孤児院とは真逆の方向に歩き出した。


「ついてきなさい」


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