第17話:正座のできない修行僧――病室で誓った「優しいお寺」への道
私は和尚ですが、実は正座が大の苦手です。そこには、修行時代に抱えていた足の病の記憶が隠されています。今回、私が自分のお寺を「バリアフリー」にした理由をお話しさせてください。
同時連載小説『蒼龍くん物語』のなかでは、主人公の蒼龍くんが静かに座るシーンがあります。しかし、実は作者である私自身は、何を隠そう、かなりの「正座嫌い」なのです。
それには、のっぴきならない理由があります。
大学生の頃、バイク事故で右足首を骨折した古傷があり、さらに永平寺へ出発する直前には、その場所に良性の腫瘍が見つかるという、少々厄介な足首を抱えていたからです。
本来ならすぐに手術すべき状態でしたが、私はそれを後回しにして「お山」へ上がりました。しかし、外界と遮断された修行生活において、この足首はすぐに悲鳴を上げ始めました。
日々の坐禅、幾度となく繰り返される正座、そして長い回廊を四つん這いで駆ける雑巾がけ。それは、想像を絶する苦行でした。
修行が進むにつれ、私の足首は紫色に腫れ上がっていきました。しかし、「湿布一枚、サポーター一枚であっても、身につければ本堂への出入りが禁じられる」という厳格な規律のなか、私はただ痛みを飲み込むしかありませんでした。
足の痛みのせいで、本来集中すべき読経や作法に身が入らない。お経の場に立てない悔しさを、一人暗闇のなかで噛み締める夜が続きました。
前話でお話ししたお盆の帰省(長期他出)を終え、お山に戻ってからも、痛みは日に日に増していきました。
「このままでは、肝心の修行が全うできない――」
そう意を決して、地元・秋田の大学病院で手術を受けることにしたのは、修行生活も中盤を過ぎた十一月のことでした。
再び長期他出を願い出て秋田へ帰ると、生後半年を過ぎ、首がしっかり据わった長男が出迎えてくれました。こうして守るべき小さな命に勇気をもらい、私は手術台へと向かったのです。
無事に手術が終わり、全身麻酔から朦朧と目が覚めたとき。
私が意識の混濁のなかで、真っ先に口にした言葉は「腹減った」だったそうです。
「精進じゃないカレーが食べたい!」
このなりふり構わぬ本能の訴えに、執刀医の先生方も思わず苦笑い。妻がコンビニで買ってきてくれた、なんでもないカレーライス。あの、ガツンとくる刺激的なスパイスと肉の旨味……。
「あぁ、生き返った……」
病室で噛み締めたあの味は、一生忘れることのできない「命の味」となりました。
腫瘍は取り除いたけど、リハビリを満足に行えていない状態でお山へ戻りました。それもあって今でも私の足首は長時間の正座を苦手としています。しかし、そんな「足に弱点がある和尚」だからこそ、後に自坊である蒼龍寺を建てる際には、ある強いこだわりを持ちました。
それは、本堂からトイレに至るまで「一階全館バリアフリー」にすることです。
「修行なんだから、痛くても我慢しろ」
そう言うのは簡単です。しかし、足の痛みに気を取られて、せっかくの法話や祈りの時間が「ただの苦痛」になってしまうのは、あまりにも勿体ないと思うのです。
完璧な体ではないからこそ、できる配慮がある。
私が車椅子を準備し、段差をなくしたのは、私自身がお山で「足が痛い時の孤独と不自由さ」を誰よりも知ったからです。
蒼龍寺の床には、私のそんな「反省と経験」、そして何より、参拝される皆様への「願い」が詰まっているのです。
合掌
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
「痛みを我慢すること」だけが修行ではない。お山で足を引きずりながら歩いたあの日、私はそのことを痛感しました。誰にとっても優しい場所でありたい。その想いは、今の寺院運営の大きな柱となっています。
次回は、手術を終え、戻ったお山で私を待っていた新しい地獄(配役)のお話しです。




