第15話:修行の果てにやっと会えた、はじめて会えた「生後4か月の命」。
手紙でしか知らなかった息子の存在。
修行という名の、自分自身との戦いの先に待っていた「本当の答え」について、今日は少しだけ個人的な、けれど大切な再会の記憶をお話しします。
今回は、修行の合間に許された一時帰宅。その再会の瞬間のお話です。
秋田の先輩和尚の慈悲により「長期他出」の許可をいただき、私は自坊のお盆の手伝いという名目で、数ヶ月ぶりに山を下りました。
修行の張り詰めた緊張感から解き放たれ、秋田へ向かう道中で感じた安堵感は、生涯忘れられないものです。
途中まで車で迎えに来てくれた妻の姿が見えたとき、私の目には真っ先に、その腕に抱かれた小さな命が飛び込んできました。
四月十二日。私がお山で壁に向かって坐っていた日に生まれた、長男。
手紙でしか知らなかった我が子と、生後四ヶ月にして、ようやく初めての対面です。
「あぁ、やっと会えた……」
そう思った瞬間、自分でも気づかないうちに涙が頬を伝っていました。
初めてその柔らかな体に触れ、おそるおそる両腕で抱きかかえたときの感覚。
「かわいいな……」
ただそれだけの、ありふれた、けれど人生で最も重みのある一言が、心の中から溢れ出してきました。
それまで、月給三千円の現実に絶望したり、寝る間を削って胡麻豆腐を練りながらお経を覚えたりと、自分なりに必死に戦ってきたつもりでした。
でも、その腕の中のぬくもりを感じた瞬間、それまでの苦労がすべて、この命に繋がるための大切な糧だったのだと、すとんと腹に落ちた気がしたのです。
本当の強さとは、誰かを想う優しさから生まれるもの。
それを、生後四ヶ月の息子が教えてくれました。
合掌
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
修行中の身でありながら、家族を想って涙する。それは「執着」なのかもしれません。しかし、あの温もりを知ったからこそ、私は再びお山に戻り、残りの修行をやり遂げる覚悟ができました。
次回は、家族とのつかの間の再開の天国から叩き落された、お山の「地獄のペナルティ」のお話しです。




