第18話:冬の永平寺――刻み続けた「意地」と「慢心」
今回は冬の厳しい寒さのなか、足を引きずりながら包丁を握り続けた記録です。しかし、そこで待っていたのは、寒さや足の痛み以上に、自分の「慢心」を思い知らされる苦い教訓でした。
手術を終え、ろくなリハビリもできないまま、私は再び「お山」へと戻りました。
当然ながら、術後の足首で以前のように坐禅や正座を組むことは叶いません。老師との面談を経て、私は「大庫院」へと転役することになったのです。
かつて私がいた小庫院が主に参拝客(お客様)のための厨房だったのに対し、この大庫院は「修行僧」のためだけの厨房でした。
共に修行に励む約二百人の仲間の食事を、毎日三食、欠かさず作り上げる。そこには一瞬の停滞も妥協も許されない、独特の張り詰めた熱量がありました。
折しも、季節は冬。
雪に閉ざされた永平寺では、観光客の姿が消えた小庫院には閑古鳥が鳴いていたそうです。
「あちらは静かでいいな……」と、隣の芝生を羨んでしまう自分がいたのも事実でした。 しかし、大庫院に休みはありません。
私は術後の腫れが引かない足を引きずりながら、凍てつくような寒さのなかで、ひたすら漬物を刻み続けました。
トトトトトトン、トン、トトトトトトン……。
静まり返った厨房に、一定のリズムで響く包丁の音。
足が痛み、指先がかじかんで感覚を失いそうになっても、仲間たちの空腹を満たすために立ち続けました。
……と、ここまでで終われば美談なのですが、実はこの大庫院で、私は大いに「やらかして」しまったのです。
私は春から十一月までの長い期間を小庫院で過ごし、菜頭長(厨房のリーダー格)として、ある程度自由に鍋を振るう権限を与えられていました。
お山の台所事情や味付けのツボを完全に把握していた私は、大庫院へ移っても「同じ感覚」で動いてしまったのです。
献立を見ただけで、誰に指示されずともテキパキと料理を仕立てていく私。最初のうちこそ、寮長さんたちからも「おっ、さすが小庫院上がり! 即戦力だな!」と喜んでもらえました。しかし、人間というのは調子に乗ると本当に愚かなものです。
「もっと美味しくしてやろう」「もっと時短できるやり方を教えてやろう」と、頼まれもしないのに勝手にアレンジを加え始めました。
精進の具材だけを独自に調合して作った「特製めんつゆ」を仕込んで調理時間の短縮を図ったり、胡麻豆腐をスイーツと位置づけし敷味噌を「あえて甘めに味付け」して美味しくしてみたり……。
今にして思えば完全に「腕利きの料理人気取り」で悦に入っていたのでしょうね。
ところが、ある日のことでした。なぜか、かつてお世話になった小庫院の寮長さんから、ひそかに呼び出しを受けたのです。
「堅明、お前……大庫院の寮長さんが困っているぞ」と、私は耳を疑いました。
「怒っている」ではなく、「困っている」という言葉が胸に刺さります。
聞けば、こういうことでした。大庫院には、何百年と受け継がれてきた伝統と慣習の味、そしてやり方がある。私のように勝手なアレンジをされるのは困る。けれど、私の作った料理自体は美味しく、仕事にも落ち度がない。頭ごなしに怒って、手術明けで頑張っている私のモチベーションを傷つけたくない……。そう悩んだ大庫院の寮長さんが、私を気遣うあまり直接叱れず、昔の「元上司」である小庫院の寮長さんに間に入ってもらい、相談を持ちかけていたというのです。
事情を聞いた瞬間、恥ずかしさで血の気が引きました。心当たりがありすぎたからです。
良かれと思ってやっていた自分の工夫は、ただの「自己満足」であり、七百年の伝統に対する「傲慢」に過ぎなかった。
私はすぐに小庫院の寮長さんに「二度と勝手な真似はいたしません」と頭を下げ、大庫院の寮長さんの元へも駆けつけて、深く謝罪と、傷つけまいと気遣ってくださったことへの感謝を伝えました。
それ以来、私が勝手に調合した「特製めんつゆ」も、甘めの「特製敷味噌」も、すべて永久封印です。
足の痛みを堪えて大根を刻んでいたあの冬。
寒さ以上に私を打ちのめし、そして育ててくれたのは、「美味しく作って褒められたい」という浅ましい自分のエゴ(我)に気づかせてくれた、先輩和尚方の温かい配慮でした。
調理の手際やアレンジの腕前なんて、修行の前には何の自慢にもならなかったのです。
料理の味なんて、完璧じゃなくてもいい。
大切なのは、食材を丹精込めて育ててくれた人や、出来上がった料理を口にしてくれる仲間の姿に、静かに思いを馳せることでした。
「もっと美味しくしてやろう」と余計な細工をするのではなく、砂糖には砂糖の良さがあり、塩には塩の持ち味がある。それぞれの命を活かしながら、一工程ずつ丁寧に、淡々と火を入れていく。
あの冬の冷え切った厨房で、私は料理の、そして仏道修行の「本当の原点」を学び直したのでした。
合掌
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
道元禅師が『典座教訓』で説かれた三心――喜心・老心・大心。
自分の腕前を誇示する「完璧さ」ではなく、目の前の命に向き合う「温かさ」こそが大切なのだと、大庫院の冷たい板場で痛感させられました。あの冬の恥ずかしい失敗と先輩方の慈悲は、今でも私の僧侶としての大きな心の拠り所となっています。
次回は、そんな冬の厨房を乗り越えた私に下された、更なる衝撃の辞令(配役)のお話しです。
本山を離れた静寂の山寺で、まさかの「数千の敵」との孤独な戦いが幕を開けます。




